神岡軌道 第二次探索 (土編 第4回)

公開日 2009.10.17
探索日 2009. 4.27

 収穫の終盤戦




16:11

東猪谷からカウントして8本目、この「土編」としては3本目となる「隧道」が現れた。

現在地は、だいたいこの辺り(→)。

日の長い季節とはいえ、すでに時刻は午後4時を回っており、序盤戦で手こずったのが響いている。
残りの未踏延長1100m余りの探索は、すこし急ぎ足になることを余儀なくされた。



坑口前から見下ろした国道のシェッドが、面白い形をしていた。

あそこはもう何回も潜ったことがあるが、まさか上が川?というか沢?というか、あんな風になっているのは知らなかった。

それだけのことだが、この軌道跡を歩いていると、私の大好きな“道路”の裏の顔もいろいろ見れて、得した気分になれる。
もっとも、序盤戦がそうであったように、両者が異常に接近してしまうと、探索者にとってろくな事はないのだが…。




それでは、お待ちかねの隧道へ。

外見からは貫通が判断できなかったが、入ってみれば何のことはない、50m足らずの直線隧道であった。
多少漏水がある他は内壁の目に見える傷みもほとんど無く、現役といわれても違和感は無い。

ただ、出口の光が目立たなかったのには、訳があった。
この写真(←)では、白飛びしていて全然分からないのだが…。




出口はこうなっていたのだ。


隧道が窮屈そうで可愛そうだ。

まあ、崩れて埋まってしまった隧道から較べれば、よほど幸せだろうが。
(この位置にある限り、崩れて埋まってしまう心配も無さそうだし。)

隙間から出る。




爽やかな、崖の縁を歩いてみる。

下からこんな場所ばかりたまに見つけては、「うん。何も無さそうだね。」と二人で慰め合っていたのが、前回の探索だったかも知れない。
でも、本音を言えばここにもnagajisさんにいて貰いたかったかも。
召還したかった。
前回も、この神岡軌道へ誘ったのは私だったけれど、それでも今回一人なのは、ちょっと申し訳ない気がした。

それにしても、向かいの山が絶望的に薄暗い。




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もう、驚きません!

ただ、嬉しいだけですわ。

はい!

…というわけで、100mも行かぬうちに次なる隧道が見えてきた。
真面目に隧道祭りやった方が良いかもしれん。
こんなに“遺構出て来放題”になっているのに、私の他に誰が来た痕跡もないのが素敵だ。
実際には来ていても良いんだ。
痕跡が無ければ、それで良いんだよね。 幸せだ〜。



坑口前にたすき掛けに倒れた木製電柱が妙に目立つ9本目の隧道。
洞門(シェッド)も合わせれば、これが13本目の坑口である。

妙に背が低く見えるのは、下半分が落ち葉に埋もれてしまっているからだ。

なお、前の隧道もこの隧道も、平行する旧線跡のようなものは見あたらない。
したがって、大正時代からこの隧道はあったと思われる。
もちろん、コンクリートで巻き立てられたのは、ずっと後からだろうが。





密かに気に入ったのが、この坑門脇の小さな擁壁だ。

今だったら、周りの岩場を全部切り取って人工の壁に置き換えてしまいそうなところだが、この“弁えぶり”が微笑ましい。
あくまでも人工物は自然物の不足を補うように使おうと、そういうのである。




ふたたび、闇の中へ。

今度の隧道はカーブしているらしく、本当に出口が見えない。
ただ、風が抜けていることと、遠くの壁に微かな青い反射を見たことで、貫通自体は疑わなかった。


問題は…

またしても人の高さに現れた、2本の電信線である…。




洞内の電線はちゃんと絶縁されていたので、仮に通電しているにしても、さしあたっての危険は無さそうだった。
戯れているうちに、洞奥のカーブ頂点へ辿り着いていた。
洞床は、砕石のバラストが敷かれたままだ。

両方の掌を同時に壁に触れることが出来るほどに狭い、林鉄用よりももっと小さい隧道は、どれをとっても意外なほど頑丈に作られているようだった。
この”小ささ”が物理的な強度に繋がっている部分は大いにあろうが、やはりは鉱石だけでなく「人」をも運んだ旅客鉄道線ならではの、小さくとも侮りがたい“本格ぶり”と評価したい。
そしてこの小ささゆえ、廃止後はほとんど道路に転用することも出来ず、電信線を通すくらいが関の山であったとも思われる。




