隧道レポート 柏崎市の谷根隧道 第2回

所在地 新潟県柏崎市
探索日 2020.03.07
公開日 2021.05.05

地図にない分岐から始まった 不思議な並木道


2020/3/7 10:52 《現在地》

うっかり前回の更新から時間を空けてしまったが、ひろみず氏の遺恨を勝手に請け負って晴らさんとするこの探索は、まだ始まったばかり。
いま私は、谷根集落から北東に外れた森の中で、どちらへ行けば良いか分からない分岐を相手にしている。

頼りの地形図(および旧版地形図)には、どちらか片方の道が描かれていて、描かれている方が探している隧道へ行ける“正解”である。
しかし、どちらがその描かれている正解なのかが分からない。

まあ、あまり難しく考えなくても、どちらかを選び少し進んでからGPSで現在地を確かめれば、ミスをやり直すことができるだろう。
というわけで、進みやすそうな右の道を選ぶことにした。
左の道の方が平坦そうだったが、笹藪がこんもりとしていて、あまり選びたくなかったのだ。



進みやすそうな右の道を選ぶと、結構急な坂道が始まったので、私はここに自転車を残していくことにした。
何度も書いているが、今回探す廃隧道はおそらくまともに貫通しておらず、探索後にここへ戻ってくることになるはずだ。
ならば、正解か分からない分岐の奥へ自転車を持ち込むのは得策ではないと思った。

この路傍に、何かの農耕車の残骸が転がっていたので、我が愛車を隣に置いて進んだ。(よく考えると、廃棄物と勘違いされかねない、良くない置き場所だった……苦笑)




身軽になって進み始めると、さらに登り方が急になり、明治時代の非力な馬車や荷車といった車両をターゲットにした道ではなさそうな雰囲気が強まった。
しかしまだGPS上では正しい道から外れているようには表示されておらず、判断は保留された。
また、明らかに徒歩道の幅になってしまえば引き返すつもりだったが、道幅は2m程度を維持していた。

そのうえ、私を誘導したいかのように、好物のアイテムが隠されていた。
木の陰に置かれた怒りのお顔の石仏(不動明王か)である。
かつての道の賑わいや、道への愛着、そして信頼、そういうものの証明である石仏は、廃道探索中の私の大好物である。



不動明王は、この道に入って短時間のうちに見つけた2度目の石仏で、この出現頻度の高さは、ここが信仰の道であったか、交通量のかなり多い道だったかということを、想像させた。
そして、出発地の谷根は、船乗りたちに特に篤く信仰された日本三大薬師の一つ米山の麓であるだけに、おそらく前者だろうと思った。

道はよく踏まれた古道らしい掘割りの形状のまま、おおよそ15%前後の急勾配をもって、山腹を北東方向へトラバース気味に登っていく。
いよいよ、先ほどの分岐地点での選択ミスを強く意識し始めたが、なんとなくこの道の居心地が良くて、引き返しの決断が遅れていた。もしなんの面白みのない藪道だったら、既に引き返していただろう…。

……そんな私の前に、不思議な光景が現われた。




な〜〜んだこれぇ…??

太い杉の木が、何本も路上に生えている……。

道の周囲にも同じ密度で生えているならまだしも、こんな太いのは路上にしかない。
もし杉並木を作ろうとしたにしても、こんな道の真ん中に植えるだろうか?
まさか、長い年月の間に、杉が平らな場所を求めて路上へ移動してきた訳でもあるまい…。

ふ…… 不思議だ。



10:58 《現在地》

動画だと、道幅の大部分を占拠している杉達の奇妙さが、より伝わると思う。
私が単に知らないだけで、道の真ん中に並木を育てる文化というのがあったのか?
まあ車道でないなら、人が避けて通ることは出来るわけだが、道としては不便でしかない。

或いは、全く意図せずたまたま路上に根付いた新芽が、ここまで大きくなっているなら、
それはこの道が、明治どころではなく、200年も300年も昔からあるということを意味しているのだろうか。
その可能性もまた、興味深いものがあった。

なお、動画の中でも告白しているとおり、この時点で私は完全に、
地形図上に描かれている、隧道擬定地に通じているとみられる「徒歩道」を
外れた位置に進んできているということを、認めていた。
明らかに、先ほどの分岐地点で道を誤っていた。



だが私は引き返さなかった。

私は既に、この“奇妙な杉並木道”が、気になりすぎていたのである。
この道を、もう少し納得するまで辿ってみたいと、そう強く思っていた。

そして道は、私の期待に応えるように、意図的に路上を選んで植えられたとしか思えない巨杉達の風景を連発させた。
この写真の場面では、山道らしい電光形の九十九折りが、育ちすぎた杉の苗床になっていた。
急坂とはいえ、線形には車道っぽい感じもある。
だが、杉達が通行の邪魔すぎる。

……本当に、不思議なんだが…。




分岐地点を出て10分後、見上げた九十九折りの先に、明るい空が広がった。
また上りの途中ではあるが、ここで小さな枝尾根を越えるようである。
道の脇に目印然とした自然石が鎮座しているのが見えた。
そして、この写真の位置から数歩近づいた時に、私はちょっとだけ、ビクッとした。




灰色の人がいる!

