ミニレポ第263回 旧大規模林道葛巻田子線 田子町山口の未成区間 前編

所在地 青森県田子町
探索日 2022.05.04
公開日 2022.05.13

大規模林道、その忘れ形見の歪な姿に涙した


今回は、かつて大規模林道の1本として計画されたが、完成に至らず終わった区間について紹介したい。
なかなか衝撃的に侘しい結末が待っているので、あまり林道には興味がないという方でも、一見の価値はあると思う。


大規模林道については、以前別のレポートでも取り上げており、その際に「大規模林道とはなにか」についてまとめているが、改めて簡単に説明すると、大規模林道とは、昭和48(1973)年に農林水産省が計画した大規模林業圏開発基本計画における幹線的な林道として、森林開発公団が、全国7つの大規模林業圏に、計32路線、総延長2000km以上を、2車線完全舗装路として整備しようとしていたものだ。

平成11(1999)年に森林開発公団が緑資源公団に改組され、事業名も大規模林道から緑資源幹線林道へ変わった。さらに平成15(2003)年10月に緑資源公団が解体され、独立行政法人緑資源機構が事業を引き継いだ。同年度末における全国の緑資源幹線林道の整備状況は、全体計画2162kmに対して完成1207kmで、依然として半分近い路線は未完成であった。この頃には毎年の事業費も減少し、計画の縮小や建設を断念する区間も出始めた。

平成19(2007)年に発覚した緑資源機構談合事件をきっかけに、同年度末に緑資源機構が解体され、緑資源幹線林道は事業主体を失う。そのため事業中だった未完成路線(約700km)については、それぞれの地元自治体と協議のうえ、継続する路線については、「山のみち交付金林道」として引き続き建設を進めることが決定している。
以上が、大規模林道→緑資源幹線林道→山のみち交付金林道の大まかな経緯である。

左図は、全国7つの大規模林業圏と、そこに配置された合計32の緑資源幹線林道の一覧表である。
今回取り上げる路線は、岩手県および青森県の一部からなる北上山地大規模林業圏に計画されていた。

右図は、北上山地大規模林業圏の拡大図(図の緑枠の範囲)で、青森県の南端部と岩手県の大部分を含む広大な圏域に、次のような3本の大規模林道(緑資源幹線林道)が計画されていた。
八戸川内線(昭和48年着手〜平成17年完成、全長約74km)、川井住田線(昭和51年着手、平成21年完成、全長約71km)、そして今回取り上げる葛巻田子線(平成3年着手、未完成、全長約71km)である。

葛巻田子線は、岩手県葛巻町の平庭高原付近で国道281号から分岐し、一戸町、二戸市(浄法寺地区)を経て、県境を越えて青森県田子町の県道田子十和田湖線へ至る路線として計画された。
林業が主要な産業である北上高地と奥羽山脈を相互に連絡し、十和田湖と三陸地方を結ぶ観光路線としても期待されていたが、路線の指定や着手が平成時代と、他の多くの路線より遅かったこともあり、平成20年3月末の緑資源機構解体時までに5割弱しか完成しなかった。

葛巻田子線は、かつて2つの事業区間に分かれていた。
葛巻浄法寺区間(平成8年着手、30.1km)と、浄法寺田子区間(平成3年着手、41.2km)である。
今回紹介するのは、浄法寺田子区間の一部だ。




左図は、葛巻田子線の北半分を構成する、浄法寺田子区間の全体図である。

この区間は、岩手県二戸市浄法寺町の田子沢地区を起点に、県境を越えて青森県田子町山口で国道104号と交差し、同町北部の小森牧場付近で県道田子十和田湖線に至る全長41.2kmの2車線舗装道路として計画されていたが、緑資源機構解体時点で国道104号以北の14.1kmが未完成に終わった。
ここは葛巻田子線としての北端で、その終点となるべき区間でもあったが…。

今回紹介するのは、田子町山口付近に存在する、この大規模林道の忘れ形見とでも言うべき道路である。
なかなか衝撃的な姿を見せてくれた。
次の図は、今回の舞台である左図の桃枠の範囲を描いた最新の地理院地図だ。




