橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋  序

公開日 2008. 5.13
探索日 2008. 5.10


 華厳滝の下流には、華厳渓谷がある。



華厳滝
(協力:フォトライブラリー

日本有数の観光名所である栃木県は日光。

広大な日光観光圏のなかでも特によく知られた景勝地が、華厳滝(けごんのたき)である。
大谷(だいや)川にかかる落差97mの直瀑は「日本三大名瀑」に数えられる偉容を誇り、初めて目にした老若男女誰しもが感嘆の吐息を漏らす。
私は日光市の回し者ではないが、今まで自身が二度観光で日光を訪れ畏怖を持って滝を眺めた経験と、その展望台で一様に魂を抜かれたように滝を眺める群衆を目撃した経験からそう言える。


先に言ってしまうと、残念ながら今回のレポートでは天候の都合上、ナマの華厳滝は拝めなかった。
なので、華厳滝をまだ見たことがないという読者の期待には応えられないかもしれないことを、あらかじめお断りしておく。





さて、華厳の滝を実際に観覧された経験のある方ならばお分かりだと思うが、通常この滝を間近に眺める方法は一通りしかない。
それは、「華厳滝エレベーター」という有料のエレベータに乗って100mの落差を下り、渓谷中腹にある「観瀑台」から眺めるというものである。そのため、日本中のアルバムには同じようなアングルで撮影された滝の写真が、何億枚も収蔵されているものと思われる。エレベータは大人530円という料金であるし、正直乗らずに観瀑台へ降りたいと思う人も少なくないだろうが、乗り場の辺りをいくら探してもそんな道は見つからないはずだ。

また、観瀑台からはどこへも行くことが出来ないようになっている。
観瀑台はエレベーター以外のどことも繋がっていないので、地上にありながら隔離された空間といえる。

少なくとも、現状ではそうなっている。
それは漏れなく金を取るための“演出”などではなく、周囲の地形が険しすぎるため道をどこにも広げようが無かったのだと、そう納得させられる雰囲気ではあるのだが…。

ともかく、そこに華厳滝だけがポツンとあって、上流も下流も近づく術のない峡谷であるかのように取り扱われている。
実際には、そこにも間違いなく地表は存在し、外界と一連の世界があるにもかかわらずだ。


 かつての観瀑台は、行き止まりではなかったらしい。


そのことを知るのは、かなり限られた世代の人だけだと思う。
昭和25年頃、栃木県は観瀑台から華厳滝下流の「華厳渓谷」へ下る遊歩道を新設し、それは「第一いろは坂」の登り口まで繋がっていたそうだ。

麓から中禅寺湖を目指す徒歩の最短ルートとして重宝がられ、また景勝地を多く通ることから利用者も少なくなかったらしいが、さほど年数を経ないうち危険な状態になって封鎖されたようである(『郷愁の日光(随想舎刊)』より)。

また、この渓谷歩道の途中には、今回の表題にある「鵲(かささぎ)橋」と名付けられた瀟洒なアーチ橋が架けられていたという。
そして、読者から寄せられた情報によれば、その橋がどうも残っているらしいのだ。



 幻の遊歩道に残された「鵲橋」が今回のターゲット。




これからお見せする写真は、「第二いろは坂」の途中にある「明智平」という眺望の名所から眺めた華厳渓谷の姿である。
ただし、残念なことにこの日は天候に恵まれず眺望ゼロだったので、そこに建っていた看板を撮した。
しかし、看板の写真にも目指す鵲橋の姿が、くっきりと写っていた。



探索当日(2008年5月10日)の明智平の様子。

ここからロープウェーで展望台に登ると写真の眺めが得られるそうだが、この日は生憎の濃霧。
日曜にもかかわらず客足は疎らであった。
5月なのに猛烈に寒いし…。




写真のパネルを撮影。

左上に写っているのが、言わずと知れた華厳滝。
右下にあるのが、知る人ぞ知る白雲滝だ。

鵲橋、 見つけられただろうか?




発見!!