すぐに石仏(お地蔵さま)だと気付いたが、うらぶれた廃道で目にするにはいささかリアリスティックが強すぎる造形に見えた。
ポーズといい、ディテールといい、小さな“大仏”みたいな佇まいであり、妙に人間くさい表情をしていた。

そのリアルな石仏が、いわゆる野仏となって往来の途絶えた道に佇んでいるのを見つけて、しかもそれが思わぬ岩の陰からヌッと出て来たものだから、ギョッとしてビクッとした。案外私は臆病かも知れない。



11:04 《現在地》

そこには結跏趺坐のお地蔵さまだけでなく、倒れた二十三夜塔もあった。
いずれも道の右側にあり、しかし倒れたり向きが変わってしまったりしているところに、この道の現状が現われていた。

二十三夜塔の裏面は見られなかったが、表面には題字の他に小さく「小俣氏」と刻まれていた。おそらく寄進者の氏であろう。

お地蔵さまの背中には、もっと多くの文字が刻まれていた。
1文字の梵字と、あとは、「施主當(当)村 小俣徳右門」の記銘。
こちらも年は書かれていなかったが、どちらも小俣家の寄進によるものだった。

小俣氏は、谷根村の名主であったのだろうか。
少し調べようとしたが、分かったことは、谷根には今も小俣性の人が大勢住んでいるという事実だけ。しかしそれだけでも、この道と谷根集落の長い関わりが分かる気がする。




ここは峠ではないが、小さな枝尾根の上であり、初めて北に谷根川の谷を通じて海までの眺望を得た。
今日の空を濾して深めたような真っ青な海だ。海岸線は2.5kmも離れていない。
海とセットで、谷根川の出口を高らかに横断する北陸道の高架橋が、行き交うクルマと一緒に見えた。

かたや100kmで駆け、かたや徳右門と語らっている、そのギャップが楽しかった。
昨日まで、私も前者の一員だったのにね。




枝尾根を出ると、道は北向きに主尾根を目指し登っていく。
しかし、ここから道が驚くほど鮮明になった。最新の地形図にはもちろん、明治の地形図にさえ
全く描かれていないこの道だが、廃道探索をしていることを忘れさせられるほど鮮明で、驚いている。



明らかに、何者かによる手入れが続けられているのだと思う。
しかし、ピクニッカーやハイカーが大勢歩いている気配はしない。ゴミ皆無。
なんというか、道そのものが藪の侵入を拒んでいるような印象さえ受ける綺麗さだ。
かといって、自動車の轍が現われたりもせず、幅が広いだけの急坂道である。
路上の巨杉も、あれ以来現われていない。



枝尾根を出て7〜8分で、いよいよ主尾根の頂上に近づいた。
道は依然として北向き一辺倒で、おそらくこのまま主尾根を北へ縦走し、海の方向へ向かうものと推測された。
そして最終的には海岸線でいまの国道8号の旧称「北国街道」に出ることで、谷根(そしておそらく米山薬師)と北国街道を連絡する古道(巡礼道)として完結するものと推測された。

そう考えれば、この道の正体は、私が本来歩こうとしていた明治隧道「谷根隧道」の旧道といえそうだ。
私が道を迷った【分岐】は、新旧道の分岐であり、そこで“登る方”を選んだから旧道に入った。もし“平らな方”を選んでいれば、隧道へ向かったのに違いなかった。

これは廃道のあるあるパターンなのだが、歴史深い古道はなんだかんだと生き残り、付け焼き刃の新道は、隧道の崩壊とか、より便利な車道の開通とか、そういう理由で先に廃道になったっぽい。




11:18 《現在地》

海抜約200mの雑木林の主尾根に出ると、道は穏やかな縦走体制に入り、緩やかなアップダウンを繰り返すようになった。
明瞭な切り割りの峠がある感じではなく、この数百メートルの縦走全体が峠なのである。

そして、この写真の地点が、特に目印はないが、GPSを見る限り、谷根隧道の直上である。



隧道直上擬定地から見下ろす、西側谷中。

輝く米山の白峰に意識を持って行かれそうだが、探している隧道の西口は、この直下、
推定落差50m、斜面長100mの辺りに、開口していないと見られる。

……ひろみず氏の調査により、こちらの坑口は、おそらく開口していないことが分かっている。
降りていけば、自らの目でそれを確かめることが出来るだろう。
もちろん、そのつもりもあったが、これは後にしようと思う。