そのまま終わりかと思いきや、一箇所だけ横穴が明いていた。

いままで出口だと思っていた明かりは、すべてこの穴だったらしい。
本当の出口は少しだけ遠くに、控えめな光を射し込んでいた。

この横穴からの景色については、なぜか動画しか撮影していなかったので、それをご覧いただこう。
これを見ていただくと、隧道のある地形がよく分かると思う。

 【横穴の動画】




動画を見てくれた方はお分かりの通り、もしかしたら今の隧道は、かつて2本であったかも知れない。
コンクリートで巻き立てられたときに、近接する隧道が1本にまとめられた可能性は高いと思う。

ともかく、現状では1本の隧道なので、そのようにカウントするが。








お!

  …どろいてなんて、
    やらないんだからね…。


隧道を出るとすぐに橋があった。


それは、ちょっと変わった、橋だった。





16:20 【現在地】

赤沢の小ガーダーを渡ってからちょうど30分、遙かに大きなガーダーが現れた。

しかし、ガーダーがこんな風に架かっているのを、初めて見る。

なんだか地形に寄りかかるって言うか…、妙にしゃんとしていない。
それが、質実剛健なガーターのイメージに似合わない。
こう言う桟橋は、ガーダーの“在処”じゃない気がする。




左右どちらの桁を歩くも自由である。

或いは、橋に頼らなくても先へは行けるかも知れない。

でも、こんな立派なガーダーが、こんなところで消費されているのがなぜか悔しくて、あえてリスキーな方の梁を行く。

あなたなら、どうしたい?




この橋は中ほどで微妙に進行方向が変わっているのだが、そこでガーダーの規格もチェンジする。
はじめに渡りはじめたのが細く背の低い桁、残りの3分の2が頑丈そうな桁だ。

この2つの桁はただの大小ではなくて、鋳造された時期が違うような気が…何となくする。

見える範囲には「製造プレート」のような物がない(これは他のガーダー橋もそうだったが)し、やや特殊な軌間(610mm)に対応するガーダーといえば多くはないはずで、他の路線からの転用ではないと思うが、それでも最初からこの場所にこんな歪な橋を架けるために建造されたとは、どうも思えない。

特に大きな方の桁は、橋として架かってさえいない感じだ。
もちろん、構造的にはそうでないのだろうとは思うが、外見的は単に斜面に置かれているに過ぎない。



とにかく、変な橋だった。


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 ラス・ワン!


橋を過ぎ、再び辺りは平穏を取り戻した。

しかし、高い法面にはボンレスハムよろしく鋼鉄の格子があてがわれ、常に崖下の存在を想起させた。
夕方のはじまりのひととき、交通量が減っているみたいだ。
国道の音が、しばし消えた。

度重なる野外活動の記憶から、夕暮れの雰囲気だけはどうしても好きになれない。
寂しくて堪らなくなる。

あと、残りはいかほどだろう。
言うほど疲れちゃいないが、そろそろ、終わりを見たい。






…プッ。





なんやこれ(笑)。

やっぱりこんなところは、ローカルだというか、田舎臭いと思う。

こんなテキトーな修繕、ありかよ…。
廃止後に作られたのではないことは、コンクリートの風合いもそうだが、こうして岩が落ちないようにつっかえ棒をする必然の有無から行っても、明らかだ。





大きな木と、謎のネットが行く手を阻んだ。

面白いのがこの木の生えている場所で、ここは完全に路盤の中央である。
廃止から40年余りを経たるといえ、ここまで巨木が育つはずはない。

すなわち、この木は生きたまま“流れて”根づいたということになる。


それとも、木自身が歩いたとか?





