道路レポート 多々石林道 机上調査編「謎の舗装路について」

公開日 2015.9.04
探索日 2015.6.02
所在地 福島県南会津町

「謎の舗装路」の正体は、林道界の元王者?!


今回はレポートの本編を一回お休みして、多々石林道探索の最中に出会った、「地図に無い謎の舗装路」の正体についての机上調査をテーマとする。

まずは復習として、「謎の舗装路」の全体像は左図の通りである。
入谷開墾地跡の「林道田島・舘岩I線」と書かれた標柱が立っている地点から、戸板峠直下の行き止まりまで続いており、途中に唐突過ぎる行き止まりで私を驚かせた分岐がある。
なお、この分岐路も含めた一連の道の全長は2kmほどだった。

前回見たとおり、この途中には色々と“妥協”の痕跡があり、本来は全体を2車線で整備したかったというのが伝わってくるのであるが、実際に2車線で整備された部分は600mくらいしか無い。
また、途中どこにも通行止めなどの封鎖はなく、行き止まりながら全線がちゃんと解放されているという珍しい道である。



右図は、多々石林道に対する「謎の舗装路」の位置を示したものである。
人里から離れた山奥に、地図に全く描かれていない立派な道があるというのが、私にとっての興味のキモとなった部分だった。
皆さまにもそれを感じて戴きたい。

また、この探索の本来のターゲットであった多々石林道は、古町から針生に通じる全長約17kmの林道で、「謎の舗装路」は、その中間付近に“掛かって”いる。
両者は部分的に重なり合っているのだが、単にこれを多々石林道の部分的改良と考えるには2車線というのが過剰で、違和感がある。
おそらく、別の道が多々石林道に重なったのだろうと考えた。


現地で感じた事は他にもあるが、前置きはこのくらいにして、ここからは帰宅後の机上調査で明らかになったことを明かしていこう。

実は私、この「謎の舗装路」の続きといえる道を、だいぶ以前に「山行が」で少しだけ紹介していたのである。
それは、道路レポート「福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区 前編」だ。
このレポの中ほどに少しだけ登場している「道」と、今回の「謎の舗装路」は、実は同じ道(路線)であった。

「県道53号」の舞台は、福島県柳津町である。
この柳津町と今回の「謎の舗装路」の所在地である福島県南会津町とは、同じ会津地方というくくりには属するものの、直線距離で40kmほど離れていて、しかも地形は山岳ばかりなので、普通の道で行き来するには60kmくらい走らなければならない。

だが、この両地点にあるのは、同じ路線であった。
同じ路線の……未成道であった。

「であった」と、過去形で表現したのはもちろん意味がある。
現在においては、この両方の道は、一連の道として整備されているわけではないからだ。
だが、過去には同じ道であった。

この道のかつての名を、大規模林道 飯豊檜枝岐線という。


飯豊檜枝岐線」という名前だったくらいだから、その起点は飯豊(いいで)、終点は檜枝岐(ひのえまた)である。

皆さまには、この二つの地名を右の地図から見つけ出してもらいたい。
どっちも自治体の名前であるから地図に目を凝らせば見つけられる。

…が、見つける前に反射的に画像にカーソルを合わせてしまった方も多いと思うので、茶番はこのくらいにしよう。
ずばり、飯豊檜枝岐線の起点は山形県飯豊町、終点は福島県檜枝岐村である。余裕で県を跨いでいる。

これら起点と終点を含めた地図上の4地点を直線で結ぶと、その単純に求められる全長は約130kmである。
これだけでも、国道に匹敵するほどの長大さを持った林道ということが分かるであろう。
大規模林道という名前は、決して大袈裟なものではなかった。

そしてこの飯豊檜枝岐線のような大規模林道は、かつて、日本中に合計29路線、総延長2182kmが計画されていた。



以下、個人的趣味性に拠った机上調査の長文解説が始まるので、どうぞお暇な時にお読みください。
また、大規模林道の制度云々には興味がなく、手っ取り早く飯豊檜枝岐線の歴史を知りたい場合は、【第2章】へお進みください。





第1章.大規模林道の歴史



「森林開発公団三十年史」より転載。

林道と言えば1車線で、多くは砂利道で、長さも数キロから長くても30kmくらいまでの山道というのが一般的な認識であろうと思う。
だが、大規模林道はそのような一般認識の外に置かれた、まさに“規格外”の存在であった。

