大間線〈未成線〉   大畑〜釣屋浜間

公開日 2006.06.10
周辺地図

 これからお伝えする大間線の実踏調査は、2006年6月6日と翌7日にかけて行われている。
参加者は私と細田氏のお馴染みのペアである。
二人は、細田氏の運転で6日午前中に大畑駅跡に到着し、ここから大間へ向けて大間線の痕跡を辿る旅を始めた。

 その最初の区間が、大畑駅から釣屋浜駅までの区間である。(右図参照)
 総じて、この区間の大間線跡は市街地か国道用地としての転用を受けており、工事の正式な中止から40年余りを経た痕跡はピンポイント的に存在している。
だが、その中には後ほど紹介するが、大間線随一と言っていいほどに強烈な存在感を有するものが含まれており、侮れない。
おそらく多くの大間線探訪者がこの区間からはじめると思うが、大間線のファーストインプレッションは鮮烈なものとなるだろう。




【A地点】 大畑駅跡

 大畑駅の構内は、全体的に薄草が生えている。
ホームには、白い柵が設けられ、列車を待つ人の姿もない。

 駅として、おおよそ全ての施設が残っていながら、大畑駅は既に営業を停止している。
事情を知らない人が見たら、まるで鉄道が“夜逃げ”してしまったかのような、不思議な光景。
 平成13年というごく最近に、大畑線の跡を継いだ下北交通(株)は鉄道事業を廃止した。
大湊からこの大畑まで運行されていた大畑線は、もともと大間線の第一工区として竣功し先行開業を見た区間であったが、遂ぞ延伸なく、平成の世にひっそりと幕引きしていた。

 【午前11時32分大畑駅前より調査開始 】


 大畑線は前述の通り、ほんの数年前まで現役であったから、その沿線18kmにはいまも多数の遺構が残っている。
本来ならばこれも「大間線の痕跡」に含めても良いものであるが、今回は未成線としての調査に的を絞ったため本格的な踏査は実施しなかった。
詳細をお知りになりたい方は、『鉄の廃路』をご覧下さい。

 写真は、大畑駅の片面ホームから大間方面を望んだ景色。
駅中心標が立つ隣に大きな18km標が立っていて、起点の下北駅構内に今も0kmポストが残るが、これと対応している。



 おそらく国鉄時代のままの駅名標。
昭和14年に大畑線として開業したこの路線は、一般の旅客の他に、下北半島最大の森林鉄道網である大畑森林鉄道と結びついて林産資源の運搬や、海産物の出荷にも盛んに利用され活況を呈したが、やがて他の地方鉄道とともに経営は悪化。
大湊線というやはりローカル線から分岐し、さらに奥地を目指すという構造上、無理からぬ事であったろう。
昭和56年には国鉄の第一次特定地方交通線として真っ先に廃止が決定される。
しかし、地元でバス事業をおこなっていた「下北バス」が受け入れを表明し、昭和60年の国鉄大畑線廃止の同日に、下北バスが改称した下北交通に引き継がれることになる。
その後、純民間企業単独で鉄道事業を引き継いだ稀な例として注目されるが経営は改善せず、惜しまれながら平成13年に廃止されている。



 実は、大畑駅構内にいまもレールや主要な施設が残されているのには理由があって、まず駅の母屋や駅前のターミナルについては、そのまま下北交通のバス・ステーションとして存続している。
また、レールや車庫などの施設は、民間の有志による気動車3両の動態保存活動のために存続しているのだ。
いまも、定期的にお披露目運転が行われている。
ただし、駅構内の外にレールは伸びておらず、完全に孤立している。

 写真は、営業中の駅舎と見紛うばかりの旧大畑駅舎。
いまも大畑町(現・むつ市)の人通りの中心であり、特に朝夕は通学客で賑わう場所だ。



 バスの待合所として現役の駅舎内。
無用のホームへ向かう改札口は常時開放されている。
廃線跡に名残惜しく保存されている駅舎のような悲哀は無く、細かなところまでちゃんとバス事業に関した掲示に差し替えられていて、なんだか嬉しくなる。
まだ、ここの空気は生きている。

