2018/11/13 6:55 《現在地》
夕日寺隧道の南口は、濡れた土の斜面に埋もれていた。
あるべきものが、あるべき場所にないことは、即座に見て取れたから、私は大きな落胆を覚えた。
もっとも、あんなに明確に【崩壊に付危険通行止】と書かれた看板を無視して侵入してきたわけだから、この結果を想定外だと訴えることに対しては、自業自得や危機感不足の誹りを受けるのかも知れない。
それでも、開口していて欲しかったのだ。
苦労は報われて欲しかった。
貫通を果たせぬまでも、せめて開口。洞内へ立ち入ることくらいは、許して欲しかった!
矢印の位置に見えるものを拡大したのが、右の写真だ。
それは入口でも見た、そして各地でも良く目にする、「通行止め」工事看板であった。
だが、原型を止めないほどに変形……圧縮されていた。
この原因はおそらく、雪だろう。こんな青々としているこの場所も、ふた月後には重い根雪に覆われているはずだ。
ここに看板があるということは、ある時期まではこの位置まで(農・林道の関係者に限って)通行が許されていたのかも知れないが、隧道の喪失によって意味を失った哀れな看板の末路であった。
山を抜ける風とか、地下の特有の冷気などというものは、ここにいても全く感じられなかった。
坑口があった位置に山盛りとなっている土砂は、雨あがりのせいもあるのだろうが、
とても重く湿っていて、植物の根付きも始まっていた。遠からず山の斜面と分別できなくなるだろう。
まさに、ファーストインプレッションが最悪で、絶望的と表現したくなる状況だった。
だが、さらに深く跡地へ踏み込んでみると、明確な隧道の遺物が現存していることに気付いた。
写真では、よく目をこらさないと見えないと思うが、坑門上部のコンクリートの壁が露出している!
これは、絶望の闇に小さな希望を灯す発見となった。
おおおっ! 扁額を収めるための凹みもある!
夕日寺隧道は、素掘りであったのか、覆工されていたのか、探索時は分からなかったが、少なくとも南口はコンクリート製の坑門工を有していたことが明らかとなった。
ただ、空間的な余裕からみても、埋もれている坑門はとても小さいはずだ。そのうえ、僅かに露出している部分の姿を見ただけで、いかにも飾り気のない、農家の自家製ぬか漬けみたいな坑門がイメージされた。
こんなに小さな坑口…
その坑門上部が露出している……
………………発掘できないかな?
ここで私の意識が初めて隧道発掘へと向けられた。
そして、掘ることを考え始めた瞬間、この坑口埋没現場の不自然さに気付いた。
土嚢だ!!
この隧道、土砂崩れによって埋もれる以前に、土嚢で人為的に埋め戻されている!!
なんてことだ!
この隧道を埋め戻すなんてトンデモナイ! ……と、私は思ってしまう。
関係者は、尾根の向こう側に広がる柳橋川上流の谷間への自動車交通の可能性を、自ら封印してしまったというのか?!
なんという交通史上の後退だろう。
上記のようなことを考える私が変なのだろうか。
地図を見る限り、柳橋川上流の谷間へ入る道は、この隧道の他に描かれていない。
そんな唯一の交通路だけに、なんだかんだ言って、ギリギリのところで隧道が維持されているだろうと思っていたのだが、崩壊ならばまだしも、土嚢で埋め戻してしまったというのは、想定外だった。
もっとも、内部が落盤して閉塞してしまったから、復旧の見込みなしとして、やむを得ず埋め戻したという可能性もまだあるのだけれど……。
隧道復旧の可能性にも決別するような埋め戻しが行われていたことは、やはり衝撃的だ。
新トンネルが出来たから旧トンネルを円満に埋め戻したようなこととは、意味が全く違っている。
まだ生ある隧道が、この奥に埋もれているかもしれない!