右図は昭和61(1986)年当時の大規模林道の計画路線網である。
ここに掲載されている29の路線が大規模林道の全てであり、飯豊・檜枝岐線の名前もこの中に見える。
すなわち、山形県の北端辺りから福島県の南端あたりまで引かれた1本のラインがあるが、このうち南側半分が飯豊檜枝岐線である(北側は別路線の真室川小国線)。
当時の資料には、計画延長150.8kmとも記録されている。

そもそも大規模林道とはなんなのか。
その説明を簡潔にすることは中々に難しい。
「国道とは何か」という問いよりも、おそらく遙かにややこしい。
理由は、林道というのは林業を如何にしてやるかという方法の一部であるからに、林業を語らずに大規模林道だけを説明することが難しいのである。
だから、正確な事を知りたいという方は図書館にいって「森林開発公団三十年史」をご覧頂くことをオススメしたいのだが、それでは解説としてあんまりだと思うので、出来るだけ簡単な説明を試みてみよう。

大規模林道とは、昭和48年度からスタートした国の大規模林業圏開発基本計画の一環として、農林水産省が主導して整備を進めていた林道である。
昭和40年代初頭の我が国では、高度経済成長による国民生活の向上を背景に、山林を従来の木材生産の場としてだけではなく、レクリエーションの場としても活用したいという要望が高まっていた。
また、都市への人口集中に伴う地方の過疎化や、輸入木材の増加および燃料革命による国内林業の衰退から、林業従事者の減少が進み、山林の放置が問題化しつつあった。
こうした諸問題を解決するために、まとまった面積のある広葉樹林地域(もともと薪炭林生産を中心に行っていた低位利用の森林)を商品価値の高い針葉樹林へと大規模に転換し、木材生産を効率化するとともに、レクリエーションを含めた長期的かつ総合的な利用を行うべく、全国にこの目的に適した大規模林業圏を設け、それぞれの林業圏が一体的に機能できるよう幹線となる林道を整備することにしたのである。
(こうして全国に七つの大規模林業圏が設定されたが、その総面積は約750万haで、我が国の山林総面積の3割にも及んでいる。なお、山林の所有者(国有林や民有林)を問わずに圏域は設定された)

ここで先ほど掲載した全国の大規模林道の地図をもう一度見て頂きたいが、描かれた全ての路線の周囲に網掛けで示された区域がある。
これこそが大規模林業圏を表している。
飯豊檜枝岐線、真室川小国線、米沢下郷線という3本の大規模林道は、最上・会津山地という大規模林業圏の幹線道路として整備される計画であった。


旧・大規模林道真室川小国線にある小枕山トンネルの銘板。
事業者である「森林開発公団」の名前がある。

そしてこの大規模林道の整備を進める事業主体には、国の特殊法人である森林開発公団があたることとされた。
同公団は昭和31(1956)年に設立され、公団事業として主に僻地での林道整備を行っていたが、昭和40年度からは国の特定森林地域開発林道事業の事業主体となり、全国に計23路線、約1200kmの特定森林地域開発林道を整備していた。一般には「スーパー林道」と呼ばれているものがこれである。
こうした実績から、スーパー林道を越える規模を持った大規模林道の整備も、森林開発公団の事業とされたのであった。

大規模林道については、当時の国会の答弁に、しばしば「国道級の林道」という表現が見られた。
各路線の長さが従来の林道とは比べものにならないほど長いだけでなく、原則として全線を2車線の完全舗装路として整備することになっていた。(大規模林道の道路規格は、昭和48(1973)年12月発令の「農林省告示第2329号」により、車線数2、車線幅員2.75m、路肩幅員0.75m、鋪装はセメントコンクリートもしくはアスファルトコンクリートと定められた。)
このことは、大規模林道は従来のような林業の専用道路ではなく、レクリエーションや日常利用までを含めた、一般の交通に適した道であるべきだという考えに基づいていた。
また、これも従来の林道には見られなかった特徴なのだが、大規模林道は既にある一般道(国道や都道府県道など)を活用し、それらの不足を補う形で整備を行うことで、山村の生活路線となる交通網を拡充し、また災害時などの迂回路として整備するという目的もあった。