 ちなみに運賃表には、この先大間線が目指した大間や奥戸までの、予定されていた駅名が全て存在する。
バスだけにさらにきめ細やかに多くの停留所が間に挟まっているが、大間線が成そうとしていた旅客運輸は、形を変えてここに存在している。
なお、この大畑から大間までの運賃だが、片道1460円と決して安くはない…。



 大畑駅構内に残るレールを、大間方面に出来るだけ進んでみる。

 駅中心付近では複々線のレールも、端に近付くにつれ合流で減っていき、ホームが途切れた先で一つになる。
さらに進むと、右は住宅地、左は大畑林鉄の名残を感じさせる製材工場群という景色の中、緩い右カーブが始まる。
路傍には「2」の標識。
行く手には、優しげな緑の森が、さながら車止めのように待ち受けている。



 駅中心からは約200mほど。
レールは途切れる。
振り返ればまだそこに広々とした駅構内が見えていた。

 たった一つだけの、朽ちかけた車止めが残っている。
大間線の工事は、この先桑畑駅までの12kmほどについて、路盤の工事はほぼ完成していたが、結局一度もレールが敷かれることはなかった。
未成線跡を辿る旅は、この緑の森から始まる。



 車止めの先には、そう遠くない過去には更地だったと思われる、若い森になっていた。
しかし、ここには鉄道の路盤とおぼしきものは見られず、少し行くと民家の庭先にぶつかる。
さらに先を望めば道路と接し、やがて住宅地に鉄道工事の痕跡は完全に消失していた。
 大畑駅から先、次の釣屋浜駅までの区間は、全線中でもっとも宅地化が進んでおり、痕跡は限られている。



【B地点】 大畑川橋梁付近     地図表示

 大畑駅を出た大間線は、緩やかな右カーブで住宅地を通り、間もなく大畑川橋梁に行き当たる。
しかし、駅からこの橋にかけては宅地化のために線路跡を匂わせるようなものは何も残っていない。
大畑川橋梁についても、この区間が一度は「竣功」したと記録されていることから、橋脚・橋台はおろか、橋桁さえ存在したはずだが、一切構造物は見られなくなっている。

 だが、橋を渡った対岸の湯坂地区に入ると、平行する国道279号線の車窓からも鮮明にその築堤が見えた!
適当なところに車を置いて、いざ築堤へ!



 今回は優秀な事前資料(参考資料、鉄道未成線を歩く (国鉄編)鉄道廃線跡を歩く〈3〉)に恵まれており、この存在も事前に知っていたとはいえ、やはり目の前にこれだけ大規模な遺構が現れると、興奮を隠せない。
 築堤は、川から200mほどで国道に呑み込まれるようにして消えているが、そこまではしっかりと刈り払いされている。
 大間線跡地は正式に廃止されてからまずは市町村に、次に市町村から希望する住人へと払い下げされた経緯がある。
よって、鉄道跡地を示すような杭などは残っていない。



 大畑川へ突っ込んで消える築堤。
対岸の緑濃い部分に繋がっているが、築堤が残るのはこの左岸のみである。
こうして上に立っていると、その土工量の多さに驚く。
ここに本当に鉄道を造っていたのだという実感が、湧いてくる。

 大間線未成線区間最初の遺構は、この大規模な築堤である。




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【C地点】 孫次郎間隧道跡     地図表示


 築堤の先からは国道279号線の大畑バイパスに鉄道跡は転用されている。
緩やかなカーブを描きながら坂を上っていく。
旧国道はより海側を急坂で上り下りしているが、大間線跡は道路用地としてうってつけだったに違いない。
 登り切った辺りが孫次郎間(まごじろうま)地区で、現在は民家が並んでいるが、かつてここには孫次郎間隧道があった。
しかし、国道のバイパス工事で跡形無く撤去されたらしい。
確かに、峠の頂上には浅い掘り割りがあり、隧道の存在を想定することは出来る。



 やがて、眼前に太平洋が広がった。
勢いよく回る風見鶏の向こう、青黒い海原が広がっていた。
おもわず、車内に歓声がおこる。

 坂を下れば二枚橋地区、そして一つ目の駅が置かれる予定だった釣屋浜地区へ続く。
その先は早くも、同線最大の難工事と言われた木野部(きのっぺ・きのべ)峠が控えている。
すでにここからも、海岸線が絶望的な断崖となっているのが見えており、まさに武者震いの心境であった。



