隧道レポート 層雲峡隧道 中編

所在地 北海道上川町
探索日 2018.5.26
公開日 2018.7.02

足跡なき洞奥に、●●様の再来を見た


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2018/5/26 8:45 《現在地》

異様な熱気臭気に包まれた、廃隧道の坑口。

前代未聞である。

これまで数え切れないほどの廃隧道を探索したが、坑口で温泉の気配を感じたなんてことはなかった。
しかし、熱気はともかくとして、懸念されるのは臭気だ。いわゆる硫黄臭や温泉臭とよばれるものの正体は、硫化水素であり、
これは濃度が濃ければ致死性を有するほどの毒ガスなのだ。各地の温泉地で、稀に死亡事故が報告される。

ガスの濃度を鼻で嗅ぎ分けられる自信はない。これはやはり、君子危うきに近寄らずが正解か。
しかし、内部が気になるのも事実である。 というか、猛烈に気になるぜ。


目で見ても蒸気が出ているわけではないが、カメラを近づけるとたちまちレンズが曇る開口部。
臭気が感じられるのは、レンズが曇る、つまり熱気が感じられる範囲だけで、それは開口部からおおよそ1m程度の狭い範囲であった。

そして、開口部に近づくと、頬に温い風を感じることができた。
開口部からは反対側の出口を見通すことができ、現在の洞内には、こちら側を風下とする風が吹いているようだ。このように風が吹き抜けていることは、隧道内に濃いガスが滞留している危険性を減少させる。

このことから、毒ガスの危険性は低いと判断したが、侵入の前に念のため、数分間、開口部の空気を吸いながら待機することにした。
その間に開口部付近の土砂を少し掘り下げ、滑り込みやすいように工事した。また、リュックとウエストバッグは残していくことにした。自転車を近くに乗り捨てているので、どうせ探索後に戻ってくることになる。ならば身軽な状態で侵入しよう。



8:51
5分後、特に体調に異変を感じなかったので、意を決して頭から開口部に潜り込んだ。

匍匐を要するほどに狭い部分は1mくらいだけで、そこを過ぎると、しゃがみ立ちができるようになった。

が! 想像以上に内部の崩壊も進んでいた!

天井に大穴がぶちあけられていて、そこから零れてきた膨大な量の土砂が、隧道断面の8割以上を埋めていたのである!




いまだけは地震起きるなと思いながら、大穴の脇をすり抜けて、さらなる洞奥へと前進。

見たところ、大穴から零れてきているのは、東口をほぼ埋め尽くしてしまったものと同種の細かな粒の土砂だった。
大穴がさらに拡大すると、完全に隧道が閉塞してしまう可能性が高い。
崩れていない天井も、温泉の作用なのか、白化とも黒化ともつかない怪しげな風合いを醸していて、現状はかなり末期的な状況に見受けられた。

チェンジ後の画像は、大穴を過ぎた地点から東口開口部を振り返って撮影した。
カメラのレンズが曇りまくる状況が依然続いている。



8:52 (入洞から1分後)

一人分の隙間しかない東口から入り、窮屈なしゃがみ歩きで天井近くを20mほど進むと、景色が一変した。
本来の隧道の断面が現われたのだ。坑口がほとんど埋没していたため、これまで明らかでなかった断面の大きさが判明した。

意外に大きい。高さ、幅ともに5mくらいの目測だ。
現代の一般的な道路トンネルと比較すれば小さくとも、もっと窮屈な廃隧道を多く見ているから、これでも広く感じられる。天井近い位置から見下ろしているせいもあるかもしれない。

ほとんど埋没した坑口で、奇妙な熱と匂いを感じた時はどうなることかと思ったが、ここに至って、状況は改善に向っているようである。
ほんと、ぐつぐつ煮立ったような湯舟が内部に待ち受けていたらどうしようかと思っていた。
相変わらず拭っても拭ってもすぐにレンズが曇る状況は続いているが、肌を刺すような強烈な熱気はなくなり、やや蒸し暑い程度である。
強烈な刺激臭も(慣れたせいもあるかもしれないが)、前ほどは気にならなくなってきた。
いずれも発生源から遠ざかっているのだろうか。