ここまで読んで頂ければもうお分かりだと思うが、大規模林道は国の事業にありがちな、総花的で、これさえあれば何とかなりそうだと思わせる盛大な計画であった。
だが、現実として起こったことは、整備に必要な莫大な予算の不足や、自然環境運動との対立などの諸問題であった。
計画された29の路線は昭和48年から58年にかけて順次着工がなされ、各路線とも概ね10年程度で完成させる計画になっていたが、結局1路線も完成することのないまま、大規模林道という名は消える事になる。

記録がある昭和61(1986)年3月末時点における29路線の進捗状況は、29路線全てが事業中で、完成済みが312kmとある。全体計画は2182kmであったから、概ね14%に過ぎなかった。





緑資源幹線林道高山大山線(富山県)に立つ標識。
「緑資源幹線林道」と「緑資源公団」の部分に書き換えられた形跡がある。
もともとは「大規模林道」と「森林開発公団」と書かれていた名残である。

昭和48年度にスタートした大規模林道事業は、平成に入ってからも遅速ながら進められていた。
大きな転機が訪れたのは平成11(1999)年10月で、事業主体の森林開発公団が、農用地整備公団と統合し、緑資源公団へ改組された。
そしてこのとき大規模林道の名称は、一斉に緑資源幹線林道へ変更され、大規模林業圏も林業圏域へと名を変えた。
山林の大規模開発をイメージさせる名称を捨て、山林を資源として活かすイメージを纏うための変更のように想像するが、命名の経緯はちょっと分からない。
もちろん、我らが大規模林道飯豊檜枝岐線も、この時に緑資源幹線林道飯豊檜枝岐線へ看板を変えている。

さらに4年後の平成15(2003)年10月には、小泉政権下の「聖域なき構造改革」における公団整理の流れの中で緑資源公団は解体され、独立行政法人緑資源機構となる。これにて約半世紀続けられた公団による林道事業は終焉を迎えたのであるが、緑資源開発幹線林道の計画自体はそのまま緑資源機構に引き継がれ、内容にほとんど手は入れられなかった。
依然として2000kmを超える原則2車線完全鋪装の林道整備計画が存続していたのである。
平成15(2003)年度末時点における緑資源幹線林道(旧大規模林道)の進捗は、全体計画2162kmに対して完成1207km、進捗率56%であった。



森林整備センター提供資料。

右図は森林整備センター(この組織については後述)に提供して頂いた、全国の緑資源幹線林道の位置図である。
さきほどの大規模林道の図と比較してもらえば、あまり変わっていないことがお分かり頂けると思う。
全く変化していないわけではなく、大規模林道は29路線2182kmの計画であったものが、緑資源幹線林道は32路線2162kmに変わったが、7つの林業圏の設定や、路線の配置は基本的に踏襲されている。

事業者が森林開発公団から緑資源公団となり、さらに独立行政法人緑資源機構へ変化した緑資源幹線林道(旧大規模林道)は、その事業規模の大きさの割に社会的な認知度は低かった。
実際に建設が行われている地域の住人や、自然保護問題の関係者・関心者、林道趣味者を除く大多数の人々にとって、山奥で密やかに整備される道を知る機会がなかったし、大きく報道されることもまず無かった。

だが、そんな安穏とした時代の終わりは唐突にやって来る。
平成19(2007)年に発覚し、関係者に多くの逮捕者や自殺者を出した、緑資源機構談合事件である。
当サイトのテーマから余りに逸脱するので詳細はリンク先をお読みいただきたいが、緑資源幹線林道整備を巡る大規模な談合の存在が広く報道されたことによって、この事業は一気に社会の注目を浴びることになる。
そしてそれはそのまま、当時の公共事業に対する逆風もあって、「緑資源幹線林道は必要なのか」という疑いの世論を生み出した。

結果、平成20(2008)年3月31日をもって緑資源機構は廃止。
その業務の一つであった緑資源幹線林道整備事業は、事業者が存在しないという異常事態を迎えることになる。


なお、平成19(2007)年末時点における進捗は、全体計画2025km(少し計画が整理されて全長が減少しているが、総路線数は変わらず32路線)に対し完成1336kmで、進捗率66%であった。事業費ベースでは延べ5900億円が投資され、進度63%とされている。
さすがにこの頃になると全線が完成する路線もちらほらと出はじめ、例えば岩手県の北上山地を南北に走る全長72kmの八戸川内線は、当初計画通り全線2車線の完全舗装路として完成した。
現在は関係市町村が管理する基幹林道八戸川内線として解放されており、私も通った事があるが、それなりに便利に活用されているようだ。

