大間線〈未成線〉   下風呂〜桑畑間 その1

公開日 2006.07.05
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 着工区間では最も終点よりの区間が、この下風呂〜桑畑間である。
津軽海峡に面した集落も疎らな草原地帯を通過しており、距離も約5kmと他の区間より長い。
途中には、いくつかの橋や隧道が設置されていたが、その中の焼山隧道には、他の隧道にはない変わった歴史がある。
また、下風呂駅付近には大間線遺構としては最もよく知られた13連アーチ橋がある。

 この区間は、このレポートのトリを飾るに相応しい盛り沢山さがある。




 下風呂駅跡

 本州最北端の温泉郷、下風呂(しもふろ)。
我々が訪れたときは、夕暮れと夜の境、海と地上の境、そのどちらもが曖昧な独特の雰囲気だった。
想像以上に背の高いホテルが、狭い町並みに聳えているが、それを含め周囲に明かりの点いている建物は疎らで、国道に面した大きな案内看板も朧げ。

 この町に、大間線は何を残しているのだろう……。
その答えは、ひとたび小径に入るとすぐ現れた。

 【午後5時20分 下風呂駅跡より探索続行】



 たくさんの旅館の看板に出迎えられるように温泉街へと入る。
大型車には狭い道だが、温泉街のメーンストリートであり、旧国道だ。
入ると直ぐに小さな川を渡るが、この橋の上から上手を見ると、別の橋がすぐ傍に架かっている。
この2連のボックスカルバートが、大間線の遺構そのものである。
橋の袂には住人や観光客の近道として使われている階段があって、上に登ることが出来る。



 ボックスカルバートの上は、駐車スペースとなっている。
鉄道用にしては幅が広く、駅に向かって線路が分岐していく事を思わせる。
この正面に見えている敷地が下風呂駅の予定地で、奥に建っている公民館はその敷地跡に建てられた。
下風呂駅は交換設備を有する駅として、山裾に造成されたこの広大な土地に設けられる予定だった。
大間線跡で、駅跡地として明確に痕跡があるのは、この下風呂だけである。



 これまでも多くのメディアで紹介されているが、下風呂駅跡を最も象徴する存在が、公民館の駐車場内にある、左の写真の建物である。
裏側に回り込んでみると、正体が分かる。



 小屋に見えていた物は、実は地下へ下る階段の出入り口に設けられた雪避けであった。
この階段は、街と駅を繋ぐ通路として建設された物が、現在も生活通路として使われているという貴重な物である。

 写真奥に続く路盤との位置関係から考えて、島式ホームにこの階段は口を開けていたのだろう。
駅舎自体は階段の下の街側に建設される予定だったのだろうか。
こうして土地の有り様を見る限り、なんとなくだが、一般的な島式駅の構内配線をイメージできる気がする。



 電灯はあるが、この時は点灯しておらず、通路はかなり薄暗かった。
全面コンクリート張りで、いかにも一昔前の駅通路らしい殺風景さだ。
この日のシチュエーションでは、ちょっと想像力を逞しくしてみても、息を弾ませて階段を駆け上がる学生や、ふざけながら幅いっぱいに歩く中高生グループとかをイメージすることは出来ない。
しかし、間違いなくそのような光景が予定されていたのだ。
この生きているとも死んでいるとも付かないような、通路には。



 異様に重苦しい空気が、狭い通路いっぱいに充満していた。



 通路は階段の下で直角に曲がっており、その先で真っ直ぐ出口へ続いていた。
出ると、そこは温泉街の一角で、メーンストリートからは10mほど奥まった場所だった。
駅舎や改札は、この場所に予定されていたのだろうか?



 しめられたシャッターが目立つメーンストリート。
この一角には、大間線の開通を目論んで当時名付けられた「駅前」の地名が、今も残っているという。
緯度のわりには温暖で積雪も少ないといわれる、北の温泉保養地下風呂が、もし今も鉄道と共にあったなら、おそらく駅の名前も「しもふろ温泉」などに変わっていたかも知れない。




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 壮絶!! 下風呂アーチ橋跡      


 広い駅敷地の跡地は全てアスファルトの下か公民館の建物となっているが、公民館の裏手に進むと、再び単線幅の築堤が出現する。
この先には、大間線最大の遺構として名高く、これまで廃線跡や未成線を取り扱った各種書籍にも登場、見る者すべてをこの地へ誘うほどの哀感を有していた物件が待つはずだ。
いま、まさにその景色が眼前に広がろうとしていることに、私も細田氏も興奮を隠せない。