【D地点】 二枚橋 多重アーチ橋梁跡     地図表示


 昔ながらの家並みの間を急坂の国道が下りきり二枚橋地区に入るとすぐ、車窓左へ ズガーン という感じに巨大なアーチの連なりが現れた。
これぞ、大間線遺構の代表的なものとして様々な本にも取り上げられてきた、通称:二枚橋橋梁である。
目で追いながらその数を数えると、アーチは7連もあった。
その最も大畑寄りのアーチは市道を潜らせており、他は下狄(しもえぞ)川とその河川敷を跨いでいる。



   海を背にして国道の橋から二枚橋橋梁。

 これまでもメディアへの露出があった橋とはいえ、書籍の場合にはその場所の最も“絵になる”1枚、ないし2枚程度の景色しか読者に伝えない事が殆どなので、実際に現地へ訪れるとやはり発見は多い。
この橋にしても、いままでは寒々とした海岸線にあるものと想像していたが、実際には橋の両側には民家が連担しており、そう寂しい景色でもない。
むしろ、橋は生活のなかでその足をもみくちゃにされながらも、凛と立っている。そんな感じである。



 このアングルからの眺めが、おそらく一番絵になる…。この橋の“よそ行き”の姿であろうか。
確かに、海をバックにすると、その海が北国の海だとイメージできるだけに、ファインダー越しでさえ寂寥とした雰囲気が伝わってくるようだ。

 付近には、特にこのアーチについての案内板などはないが、国道から見ても一発でそれと分かる遺構で、大間線のシンボル的なものであるから何らかの保存が望まれる。
幸いにして、橋の直下の左岸は親水公園として素朴に整備されており、人目を気にせずに橋を最も美しいアングルから自由に見上げることが出来る。
これが橋への配慮だとしたら、旧大畑町の整備方針は素晴らしいものと特筆されるべきだろう(過剰整備は御法度、簡単な案内板があれば100点満点かも)。



 車と比較すればこの橋が如何に巨大であるかが分かるだろう。

 大間線跡ではこの橋をはじめ、コンクリートの多脚アーチ橋が多く存在しており、いかにも「大間線らしい」景色を醸し出している。
よく言われていることだが、あえて工期と手間のかかるコンクリートアーチを多く利用したのは、戦前の鉄材不足によるためである。
一節には、鉄筋コンクリートならぬ、木筋・竹筋のコンクリートも部分的に使われているとも。
ただ、戦前は余り知られていなかったが、今日では鉄筋コンクリートが塩害に弱く、比較的僅かな期間で腐食してしまう事が知られている。
当時の関係者がそこまで考慮していたかは分からないが、敢えて鉄筋を避けるという選択肢もあったように思われるがいかがだろう。
 現状では、やはりコンクリートの腐食はそれなりに進んでいるようで、近付いてみると石灰分の流出跡の模様が目立つ。



 大畑側の袂。
周囲の地形はかなり改修されているものの、橋自体は殆ど手つかずで残っているようだ。
地上からの高さは、大体ビルの4階くらいに相当するだろう。近付いてみるとその高さが際だつ。


 え?

 行かないのか って?


 ……行くの? 上?





 我々二人の中では、半ば暗黙の了解的に、渡れる橋は渡り、入れる隧道は入る事になっている。
この橋は、強度的に渡る事を躊躇う理由はなかろう。
あとは、民家に囲まれ、しかも道路からかなり高い位置にあるこの橋上へ、いかにたどり着くかということになるのだが。

 結局、市道を跨ぐアーチからよじ登ることにした。
周囲の民家の飼い犬に吠えられながら、なんとか、橋の袂へ……。



 二枚橋橋梁の大畑側袂の様子。
猛烈なブッシュを掻き分ける細田氏の背後が大畑方で、橋は私の背後にある。
細田氏の背後には、鉄製の柵が路盤を通せんぼするように立っており、橋へ間違って進入しないための防護柵であろう。
現在は柵などなくとも、薮が酷いので立ち入る人はまず無いであろう。