スマートなアーチ橋が、白雲滝の波濤に影を落として架かっている。

すばらしい!
近づいたらどんな眺めが見られるだろう!
スゲー、ワクワクする!

もう一度、引いた写真と見比べてみたい。




撮影時期の緑が深く、崖地以外の地形のはほとんど窺い知れないが、
観瀑台とはさほど離れていない(200mほど?)の位置に、鵲橋は架かっているようだ。
観瀑台からアクセスできれば比較的容易に辿り着けそうな気もするが、

そこには“開かずの扉”が行く手を阻むという。





私にこの魅力的な廃道の情報を提供してくれた人物「みやこ♂」氏が数年前に体験した鵲橋への「特別探訪」の模様を、彼のメールから一部引用して紹介しよう。 それは、私を危険な探索に駆り立てる灼熱情報のてんこ盛りだった。


わたくしの場合,「華厳の滝エレベータ」で地下に降り,エレベータホールに正対する地下道を直進,正面の折れ曲がりの鉄扉から外界に出ました。
(通常はここで右に曲がり観瀑台へ直行します)

この扉は窓もなく,通常施錠されており,通ることは出来ません。
わたくしは「関係者」との同行でしたので,堂々と通りました。

扉の外はもう,華厳渓谷。禁断の地。
とはいえ沢沿いにいきなり出るのではなくて,やや高度はあります。
そこからは,山腹に細く刻まれた巻道を通って東に張り出た尾根を越え,(この区間は樹林の中)やがてガレ場に至ります。下方に遠く鵲橋が見えたような記憶があります。

ガレ場を直下し,再び樹林の中にはいると,岩くれの中から,コンクリート階段が顔を出しているのに気づきました。
落石ですっかり埋まっていたのです。

しかもこの階段,やたらと急な上に踏み面の幅が非常に狭く,歩きづらいことこの上なし。
まぁ,そんなこんなで鵲橋右岸たもとに到着。
橋自体に致命的な破損はなく,渡っていても不安なことはありません。しかしあたりは落石の海ではあります。 

そこから,道(?)はさらに下ります。
はっきりとした道形はなく,大きな転石を伝って降りた記憶アリ。

で,華厳の滝本流との合流点に永久橋があって,ここで,華厳渓谷本流の古河電工管理道に入るわけです。

本流には,古河が架設した簡易な吊り橋が4つか5つあります。
「しっかりと管理された」この歩道を使って降りてゆくと,もの凄く古い古河の変電所に至ります。
そこが歩道の終点。

ちなみに変電所に車で来ようとすると,いろは坂を下ってきて,カーブのところから進入します。
ただし,変電所手前の鉄柵が行く手を遮っています。

もう何年も前のことなので,記憶がいい加減だったらゴメンナサイ。
当時,写真もいっぱい撮ったのですが,今,手元にありません。事情,お察しください。


開かずの扉と、その奥に隠された …幻の遊歩道…。



行きたいッ!!




プレリサーチ 

 霧の観瀑台


2008/5/10 14:50 <現在地と周辺地図>

というわけで、まずはプレリサーチ。
お金を取られるのはちと痛いが、観瀑台へ正規のルートで下ってみようと思う。
旧遊歩道へ繋がるヒントが得られるかも知れない。

お土産屋と駐車場が所狭しと並ぶ日光市中宮祠の国道端。
適当なところにチャリを停め、華厳滝エレベータの乗り場へ向かった。




駐車場を囲む土産物屋の最も奥にあって、古い駅舎のような重厚な存在感のある切符売り場。
背後は華厳滝壺へ落ち込む千尋の谷間だと思われるが、近づく人がいるかは不明。
そもそも、危険防止のため近づけないようになっていると思うが…ううん! まずは正規ルート!正規ルートで…。

全国でも数少ない有料のエレベータ。
乗り場と切符売り場を兼ねた建屋は、その存在自体が珍しかろう。




観瀑台とはいっても、華厳の滝のさほど近位置ではない。
これほどの濃霧で滝が見えるものだろうかと訝しく思っていたが、案の定、入口には「濃霧のため滝は見えない」という“おことわり”が。

