2018/5/26 8:22 《現在地》
さて、やって参りました、再度の層雲峡。
近くの公営駐車場に車を止め、出した自転車に跨がって、温泉内を通過する国道39号(大雪国道)へ降り立った。
写真は、温泉街の中ほどに架かる登山橋という橋の上から、石狩川の上流方向を眺めている。川の対岸に、“問題の隧道”を、前回見た。
此岸には温泉街の高層ホテルがいくつも見えるが、対岸にはひとつもない。
この地を訪れるのは約1ヶ月ぶりだったが、風景から受ける印象は、かなり変わっていた。
第一に、春の季節が移ろったこと。前回はまだ所々に残雪を見る枯れ木色の風景だったが、今は薫るような新緑に包まれている。
第二に、晴れと雨の違い。今日の上川地方の天気は不安定で、ひっきりなしに降るわけではないが、本降りと呼べる強い雨がときおりバラバラと落ちてくる。いまは小康状態だが、雲は低いところを目に見える早さで流れていて、層雲峡の名前を体現するように、両岸の高い山の頂は雲の中である。
ふむ。なるほど……。
見えないな。
1ヶ月前にこの国道を通った時には、確かにこの辺りから、一目で廃隧道と分かる坑口が見えたのだが、今回は見えない。
原因は完全に、木々が葉を付けたせいだろう。
なるほど、季節によっては見えないというわけか。
とはいえ、既に尻尾は掴んでいる。
今日にしても、隧道自体は見えていないが、そこへ通じていただろう道のラインは浮かび上がっているのである。
最新の地理院地図では、破線の歩道として描かれている道だ。
すぐに向っても良かったが、もう一つ気になっていたことを、先に解決しようと思う。
それが何かといえば、
未発見である西口の確認である。
長さの分からない隧道であるが、東口の位置がほぼ確定している以上、西口の位置も一定の範囲に限られてくるだろう。
この写真は、上の写真の位置から視線を下流側にスライドした風景である。
ここの川岸は非常に険しく切り立っていて、地上に道を通すことを許しそうにない。
特に険しい部分は、高さ100mはあろうかというガレ場になっており、現在も崩壊が続いているようだ。
地図では、この辺りを指して「 地獄谷」の地名が注記されているのであるが、此岸の温泉を極楽と見立てての命名であろうか。なるほど、言い得て妙かも知れない。
そんなわけで、この川岸には西口はなさそうである。
それがあるとすれば、さらに視線を下流側へずらした――
“あの辺り”ではなかろうか?→→
………うん、
もしそうだとすると、残念ながら……
西口の現存は絶望的な気がしてしまうが…。
とりあえず、見に行ってみよう。
8:26 《現在地》
道路端にあるものとしては、特異なレベルに高い法面だ。
しかも、道央と道東と結ぶ幹線国道だけあって、ガッチガチに法枠工で固められている。
ひと目見れば十分なレベルで、ここには廃隧道の坑口などは残っていない。
その一部に、埋め戻されたL字型の凹みのような土地があり(チェンジ後の画像)、現時点では最大の西口擬定地点である(東口から約200mの地点だった)。
…もちろん、ここではないという可能性もあるから、まだ悲観しきるには早いのだが、地形的に最もありそうな場所がこうであるだけに、閉塞隧道の覚悟を決める必要が出てきた。
続いて、もう少し隧道が長かった可能性を考慮し、一連の型枠工法面が尽きた先まで移動してきた。
上の写真(チェンジ前)の左端辺りである。
距離としては、東口から350mくらいのところである。
ここには山に面して何かの作業場らしい建物と、未舗装の駐車スペースがある。
しかし、見たところ辺りには隧道の坑口らしいものや旧道らしい路盤は見あたらない。
森の中を掻き分けてまでは探していないが、おそらくここではない。
これ以上遠くまで探しに行っても見つかる可能性は低いと考えた私は、西口の捜索を一旦諦め、1ヶ月前に目にした東口へ向うことにした。
西口がもし現存するならば、東口から隧道を経て辿り着くことが出来るかも知れない。
8:34 《現在地》
さて、上の写真の地点からは700mほど国道を移動し、今度は温泉街の東の外れにあたる層雲橋へ来た。