 それでは、いざ7連アーチの上に。



 アーチの上には、今もコンクリートの路盤が一部、草むらから覗いていた。
両側には無装飾な欄干もあり、強風でもなければ立っているだけならそれほど恐怖はない。
ただ、先へ進むには低木の濃い藪を掻き分けねばならず、面倒だ。
我々は幅広の欄干の上を歩いて橋の中央を目指した。

 写真は橋から見渡す二枚橋集落の様子。
釣屋浜駅はこの少し先に設けられる予定であった。



 規則的な連続アーチ橋の景色の中のワンポイントとなっている待避所。
長い橋の中央に、たった一箇所だけ設けられている。
コンクリートで一体的に形成されたもので、しっかりとした足場であると思われるが、薄いコンクリートの下が中空であるため、上に立つのはやや躊躇われる。
細田氏の覗き込むポーズからも、橋が如何に高いのかがお分かり頂けるだろう。



 待避所から見下ろした下狄川。

 綺麗に成型されたコンクリートの側面には、点々と錆びた釘が、棘を外へ向けて取り付けられている。
これは、木製の型枠を固定していた名残であろうか。
また、大間線のアーチ構造には必ずと言っていいほど存在するアーチ部の同心円の溝であるが、これについては化粧的な要素なのか構造的なものなのか、溝を見ただけでは区別が付かない。
他の規模の小さなアーチのものについては不明だが、少なくともこの橋については、溝を境にして風化の仕方に違いがある様に見えるので、コンクリートの材質に違いを持たせているのだと想像する。

 このようなことまで想像で語らねばならないのは、おそらく当時のまともな図面が存在しないためである。
というのも、大間線一帯は建設当時日本陸軍の「要塞地帯」に指定されており、建設の図面は厳しく管理され、地形図さえ満足に提供されなかったというのだ。
それ故の工事上の苦労も多かったと聞く。



 橋の上には、所々コンクリートが露出しているのだが、これが不思議なことに平らではなく、まるで錬った途中のコンクリをそのまま棄てていったように膨らんでいる。それ以外の部分はコンクリの上に土が入り込み、植生が密になっている。
さらに、露出したコンクリートには作業員の足跡と思われる痕跡も残っており、これが鉄道工事の名残なのか、或いはその後に何らかの再利用を考えて行われたものなのか不明だが、気になる痕跡である。
 また、通路としてはまるっきり機能していないこの橋だが、橋上にはいくつかの家庭用アンテナが立てられている。
我々は、大間方の袂まで行き、引き返した。
橋の先も鉄の柵があり、路盤跡は民家裏の斜面に消えていた。 



【E地点】 釣屋浜駅跡     地図表示


 大間線は孫次郎間隧道をサミットに二枚橋地区の海沿いへ下り、先ほど紹介した多重アーチ橋を経て、この釣屋浜で海岸線すれすれまで下っている。
ここに釣屋浜駅を置き、再び線路は木野部峠へ向けて上りとなる。

 ここまでの区間はほぼ国道と近接しており、国道と鉄道跡の隙間には絶え間なく民家が連なっている。
また、路盤も急傾斜地改良などによってかなり切り崩され、切り崩された部分も民家が並んでいる様子だ。
国道が小さな砂鉄橋という橋で中川目沢を渡るその隣に、この単アーチ橋はある。



 アーチの大間方袂は、もともとは築堤だったようだが、山の上にある二枚橋小学校へ行く市道によって切り崩され、消失している。
写真には、左にアーチの一部が写っている。



 アーチ橋の上に立ってみると、道路に分断された先にも築堤跡を利用したらしい平場が続いており、その上には公民館が建っている。
明確な痕跡がなく断言は出来ないが、この辺りに釣屋浜駅が設けられる予定だったはずだ。
もっとも、この区間の路盤こそ竣功したといえ、駅の施設の工事はまだだったようでホームなどの遺構は存在しない。


 大間線未成線跡、最初の区間はご覧の通り。
早速にして、鉄道工事の名残が続々と現れてきた。
そして、次の駅間は道中最大の難所とされた木野部峠である。

 おそらく山行がが世界に初めて発信する、“壁”の先の世界を… お楽しみに…。