http://yamaiga.com/road/r121_sannou/ の公開中コメント一覧

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コメント
53,5702024-02-24 01:19:42/road/r121_sannou/main2.html10
いつもお疲れ様です。予算の関係で現道よりも低規格道路を作り始めたところに、何かの力で大きく予算が回って来て、現道が建設された、という感じでしょうかね? お役所仕事は、地域の政治家の力量に左右されることも多いですしね。

大阪イベントまであと少しですね。行きたかったですけど、残念ながら行けません。。
51,3492023-01-28 10:16:15/road/r121_sannou/main2.html10
いつもドキドキしながら読ませてもらっています栃木県人です。
Googleマップにて横川からの旧道ラインをトンネル開通前に通ったことを懐かしみました。
より南の百姓屋から北の木の生え具合から、旧旧道の遺構を想像してしまいました。
素人じゃ無理でしょうが、見てきたいと存じます。
50,8042022-10-09 18:37:16/road/r121_sannou/main2.html9
もしかして古代官道の可能性はないのでしょうか?
45,4472020-09-14 11:24:20/road/r121_sannou/main2.html10
興味深いレポート、仮説ありがとうございます。もし仮にこの謎の道が会津線(野岩鉄道)の未成線だと仮定した場合、国鉄側がこのルートを放棄した動機としては八総鉱山の輸送を当て込んだ可能性があります。事実かつての終点であった会津滝ノ原駅から先は八総鉱山までの専用線が続いていました。八総は1949年に本格的な採掘が始まり、滝ノ原への鉄道延伸で最盛期を迎えました。この鉱山の輸送の大きさを考えれば作りかけた路線を放棄してでも滝ノ原に線路を引きたいと考えても確かに不思議ではないかもしれません。
43,0912019-12-21 00:26:40/road/r121_sannou/main2.html10
もし軍道として開通していたら戦車を載せたトラックなんかが行き交っていたかもしれませんね! しかし戦車のような重量のあるものを運搬する道としては崖っぷちなのは危険ですしカーブがキツすぎる気がします また戦車が走行するにしても地盤が弱い気がします 戦車は小回りがきかないのであのカーブでは曲がれないと思います 僕としては鉄道未成線説を支持します
42,1332019-08-31 01:51:31/road/r121_sannou/main2.html10
戦車は訓練以外でこういう道は自走しないです(メッチャ燃費が悪いし履帯が壊れちゃう)
40,5122019-02-20 06:45:38/road/r121_sannou/main2.html8
すでに見知っていたらすみませんが、ネット上に参考になりそうな情報があったので置いておきます。青線とは完全一致ではありませんが、昭和8年の地図には国道121号の元になる道路(旧国道の、さらに自動車道への改修前?)沿線に土堤があったみたいですね。さらに、旧国道との分岐あたりに「新駅」なる言葉が目立つように置かれているのが気になります。https://purl.stanford.edu/yk359pv4727http://tomozoaruku.blog89.fc2.com/blog-entry-666.htmlこちらのサイトでは、旧旧道について少しふれられています。
39,3882018-09-21 01:32:53/road/r121_sannou/main2.html7
地図・空中写真閲覧サービスで、山王峠付近の昭和22年の地図にたぶんその道の全体図と思われる道がしっかり写ってますねhttp://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=170931&isDetail=trueしかし写ってるだけで「ソレが何?」なのは分からんという…
39,0882018-08-18 16:46:20/road/r121_sannou/main2.html9
林道を散策していて、カモシカもシカもウリ坊も見たことあるけど今のところプーさんは見てないですね…くわばらくわばら。さておき、謎の多い道ですね。痕跡も乏しいし。
36,1422020-09-14 11:24:20/road/r121_sannou/main2.html10
興味深いレポート、仮説ありがとうございます。もし仮にこの謎の道が会津線(野岩鉄道)の未成線だと仮定した場合、国鉄側がこのルートを放棄した動機としては八総鉱山の輸送を当て込んだ可能性があります。事実かつての終点であった会津滝ノ原駅から先は八総鉱山までの専用線が続いていました。八総は1949年に本格的な採掘が始まり、滝ノ原への鉄道延伸で最盛期を迎えました。この鉱山の輸送の大きさを考えれば作りかけた路線を放棄してでも滝ノ原に線路を引きたいと考えても確かに不思議ではないかもしれません。
33,7862019-12-21 00:26:40/road/r121_sannou/main2.html10
もし軍道として開通していたら戦車を載せたトラックなんかが行き交っていたかもしれませんね! しかし戦車のような重量のあるものを運搬する道としては崖っぷちなのは危険ですしカーブがキツすぎる気がします また戦車が走行するにしても地盤が弱い気がします 戦車は小回りがきかないのであのカーブでは曲がれないと思います 僕としては鉄道未成線説を支持します
32,8282019-08-31 01:51:31/road/r121_sannou/main2.html10
戦車は訓練以外でこういう道は自走しないです(メッチャ燃費が悪いし履帯が壊れちゃう)
29,0542018-06-03 21:37:32/road/r121_sannou/main2.html10
敢えて妄想を言うとしたら・・・・
この道跡は現在のトンネルに収斂してるように思えます。
トンネル自体は当初計画通りだったが、そこまでの道路は旧来手法で山に沿って計画されており実際に造成していたが、途中で「直線的な道路」に変更になったのではないかと。
なぜ直線的道路にしたかですが、曲がりくねった道路は事故の危険や除雪を考えると新時代の道路としてはふさわしくなかった・・・とか。
25,7352017-05-28 15:12:32/road/r121_sannou/main2.html9
プーさんは真っ黒ですね。昼間会っても。
23,5972016-09-02 13:50:39/road/r121_sannou/main2.html10
プーとの対面は避けたいところですねww
にしても歴史と絡みますね、読んでいて楽しい。
23,3352016-08-03 12:55:28/road/r121_sannou/main2.html10
昭和22年の航空写真にそれらしき道と思われるものが写ってますね
21,9892016-02-26 17:45:08/road/r121_sannou/main2.html10
運送業を営んで居た30年以上前から、会津西街道を走っていますが、非常に、歴史的価値が有る情報です。昨年被災地支援の提案で、若松に移転している大熊町役場を訪ねる為、久しぶりに走りましたが、此の道は、全国でも、好きなルートのベスト3です。お名前等を公開して、今後も、ルート情報お願いします。NGO東亜友誼慈業研究会 被災地復興計画http://www.geocities.jp/korealobby/fukusima.html
14,5772013-11-27 00:04:08/road/r121_sannou/main2.html4
国有林の標柱! 伐採のための道跡
13,3962013-08-05 22:23:33/road/r121_sannou/main2.html10
俺もやってみたぞ!
なつかしい。(^^ )
12,2812013-03-27 22:01:11/road/r121_sannou/main2.html7
カモシカで間違いないと思いますよ
足短いですし
12,1682013-03-21 10:22:37/road/r121_sannou/main2.html8
未解決なので8で。とはいえ、プー(クマ)はアカン。本サイトを拝見してて、特に山奥に単独アタックしてるレポートで気になって仕方ない部分。本州には羆がいないことだけが救いといえば救いか……
9,1232012-01-27 19:21:50/road/r121_sannou/main2.html10
楽しく読ませていただきました^^