奥羽山脈を横断して秋田県鹿角市方面と青森県八戸方面を結ぶ国道104号が、にんにくの里として著名な青森県最南端の町、田子町の熊原川沿いを走っている。
大規模林道・緑資源幹線林道葛巻田子線は、同町山口のこの図の「交差点」の位置で、国道104号と十字路で交差する計画だったが、最新の地理院地図に描かれているのは、完成した国道以南の区間だけである。
だが、実際に現地へ行ってみると、ここから北側にも地図にない道が存在していたのである。

それは、一見して大規模林道の未成道と思われたのだが、その正体とは――。

それでは、現地へGOだ!





2022/5/4 4:34 《現在地》

5月の私の朝は早い。
日が昇ると、未知の道路を前にした私は、もう寝ていられなくなるからだ。
私が住んでいる秋田県から奥羽山脈を越えたところにある田子町の関という集落で目覚めた私は、いまから数分前に、朝焼けに輝く東を目指して自転車を漕ぎ出した。
そして関の隣の山口という集落を外れたところに、ご覧の警戒標識が待ち受けていた。

(チェンジ後の画像)
「+形道路交差点あり」の左へ行く道を、テープで雑に隠した形跡がある……。
道路標識にこういう場当たり的な手が加えられているときは、だいたい、アレだ…。
廃道か、未成道だよな……。

補助標識によれば、「この先100m」の位置に、この“左へ行く道を消された交差点”があるらしい。



その交差点こそ、未成となった大規模林道の区間の入口であった。
この写真の交差点がそれで、国道104号を八戸方向へ進行しながら撮影しているが、向かって右に道が分かれている。
行き先表示の青看などはないが、こちらはどうにかこうにか開通まで漕ぎ着けた区間である。
しかし、左へ行く道は、開通することが出来なかった。

直前の“左を消された標識”によって、そこに道が作られようとしていたことが暗示されているが、実際の交差点に進むと、左へ行くことは想定されてない。
道路標示の矢印に左折がないのである。




これが、平成3年から平成20年頃までかかって何とか開通に漕ぎ着けた側の入口である。
センターラインが消えてしまっているのが残念だが、造りとしては歩道のない2車線道路である。まさに大規模林道が当初想定していた道路構造であり、この道は背後に見えている山を越えて越えて約27kmも走って、八戸自動車道が通る旧浄法寺町へ通じている。私は通ったことはないが、ネット上にあるレポートを見る限り、概ね2車線快走路として整備が完成しているようだ。

元大規模林道、元緑資源幹線林道の出入口にしばしば設置されている青色の林道標識は、ここには見当らなかった。
したがって、この道が元大規模林道、元緑資源幹線林道であることが分かるものは、ここにはない。
これらの道は完成供用と同時に事業主体の管理を離れて地元市町村に委譲され、林道や市町村道となるルールだったが、現在はどういう路線名になっているかは、少し調べても分からなかった。いずれ現在では田子町や二戸市が管理しているのは間違いないはずだ。



問題は向こうの道だ。

先ほど見てもらったように、地理院地図には全く道があるようには書かれていなかったが、

実際にはそちら側にも道が延びている。



きっと分かる人には分かる、

微妙にちぐはぐな造りをした道が、延びている。

しかも、なんら通行を規制するような表示はない。

当然、突入するよね!



4:38 《現在地》

本来なら2車線舗装路が作られるはずだった位置に存在する、最新の地図にも描かれていない道。
林道の入口によくある「林道標識」と呼ばれる林道名の書かれた標柱や標識も存在しない。
その構造は、林道としてならどこにでもありそうな1車線、幅4m程度の砂利道だった。

だが、最初に待ち受けていたこの掘割りからして、なんとなく違和感があると思った。
まだその違和感は、言葉としてまとめられるほど確たるものではないが……、進んでいけばはっきりするかも知れない。