リュックの大きさと較べて欲しい。

言っておくが、私のリュックはオシャレなディパックのように小さくはないぞ。
これでも35リットル…、

いや、使い古しで生地が伸びまくった結果として、40リットル以上を収納する“巨漢”だ。



そして、このネット。

何のための物かは不明だが、軌道のやや上の岸壁に始まり、国道の上まで延々と続いていた。

シカ避けにしては局地的すぎるから、これも落石や雪崩に対する備えなのだろうか。

どうでもいいが、これを越えるのが意外に難儀だった。
ネットは固定されていないのでよじ登りようがないし、かといって飛び越えられるような高さではない。
無理に絡みついて乗り越えたが、最後は向こうへ転げ落ち、太ももを石に打って痛かった。




平凡な風景。

こんなところを、約3分何事もなく歩いた。

この神岡軌道では、3分間も発見が無いというのは、意外といっていい事だ。

マジで、そのくらいの頻度でイベントが起きている。
かつて私が熱中した「天外魔境2」というPCエンジンのゲームソフト(RPG)は、1時間に1回は大きなイベントが、10〜20分に一回は小さなイベントが起きるから飽きないと声高に宣伝していたが、神岡軌道はそれ以上に飽きない。




で、3分経ったところで現れたのが、この景色。


雪崩を伏してかわす、“雌伏タイプ”(勝手に命名)のスノーシェッドだ。
前に一度見た奴と同型である。

ここで注目したいのは、手前にある電柱で、新しそうな金属製になっている。
本当にこれは新しそうだ。

もしかして、実はまだ通電していたのか?




ああ…。

高原川対岸の山壁に日が落ちて久しく、シェッドの中には一足早く夜が来ていた。

もう不気味になっている。

少し前には季節による印象の違いを痛感したが、今度は時間によるそれに歩速を早めることとなった。




ひとつの坑口の、オモテとウラ。

これもまた、ひとつでありながら決して同じ顔を持ち得ない物のひとつかもしれない。




短いシェッドを抜けると、またも軌道敷きは落石防護柵の天下となる。
4枚前の写真と区別が付かないかも知れないが、よく見ると今度は壁に「手摺り」がある。

これはいいバリアフリーだが、この手摺りの意味が分からない。
初めて見る光景だ。

いったい、何に使うのか?
しかも、ここの斜面はそんなに険しいわけでもないので、手摺りに安全帯を括りつけて歩く必要性は感じない。

…たぶん、“それ”用なんだろうけど…。




しかも、手摺りがあっても良いかもと思えるような急峻な場面になると、それは忽然と姿を消した(笑)。

それはともかく、久々に国道が近い。
この近さは、前回nagajisさんと上り下りした「土」のそれを、十二分に思い出させるものだ。
それでもうすぐゴールだということが分かった。




16:41

東茂住はずれのグラウンドを出発してからちょうど2時間。
途中2箇所の短い既知区間を挟みつつも、約3kmの廃線踏破であった(うち、2km以上は今回初めて歩いた)。

こうして、さも“終わった”ように書いているのは、ここが私にとって見覚えのある場所だったからだ。
この見晴らしの良い桑畑のような広場は、思い出の場所のひとつである。
nagajisさんが、愛用のナタを無くしたと慌てふためいた場所だ。

nagajisさん。

仇は… とったぞ…。 スティフナー…。




行く手に広がるのは、跡津川合流地点の小盆地。
盆地といっても、平坦なところはあまりない。
「土」の集落は、山と川ばかりの盆地の縁に小さくまとまっている。
しかもそれはここから見えず、現在の国道は通りもしない、左の奥まったところにある。
軌道はそこへ行き、駅も設けていた貢献者だった。

神岡軌道と国道と、あとはあんまりにも地味でここまで話題にも上がらなかった「神岡鉄道」(廃線)とが従う高原川の河谷は、この先で45度屈折して南西へ進む。
遠くに見えるのはその先の道で、まだ日を浴びているのが羨ましく見える。
私の軌道探索も、日のある限りは続けるつもりだ。

え? 黄色い丸は何かって?

そこを思いっきり拡大すると、私が2時間と少し前に置き去った愛車が見えると言うだけのこと。
国道端であんまり目立つと盗まれるかと思って、隠しました(笑)。




(←)
最強アイテム「ナガジスのダガー」がかつて発見された、旧発電水路のサージタンク裏斜面。

この階段との交わりで軌道探索を一旦打ち切り(この先しばしは既知区間だ)、“ヨッシー”チャリを回収するため国道へ降りた。(→)

16:45 【現在地】

これで、一段落。