【このレポ】を覚えている読者さんがどれだけいらっしゃるだろうか。
平成14年に探索して翌年に公開したレポは、今では「山行が」内で古参に属するものであるが、実はまだ完結していなかった。
今回は、探索から5年ぶりの完結を試みる。
なぜかって?
それは、ここに未公開の隧道があるからだ。
秋田県内の全ての廃隧道をネット上に(ORJ含む)公開しようという密かな野望を持っている私にとって、これは外せないレポである。
写真を見て思い出しながら書いてみたい。

まずは、路線のおさらいをしたい。
というのも、5年前には情報不足から私の推論によって書いた部分が多かった歴史背景については、今回大幅に修正しなければならない。
幸い人との出会いの中で、私はこの数年でかなり詳細な情報を手にすることが出来た。
たとえば、前回までのタイトルである「向生保内支線」というのは、すっかり忘れて欲しい。
あれは支線などではなく、れっきとした本線だったのである。
秋田営林局生保内営林署が管轄した2級森林鉄道である「生保内(おぼない)林用軌道」(以下「本線」とする)は、一級河川玉川が奥羽山脈と田沢湖外輪山との間隙を流れる峡谷に沿って敷かれていた。
現在も、「神の岩橋」から「神代貯水池」までの軌道跡は、仙北市の管理する「抱返渓谷遊歩道」として一般に開放されており、その景観はよく知られている。(探索済みだが未レポート)
本線の開設は古く、大正初期にまで遡る。
生保内営林署は、大正元年から同11年にかけて「広久内(ひろくない)貯木場」より「霜台」までの「生保内林道」を開設し、この一部に762mm軌間の6kg軌条を敷いて人力を動力としてのトロッコ輸送を開始した。
次いで大正14年に国鉄生保内線「神代駅前」に「神代貯木場」を設置すると、同15年に玉川を渡る当時日本最長の鉄道用吊り橋である「神の岩橋」(現存)を完成させ、神代貯木場〜神の岩橋分岐点間(3380m)を開設して生保内林道に編入。ここにも軌条を敷設した。
昭和9年現在で、生保内林道(全長17663m)中の16334mに6kg軌条が敷かれており、年間1万石内外の天然ヒバ材を輸送。このころが本線の最盛期であった。
その後は事業規模の縮小とともに軌道の撤去が進み、昭和20年には軌条敷設延長3378mと記録されている。

昭和26年、ダム建設のため堀内沢〜霜台間(6211m)を廃止 …と、手元の資料にはあるが、これには疑問がある。
というのも、ここで言うダムとは「夏瀬ダム」の事だと思われるが、夏瀬ダムは神代ダムとともに昭和15年に完成しているのだ。
しかし、この時に軌道の水没廃止が行われず、同26年に初めて水没による廃止が記録されているのである。
おそらくダムの改築などが行われ、貯水位がかなり上がったのだろう(現状の夏瀬ダムの堤高は40mあるが、当初はもっと低かったのではないか)
この点に些か疑問はあるものの、この昭和26年に軌道が再び延ばされることになる。
廃止区間の代替として同年中に堀内沢〜辺名垂(へなたれ)沢間(2994m)の林道が開設され、ここに軌条が敷設されたのである(本レポで紹介)。
同時期には堂田〜辺名垂沢間の自動車道(向生保内林道)も開設されており、生保内方面へのアクセスも復活した。
また、前後して出口地区と夏瀬貯水池を結ぶ自動車道も改良され、これが神代方面へのアクセスを担ったのだろう。
昭和20年代終盤においての軌道残存区間は、最後に敷設された堀内沢〜辺名垂沢間とその周辺だけであったようだ。
昭和30年には最後まで残っていた軌道も撤去され、生保内林用軌道の歴史に終止符が打たれた。
約半世紀の運行は、最後まで人力によってのみ支えられていたという。
そして、同37年に旧軌道敷きが田沢湖町と角館町(いずれも現:仙北市)に貸与され、その一部(神代〜神の岩橋〜神代貯水池〜堀内沢)が軌道施設を活かした遊歩道となって現在に至る。

上記歴史を踏まえたうえで、今回紹介するのは次の2点である。
1.
水没旧線内にある未到隧道捜索
古い地図には、水没旧線内に3本の隧道が描かれている。
このうち、上流側から探索によって2本までを確認したが、その先で軌道敷きが水没してしまい、3本目には到達することが出来なかった。
駄目元でこの隧道に、下流側から接近を試みたい。
2.
夏瀬ダムによる付け替え線の全貌を確認する。
昭和30年頃まで生き残っていた、夏瀬ダムの付け替え区間を踏査したい。
言うまでもなく、こちらが今回のメインである。
インターバル以上に前置きが長くなってしまった。
まずは、水没隧道探しの場面からだ。
情報提供: 鉄道友の会秋田支部 会員さま