さて今回は長野県より、浅間山南麓、佐久盆地周辺に位置する小諸市から、役目を終えた旧隧道を紹介しよう。
私がこの隧道の存在を知ったのは、現在の小諸市南西部にある千曲川西岸一帯の古い地形図を眺めている時だった。
右図がそれである。これらは昭和44(1969)年版と大正4(1915)年版の旧版地形図だが、どちらにも2本の隧道が描かれている。
これらが同じ隧道なのかについては、この縮尺の地図だけで判断するのは無理があるが、大正初期の時点で既に隧道が存在していた事や、そのうちの1本が結構な長さで描かれていたことが、私の興味を惹いた。
なお、描かれている隧道は2本だが、実際にはここには3本の隧道が存在していたことが、定番の資料「道路トンネル大鑑」の記述や、縮尺の大きな現在のネット地図などから判明した。
すなわち、南側に描かれている短い隧道の実態は、とても短い2本の隧道から成っている。
そして、それらは今も現役である。
今回のメインのターゲットは、北側の長い方の隧道で、「大鑑」には「宮沢3号隧道」という名前で記録されているものである。
先に見て頂いたのは、だいぶ昔と、一昔前の地形図であったが、こちらは最新の地図である。
地理院地図から、「宮沢3号隧道」の周辺を切り出してみた。
ここには、“いかにも怪しい”行き止まりの道が描かれている。
怪しすぎて、笑いが出た。
これにより、「宮沢3号隧道」は既に「宮沢トンネル」へと代替わりを終え、旧隧道は地図から抹消されるような扱いにある(まず廃道だろう)ことが理解された。
これは、ますます現地の様子を見にいく必要がありそうだ。
といったところで現地探索の動機付けは完成したが、本編レポートの前にもう一つだけ、情報を提示しておく。
「大鑑」と対になるトンネルリスト資料としてお馴染みである平成16(2004)年度版「道路施設現況調査」も見てみると、現代の“宮沢隧道群”は、少々意外な部分でも「大鑑」の時代から変化していた。
下の表をご覧頂きたい。
「大鑑」と「現況調査」の間には36年の時差があり、この間になぜか宮沢1号・2号の各隧道の名前が変化していたのである。
これらの隧道では、昭和57年に大規模な拡幅工事が行われたようで、その際に名前も変更したのだと思われるが、その理由は不明である。
また、本編の主題である宮沢3号隧道については、平成7(1995)年に現在の「宮沢トンネル」が開通していることが分かった。
それでは、1号隧道…じゃなくて! 「ツキノシマトンネル」の手前から、現地レポートを開始する。