旧仙人隧道 大荒沢口 その32004.10.7撮影
岩手県和賀郡 湯田町





 湖畔から見る、大荒沢の露出した湖底。
そこには、今なお鮮明に田畑の形が浮かびあがった。
手前に見える堤防のような道が、かつての北上線である。

私は、湖畔を往く道を断たれ、夕暮れの中途方に暮れて湖を見つめた。

そして、地図をひらいて、あるはずもない、別の道を探したのである。

だが、意外なところに突破口があった。
それは本当に、難しいパズルにただ一つの解法を見つけたような、胸のすく発見であった。

その答えとは…?



 私が考えた、工事現場のある湖畔を迂回して、隧道のあるだろう大荒沢河口部に至るためのルートは、左の図の緑色の線の通りである。

以前紹介して、以来はそのままになっていた「謎のトンネル」を潜って、秋田自動車道にぶつかる。
地図をよく見ると、この秋田自動車道に重なるようにして、小荒沢という沢が流れているというのが、今回のルートの肝である。

もうお分かりだろう。
あとは小荒沢を何とか湖まで下れば、見事工事現場を迂回して、目的の大荒沢河口部に辿り着けるというわけだ。

我ながら、今まで無用の長物のように見えていた「謎のトンネル」を活用したルート取りに自己満足し、成功前に納得してしまった。
だが、このルートは、本当に大成功だったのである。



善は急げと、早速林道に戻ってチャリを回収し、久々に、あのトンネルに入る。
時刻は、16時49分。


 全長400m程度の謎のトンネルは、相変わらず真っ暗であった。
特にトラブルもなく、幾つかの待避所がある素堀りコンクリ吹き付けのトンネルを通り抜ける。

そのまま、高速道路の下をアンダーパスして、砂利道となる。
砂利道は、二手に分かれる。
メインの道は直進であるが、私は高速道路の側道として設けられたらしい、高速沿いの道へはいる。
この辺り、急いでいたので写真はないが、難しい部分ではない。

側道は下刈りされておらず、所々背丈より深い藪になっていたが、ここも強引に進んだ。



 16時55分、高速の小荒沢橋の下をアンダーパスする。
脇には、すっかりコンクリートの函に収まった小荒沢が流れている。
まだ、なんとかチャリで進めるので、少しでも時間を短縮するために、猛進する。

一挙に核心が近づいてくる手応えだ!



 普段はなかなか見られないアングルから、高速道路の坑門をゲット。

小荒沢と大荒沢との間の小さな尾根を潜り抜ける、大荒沢トンネル(延長290m)である。
チャリには全く縁遠い世界が、すぐ頭上に広がっている。
なんか、良いな。



 高速を潜ると、いよいよ道の痕跡は完全に消えてしまう。
代わりに、目の前を小荒沢が勢いよく流れている。
既に、500mほど先には湖畔が微かに見えており、いよいよ迂回成功が確信に近づいてきた。

だが、この先は両岸共に深い藪であり、チャリを捨てる決意をした。
また、少しでも時間を稼ごうと、沢の中を進むことに決めた。
重い思いをしてここまで運んできた、沢装備を、ここで登場させる。
おもむろにパンツ一丁になると、沢タイツと沢靴に下半身を包んだ。
カメラと、ライトの入ったポシェットだけを持ち、リュックはチャリと共に藪の中に転がした。

17時01分、沢へジャブンと浸かった。
流れに押されるようにして、足早に冷たい瀬を下った。
あっという間に高速の喧騒は消えた。



 私は逡巡することなく、湖畔を目指した。
間もなく、JR北上線の小荒沢橋梁を潜った。

いよいよ、日没から時間が経過しはじめ、空の明るさが見る見る無くなってきた。
また、帰りの電車は、ゆだ錦秋湖駅17時54分発の横手行きを想定していたが、これに乗り込むためには、ここで前進できる時間は、最大でも17時15分までである。

あと、10分ほどしかない。
水没した隧道の痕跡を発見するか、或いは存在しないことを確かめるか、そのいずれかの決着を期待した。

急げ。
急げ。



 いよいよ、ダムに注ぎ込む河口部が近づいた。
満水時には、小荒沢のかなり奥まで水没するようであるが、そこまで水位が高まることは、まず無いであろう。

写真は、今下ってきた沢を振り返って撮影。
この直後、下り列車が通過したと記憶しているが、曖昧である。



 これが、小荒沢河口の様子。

いよいよ湖畔の斜面は瓦礫の山となり、歩きにくくなった。
だが、ここで手間取っている時間はないので、もう残った体力を全てここで使うつもりで、小走りで先へ走った。

現在時刻、17時05分。

ちなみに、なぜ私が急いでいるのか?
それは、言うまでもなく帰りの電車時間が迫っているからだ。
しかし、なぜ、次が終電というわけでもないのに焦っているのか?

