隧道レポート 昆布森海岸の割れ岩隧道 前編

所在地 北海道釧路町
探索日 2023.10.25
公開日 2023.12.31

《周辺地図(マピオン)》

釧路市の東部から釧路町を経て厚岸町に連なる太平洋の海岸線には、千島海流によって削られた高さ100m近い海食崖が続き、その雄大無垢なる景観は、昆布森(こんぶもり)海岸と総称される。
地図を見る限り、海岸線を人が行き交う状況を想定しづらい絶壁なのだが、そんな海食崖に穿たれた古隧道があるという情報を入手した。

名を、“割れ岩トンネル”というらしい。




X(旧Twitter)でのMorigen氏からの情報提供


私がこの隧道の存在を知った経緯は、道内の全ての道路トンネルを網羅すべく立ち上げられた「北海道トンネルWiki」の作者Morigen氏@morigen_tw)からの情報提供だ。このレポート以来、沢山のご協力をいただいております)

情報の内容は上記スクリーンショットの通りである。
釧路町昆布森の海岸に「割れ岩トンネル」という古いトンネルがあるが、Morigen氏の訪問時は潮位と波が味方せず到達出来なかったという。

添付されている画像を見ると……(↓)



Morigen氏提供写真


なんじゃこりゃぁあああ!

確かに人道サイズっぽい穴が見えるけど、マジで隧道なのか?!

道はどうした、道は?  あるか、道?!

絶壁の海食崖の“中腹”と呼んで差し支えのなさそうな高さに、穴はぽっかりと口を開けている。

良く思い返してみれば、こういうシチュエー-ションの穴も初めてではない()が、やはりとんでもない眺めだな。

……というか、太平洋の荒波やべえだろ……。

これはMorigen氏が撤退したのも頷ける。私だって間違いなく撤退したよ、この状況は。

穴の反対側がどうなっているかについても判明していないようだが、実は反対側なら波を避けて簡単に行ける……なんてことは無さそうだ。

というのも、写真は「アチョロベツ」という集落から撮影したらしいのだが、最新の地理院地図を見ると――(↓)



道道に架かる「アチョロベツ橋」という橋があり、そのすぐ下の海岸にある集落がアチョロベツだ(地形図には記載がないが漢字では「嬰寄別」と書くらしい。難読過ぎる。)

この集落内から見える、右に海、左に海食崖がある立地の隧道となると、おそらくチェンジ後の画像に矢印で示した場所が、その所在地であると考えられる。

アチョロベツ集落からだと、崖下の海岸(写真を見る限り砂浜だ)を150mも歩けば辿り着けそうだが、これを反対側の昆布森集落から行こうとすると、その4倍くらいは同じような崖下の浜を歩かねばならないのではないか。

このような判断から、私もMorigen氏と同じく西側から隧道を目指すことに決めた。




気象庁:潮位表


探索日は2023年10月25日、連続7日間の北海道遠征探索の初日(移動日除く)としたが、これは海況予報を吟味して選んだ。
さらに潮位についても事前に調べ、干潮時刻の5:58頃を目途に探索を行うこととした。なお、この日の釧路における日の出は5:47である。
当日の干満差は約90cmあるので、この差が大きなアドバンテージになると信じたい。


それでは、現場へGOだ!



 高すぎる位置に開いた穴の理由は……


2023/10/25 5:44 《現在地》

ここは昆布森(こんぶもり)漁港。
私はいま、これまでの46年の人生における最“東”到達記録を樹立中だ。
太平洋に浮上してきた大きな朝日に、慌ただしく動き回る人や車が今日最初の祝福を受けている。そんな照港の賑わいを背に、私はいつもの自転車に跨がって出発した。
まずは車をこの港にデポして探索のゴールを作った。今からスタート地点のアチョロベツへ自転車で向かう。



これはデポ地点付近から撮影した、アチョロベツ側の海岸線風景。
防波堤で海面は見えないが、いかにも北の海を感じさせる立ち木なき海岸線だ。
探索の全てが上手く行けば、向こう側からここに来られると思う。

この探索の最大の懸念点であった波と潮位については、選べる中から最良の選択をしたはずだ。
空は朝日が見えた割にどんよりとしているが、予報は今日の晴れを約束していた。



漁港に接して昆布森の集落というか市街地があり、そこを道道142号根室浜中釧路線、別名「北太平洋シーサイドライン」が貫通している。
アチョロベツは昆布森の西隣であり近いが、間に丘陵が突起しており、現在の道道はその起伏を全長382mの昆布森トンネルで貫通している。トンネルを含む現道は平成17(2005)年の開通であり、以前の道道は高低差約100mの小さな峠越えを迂回していた。写真右の道がその入口である。

