2013/9/24 5:40 《現在地》
JR藤野駅の一番列車で輪行を解いた私は、すぐ目の前を走る国道20号(甲州街道)に出た。
そして、この日の走破目標であった県道76号の起点がある東京方面へと走り出した直後、この三叉路が飛び込んできた。
直進は国道20号だが、左の脇道に心を奪われた。
「なぜ」かは次の写真で説明するが、ともかく想定外のドキッとする出会いであった。
事前の下調べは何もなかったが、三叉路に設置された道路標識により、左折の道も県道であることが分かった。
県道522号というらしい。
(この交差点が県道522号棡原藤野線の終点だった)
私がこの道に心奪われた、「ワケ」。
それは、三叉路からも見えたこれらの道路標識達だった。
だいぶ古びた「規制予告」の標識がまず目に止まり、さらにその奥にも黄色い大きな予告板があるのを見つけて、心躍った。
予告された規制の内容は、この先に「3.6mの制限高」が設けられているということだった。
これが「3km先」とかだったら、わざわざ寄り道をしなかったと思うが、たった150や200m先というのならば、誘いに乗らない手はない。
それに「トンネル」ではなく、「隧道」と書いてあるのも、私の興味をそそった。
そして、このちょっとした寄り道は、私に大きな驚きをプレゼントしてくれた。
県道522号は始まるなり猛烈と言っても良いくらいの上り坂で、少し前に私が運ばれてきた中央本線の踏切の上だけが平坦で、その先もまた上っていた。
行く手には道の勾配にも増して急峻な山が迫っていて、隧道はこれを潜るものだということが予感された。
なかなか忙しない感じの地形であった。
踏切を渡ると、早速にして問題の隧道が見えてきた。
くすんだ雨の風景の中で、まるでマグマを蓄えた火口のように赤々と坑口は異彩を放っていた。
道は踏切から坑口までの区間が狭くなっていて、この狭隘区間の手前にも、本来は坑口の前にあって然るべき高さ制限の標識が現れた。
3度目の予告となる「高さ制限3.6m」と、補助標識には「隧道内歩道有り」という見慣れぬ文字。
「口数の多い道路に要注目」というのは、オブローディングや道路探索の鉄則である。
そして、この道が大いに要注目であることは明らかだった。
顔を上げて見た坑門は、確かにどんな車も安心して通れる高さではないようだ。
それに、不足しているのは高さだけでなく、幅も2車線分は無い。
だが、ここに来て特に意外だと思ったのは、このトンネルが貫いているのが、緑の山だけではないということだった。
坑口のすぐ上に乗っかっているのは、明らかに中央自動車道の防音壁である。
先ほどからほとんどひっきりなしに聞こえてくる重低音は、あの壁の向こうに音源があった。
このトンネルは、中央自動車道を潜る地下道であると同時に、地山を貫通する山岳トンネルである点に、大きな特色があった。(それだけではなかったが…)
5:49 《現在地》
うひゃーーー!!!
すっげー「隧道内」の連呼!!
隧道内先入車優先。
隧道内制限高3.6m。
隧道内歩道有り。
ここでは「隧道」という言葉が、「トンネル」を完全に抑えている!
なんという隧道ファンサービス。
(まあ、トンネルよりも隧道の方が文字数が少ないので、表示物の材料費を節約出来るとか、そんな事もあるのかも知れない。)
高さ制限バーの奥に控える坑門に対面。
ここに来て初めてこの「隧道…隧道…隧道…」の、本当の名前を知る事が出来た。
これでもし、沢井“トンネル”だったら可笑しかったが、そこは大丈夫。
沢井隧道 であった。
いや、でもあまり大丈夫でもないかも知れない。
ナトリウムライトに煌々と照らされた洞内に目を向けると、その坑道のサイズが途中から変化しているのが一目瞭然であった。
私はこの断面の変化を見て思った。
この変化は、上を中央自動車道が通過したせいではないだろうかと。
中央自動車道を建設する際に、この隧道の坑門を含めたこちら側50mほどが一旦開削され、それから埋め戻したのではないだろうかと。
さあ! オレンジの写真が、大挙して来るぞ!
気を引き締めろ!!