違和感と言えば、まずこの振り返って見た風景の違和感が強烈だ。

国道を挟んで向こう側にある2車線の既成区間と、こちら側の未成区間の対比。
かつて大規模林道の道路的水準を分かり易く表現した言葉に「国道級の林道」という表現があったが、向こう側は実際にそのような道になっている。
だが、こちら側は……「林道級の林道」でしかなさそうだ。


最初の掘割りを抜けると道は右にカーブし、しばしの間、国道を樹間に見下ろしながらトラバース気味に登っていく。
幅4mの路肩にガードレールが設置されており、山側の土の法面は緑化こそされているが、かなり高く切り立っていた。

一見して、土工量の多さを感じる造りである。
林道と言ってもその規格はピンキリで、同じ1車線の道幅でも、いわゆる造林用作業路に近いような低規格の林道もあるが、この道はもっと高規格な感じを受ける。
これは林道好きの人にだけ通じる表現かと思うが、全国各地にある広域基幹林道(現在は森林基幹道と呼ばれている)くらいの規格というか。



4:43 (突入から5分後)

緩やかに登りながら左へカーブし、いよいよ国道から離れていく。
その直後、この写真の強烈な深さを持った切り通しが現われた。
深さ20mはあろうかというV字の切り通しであった。

チェンジ後の画像は当日のGPSの軌跡である。
ここに描かれている赤線が、もともとの地図には描かれていないこの道路を辿った軌跡なのだが、「現在地」で等高線を豪快に貫通していることが分かる。
またこの少し先にも同じような深い切り通しがあったことが、この軌跡データから分かるかと思う。




そして、このような深い切り通しと対のようにしてしばしば現われたのが、この写真のような高い築堤だった。ここは前出の切り通しと、その次の切り通しの間で小さな谷を横断する位置で、やはり大規模な土工を用いて等高線をショートカットする道を通じていた。

深い切り通しと、高い築堤、これらを連ねながら山奥へと延びていく、“謎の道”。
1車線しかない道幅や、未舗装であるという点ではただの林道のようであるが、大規模な土工によってダイナミックに山を切り開き、あまり迂回せず目的地へ向かおうとする線形は、まるで大規模林道のようで……。



4:49 《現在地》

答えを知らない振りをして、自分を道路の名探偵のように振る舞うのは止めておこう。
私がこんな朝っぱらから突然狙い澄ましたように田子町に現われ、逡巡することなく行き先不明の道路に突入しているのは、この道の素性をあらかじめ“資料”によって知っていたからに他ならない。
詳しい話は探索後にするが、この道の正体は、“山のみち交付金林道”である。

平成19年度末に事業主体を失った緑資源幹線林道の残区間について、地元が整備を希望する場合に限り、従前の条件と近い国庫補助事業として国が整備を継続したのが“山のみち交付金林道”である。
ただ、その続行には大まかにいうと次のような条件があった。
未完成区間については道路規格の見直しを行い、原則的に幅員5mの1車線で施工することと、場合によっては区間自体の削減を受諾すること。

本来なら幅7mの2車線完全舗装路を整備するはずだったが、“山のみち”ではこうした林道にそぐわない高規格整備を原則中止したのである。
そしてこのことこそが、この道から感じる違和感の正体に他ならなかった。

違和感は、2車線道路として計画されていた線形で、1車線の道路を建設したことが原因だった。
異様に深い掘割りも、高い築堤も、そこに原因があったのだ。
ある程度の高速で自動車が行き交うための線形で1車線道路を作ったら、そりゃ違和感があるよなという話。
この写真の場面なんかも、もの凄くそんな感じがすると思う。線形優秀!!