であるならば、盛んに崩壊が進んでいる東口付近が、温泉作用の中心だったということか。
温泉作用は岩盤を脆くするから、落盤との関連性は無視できない。



柔らかな土砂の山を一気に駆け下ると、本来の路面に逢着した。

出口はまだ遠いが(おそらく300m以上はある)、その半円形のシルエットは全く欠けていないから、

これまでのような大きな障害物はなさそうである。残りは安泰な展開を期待していいのだろうか。



8:53 《現在地》

東口から50mほど進んだであろうか。
向って左側(川側)の壁面に、人工的な窪みがあった。
高さ1m、幅1.8m、奥行き80cmくらいで、天井がかまぼこ形にカーブしている。
いわゆる待避坑に見えるが、道路トンネルでは滅多に見ないものだ。
ろくに下調べをしていなかった私が知らないだけで、廃線跡だったりする?
まさか、そんなことはないだろう。このトンネルの断面サイズは、どう見ても自動車道だ。鉄道(単線)にしては幅広すぎる。

待避所がある道路トンネルは珍しい。なぜ必要だったのだろうか。
観光地の近くゆえ、歩行者の多さを想定していたのか。ならば歩道を作れといいたいところだが。
やはり温泉成分か混ざり込んでいるのか、妙に白く濁った地下水が待避坑の床を浸していた。
こんなところに押し込まれたら、観光気分など一気に萎えそうだ。

なお、この地下水に少し指先を浸してみたが、温かさは感じなかった。
そういえば、レンズの曇りもいつの間にかなくなっている。風向きのせいもあるのかも知れないが、本格的に地熱地帯を脱したかもしれない。



しかし、依然として温泉作用の影響圏にはあるようだ。

路面の様子がおかしい。妙に粉っぽい。

白や茶色の結晶質の何かが、まるで霜のように路面を覆っていた。
元の路面は圧された砂利だったようだが、この状況は明らかに異様だ。
踏むとざくざく崩れる感触も霜そっくりで、これが真冬の探索ならば勘違いした可能性もある。が、この温暖な洞内に限っては絶対に霜ではない。

なお、この奇妙な結晶の出現は、次の事実をも私に気付かせた。
このように足跡の残りやすい路面状況であるにもかかわらず、ここにはそれが全く見いだせなかったのである。
私が潜り抜けた熱と臭気と崩壊に満ちた東口はともかくとして、綺麗な大口を見せている西口からも、ここへ辿り着いた同志はいないのだろうか?



8:55

待避坑はひとつではなかった。
おそらく50mほどの間隔を空けて、2箇所目が現われた。
待避坑であれば、等間隔に何箇所もあるのは当然であり、驚くにはあたらない。

それにしても、結晶質の何かが堆積している洞床に加えて、コンクリートの壁面にも腐食したような茶色い汚れや、粉を吹いたような凹凸が目立つ。
古い隧道だということだけで納得すべきなのか、怪しく思えるほどの汚れ方だ。
壁は生き物ではないが、まるで薬物に晒された皮膚が爛(ただ)れたような印象である。
その壁面に取り付けられていた碍子(洞内照明用か電線用かは不明)には変化はなかったが、碍子と一緒に取り付けられていた得体の知れない金属パーツは、壁面以上にボロボロに腐食していた。

いまは熱や匂いを感じてはいないが、隧道内の空気や地下水に何か問題があるのではないかという疑いは、依然として続いている。
閉塞の心配はもうなくなったのに、得体の知れない気味の悪さはまだ晴れない。




ぎゃあー!

気持ち悪ぃ!!

これまでのどこよりも極端に茶色く汚れた壁。

食事中の方にはちょっとお見せできない汚れ方の原因は、上に目線を向けたら判明した。
天井の片隅に空いた小さな穴と、周囲の亀裂から、壁を突き破って洞内へと流れ込んできた“なにか”に原因があることは、明白だった。

謎の新生物?!

汚れた壁の一角には、茶色い鍾乳石状の“謎の新生物”が出現していた。
古くからの山行が読者であれば、かつて私が“黄金様”と呼んだ物体を、思いだしたかも知れない。
平成19(2007)年の伊東線旧線宇佐美隧道をはじめ、いくつかの“気持ち悪さ”に特化した廃隧道で遭遇した物体だ。

久々の登場となった“黄金様”だったが、今回はこれまでと一風変わった個性を持っていた。
なんと――

びっしり産毛が生えていらっしゃる!

これはおそらく、少し前からざくざくと私に踏まれている洞床の結晶と同じ成分なのだろう。
つまり現在の私は、床と壁の両方で成分不明の結晶に囲まれていることになる。
今さらながら、毒ガスだけではない危機を感じるべきなのだろうか。

が、結論からいうとこの結晶は、温泉には付き物である危険度の小さな物体だと思う。
これは、硫黄の結晶であろう。(参考
現在のこの辺りでは、東口で感じたような熱気や異臭は感じられないものの、ときおりは硫黄分混じりの地下水(温泉水)を流出させているのだろう。

これではっきりした。

この隧道内で、温泉の作用が感じられる場所は、東口だけではなかった。

どうやら、この「地獄谷」の隧道は、地中の源泉を貫通している可能性大だ!