もとより華厳渓谷一帯は地形的に霧の発生日数が多く、さほど珍しい事ではないと聞くが、日本各地からこの日を選んでやって来た観光客を思うと気の毒である。
まあ、私にとっては観瀑台に人が少ないほどリサーチがしやすくなるので、好都合であったが…。




窓口で530円もする切符を買って、いざ乗り場へ。

流石に国際的観光地だけあって係員はみな教育が行き届いているというか、対応がすこぶる良い。
そこがまた、「怪しい行為は見逃さない」感じがして、心の中にやましいことを考えている私は、思わず作り笑いしてしまった。




客よりも係員の方が多いような「改札」で切符に鋏を入れられて、2機あるエレベータの前に案内される。
待っている客は今回私一人だけのようだ。
係員が普通のエレベータと同じような操作パネルをタッチし、すぐに扉が開いた。 中へ。

エレベータは30人乗りの大きなもので、流石に高級感がある。
乗り込むと無言の係員と二人きり。彼は手早く「B」というランプのついた一番下のボタンと「閉」を押すと、間もなくエレベータはスムースな加速感に包まれた。

移動時間は約1分。この間に100mを下る。堅い柱状節理の岩盤に掘り抜かれた垂直の隧道(竪坑)であり、途中階などというものはもちろん無い。
0G(地上)と100B(観瀑台)という二つの停止階の往復のみであるが、10刻みでランプの点灯位置が移動していくので、さほど圧迫感は無い。(正直、エレベータは苦手である)
また、無言の係員に替わって、華厳の滝の映像を映し出すモニタが観光ガイド的なアナウンスを流し続けている。

ちなみに、このエレベータの営業開始は昭和5年で、日本有数の古エレベータであったりもする。



「行ってらっしゃいませ、ご主人様。」

送り出された先は、無人の回廊。
地下100mにある、観瀑台への地下通路だ。

ちなみに、帰りにエレベータを呼ぶときだけはボタンを自分で操作できる。
行き先階のボタンはないので、ただ呼ぶためのボタンがひとつあるだけだが。
しかし、もしここでエレベータが故障したらどうするのだろうか。
そう思うと怖くなって、すぐに引き返したくなったのは秘密である。(←臆病者)

気を取り直して、530円分はしっかりリサーチさせてもらわねば。
私にとっての目的は華厳滝の眺めなどではなくて、この地下通路自体、或いは観瀑台からの滝とは反対方向の眺めなのである。




真っ直ぐ続く通路。
努めて明るい雰囲気を出すように壁も灯りも白く統一されているが、地下の臭いに敏感な私には、これもまた隧道の仲間と理解される。
子供の頃は、ここも巨大な建物だと思っていたっけな。



エレベータホールに正対する地下道を直進,正面の折れ曲がりの鉄扉から外界に出ました。

情報提供者の言葉が繰り返し脳内で、なぜか誰かの音声を伴って再生される。

通路の突き当たりには、いままで意識したことのない扉が確かにあった。




換気扇の備え付けられた扉の向こう側には、曇り窓ガラスを通してうっすらと地形のようなものが見える。

昭和25年頃から数年間は、ここから華厳渓谷に降りる遊歩道が分かれていたのだという。

そう言われてみれば、現在の地下通路が唐突にここで曲がるのは、少し不自然な感じもする。





当然のよーに、


  あ か な い。


なにかイベントやり残したかな?
さいごのかぎ?




通路は開かずの扉の前で直角に折れ、今度は階段となって下る。

途中の右側の壁に、自殺者の霊を慰めるために安置された仏像があって、華厳滝の負の意味での“名所ぶり”を思い出させられた。
明治以降これまで、100人で利かない大人数が、この滝壺に身を投げたと言われている。




エレベータを下りてから普通に歩けば1〜2分で観瀑台に到達する。

これだけ地下に潜ってきたはずなのに、そこにも地上があるという違和感が愉快だ。




うっわ…。

閑散としてる。
本当に客は自分だけかも…。

観瀑台は、釜の底のような滝壺の壁に据え付けられた三階建ての展望台であり、それぞれの階が狭い階段で結ばれている。
どの階からも華厳滝が目前に眺められるのだが、真ん中の中階には自動販売機と小さな売店が併設されている。
子供ほど上の階から眺めたがる傾向があるが、私はもちろん最上階へ。

わーい! 一人占めだー!