こうして早くも昆布森〜アチョロベツ間の2世代の道を目の当たりにしたが、これから向かう海岸線の隧道は、当然これらよりもさらに古い道なのであろう。これで少なくとも3世代ということか。



5:48 《現在地》

昆布森トンネルは片勾配のトンネルで、西へ向かうと全て上り坂だった。
なのでトンネルを出ると標高が少しあり、最初はそのせいなのかと思ったが、私はどっぷりと霧の世界に入り込んでいた。
道道は引き続き緩やかに上り続け、その途中でアチョロベツ橋を渡る。

橋の上から、これから向かおうとしている海を見たが、そこにあるはずの集落と海面は霧の世界に沈没して色を失っていた。
ほんの少し前、あれだけ赤く見えた朝日の気配は完全に失せており、時間感覚さえ奪われるような濃い霧だった。

霧はこの探索の邪魔にはおそらくならないと思うけど、ここまで霧の濃い海をあまり体験したことがないからドキドキする。
そしてこれは地味に地域色の濃い展開になっていると思う。釧路という土地は、とかく夏に海霧(移動霧)がよく起るところらしい。温かい偏東風が冷たい千島海流に冷やされて海上に霧を生み、これが風に乗って陸に押し寄せてくるのだそうだ。今日は夏ではないが、今朝の昆布森海岸には、典型的な海霧が生じていた。



アチョロベツ橋の後に城山橋という語感が全然違う橋を渡ると、アチョロベツ集落入口の丁字路が現れた。
角にあるバス停は城山で、入口に立つ看板には「嬰寄別(アッチョロベツ)」と書いてある。
この地方の地名を扱う物の本によると、アイヌ語由来の難解なアチョロベツが戦前に改名されたのが城山で、現在の集落名も城山であるという。

なお、昆布森海岸一帯は難読地名がとても多く、そのことが一種の地域資源とも見なされていて、道道の沿道各所にこの画像のような地名由来の看板が設置されている。そのため「北太平洋シーサイドライン」以外に「北海道難読地名ロード」の愛称もあるそうだ。



6:00 《現在地》

舗装された1.5車線の町道をかなりの急坂で下って行くと、樹木疎らな谷間に人家が点在する、アチョロベツ改め城山の集落が現れた。写真は山側を振り返って撮影。奥に谷を渡る道道の橋が見える。
霧や雪の中でも遠くからそれと分かるカラフルな壁と屋根の家が多いのが北海道っぽい。
また、各家の庭先に驚くほど広い砂利敷きのスペースが漏れなくあることが特徴的だ。
これが何のための土地であるかは、これまでの経験が囁いた。これは昆布だな。昆布干し場に違いない。だってここは昆布森海岸だもの。



防波堤の外の海の様子を、今日初めて間近に見るが……。
うん、波は穏やかだな。OK。
だけど、ほんとすごい霧だ。心細い。

……チェンジ後の画像は、隧道があるとされる東の海岸線を望遠で覗いたが……、

なんか見えるな…、小さな黒い影のような物が…。

ここからだと、海蝕洞と区別が付かない…。

とりあえず、向こうへ道なりに行ってみよう。



6:04 《現在地》

集落の中ほどで道はとても狭くなり、そこから海岸沿いに東へ行く道もあるにはあったが、海を見下ろす広い昆布干し場からは未舗装に。
なおも軽自動車が突撃している轍は濃いが、先に複数の人の気配を感じ、これ以上進むと自転車が車の通行の邪魔になりかねない予感がしたので、広いところに自転車をデポして歩いて進んだ。

霧に頭の辺りを薄くしている奥の岩山の形は、見覚えがある気がするぞ……。
Morigen氏に送っていただいた【写真の山】だろ…。
来たぞこれ、ここに間違いない。

だけど彼はよくこの場所に隧道があると気付いたものだ…。道路沿いじゃないし、古地形図にもこの隧道は載ったことがない(確認済)。何か情報があったんだろうか。これは帰ったらまた質問攻めにさせて貰わないと…。



あっ。

これから向かう浜には、思いのほか大勢の人影がある。中には腰まで波に漬かっている人も。

そして、彼らの足元の浜はものの見事に焦げ茶色だ。浜全体と言っても言い広い範囲が焦げ茶色。

昆布だ。すげー量の昆布!!!