それを想像した瞬間、私は火がついたように土嚢をどかし始めた。
何の道具の準備もしていなかったから、土や石を掘ることはほとんど無理だったが(隧道発掘を想定している探索時は携帯用スコップ(こういう円匙)を持ち歩いていることもあるが、重いので大半の探索では持たない)、土嚢をどかすくらいはお手の物だ。
開始2分足らずの間に、写真にある緑色の3つの土嚢をどかし、扁額の窪みの下の壁面を最初に見えていた位置から20cmほど下まで露出させることに成功した。
緑の土嚢の下には、今度は白い土嚢が埋もれていた。
これも同じように掘り出して移動させにかかった。
だが、最初の土嚢と違って身体より低い位置にあるので力が入りづらいし、周囲を漏れなく濡れ土が接着しているため、容易ではない重さになっていた。
土嚢と土嚢の隙間にある粘り気のある土を手でほじくり出して、土嚢を引き上げられるように準備をした。
作業用手袋をしているとはいえ、冷たい泥水が容赦なく手を濡らした。グチュグチュと異様な音を立てながら、ほじくり、ほじくり、おおよそ10分後、巨大な臼の底にある出来たて餅みたいな白い土嚢を、
抱きかかえるようにして、どうにかこうにか引き出すことに成功したのだった。
そして、ついに……
ホフッ!と冷たい風が抜けた!
自発呼吸確認! 隧道蘇生ッッ!!
内部に空洞が現存しているだけでなく、反対側坑口まで貫通している可能性を示唆する空気の流動が確認されたことは、歓喜のニュースであった。
しかし同時に私は、この発掘作業は成功しない、これが限界だという、そんな事実を知ってしまった。
写真で赤く強調した部分に注目して欲しい。
土嚢袋の素材がわっかのようになっているのが分かると思う。
このわっかを持つ袋は、いわゆる1トン袋だ……。
絶対に生身では、持ち上げることも、動かすことも、出来ない代物である。
ぐしょぐしょに汚れながら土塊の山に跪いて、糠に塗れた喜びを嘆いた。
こんな結末はあんまりだと天に吼えたい心境だったが、もともと無理なことをやろうとしていたわけで、こればかりはどうにもならない。
これ以上、開口部を広げることは出来ない。
身体はおろか首を射し込む余地も作れない。
だからせめて、この小さな隙間にカメラとライトを挿入して、私の代わりに内部の状況を「見て」もらうことにした。
しかし、万が一、カメラやライトを洞内に落とせば、回収不能となるおそれが高い。
特にカメラには4日分の撮影データが満載されており、絶対に失うことはできない。
必然、緊張と冷たさで手が震えた。
しかし、私はやり遂げた!
泥に這いつくばった姿勢でのエクストリーム撮影に成功した!!
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
これは全天球画像だ。存分に「ぐりぐり」して洞内を覗き見てほしい。
人間の世界から隔絶された隧道の隠された姿。
おそらく再度の目撃を想定されていなかった景色だ。
やっぱり内部には大きな空洞が…というか、トンネルがそのまま残されていた!!
鳥肌が立った。
意外にも内部はしっかりコンクリートに巻き立てられていて、カメラに写る範囲内に崩れているような様子はなかった。
坑口を塞ぐように1トン袋が積み上げられていることも、はっきり確かめられた。これは動かせない。
閉塞壁には、おそらく水抜きのためだと思うが、50cm径くらいの大きなパイプが顔を出していた。
このパイプが坑外に伸びていれば良かったが、そうはなっていないので、出入りには使えないのが悲しい。
そしてここで最も重要なことは、出口の光は見えないものの、風が微かに抜けていることから、
北側坑口が現在も開口し続けている可能性が高まったことだ。
7:15
この場所に到着して20分後。私は全ての土嚢を積み直して、再び隧道を閉塞させた。
この一連の土木作業の代償は私の着衣に最も重かった。
ゴミだなこのズボンはもう……。(といいつつ、今も探索用として使ってますけどね)
泥まみれのタオルの少しだけマシな端っこで吹き出た汗を拭いつつ、直上の尾根を見上げた。
ここを越えれば反対側の坑口へ下りられるのだが、比高は60mくらいもあり、
そのうえ見た通りの凄まじい急斜面&ぐしょ濡れ土斜面で、とても無事に突破出来そうにない。
この斜面の急さは、短い隧道で効率的に山を抜くに好都合であり、だからこそここが掘られたのだろう。
もう二度と来ることはない南口に別れを告げた。
合間なくまた苦闘が始まる。
私の挑戦はまだ終わっていない。
全ての車道を失った柳橋川の谷へ潜入して、隧道の北口を探すぞ!
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