三陸海岸 真木沢隧道群  

公開日 2006.06.02
周辺地図

 三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。
三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。
中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。
実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。
無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。
北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者にとってもっとも三陸らしいと思われる景色が点在している。

 これまで山行がでは二度ほど、この宮古以北の“北三陸”(正式な呼び方ではない)の海岸線に穿たれた際どい歩道や、そこに点在する隧道を紹介している。
ミニレポ「ネダリ浜隧道」と隧道レポの「北山崎隧道群」がそれである。
 そして、実はさらにその続編と言うべき探索が、同日、この2つの探索の後に、行われていた。
そこには、上記二つのレポートで紹介した全隧道数を上回る多数の隧道が存在していた。
田野畑村の南端にある真木沢海岸での探索がそれである。
だが、最近まである事情によってレポートの作成が満足に出来なかった。

 今回、その問題が解消したので、お待たせしましたレポートを、公開しようと思う。
「三陸の穴シリーズ」 おそらく…… これが最終シリーズ作となる。




午後5時24分 真木沢河口より北0.7km地点にて

男達は再会する。

 日付は、2005年8月23日。
この日、ある一つの台風が千葉県房総沖から本州の太平洋岸をかすめながら北上を開始していた。
この時刻すでに、関東地方では猛烈な強風が吹き荒れていた。
予報では、この日の夜半頃、台風は三陸沖海上を通過し、朝には北海道南岸へ抜けるという。

 嵐の数時間前の三陸、真木沢海岸の北 約0.7kmの地点に、男達はいた。

 男達のうち、二人はずぶ濡れであった。
もう一人の男によって向けられたカメラに対し、一様に安堵の表情を見せていた。

 二人の男は、本当に、全身が濡れていた。



 男達から滴った雫が、次々と粗い砂浜に消えていく。
足元には、みるみる黒いシミが出来た。

 男達の背後には、彼らの作った足跡が、点々と続いていた。

 足跡は、二人の背後にある小さな岩の岬の方から続いていたが、次々押し寄せる磯波によって、もう既に掻き消されつつある。

 二人の男は、いま、海から出てきたらしかった。
そして、この場所で、帰りが遅いと心配に感じたもう一人によって出迎えられたのであった。



 ここは、

  陸中海岸国定公園内、
  白池・真木沢海岸歩道
(陸中海岸遊歩道)

 波が全てを呑み込む、決死歩道である。





 計画では、二人が白池海岸の歩道起点から海岸線の歩道を南下し、約2kmを歩きつめて終点の真木沢海岸に達し、そこで予め先回りしたもう一人の車に拾ってもらう手筈であった。
だが、予定の集合時間を大きく超えた為、車で待つはずの男は、逆に歩道を北上し、残り二人を捜した。
そして、集合予定場所から700mほど戻った場所にて、ずぶ濡れの二人と再会したのである。

 ずぶ濡れの男は、ヨッキれんと、細田氏。
仲間想いの彼は、numako氏(→『numakoのhome[directory]page』)。
二人は、この直前に、地形図にも描かれている一つの隧道を攻略していた。
だが、その写真は、一枚もない。

 なぜ、二人は濡れていたのか。
二人に何があったのか。
ここは、誰もが楽しめる遊歩道ではなかったのか。

……その全ては、ごく最近まで、二人の記憶の中だけの景色であった……。






 合流した男達は、互いの無事を心から喜び合った。
特に、唇の青色っぽい二人は、この再開に命の安堵感さえ滲ませているようだった。

 3人は、一人が今来たばかりの海岸線を戻った。
ずぶ濡れの二人にとっては、前進。
カメラを構える一人にとっては、帰還である。

 そして、間もなく男達の眼前には、地図には描かれていない一つの隧道が出現した。
波打ち際に口を開ける、どす黒い穴。
生還の道とは思えない不気味さだが、これ以外に道はないのだった。






 それまでよほど緊張していたのか、仲間に迎えられてからの二人は、にこやかだった。

 全身濡れている男の姿。
道など無い岩場を前に、それでも嬉しそう。
問題は彼の腰に見える銀色のポシェット。

 あれは、彼愛用のカメラポシェットである。
彼の旅を記録し続けてきた愛機が、常に2台はスタンバっている筈だ。

 だが、彼は出会って以来、一度もカメラに手を掛けようとしなかった。
カメラの安否は……  ……絶望なのか。



 穴を抜け、男は黙々と歩んだ。
登山道まがいの岩場が行く手を遮り、足元に激突する波が砕け、高く舞ってその飛沫を3人に振りかけるとも、もはやそれを気に出来る体の部位が無いようだった。

 ただ、一歩一歩、仲間と共に生還への確かな感触を確かめながら、道無き歩道を、歩いていた。
numako氏は、山行が探索の有様を間近に記録した、数少ない人物の一人となった。






 3人の目の前には、奇妙な景色が、次々と現れていった。

 現れた隧道に深く潜ると、その途中から海が見えた。

 8月末の海。
しかし、我々以外の誰とも出会わない。歩き始めて以来、これまでずっと。
時さえ誤らねば、ここを海水浴の子供達が駆け回ることもあるのだろうか?
とても想像できない。

 時が経つにつれ、体を押すほどの勢いを充たし始めた風が、南へ南へと吹き抜けていく。
まだ南方遠い海上の台風へ、気圧のブラックホールへと…。






 次々に現れては、背後へと消えていく隧道達。
地図にはない、無数の隧道がそこには存在していた。

 あるものは素堀、またあるものはコンクリートで化粧されていたが、どれもびしょ濡れだった。
雨は降っていない。
地下水でもない。

 波飛沫である。
一つの隧道では、満潮時には波が洞内へ押し寄せるのだろう。
濡れた波形の砂山が出来上がっていた。






 いくつもの隧道を潜り抜け、やがて、広々とした砂浜へ出る。

 塩水は、べっとりと男達にまとわりつき、まったく乾こうとはしなかった。
二人は、震えていた。



 目的地、真木沢海岸に到着した。
予定よりも1時間近くも遅れていた。

 男達は、生還の歓びを噛みしめたはずが、苦い塩の味がするばかりであった。

 雲は、龍の如く流れていた。



 そして、男達はやがてこの地を離れていった。

 歩いたそばからその足跡が波に掻き消されるという、三陸の最も険しい海岸歩道の“攻略”を終えて。



次回、

二人が体験した一部始終を、僅かな写真と共に… 激白!