 丁寧にも、路盤跡の通路には「鉄道アーチ」などと手製の案内看板が設置されている。
確かに地域が誇る遺構だろうと、ますます期待を持って先を急いだ。



 だ が 

 なんだか、様子がおかしくないか。

 なんなんだ、

 なんなんだ この色…… 

 コネーー……。



 ご丁寧に、二枚橋橋梁で見たコンクリート製の橋上待避所も、木で再現されている……。

 この光景に、私と細田氏は顔を見合わせて俯いた。

 未成線跡、観光化に屈すの図だ。



 この下風呂13連アーチ橋は、集落内のどこからでも見えるほどに目立つ遺構であり、まさに下風呂の象徴的な光景である。
故に、これを観光の呼び水として使おうという発想はきわめて正常だし、多くの労力と予算をかけて再整備を行った事について、我々部外者がどうこう言うべき事でないのは分かる。
まして、我々の持つ感想というのは、一般観光客のそれではなく、あくまでもここにあった筈の未成線・大間線の遺構についての感想であって、どんなに素晴らしい観光地かという評価ではないので、おおよそ真っ当な評価ではないだろう。
そのことを念頭に置いた上だが…、

 ショックです。 



 アーチは全面的に改修されており、その工事の模様を知らないので断言できないが、老朽化していたコンクリートアーチは補修され、表面を海色の塗装で仕上げられている。
塗装が厚いせいで、異様に遠近感のない表情となってしまっている。
 また、路盤上はすべて均され、装飾タイルが埋め込まれている。
欄干も設置され、この写真のように側面にまわってみるなどしないと、本当にただの橋の遊歩道にしか見えない。



 これは翌日2日の早朝の様子。
清々しい朝となると、いくらか印象は良い。
年配のご夫婦が、橋上に設けられたホームを模した足湯などを熱心に観察している様子を見て、ともかくアーチ橋が生き延びている事を喜ぶ心の余裕も生まれてきた。
もはや、往時の迫力や説得力をこのアーチに求めることは出来ないが、13連が一つの欠けなく健在である事は、観光化だけに留まらず、貴重な遺構の全容が保存されたという意義で喜ばしかろう。



 また、橋は変貌を遂げてしまったといえ、そこから見下ろす下風呂の景色に変化は(おそらく)無い。
海、そして山側は鉄道アーチによってその町割りを制限された、超過密都市下風呂。
上から見下ろすと、噴気を上げる家屋が斜面も窪地もなく密集していて、どの家も二階や屋根の上の空間まで有効に使おうというのか、梯子を屋根に架けているのが印象的である。
この景色を見て、細田氏がボソッと言った。 …まるで、『天空の城ラピュタ』に出てくる鉱山都市のようだと…。
ここに鉄道が通っていたら…、たしかに……。



 再生されたアーチ橋の中央部には、ホームを模した足湯場が設けられている。
その前の歩道上には、20mほどの長さに亘ってレールが敷かれ、ここが鉄道に由来する場所だということを主張している。
ただ、リアリティという点では余りこだわりは感じられず、緩やかなカーブ上にありながら、使われているレールは短い直線レールを少しずつ向きを変えて設置してあるだけという有様だ。
軌間が正しいかも分からない。



 足湯の隣には駅銘板を模した看板も設置されている。
前後の駅名が実際のものと異なっており、現実的な意義としては「下風呂」の読み方が「しもふろ」と分かった事くらいだろうか。
だが、地元が大間線への強い関心を現在も抱いている事を感じさせる、贋鉄道モニュメント群ではある。

 ある意味、この地の大間線は幸せなのかも知れない。



 なお、アーチ橋の先で遊歩道は右に折れ集落へと下りていく。
しかし、大間線の路盤跡は直進である。
簡単な木製の柵が設けられているが、これを乗り越えて進むと、直ぐ先に半ば埋もれた閉塞隧道が見えてくる。



 コンクリートの閉塞壁の一部が薮から覗く、下風呂第一隧道(仮称)の南口である。
坑口付近は湧水のためかぬかるみがひどく、相変わらずビーチサンダルで探索を続けていた私の乾きかけていた足は、再び茶に染まった。



   廃線跡や未成線跡は全国に点在しているが、その活用方法は様々である。
全く何にも利用されていない物もあるし、路盤跡を引き続き交通路(例えば自転車道や歩道、バス道路など)として利用しているケースも多い。
観光に利用している場所も余り数は多くないが存在し、この下風呂の鉄道アーチ橋は、その規模から見て代表的な物の一つと言えそうだ。
往々にして一般向けの観光味付けは、我々オブローダーに辛辣な印象を与えがちだが、たとえそこに期待されたような風情や哀愁が無かったとしても、放置と倒壊、または撤去という「当たり前の結末」に終わらなかった事は喜ばしい事なのだ。
それは、本来ならば消滅によりそれを見ることの出来なかっただろう次の世代の子供達、オブチルドレンへと、貴重な遺構の実物が存続したことを意味するのだから。