それが偶然なのか意図的なものなのかは分からないが…。可能ならそういう場所は避けようとするのが、トンネル工事のセオリーだとは思う。

地球の内部には地熱があり、大深度や火山周辺ではそれが顕著である。
そのため、土被りの大きな長大トンネルの工事では、高熱帯にぶちあたるケースがある。
吉村昭氏の著書『高熱隧道』で知られる黒部峡谷の関電専用トンネルや、日本屈指の土被りを誇る中部縦貫自動車道の安房トンネルなどで、地熱が工事中最大の障害となったことが知られており、関連する犠牲者も出ている。
それらに較べれば圧倒的に短距離であるこの隧道だが、やはり工事中には(完成後も?)“高熱隧道”として恐れられていた可能性がある。




さらに進むと、靴に伝わる洞床の感触と足音が、変化した。

ザクザクから、クッチャラクッチャラへ…。

洞床に目を向けると、見た目は相変わらずの結晶質なのだが、その下に泥濘む泥の層があるようだ。
油に投入する前のパン粉まみれになった揚げ物を思わせる風景だが、全く食欲は刺激されない。
とりあえず、長靴を履いてきたことの正解に、ホッとした。




8:58(入洞から7分後) 《現在地》

足元の泥濘が気になり始めた私の前に、隧道はそれまでよりも格段に巨大な断面を現した!
これは待避所(トンネル内で自動車がすれ違うための拡幅部)だ!
ここまでも歩行者が退避するための待避坑はあったが、さらに規模の大きな構造物である待避所もあるとは、さすが400mを越えるとみられる長い隧道だ。
おそらくだが、この隧道にある待避所はこの1箇所だけで、ここが全長の中央付近なのだろう。出口の光も、徐々にではあるが確実に大きくなってきている。

また、この待避所の入口付近の洞床には、コウモリの糞とみられる黒い堆積物が小山を作っていた。
大量の生物が生存していた痕跡は、ここが毒ガスに侵されているわけではないことの免罪符になるかもしれないが、肝心のコウモリ自体が1匹も見当たらなかった。
糞の山を残して、どこへ消えたのか。本当に1匹もいなかったのである。

最近になって急に毒ガスが発生し、そのために死滅したのではないかという恐怖の想像も生まれたが、もうここまで来たら出口へ向う方が早いだろう。
それに、正直今の私には、毒ガスよりも、足元の泥の深さの方が、気がかりになりつつあった。




クッチャラ クッチャラ


グッチャラ グッチャラ


グッチョーラ グッチョーラ



おいおい……

泥のプールが、深くなる一方だ…!

長さ30mほどの待避所の後半は、長靴を侵しかねない深さになってきている。



ちょっとこれは、まずいぞ……。当初想定していなかった展開だ。

ぐつぐつ煮立った温泉とは全く違った意味での“浴”が始まっている。

少しは…、 少しは浅いところはないのか……?

泥の下の本来の路面は全く見えないが、路肩のあたりとかは少し盛り土されていて、浅い可能性があるのでは…?

そうだ! 壁の近くに進路を取ろう。

万が一、泥に足を取られて転びそうになったとしても、壁の近くなら咄嗟に支えられる可能性が高いし。






!!!

ぐわーー!
ハマったー!


やらかし申したァーー!!

忘れていた〜!! 壁の近くには側溝があったことをー! バカヤロー!

その深みに難なく左足を落とした私は、咄嗟に右足に力を込め脱出するまでの一瞬、完全に股間まで泥にまみれた。

水に濡れるのとはわけが違う。この泥は、一度汚したらもう容易には洗い落せそうにない、硫黄混じりの泥である。
あまりに酷い姿で観光地真っ只中の公営駐車場に帰るのも辛いし、そこで自分の車のシートに乗り込むのも辛いものがある。
今さらと言えば今さらだが、ここまで汚れるつもりはなかったのだ……。


やらかし、申しちまったぁ……。



隧道は、おそらくあと半分だ。

しかし、この先の泥沼がどこまで深くなるかは分からない。

泥を食らわば皿までか、大事を取って引き返すか…。

まさか、こんな“地底の温泉浴”(温かくはない)になるなんてな…。

ここまで同志の足跡がなかった理由が、分かったぜ……。






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