  …激サムだろ。 いろんな意味で。




人生三度目の観瀑台。

華厳滝がここからどのように見えるかはうっすら覚えている。


そう。 本来ならば探さずとも見えるのだ。

足元の波濤が流れ来る、その方角に、自然と、でんと。見上げるほどおっきく。


しかし、今日は本当に、ひとかけらも見えはしない。
ただ、どーーーーーーーーーーーーー という爆音が四方から聞こえてくるばかりである。
周囲の崖に乱反射して、音の出所さえはっきりしないのが観瀑台の凄まじい立地を示している。




あまり観光客が写真に撮っているのを見ないが、観瀑台の周りの絶壁も本当に凄まじいものがある。
今日はそれくらいしか見るものがないので、私もいつも以上に注意深く観察できた。

写真は、観瀑台の背後にそそり立つ、高さ100mの柱状節理。男体山溶岩の安山岩であるという。
この溶岩流が男体山から流れ出て中禅寺湖を作ったというのは、地学の教科書にも載っている典型的な堰止め湖の例だ。


  つうかさ、やばいぞ。

なんか、全然観瀑台から逃げ出せる感じがしない。
まずはリサーチとはいえ、旧遊歩道へ抜け出せる隙があれば行っちゃうつもり満々なんだけども…。
そもそも、観瀑台ってほとんど地上と接してないんだよね…。



ふと、耳元に人の声が聞こえた気がして見下ろすと、おうおうおう!
いるじゃんか。先客が。

みんな、滝が見えないから仕方なしに眼下の峡谷を見てますね…。
いや、でも凄い眺めだよこれも。

未だかつて、ここの水量がこんなに多いのは見たことがない。
これが止まっていれば山水画さながらの眺めといったところであろうが、音と風が吹き付けるなかナマで見ていると、それは災害の風景のようでもあり、思わず疲労してしまった。

あっ! 私がこんなに疲労したのは、この眺めが全くの他人事ではないからではッ…!!






幾筋もの滝が方々から落ち込む、大谷川の怒濤の流れ。

これが、私の目指す華厳渓谷の始まりなのである。


ちょっととんでもないよ… これは…。


しかも、開かずの扉がやはり開かなかった以上、

私は自力でこの渓壑(けいがく)へ下らねばならぬ。


100mうえの地上から始まり、この50mも下の谷底まで…。


たった一枚の地図を頼りに。




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情報提供者からのメールには、まだ続きがあった。

それは、私にとって一番肝心な、“開かずの扉”の突破方法(合法)についてだ。



さて。
この場に至るためには,どうやって渓谷に降りるか,それがカギでしょう。
管理道を突破すると,確実に法に触れます。
しかし,この場所自体が立ち入り禁止だという話も聞きません。
穂高岳や谷川岳などの危険な岩壁同様と推察します。
つまり答えは,「ルート次第」ということ。

そこで新情報。
地元住民の話によれば,かつて中宮祠から,エレベーターを使わずに華厳渓谷に降りられる歩道があったそうです。かなり急だったと聞きます。

それを伝って渓谷に降りることが出来れば,合法的に鵲橋に到達することが可能になるのかも知れません。



「かつて中宮祠から,エレベーターを使わずに華厳渓谷に降りられる歩道があったそうです。」

プレリサーチで見る限り、とてもそんな道を想定しがたい感じだったが、エレベータが出来る昭和5年よりも前にも観光のための歩道が確かにあったはずである。

今回はプレリサーチにも先駆け、地形図や市史を取り寄せてのルート探しを行っていた。



吉兆鳥の名を冠する橋を求め、明治の初代歩道を辿るとき、
決死の下降劇の幕は開く。