気難しい猫が、待ち受けているからに他ならない。
所帯を持たぬ私にも、山チャリを全く解さない猫がいたりするから、遅刻は後が恐い。



 来た来た来た!!!

キター!!

築堤だ。
紛れもなく、工事現場の裏手に回ったぞ!大成功だ!

そして、300mほど離れた現場では、まだ重機の唸りが微かに聞こえていた。
やはり、17時になっても、工事は続いていたのだ。

小荒沢暗渠という、北上線(横黒線)建設誌にも名を残す遺構がここにあることは間違いないが、水面に暗渠構造物を探している時間はないので、そのまま踵を返し、右手の大荒沢へとさらに湖畔を駆けた。
時刻は、17時08分。




 錦秋湖、夕暮れ。

また明日というわけにはいかない。

頼む、後10分だけ、なんとか明るくあってくれ。

帰りは夜でも頑張るから!



 一面の瓦礫の原と化した、大荒沢と小荒沢の間の湖畔。

奥には、いよいよダムサイトが鮮明に見える。

正面の黒い帯に映っている部分が、暗渠から切り通しとなって続く廃線跡である。
切り通し部分は、真っ直ぐ大荒沢を目指している。
切り通しによって分断された、正面の台地のような部分には、廃墟の基礎が残っている。
そこは泥の堆積が少ないので、もしかしたら、通常の最低水位時には島として、陸上に現れるのかも知れない。
(ちなみに、レポの最初の方で断った通り、今は通常の最低水位よりも、さらに水位が6m近く下がる特別水位なのでお間違いなく) 見たことはないが…。



 この景色のどこかに、隧道がある?!

…ある筈なのだ。

目の前に、まるでクレバスのように切れているのが、大荒沢である。
普段は完全に水没している部分故、おかしげな景観となっている。

何度も何度も、事前に旧地形図と、現地形図とを重ね合わせ、検討してきた場所だ。
ここに来たのは初めてだけど、間違いないはずだ。
いま、この視界のどこかに、隧道はあるはず。

在ったはず… になっちゃってるのか、やはり。



 17時11分、怪しげな泥の谷を渉る。
ダムの水位がこのように下がって行く過程で、それまでは湖底だった泥の堆積層を、大荒沢が激しく削り取って、こんな深い谷になってしまったのだろう。
河床までの高度差は、おおよそ3mほどに達している。
これらの土砂の大半は、大荒沢が湖に吐き出した土砂であろう。
40年もあれば、小さな沢でもこんなに大量の泥を吐き出すのだな…。

古いダムや、流入河川の洪積力見込みを誤ってしまったダムでは、浚渫工事を行わなければ機能を維持できないと言うが、納得できるな。



 この景色のどこかに、隧道がある?!

背後の切り通し跡からの線路の形を想像すれば、もう、この目の前の斜面以外にはあり得ない。

だが、幾層にも河岸段丘のミニチュアのような瓦礫層が積み重なったその場所に、それらしいものは見あたらない。

だめなのか!

やはり、水没40年云々以前に、ダム湖外に繋がる旧隧道など、安全のために、完全に封鎖・撤去されてしまうものなのか。

考えてみれば、当たり前か…。

もし、水中にそんな隧道が残ったままであったとしたら、あの白い壁をダイナマイトで破壊するテロが起きたら、ダム堤体を破壊しないでも、容易に大惨事を巻き起こせそうだものな…。

そんな甘い管理な訳はないのだよな…。



 残念ながら、隧道は現存しなかった。
だが、かつて坑門があったであろうその目の前に、一本の木製電柱が立ち尽くしていたのが印象的だった。
しかも、半ば瓦礫に埋もれて傾きながらも、電線らしきモノを僅かに身に纏っているではないか。

おそらくは、仙人隧道の内部から引き出された電線が、この電柱に引き継がれ、そのまま大荒沢駅へと電柱でリレーされていたのだろう。
写真を取り損ねたが、路盤上には数本の木製架線柱が存置していた。


現在時刻、17時13分40秒。

定刻である。
上がろう。
撤収だ。




 名残惜しい。

もう、二度とここに来ることもあるまい。

…来たくても、もう、この場所には永遠に立てないかも知れないのだ。

写真は、孤立する電柱と、大荒沢暗渠跡(痕跡無し)、奥には小荒沢暗渠や大荒沢駅へと続く切り通し部分が見える。

最後に、もう一度だけ、瓦礫の斜面を見渡してみた。

特に、この電柱の位置を重視して、背後の斜面を、重点的に。







      あ れ ?


なんか、石垣の上端部のようなモノが、見えるような…。

見えるよ。

絶対、見える。


接近!







内部は?!

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