これは確かに“昆布森”…。

昭和30年までは周辺一帯の自治体名(昆布森村)でもあった昆布森という変わった地名は、やはりアイヌ語に由来しており、コンプモイ(昆布の入江の意)から転じたらしい。アイヌ語のコンプが日本語の昆布の語源だとする説がある。なお、昆布森では江戸時代から盛んに昆布の採取が行われ、今日に至るまで最大の特産品であり続けている。




あったー! 隧道……らしき穴。

良い具合に潮が引いていて、これなら隧道の下まで労せず行けそうだ。

が、実際にこの目で見ても、開口位置の高さはやはり驚きだ。 これは少々異常だ。

確かに高い方が波に壊される危険は小さいだろうけど、不便だろさすがに…。



だが、私のこの疑問は、嬉しいことに、この場で解決した。
私は危険な昆布採取作業の邪魔にならないよう注意を払いながら一人の先達へ近づき、ありがたくも貴重な証言をいただくことができた。
教わった内容は以下の通りだ。

城山(アチョロベツ)集落の先達(60歳くらい女性)の証言

  • 隧道は、昆布森の部落へ行くためにみんなが利用した。歩いて通るための道で車は通らなかった。私も小学生のころは通学のため毎日通った。
  • 隧道がいつからあるのかは分からないが、戦前からある。誰が掘ったかという話は聞いたことがない。
  • 昔はもっと砂浜が高く、入口の高さに砂浜があった。徐々に砂浜が侵食され、今では近づけなくなってしまった。

隧道をいつ誰が作ったかは分からないとのことだが、昆布森へ行くのにはとても便利な道で、戦前から利用されていたそうだ。
そして、隧道がこんなに高い位置に口を開けているのは、昔からそうだったわけではなく、砂浜の侵食が原因だという。
長年この地を見てきた人の証言だけに、これは間違いないことなんじゃないかな。

日本各地の海岸線で、砂浜が侵食されて少なくなっているという話は確かに聞く。
私が子ども時代に長く暮らした秋田県潟上市の出戸浜でも、その変化をつぶさに見た。
(有名な北陸の親不知子不知だって、かつては砂浜を往来するのが正規の北陸道だったのに、今はどんな引き潮だって無理だもんな…)
砂浜減少の大きな原因は、河川の改修によって海へ流れ出る土砂が少なくなっていることや、海岸に堤防などの人工物が多く作られたことで海中の砂の流れが減ったことにあるらしい。つまり、人類の活動と関係が深い。

ことの是非はともかく、先達の証言通りであれば、この昆布森海岸では砂浜が4〜5mも低くなったと考えられるのか。
これが数字で分かるのは、隧道という高さの基準となるものがあるお陰だが、4〜5mという数字はちょっとギョッとする。これでどれくらい海岸線が後退したものか。
隧道の通り抜け以前に、海岸線を通ること自体が難しくなったに違いない。


……というか、すげー今さらなことを最後に書くが、

マジでこれ隧道だったんだ!?!



じゃあ、いっちょ挑戦するか! 隧道!




 干潮に浮上した、割れ岩トンネル


2023/10/25 6:07 《現在地》

私は貴重な情報の証言者となってくださった先達に礼を述べてから、歩き出した。
行く手の磯には、目指すべき“穴”がぽっかりと口を開けていて不気味だが、今はそれが隧道と分かっただけ、愛しい気持ちが強くなった。

傍らでは、濃い海霧が水平線を隠して空と均一化した白に蕩けている。
波はとても穏やかだが、それでも湖のように思えぬのは、汀線を埋め尽くすほどの昆布が発する強烈な磯臭さのせいだ。
Morigen氏の写真だと大きな白波に洗われていた一帯の地磯は、干潮による低潮位と、穏やかな海のお陰で広く陸地化しており、“穴”の麓まで労せず辿り着けそうだ。



Morigen氏が「割れ岩のトンネル」と呼ばれた隧道。
この名の出典も確認しなければならないが、普通に考えれば隧道の穿たれているこの岩が「割れ岩」と呼ばれているのだろう。

言われてみれば確かに割れている。
岩全体を斜めに断ち割るように、天辺から基部まで一筋の大きな亀裂が走っていて、偶々なのか故意なのか分からないが、坑口と重なっている。
この亀裂は手前の地磯にも伸びているから、岩盤が海に侵食されたことで出来たものではなく、元より地中に埋蔵されていたようである。