この道は、かつての大規模林道の予定線に沿って整備されている。
実際に本格的な建設が始まったのは“山のみち交付金林道”となってから、つまり平成20年代なのだが、設計や用地の確保を一から行う事は避け、従前の計画をだいぶ流用したようである。

この写真の場所なんかも、流用の匂いが醸されている。
異様に高い法面と、その割に幅が狭い道路。しかもその谷側には、路面にはなれなかった微妙な空き地の列が…。
ある意味、将来的に本来の道路規格で再整備できる余地を残しているようにも見えるが、こういう微妙に中途半端な高規格さが随所に見られた。

ちなみに、ここまでで約900m進んで来たが、1台の車も見ていない。
まあ、いくら山村の朝が早いと言っても、まだ朝4時台の林道だからね(笑)。
見ての通り路面の轍は結構濃いので、ちゃんと林道として使われていることが分かる。




沿道は基本的にスギの造林地で、しかも生育している。
伐採適期に入っているのか伐採直後の裸山も周囲に点在しており、いわゆる林道土場として使われる広い空き地も各所に整備されていた。

大規模林道としての夢破れ、代わりに作られた道も、中途半端で誰も使っていなかった……。
そんなストーリーなら悲劇しかなかったが、今日の状況を見る限り、本来の林道としては活躍できているようなので、少し安心する。
「こういうのでいいんだよ。こういうので」って、地元の林業家は言っていくれているのだろうか。あるいは、いまも十和田湖へ通じる壮大な観光林道の夢を見ている人もいるだろうか。




用地が余ったからなのか知らないが、こういうよく分からない分岐(広い道幅の一部をさらに盛り土にして道路化、低い部分は謎の路面に)があったりしつつも、全体的には順調に高度を上げつつ、道は山奥へ延びていく。


5:03 《現在地》

突入から25分が経過した時点で、地図に無い道を1.5km前進し、現在地は、入口の交差点と赤平という標高606mの三角点がある山頂を結んだ直線の中間付近になった。
標高も入口の200mから100mほど上がって300mとなり、林道としての着実な前進を感じる。
もともと計画されていた大規模林道は、国道から終点まで約14kmもあったので、まだ10分の1強しか進んでいないが…。




さらに進むと、道としての造りに少し荒削りな感じを受けるようになった。
小刻みなカーブが増えたのと、法面の緑化が行われず、赤土の切り取りがそのまま露出するようになったのだ。
工事を奥地化させていくにつれて、ますます予算がキツくなり、完成を優先するために規格を妥協せざるを得なくなったのか…。

そんなことも考えたが、たぶん原因は別だと思う。
これについては、最後の机上調査で述べる。




つい先日まで削っていたんじゃないかと思うような粗々の切り通しや、これまではなかった急坂の連続。
気づけば側溝も省略されている。
路面の砂利も転圧はされているが、轍があまり刻まれていない。
この辺りは、入口の辺りと比べて、遙かに最近の開通と思える風景だった。

写真の切り通しを越えるとまもなく、景色が開けた。




5:15 《現在地》

入口から約2kmの地点で、広い尾根を回り込む場面があった。
ここで進行方向にはいままで見えなかった長い稜線が現われ、ここから先の道が、谷沿いから峰沿いに変わったこと。以後は峠の終点まで、延々と山腹のトラバース的登高になるだろうことを、永年の山岳道路経験から自然と察するような景色の大変化であった。

(チェンジ後の画像)
事実、かつて計画されていた大規模林道の予定線に照らすと、計画ルートは現在地付近から奥羽山脈の支脈である稜線をトラバースしながら終点へ延びることになっていた。
ここから峠を目指して登っていく! そんな決意が道から聞こえてくるような、偉大なる先計画の残照を感じる風景であった。



だが、実際にここにある道は、やはり別物であるらしい。

一瞬、壮大なトラバース的進路を予見させる風景を見せたが、実際の道はここから上ってはいかず、本当の水平トラバースで現状維持の足踏みをした。
まるでそれは、驀進していくための燃料が枯渇したロケットが見せる、最後の惰性飛行のようだった……。
道自体は真新しく、走行になんら問題を感じるものではなかったのだが、意気消沈の空気感があった。

そして迎えた、入口から約2.4kmの地点で――



5:20 《現在地》

意味深すぎる分岐が…!

残っている轍は全て、左側の下りていく道に追従している。

だが、大規模林道の幻が、轍を持たない右の道に見える!


“国道級林道”の末裔“山のみち”の哀れな現実が、この分岐より始まっていた。




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