ところで、大規模林道や緑資源幹線林道というのは、あくまでも林道の事業名である。
完成後した路線は全路線が地元市町村に移管されており、多くはそのまま地元市町村が管理者になっている。
そのため、建設中を除けば大規模林道や緑資源林道という種類の道路があるわけではなく、完成後の正式な路線名は市町村道や市町村管理の林道であったりする(八戸川内線の場合は基幹林道八戸川内線が正式名称)。
だが、一般的には完成後も他と区別しやすい事業名のまま呼ばれるケースが多いようだ。本稿もそれに倣う。





山のみち交付金林道有峰線に立つ工事看板。
工事名の欄に「山のみち交付金林道有峰線」とあるが、これは
緑資源幹線林道高山大山線が富山県に移管された後の路線名である。
下の方の発注者の欄にも「富山県富山農林振興センター」と県の機関名が見える。

平成19(2007)年度末をもって事業者が消滅してしまった緑資源幹線林道であるが、未完成の約700kmの扱いについて政府内で議論がなされた。
そしてその結果、平成20年度からは、所在地の道県(北海道と各県)が整備の続行を希望する場合に限り、道県の負担分が従来程度となるように国庫補助の交付金を与えたうえで、道県の事業として整備を続行するという事が決定された。

この道県に対する交付金を「山のみち地域づくり交付金」、事業名は「山のみち地域づくり交付金事業」、整備される道を「山のみち交付金林道」という。これが緑資源幹線林道の後継である。
また、完成した路線は従来通り地元市町村に移管されるが、それまでの保全管理などを行う機関として、「国立研究開発法人森林総合研究所森林整備センター」が設立された。

こうして、とりあえず事業続行の道筋は示されたわけだが、「道県が整備を希望しなければ事業中止」となるほかに、国庫補助による事業続行には条件が付けられていた。
その条件とは、未完成区間については道路規格の見直しを行い、原則的に幅員5mの1車線で施工することと、場合によっては区間自体の削減を受諾することである。

えらく遠回りをしたが、この条件付けこそ、今回探索した「謎の舗装路」が、途中でいきなり1車線になっていた理由である。



簡単に説明をするとか言いながら、異様に長く語ってしまった。
だが、ここまでお読みいただいた皆さまは、我が国の歴史に刻まれた“林道界の王者”を知ったことになる。
過去にこの一度きりで、今後もこれを越える林道の構想が我が国に芽吹くとは思われない。

そもそも私がこんなに語ってしまったのは、昔の山行がを知っている方ならばお分かり頂けると思うが、実は私が林道マニアであるせいだ。
特に“公団林道”と称される、スーパー林道や大規模林道は大好物である。
スーパー林道には田沢スーパー林道や妙義荒船スーパー林道、上高地スーパー林道など、気合いの入った廃道が多いし(おいおい…)、大規模林道はこれまでの解説からもお分かり頂けるとおり、未成道のDIE宝庫である。(おいおいおい…)

それはともかく、今日においては大規模林道も緑資源林道も過去のものである。おわこん。
完成済みのものは、市町村が管理する一般道や林道となり、未完成のものは、県の事業として引き受けられた「山のみち交付金林道」か、引き受けられず未完成のまま市町村へ渡された一般道や林道である。
こうなると、もはや全体として追跡することは不可能であり、かつての2000kmを越えていた計画路線網の進捗率が現在どうなっているのかは分からない。
ある程度は今も整備が続けられ、または完成し、ある程度は事業中止になったと推測出来るのみである。


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第2章.旧大規模林道「飯豊檜枝岐線」の歴史と将来


「謎の舗装路」の正体は、旧大規模林道飯豊檜枝岐線である。
一部前章の内容と重なる所もあるが、ここからは飯豊檜枝岐線の歴史に焦点を当てて解説しよう。

大規模林道飯豊檜枝岐線は、昭和48(1973)年にスタートした国の大規模林道整備事業の一つとして、昭和49(1974)年に基本計画が採択された。
当時の整備の目的は次のような文章でまとめられている。少し長いが、事業の起点となる重要なものなので全文を掲載する。