そしてこちらは反対、東側谷中の眺め。
足元の谷の大きさは西側より小さいが、同じ海に出て行く。
そして、遠くには柏崎の市街地と、柏崎刈羽原発が見えた。ずっと奥の弥彦山も薄らと。

こちらの谷の坑口は、開口している可能性があり、この探索の主対象である。

そこがいま、足元に来ている。
私が道を誤りながら、遠回りなく適切な位置に連れられてきた幸運と、
その幸運の原因である新旧道の位置関係に、感謝した。




 谷根の古道“北山街道”


2020/3/7 11:21 《現在地》

私には、隧道擬定地直上から直下の坑口へ急襲を駆けるという選択肢もあったが、敢えてそれは選ばず、そのまま尾根上の「古道」を行くことにした。
もちろん、隧道探索を諦めたわけではなく、一緒にこの「古道」も探索することに、当初計画を拡張した故の行動だった。

で、写真は隧道直上から150mほど古道を北に進んだところで、地形図では海抜200mの小ピークを越えるところだ。
実際もこんもりとした地形になっていて、古道の峠越えの最高地点でもあったようだ。

そしてここには唐突に、現代の匂いがする小さな立て看板と、立て看板によって正体を明かされた小さな平場があった。
看板には、「古道 北山街道 茶屋跡 谷根約1km←→約2km薬師堂 この先、道が荒れています」と書かれており、設置者の署名らしき「たんね、いいね」というロゴが書かれていた。
これは道の正体に繋がる重要情報だったが、帰宅後にこれらのキーワードを検索しても、谷根の人々の地域おこし活動の存在が窺えたのみで、「北山街道」についてはノーヒットだった。

ともかく、隧道直上から遠くないここが古道の峠で、かつてこの路傍に目測4間四方ほどの茶屋が建っていたことが分かった。
いつ頃まで存在していたのかは不明だが、建物の痕跡は礎石を含めて見当たらなかった。



茶屋跡の敷地を調べているとき、何気なく視線を尾根の西側、すなわち米山の方へ向けた時、また見つけてしまった。
灰色の人ではなく、石仏を。
合掌する女性像で、少し苔生していたが、やはり保存状態はとても良いように見えた。

間近に確かめようと思い、藪を掻き分けて近づいたのだが、そのときまたしてもビクッとさせられることに。
何があったかというと――




人の(^o^)と目が合った。

最初の石仏に誘われて近づいた先には、もう一体、ふくよかで、眠るように穏やかなお顔が印象的な、白っぽい野仏が、おった。

ただ、台座の上に、まるでさらし首のように、首から上だけが乗っているように見えたので、驚かされてしまったのである。
で、最初は恐いと思ったけど、その表情の長閑さと相まって、すぐにこれがとてもシュールな光景と思い直され、くすりと笑ってしまった。……神聖な祈りの場所で、ほんと、こんな感想ばかりですいませんねぇ…。




実は、“首だけ地蔵”ではなかったのだ。
私が近づくにつれ、“彼”はニョキニョキと地面から生えてきて、その首から下が健在であることを私に示した。
もちろんこれは私の見え方の変化の話であるが。

彼は錫杖を手にしており、お地蔵さまらしきポーズで座していた。
妙に短足で頭でっかちに見えるのは、確かに肩幅に較べて頭がデカイためでもあるが、彼の組まれた足が落葉に没しているからでもある。
本来この像は――




先に見た石仏の隣に用意されている台座に載っているべきだったのだ。
だがなぜかこのお地蔵さまは、定位置を拒否して、背後の低い位置に座っておられる。
そのせいで偶然、台座のうえに首だけが乗っているように見えたのであった。

道の真ん中に巨木が生えてきたり、お地蔵さまが自分で動いたとしか思えないような位置にいたり、この古道に人目は少ないが、なんだか賑やかである。

あと、ここにはもう一つ石仏があった。
それは矢印の位置に倒れており、「南無妙法蓮華経一千郶」と達筆な文字で刻まれていた。「郶」という字は「部」の異字体である。




3体の石仏はいずれも記年がなく、時代は不明だが、
米山薬師へ向かう古道“北山街道”の峠にあって、
米山を奉拝するために安置されたものと考えられた。

道はここを境に、海へ向けた緩やかな下りとなる。



11:30 《現在地》

茶屋跡から150mほど進んだ。まだ道は尾根伝いにあるが、緩やかに下り始めている。

そしてGPSの画面上に表示された地形図を見ると、この辺りで「徒歩道」の記号とぶつかったり、またそれが分岐したりと、“賑わって”いるが、実際には鮮明な古道が1本あるだけで、それ以外に道は見当らなかった。
しかしともかく、地形図にない道を進んで来た区間はここで終わり、ここからは地形図にある徒歩道の上を辿ることになった。