この場所から既に、目指す隧道へ通じているとみられる道が見えている。
層雲橋の東側の袂から分岐して、川沿いに付いている道である。
いかにも旧道らしい線形だと思う。
(→)
層雲橋の上から眺めた“隧道への道”に、この少し不思議な橋がある。
小さな沢を渡る橋なのだが、いかにも仮設っぽい金属板橋だ。前後の古そうな石垣とはミスマッチ。
しかも、従来の道に盛り土をした上に架けられたようになっていて、おそらく土石流で沢の河床が上がってしまったために、やむを得ずこうしたのではないかと思う。
8:36
それでは、いよいよ廃隧道への道へ進む。
ここから隧道の東口までは、ちょうど500mくらいだと思う。
とりあえず、入口は封鎖されていないし、砂利道に薄からぬ轍が刻まれている。
「立入禁止」とだけ書かれた赤い小さな看板が立っていたが、それだけである。
特に行先を表示するようなものも見当たらない。
道に入るとすぐに短い上り坂で、その坂の頂点にあったのが、この金属板橋だ。層雲橋の上から側景を見た橋である。
幅4mほどで、自動車も問題なく通れるが、欄干も親柱も何もなく、典型的な仮設橋の姿である。
この橋を渡るとすぐに、直前に登った分を下る。
そして下り終えると、“本来のこの道の姿”が現われた。
砂利道のわりに広い、いい道じゃないか!
砂利道だが、路肩もフルに使えば2車線分の幅がある。これが国道39号の旧道なのか?!
二桁国道の旧道(not旧々道)が未舗装というのは、ありそうでなかなかない景色だから、新鮮だ。
いや、この道の素性はまだ分からないが、線形的にも道幅的にも、いかにも旧国道っぽい。
清楚な砂利道に胸キュンしながら200mほど進んでいくと、
清純を通り越して、人工的に作られた公園的な美しさになった。
温泉街を川向こうに一望できるこの場所は、層雲峡園地という名の公園として整備されているようだ。
公園といっても遊具があるような感じではなく、森のプロムナード系のものである。
…にしても(チェンジ後の画像)…、温泉街の背後に聳(そばだ)つ大雪山が怖すぎる。
まさか、未だに新たな雪が降り積もったりしてるんだろうか……?
手前は新緑なのに、山は雪雲に包まれているように見えるんだが…。
8:40 《現在地》
入口から300m地点の現在地が、公園の中心である。
生憎の天気のせいか人影は全くないが、対岸の国道と公園を結ぶ歩道橋があった。
この歩道橋は温泉街から廃隧道の東口へ通じる最短ルートでもある。
さらに50mほど進んだところで山側に目を向けると、そこに銅板や石版をはめ込まれた大きな自然石が置かれていた。
対岸の温泉街を見つめる守り神のようにも見えるこのモニュメントは、大正10年に来層し、今に続く層雲峡という名を与えた偉大な詩人、大町桂月の記念碑であった。
桂月の来層50周年にあたる昭和46年に建立されたとのことだが、一帯の公園化も同じ頃だろうか。
あった!! 廃隧道!
入口から400mほど進むと、急に路面の轍が薄くなったのは、公園を通り過ぎたからだろう。
新たな封鎖が現われることはなく、風前の灯火となった轍を辿っていくと、労せずそれは見えてきた。
お目当ての隧道の姿! 正面に捉えるのは、これが初めてである、
前回は対岸に一瞬見えただけで、開口しているかどうかも分からない状況だったが、
この段階でもまだ、開口の有無は不明だ。手前の障害物が邪魔をしている。
そして、そんな障害物があることからも明らかなように、やっぱり間違いなく廃隧道だった。
8:43 《現在地》
450m地点、ここで道は廃道状態になった。
ちょっとした広場になっていて、泥濘んだ地面に車が切り返しを試みた痕が刻まれている。
広場の先は、山から押し出されたような大量の土砂が道を埋めており、そのせいで奥にある坑門の開口が未だに確認できない。
北海道の廃隧道は塞がれているものが多いだけに、開口していないことも十分に予想できたが、そのときはそのときだろう。
ここまで私は自転車で来たが、隧道が開口しているか分からないので、とりあえず徒歩に切り替えて進むことにした。
東口の開口を確認!