まだ少し眠い朝方の脳みそには、ガツンと来まくる極彩色だ。
振り返れば、すぐそこに皆様の平和な寝床があるのに…。
このギャップは、山岳トンネルではあまり感じる事のない、都会的トンネルの感想であった。
だが、見ての通りこのトンネルの実体は、山岳的外観を持っている。
断面の小ささから道路というよりも、鉄道用の単線トンネルのようでもあった。
廃線跡を道路に転用すると、こんな景色のトンネルが良く生まれる。
だが、このトンネルは間違いなく道路用として誕生し、生きてきたものだった。
中央自動車道の開通と同時に掘り直されたと思われる冒頭の約50mを終えると、その先には、旧来の断面をそのまま留めていると思われる、狭隘な区間が待ち受けていた。
こいつは、たまげたな。
中央自動車道を潜り終えた辺りで一旦狭くなった断面は、そのまま出口まで行くのかと思いきや、また50mほど先で広くなり、さらにそのまた50mくらい先で再度狭くなる。
そんな目まぐるしい断面変化が、ここから見通せたのである。
たかだか300mそこらのトンネルで、断面の大きさが三度も変化するとは、中央道による攪乱が大きな理由であったとしても、なんとも忙しいトンネルだ。
洞内の狭い区間は、完全に1車線分しかない。
一応両側に白線で仕切られた歩道が設けられているが、そこまで使っても四輪同士の離合は出来ないだろう。
そして2度目の断面変化地点から3度目のそれまでは、約50mある“広い区間”である。
そこは乗用車同士ならば離合可能な幅があり、元々は待避所として設けられたスペースだと推測出来る。
だが、白線によって区切られた車道は隧道の全長にわたって同じ幅なので、両側の歩道に乗り上げないと離合出来ない状態になっている。
(入り口に「先入車優先」と書いてあったから、現在は洞内での離合を想定していないのだろうな)
3回目の断面チェンジで、再び狭くなる。
外で繰り返し注意(予告)された「高さ制限3.6m」は、この狭隘部分によるものだろう。
なお、私が洞内を探索している最中、結構頻繁に車の行き来があった。
出入り口に信号を設けるほどではないのだろうが、朝夕のラッシュ時にはそれなりの交通量があるようだ。
ここが藤野駅や旧藤野町役場(相模原市藤野総合事務所)に近接する町の中心部であることも踏まえれば、トンネルの全面的な拡幅が検討された事もあったと思うが、それをするには真上を通る中央自動車道が邪魔になり、またトンネルを全く新たに新築しようとしても、周囲にはそのための道路用地が無いといった感じだろうか。
やむなく古い隧道を酷使し続けている雰囲気が、こうした中途半端な拡幅や、前後の標識類などから滲み出ている気がした。
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あとは狭いまま出口へ直行と思ったのが、甘かった。
残り6〜70mほどの所で、なんど4度目の断面チェンジ。
しかも、今までのどの区間よりも狭くなっていた。
直前の壁が防水パネルに覆われていた事をあわせて考えると、この先は特に地質が悪くて、コンクリートの巻き厚を増やしている(そのための断面減少)のであろうか。
前言を撤回し、「制限高3.6m」の正体は、この部分であったと言わねばならない。
なお、こうした断面サイズの乱高下に翻弄されているのは、自転車を含む歩行者である。
先ほども書いたとおり、走行車線の幅は全線を通じて変わっていないが、その分歩道部分にしわ寄せが来ており、この最狭部分では向かって左側の歩道が幅50cm程度、右側の歩道に至ってはほとんど消滅してしまったのである。
でもでも、これでさすがに断面チェンジも最後だろう
…というのが、
甘かった〜〜!!
最後に、これ見よがしな “卵断面”!
なんと5回目の断面チェンジ。
沢井隧道の真の驚きとは、「尋常でなく多くの “断面” を持つ隧道」だったのである!
5:52 《現在地》
う〜〜ん! こいつはどっから見ても、「たまご」だぜ。
山の中に聳え立つオレンジ色の卵にしか見えん。
百歩譲っても、タマゴタケの幼体だな。
沢井隧道を抜けてこのまま県道を北上すれば、路線名にある棡原を経由して山梨県上野原方面や、さらに甲武トンネルを越えて東京都桧原村、或いは和田峠を越えて東京都八王子市内へも通り抜け出来るが、どれも今回の私の目的地とは全く関わりがないので、ここですぐさま“たまご”へ戻る(生物学的には不可能)ことにした。
なお、この北口にも南口とほぼ同様の標識・案内類が設置されていた。
しかし風景的には鬱蒼とした山中であり、トンネルを抜けた途端に高速や鉄道や国道が居並ぶ小都会という、そんなギャップの面白さもこのトンネルを魅力的に仕立てている。
何の疑いもなく、卵に吸い込まれていく軽トラちゃん。
このあと、彼の車は5回もの断面チェンジに翻弄され、目をパチクリさせながら藤野の街中に転げ出るのだと想像すると、何とも愉快である。
(それは1分前に私が体験したことの逆に他ならないが)
それはさておき、北口の奇妙な造形の正体を探ろう。
扁額は南口と同じように黒大理石のプレートで、もちろん「沢」「井」「隧」「道」と、刻まれた名前も同じ。
違いがあるのは、胸壁に工事銘板が取り付けられていたことだった。
これぞ卵断面の謎を解く決定打か!
卵断面の正体は、「洞門工:モジュラーアーチ L=10.0m 」 というものだった。
検索してみると、「モジュラーチ」という製品名がヒットしたが、これのことだろうか。
なんでも、銘板の一個下の欄に書かれている「シングルアーチ」という部品を組み立て(モジュラー方式)て作ったアーチ。
ようは規格化され工業生産された部品を組み立てたアーチのことらしい。
モジュラーチは本来、山岳工法トンネルを支えるアーチに用いられる物ではなく、ボックスカルバートなどの代わりになるものだ。
(それこそ、このトンネルが中央道を潜る部分にこそ相応しいのだが、時代的に登場していなかったのだろう)
したがって、ここでも「洞門工」と書かれている通り、モジュラーチの部分は地山を潜っておらず、その崩れから道路を守るロックシェッドのようなものなのだろう。
この異様な姿をしたモジュラーチが使われたきっかけについても、工事銘板は教えてくれている。
「平成9年度道路災害防除工事」 と書かれているのがそれで、従来の坑門工に土砂災害が発生したか、その兆候が現れるかなどして、モジュラーチを使って改修したのだという事が分かるのだ。
五つの断面のうちの一つは謎が解けた。
…というふうに、これが至極真っ当な物だと分かっても…
やっぱりこの異様さは……
自然界に野放しておくには、ちょっとどぎついような…。
毎日見ていれば、見慣れるんだろうけれどもなぁ。
そして、
五つの断面を300mに凝縮した沢井隧道 “誕生の歴史”は、
こんな一直線に見通しよいものではなかった。
次回、
興奮必至の隧道建設史を暴く!