明治〜大正くらいならどこかの田舎に軍道みたいなものを作っているのも不自然ではないと思いますよ。
自分が知っているのは、明治の後半くらいに愛媛県西予市の大野ヶ原に昔軍道がほぼ出来上がっていたこと。たぶん一部は付近を通る愛媛r36になっていると思うんですが(←ちょっと無責任><)
7,5992011-07-23 11:07:36/road/r121_sannou/main2.html10
もっともっと進んで
5,9222010-12-31 20:42:06/road/r121_sannou/main2.html9
プーって熊のこと?
4,8912010-09-08 21:51:13/road/r121_sannou/main2.html10
南会津郡旧・田島町荒海出身なので、非常の興味深く善コースを読ませていただきながら写真も拝見いたしました。お疲れ様でした。
ご存知のように、三島通庸は、福島県令もやり会津三方道路も強硬工事で突破したわけですが、山形県令の後に栃木県令もやり、日本3大疏水の那須疏水も那珂川の源流から黒磯〜西那須〜大田原まで通しました。西那須野には三島農場を作り、大規模開発をいたしました。その時代に、塩原道路の改修工事を実行され、会津街道と馬車や車で通行できる道路建設を進めておりました。すでに出来ていた会津の道路と繋ぐことを熱望し工事進行したらしいのですが。未完成。
又、野岩鉄道の計画は長い間、国鉄で矢板の繋ぐという予定でありました。矢板には印南という政治力のある方と山縣有朋などの大森林と農場があり、三島と組んで東北本線と繋ぐことに懸命であったと思われます。やがて費用の問題や時の政治家たちの力で東武鉄道と繋ぐように変更されていったことと思います。小さい頃、常に新聞の話題でした。
4,5092010-08-18 11:48:42/road/r121_sannou/main2.html8
プーってなんですか?
4,4062010-08-12 09:10:26/road/r121_sannou/main2.html10
古河と米沢を結ぶ、野岩羽線。この道跡がもし鉄道だったとしても、簡易線ではあったでしょうが、戦時規格の突貫工事で作られた路線も戦後は改良が進んで、史実では仙山線や磐越西線くらいしか働き場がなかった支線用交流電気機関車が長大貨物列車を牽いて谷間を行き交う…なんて妄想を膨らませるのもいいものです。
もしそのうち何か情報を得られることがありましたら、是非追記をお願いします!
3,3342010-05-30 00:38:36/road/r121_sannou/main2.html10
未開の地に踏み入れる行動力と、洞察力を兼ね備えた、読み応えのあるレポート、ありがとうございます。
しかし、プーさんとの遭遇には、くれぐれもご用心願います。
これからも、楽しい発見とレポートを!
3,1772010-05-07 14:36:36/road/r121_sannou/main2.html8
楽しく読ませていただきました。
もうご存じかもしれませんが釘が打ってある杭や最後に出てきた104と漢数字が書いてある杭は林班境のものであると思われます。
林班とは山の住所みたいなもので、地図は森林組合や役所などに置いてあります。基本的に個人情報が関わってくるため手に入れるのが難しいかもしれません。
林班境は個人のものですと簡単なものはカラーテープを木に巻いたり、木にカラースプレーで目印をつけるものからコンクリやプラスティックの杭を打つものまでバリエーションがあります。
2,4762010-03-24 19:56:36/road/r121_sannou/main2.html8
一〇四の番号が入った杭は営林署(国有林)の杭じゃないでしょうかね?

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