・飯豊檜枝岐線の整備目的
最上・会津の森林地帯を南北に縦貫する林道の開設によって、森林資源の効率的な開発を図るとともに、木材産業の核となる会津坂下、南会津、山都、田島の各木材工業団地を結びながら、国道、県道と起終点および中間地点においてネットワークを組むことにより、市場の選択範囲が拡大され、さらに、林産物の流通を迅速かつ容易にし、地域の基幹産業たる林業の振興に資することにある。また、森林レクリエーションとして、飯豊山、帝釈山、駒ヶ岳、尾瀬沼等の一連の山岳地を結ぶことにより、この地域の均衡ある発展を期するものである。

基本計画を受けて昭和50(1975)年に決定した実施計画では、路線の全長は150.8kmとされ、総事業483億円、着手年度昭和49年、完成年度昭和63年と見込まれていた。
その後、昭和54年、56年、60年、61年と4度実施計画に変更が加わり、大規模林道飯豊檜枝岐線としての最終の実施計画は、路線全長121.6km、総事業費約388億円、事業期間は前に変わらずとなった。
この間に路線の長さが30kmほど短縮されたのは、公道を利用する区間を増やしたことなどによるものである。

なお、全長121.6kmの路線は、公道利用区間を間に挟む9の区間に分けられ、それぞれ個別に工事が進められた。


森林整備センター提供資料。

右図は、大規模林道が平成11(1999)年に緑資源幹線林道となった後の飯豊檜枝岐線の路線図である。
大規模林道時代とは微妙に路線の長さが変化しているが、基本的にほとんど違いは無いので、本図を使って説明を続ける。

図中の赤い部分が全部で9ある施工区間であり、間に挟まっている黒い部分は公道を利用する区間である。
林道の全長121kmというのは、この赤い部分の合計であるから、実際に起点から終点まで走行するとしたらその倍近く距離がある。(そもそも未完成のため通しては走行不能なのだが)

飯豊檜枝岐線の各区間の延長
区間名区間の長さ (単位:km)
大規模林道
昭和61(1986)年当時
緑資源幹線林道
平成11(1999)年当時
飯豊8.58.1
一の木6.55.7
山都17.517.4
南会津9.39.3
会津坂下・新鶴13.812.4
新鶴・柳津29.630.5
昭和7.17.1
田島・舘岩15.215.9
舘岩・檜枝岐14.114.8
(合計)121.6121.2

我らが「謎の舗装路」は、このうちの田島・舘岩区間に属しているのであるが、この区間名に見覚えはないだろうか?

そうである。
今回の探索で、2車線舗装路に先駆けて出会った林道標柱に「林道 田島・舘岩 I 線」と書かれていたのだが、これはまさに田島・舘岩線に関係する道であり、本線アクセスのために一緒に整備された支線というべきものであったわけだ。
現地で見た色々な風景が、机上調査により一つのまとまったものへと集約していくのを感じるであろう。

話を歴史に戻すが、昭和49年に基本計画が決定され、50年に実施計画が策定された大規模林道飯豊檜枝岐線の9の区間のうち、最初に着工されたのは北寄りの山都区間であった。

昭和50年6月14日に福島県山都町(現喜多方市)一の木で挙行された着工式には、地元選出の国会議員をはじめ林野庁林道課長、福島県知事、関係町村長など、多数の来賓を含む約400名が出席し、会津地方における大規模林道第一号の着工を盛大に祝したという。
現在も現地には写真のような立派な記念碑が残されている。(が、この山都工区は着工から40年を経た今日も完成しておらず、行き止まりになっている…)

その後相次いで、舘岩・檜枝岐区間(昭和52年着工)、飯豊区間(53年)、新鶴・柳津区間(55年)が着工された。
昭和61(1986)年時点で、4区間が着工済み、完成延長は約26kmであり、計画延長121kmに対して約21%の進捗状況であった。(当初は昭和63年に全通の計画だった)
また、田島・舘岩区間の工事はまだ始まっていなかった。




林野庁「平成16年度事業評価期中評価個票」より転載。

その後もゆっくりとしたペースで工事は進められ、順次着工区間は増えていったが、資料が乏しいため断片的にしか分からない。
田島・舘岩区間の正確な着工時期も分からないが、平成11(1999)年に大規模林道から緑資源幹線林道へと改称される以前に着工していたのは、ほぼ間違いないだろう。