他に岩場の観察で気付くことは、全体が黒い部分と茶色い部分に二分されていて、その境は地層の模様とはあまり関係がなく、おそらく波が強くぶつかる部分や、しばしば沈水する部分が黒いということだ。何か化学的な作用が起きているっぽい。



まもなく穴に辿り着く、のっぴきのならないところまで来て、何気なく振り返った。
岩場と波消しブロックの配置がそこにある城山集落の存在を隠しており、霧の素性を知らなければ猛烈な嵐の前触れを予感するような不気味な海の眺めだけがそこにあった。
先ほど言葉を交わした先達は、既に腿まで波に洗われながら、重い昆布を引上げていた。
その姿は部外者の私にとって、これから来るのは嵐ではないと教えてくれているようで、心強かった。



割れ岩の地磯を見ている。
もし隧道がなければ(あるいは通れなければ)、ここを回り込んで岩の裏側にある昆布森へ行くことになる。
見る限りは、いまの波と潮位ならば、なんとか安全に通れるという印象である。

だが、いまはほぼ干潮で、満潮時になるとここから90cmくらい潮が上がる。実際、数時間前まで海底にあったであろう波際の磯は、まだびっしょりと濡れていた。
そして波だが、いまの波高は50cmも無いと思う。もし1.5mの波があれば、もう通行は命がけ(波が引いたタイミングを狙うゲー)になるだろう。

かつてはもっと砂浜が高かったという話が出ているが、仮にこの状態のままだったら、隧道がない場合、安全に通過するチャンスはかなり限定的だと思う。
私は十分に日和を練ってこの機会を選んでいるのだ。それでこの感じなのだ。


さて、




高っけえな。

近づいてみたら、岩場に親切なステップが刻まれているんじゃないかななんて……、実は期待していたんだけど、全然そういうのない。

ないねぇ……。

足元の露岩から、坑口までは、3mくらいの比高か。
遠目にはさらに高く見えたが、直下の海底からの純粋な比高はそのくらい。
でも、手が届く高さではないな。

あと、もたもたどうするかを考えていられるのは、ほんとこの日和を練ったお陰だ。
足元でバシャバシャされていたら、怖くなるだろう。
で、一応忘れちゃいけないのは、これから先は一方的に潮位が高くなり続ける時間だってことだ。
さすがに5分10分で差は出ないだろうけど、血迷って2時間とか滞在したら、取り残される可能性はある。


さあ、行動しよう。





6:10

おりゃー!!!

普段のトレッキングシューズにはちょっとばかりキツかったが、垂直ではないのでウマく靴底にグリップを聞かせながら徒手で上った。地下足袋なり簡易アイゼンなりあれば簡単に上れるだろう(簡易アイゼンは持っていたが、面倒くさがって出さなかった)。
でも、濡れていると滑りやすくなるタイプの岩場なんで、波を被っているような状態では決して近づきたくない。



見下ろすと、高度感も加わって、ますますすっごい眺めだ……。

ここを、子供たちが、通学のために、毎朝毎夕行き来した。

今日のような天気は、すごく恵まれていて、しかし同じように霧に行く手を隠される日はとても多かったはずで。
子どもは、遠くの世界をまだ知らないはずで、この景色が世界の大部だったはずで……、こうして集落の大人たちが昆布捕りをするのを眺めるけれど、自らもその重要な要員であったから忙しくって、お腹が減って、この穴に助けられて、大人たちの愛に包まれて、育った。

こんなに怪しい眺めの中にいるのに、温かい気持ちになれたのは、一節説いてくれた先達のお陰だ。また海に入って行ってるし…。



全天球画像を撮影した。

紛うことなき素掘りの穴。人工物の明確な証しは、まだ何もない。

しかし穴は貫通しているらしく、光を見るより先に、風がそれを教えてくれた。



いざ、穴奥へ! 

昏き穴の先に、何が待つ。





2024年1月1日、このレポートを書いている最中に、石川県能登地方を震源とする最大震度7の大きな地震が発生し、私が住む秋田市も震度3の揺れを観測した。まだ被害の全容は明らかになっていないが、北陸地方の広い範囲に津波が押し寄せ、能登地方を中心に家屋の倒壊や土砂崩れなどの甚大な被害が出ていることが報道されつつある。その最中に波と遊ぶようなレポートを書くことには抵抗を感じたが、私の自粛が人を助けられるとは思い上がりであり、粛々と更新を続けることにした。私も何度も旅をして愛しく思うかの地方にて、いま被害に遭われている方々の無事をお祈りするとともに、心よりお見舞い申し上げます。




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