が、とても良い状態とはいえない!!
ぱっと見で、断面の9割以上が土砂に埋没している。
オブローダー的には、一番対処に悩むやつである。
完全に埋没しているならば諦めやすいし、たくさん開口しているなら何も困ることはないのだ。
この時点で、自転車を持ってこなかったことは正解だと思った。
状況としては、意図的に埋め戻された感じではなく、崩落土砂が自然に堆積した結果のように見える。
それが良いことなのか、悪いことなのかと問われれば、オブローダー的には間違いなく後者だ。状況の読めなさが段違いだ。
崩れやすい地山であるとなれば、内部の状況も怪しいし。
だが、いまにして思えば、このときに想定していた困難は甘かった。
それを遙かに上回る危難が、この隧道には待ち受けていた。
「いつもと何か違うぞ…。」
そんな違和感に気付くまで、時間はかからなかった。
入口から500m、坑口前に到達。
うーん、古そうだ!
古々しさが、ビンビンきている。
坑門はコンクリート製で、山側にある大きな翼壁が最大の特徴かと思う。
ここまでの路傍にも、あまり高くない玉石練り積みの土留め擁壁はあったが、このように高く垂直に築造された擁壁は初めてだ。隧道と同時に築造されたものであろう。
なお、1ヶ月前に対岸から即座に隧道を発見したのも、この翼壁が目立っていたからだった。葉が落ちている時期は、これがよく目立つ。
坑門全体のコンクリートの風合いは、耐用年数をぶっちぎっている感が濃厚である。通常の経年劣化を考えれば、戦前の構造物かも知れない。
足元の路面にも砂利の感触はなく、柔らかな土が分厚く堆積していた。廃道化してから相当長期間の放置が窺われた。
現在も緩やかに崩土の堆積が続いていそうな、坑口前の状況。
先ほどは9割埋没と書いたが、厳密に開口部の面積を計算したら、98%くらい埋もれていそう。
そもそも、こんなにわずかになってしまった開口部が、隧道の内部に続いているかが疑わしい。
そのうえ、西口は未発見(埋没?)だ。もし内部のどこかで閉塞しているなら……、
なまじ入れたとしても、正直、気が進まないやつ……。
なお、この坑門には扁額があったようだが、失われていた。
そのため、隧道名を知る手掛かりは、ここにはなかった。
よっしゃ! 貫通してるじゃねーか!!
これは嬉しい誤算! どうやら私の西口捜索をする目は、ふしあなだったらしい。
隧道は間違いなくどこかに抜けている! 西口の“半円”が、視力1.5のランドルト環くらいの大きさに見えていた。
当初の想定以上に隧道は長かったらしい。4〜500mはありそうだぞ。
とはいえ、出口の光が歪に見えていないことから、内部に大きな崩落がないことが分かる。
入口はこんな有様でも、取り越し苦労だった
と、思った
次の瞬間!
異様な空気、流れる!
開口部に近づいた瞬間、
ムワーッ!と 熱気!
& 硫黄臭!(硫化水素臭)…! クセェ!
一瞬でホワイトアウトするレンズ。遠かった出口の光は、果てしなく朧気に。
な、なんぞこれ。
(※動画の最後に大きな音が鳴るが、私が装備している自動吹鳴熊避けブザーだ)
この日の気温は約15℃。通常であれば、隧道内の冷気のためにレンズが曇るような状況ではない。
それに、こんな“とげとげしい”熱気はサウナのようで、まるで尋常ではない。
硫黄の匂いと相まって、明らかに、温泉の作用が働いている!
隧道内部か、崩土の山、そのどちらかが激しい地熱を帯びているのだ!
もはやそれしか考えられない。
地名の「 地獄谷」とは、外見ではなく、この地熱の秘蔵を示していたのでは?!
地獄?極楽?
前代未聞の廃隧道で温泉浴?!