さらに進み、道が自然と主尾根を外れて北東方向へ走る枝尾根に入り込むと、一気に下りが強まった。
この先の地形図の道は、おおよそ500mで薬師堂川(仮称)の谷底に達するが、この間に100m高度を下げるので、平均勾配20%というかなりの急坂が予想される状況だった。

で、実際の道の状況はというと、序盤についてはこの写真の通りで、明るい雑木林に明瞭な掘割りの道が付けられていた。
カーブはあるが九十九折りではなく、ほぼ地形図通りの迂回の少ない線形で、勾配は15%くらいありそう。
そして、谷根側でよく見た路上の巨杉に代わり、同じように太い広葉樹がやはり路上に生えている。これを除去しようとした形跡がない。車道並みの幅があるのに、これら大木が邪魔をしていて車は通れないという状況だ。

さらにこの先、下りの中盤から終盤にかけて、私が初めて目にする“不可思議な道路構造”が!




この道、とても変わっている。


動画の中で説明しているとおり……↓↓↓



とても広い掘割りの内部に、左右交互に土塁のような障害物を築くことで、

無理矢理に通行者の動線をジグザグに変え、実質的な勾配を緩和させている。


こんな造り、初めて見た!



この区間に突入した直後は、広い掘割りの内部に落石が堆積しているだけだと思った。
だが、それが必ず右・左・右・左と交互に現われるので、すぐにおかしいと感づいた。

掘割り自体が九十九折りを描いているのではなく、広い掘割りの底に、
わざわざ障害物を設置して動線の勾配緩和を行うという設計思想は、
これまで体験したことがなかった。皆様の中に、このような造りの道を
他に知っているという方がおられたら、ぜひ教えていただきたい。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

そして驚くべきことに、

この奇妙な“土塁九十九折り”区間は、かなり長く続いた。



(チェンジ前の画像)
勾配が比較的に緩いところには土塁はなく、単に広い掘割り道だったが、

(チェンジ後の画像)
勾配が強まるとすぐに土塁が現われて、ジグザグに歩かされるようになっていた。



明らかに勾配緩和という意図を持って、この構造を作ったことが窺えた。

ただ、ここが車道ではないとみられる以上、勾配緩和の最大の目的は、
人の通行に対する便宜ではなく、掘割りを勢いよく雨水が流れることで生じる
洗掘を軽減しようとするものではなかったかと、今はそのように推測している。


そして実際、この洗掘防止は成功しているようで、手入れされている様子もないのに、
路面の表土がちゃんと維持されていた。100年どころか200年前の道かもしれないのに、
これは凄い発明的工夫ではないだろうか。 ……凄いぞ、谷根の古道……。



11:45 《現在地》

“土塁九十九折り”は、最急勾配区間である250mほどの間に断続的に存在しており、
これで一気に50m以上も高度を下げたことで、谷底が一気に近づいた。
前方の谷の対岸の木々を見上げるようになり、遠くは見えなくなった。

チェンジ後の画像は、“土塁九十九折り”の出口を振り返ったものである。
最後の部分は、巨大な倒木に押しつぶされて、ジャングル化していたが、
それ以外は良く旧態を留める、驚くべき道だった。

(←)
これは当日のGPSログの一部で、赤い線が私が通ったルートだ。

この通り、茶屋跡から先の下り道は、地形図にある徒歩道と綺麗に重なっている。
この地図上の表現を見て、これほど幅広で立派な山道を想像する人はいないと思う。私の中でもこれは驚きだった。
おかげで、「隧道レポート」をするつもりだったのに、その旧道にあたる古道の話ばかりをこんなに続けてしまった。

それでもようやく古道の時代は終わる。
明治隧道で峠を潜ってきた新道が、この先の薬師堂川の谷底で、この古道と合流する。
私はそこから転進し、隧道を目指すつもりだ。


(→)
急に眼前に広がった、明るい谷底。
これが、薬師堂川。

ここを隧道へと向かう新道が通っていたはずだが、谷底一面を枯れたススキが覆っていて、いかにも廃道しかなさそう。そして藪が濃そう。
何年も昔に、モニタ越しに観戦したひろみず氏の苦闘が、思い出されるような風景だった。

そして、もっとはっきり言えば、探索してもつまらなそうな地形だ。(←ぶっちゃけすぎ(苦笑))




11:58 《現在地》

【あの分岐】で道を間違ってから1時間6分。
峠を越えた反対側の新旧道分岐地点に辿り着いた。

既にここは探索を始めた柏崎市谷根ではなく、同じ市の鯨波(くじらなみ)という隣の地区である。
そしてこのまま直進すれば、おおよそ1.2kmで海岸を走る国道8号(北国街道)に出る(その場所を薬師堂という)のだが、私はここで下山をストップし、反転して、新道へ向かう。

隧道擬定地まで残1km、本番始め!





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