平成16(2004)年に行われた事業評価の評価票(→)が林野庁のサイトに公開されている(PDF)が、これを見ると、この時点で田島・舘岩区間は全長14.7kmのうち45%が進捗しているとあり、距離に換算すると6.6kmほどが出来上がっていたことになる。
(全長120.1kmに対する進捗率は73%とあり、約88kmが完成)
他の区間を見ても、当時この工事は年1km未満の進捗であることが多いので、平成初年代に着工はしていたと考えられる。

なお、この事業評価を緑資源幹線林道飯豊檜枝岐線の未完成区間(山都、一ノ木、新鶴・柳津、田島・舘岩)全てがパスし、引き続き平成26(2014)年度の全線完成を目指して建設を進めることが認められていた。また上記以外の5区間は既に完成済みであった。




このような状況で迎えた平成20(2008)年3月31日の緑資源機構解体と、それに伴う緑資源幹線林道整備事業の中止により、田島・舘岩区間は、福島県による運命の裁定を受ける事となる。

第1章で述べた通り、当時未完成であった緑資源林道については、それが所在する道県の意向に従って、建設の続行如何を決定することになったのである(事業が道県に移管された)。
ここで福島県が「建設中止」を決定すれば、その時点で工事は凍結となる。

果たして福島県はどのような決断を下したか。

ここに、「平成24年度 南会津を拓く最重点要望事項(PDF)」という資料がある。
これは会津地方の団体である会津総合開発協議会南会津地方部会が国や県に対する要望事項をまとめたものであるが、この中に県に対する要望として、「山のみち地域づくり交付金事業による田島・舘岩線整備の促進について」という項目があり、近年の事情を以下のように解説してくれている。

南会津地方は、豊かな自然と広大な森林資源の宝庫であります。その中において、自然的・社会経済的条件等により生じた開発の遅れを、奥地森林地帯の道路整備により取り戻すことが課題となっておりますが、平成19年度に独立行政法人緑資源機構が解散したことから、緑資源幹線林道事業も廃止されました。
これに伴い、平成20年4月からは「山のみち地域づくり交付金事業」として県が事業を実施することになり、田島・舘岩区間においては、旧田島町から旧伊南村間までは、幅員を縮小し、現道を利用しながら整備を図り、旧伊南村から旧舘岩村間は、事業を取りやめるという、「事業変更・規模縮小」の方針が示されました。
林業を中心とした地域の振興にとっては、林道の果たす役割は大きいことから、早期の着工が望まれています。

つまりこれは…

福島県の整備方針として、旧田島町の針生から戸板峠を越えて旧伊南村の古町までは、現道を利用し、かつ幅員を当初の2車線から1車線に縮小して整備をするが、戸板峠から多々石峠を越えて旧舘岩村の森戸までの区間は、建設を中止するということである。
「謎の舗装路」が途中で2車線から1車線に変わったのは、この平成20年のXデーを挟んだ工事であったことを意味している。

↑この行き止まりの先は、もう工事を中止する。

↑でも、この行き止まりの先は、今後も工事を続ける。

それが福島県の下した決断。

ちなみに、多々石峠の未完成区間は、あと2.5kmほどである。
既に森戸側から6.3kmほど2車線の立派な道路が出来ているが、これは将来にわたって行き止まりの未成道となる。(探索済みなので、いずれ紹介するかもしれない)

そして平成27(2015)年9月現在、この県の方針に従って、戸板峠北側の針生地内で林道工事が再開されている。
その模様は、多々石林道のレポートが進めば見えてくるので、お楽しみに。
…といったところで、歴史解説は終わりである。




昭和49年の大規模林道計画の路線決定以来、世の中の様々な変化に進展を遅らせられ、脅かされ、遂に片腕をもがれ、身を痩せ細らせながら、未だに虎視眈々と戸板峠越えを狙い続ける道がここにある。
その完成の日はまだ当分先かもしれないが、いずれにせよ、我々が今の姿の多々石林道を楽しめる時間には限りがあるようだ。
道路にはそれぞれに歴史があるが、通りがかるだけでは見えないものが多い。
今回は、そんな道路の奇妙な行き止まりに心を惹かれ、調べてみたら、思いがけないほどに深い歴史を掘り起こす羽目になった。