大間線〈未成線〉   釣屋浜〜木野部間

公開日 2006.06.11
周辺地図

 廃線歩きのバイブル『鉄道廃線跡を歩く』と『鉄道未成線を歩く』の2冊が揃って道中最大の難所だったとするのが、この木野部峠(きのっぷ・きのべ)である。
しかし、姉妹作であるはずの2冊であるが、この区間に関する記述は細部に大きな隔たりを見せている。共通するのは、隧道が塞がれ辿ることが出来ないと言うことである。
 具体的には、まず『未成線』だが、隧道は2本あることになっている。
それぞれ第一・第二木野部隧道で、延長は256mと860mと記されている。
だが、掘削途中で放棄され入口を塞がれているとも書かれていて、これは同区間が昭和17年8月に「竣功」したという記述と矛盾するのだ。
 次により多くの方が目を通しているだろう『廃線跡』の方だが、こちらは、全長1000mを越える赤川隧道で海岸線を貫いていると書く。
また、戦後しばらくはバス道路として利用されていたというではないか。

 この明らかな矛盾。
実際に辿ってみるしか、真実を知る手段はないかもしれない。
我々は、意を決して釣屋浜側から、塞がれているという隧道口を目指し、動き出した。  




 塞がれた坑口

 孫次郎間から釣屋浜まで大間線跡は国道の山側を通っているが、木野部峠を前に国道は一足早く山へと分け入っていくので、これを大間線は跨道橋をもって跨いでいた。
現在も大間方の橋台が残るが、大畑方は取り壊され跡形もない。
国道の拡幅工事に合わせて橋桁ごと撤去されてしまったのだろう。

 この先、大間線は海岸線を行く。
海岸線ぎりぎりに山肌が接近してくるまで少しの間だ、釣屋浜の集落に沿って築堤が続く。



   国道を離れ集落内の狭い生活道路に入るが、間もなく車ではそれ以上進めなくなり、側にいた人に断って車を空き地に停めた。
ここからはいよいよ歩きになる。
ほぼ直線的に隧道を穿って抜けている大間線の跡をそのまま歩ければ1kmほどで木野部に到着できるはずだが、その坑口は塞がれているらしい。

 なお、この峠は国道にとっては未だに難所のままであり、ヘアピンカーブと激しいアップダウンが続く。
近年ようやく線形改良が進みつつあり、写真にも山肌に真っ白な橋脚が立ち並んでいるのが写っている。
あれは、国道の“未成線”である。



 【午後0時40分 釣屋浜より徒歩開始 】

 釣屋浜は砂鉄分を多く含んだ黒い砂と、綺麗な白い砂とが混ざり合うすばらしい砂浜だ。
波打ち際には海鳥が遊び、青黒いような太平洋には、遠く小さな漁船が見えた。

 山際には一直線に緑の丘のような築堤が伸びており、鉄道跡だと分かる。
視線を奥へ向けると、築堤が岩肌に突き当たってコンクリートの壁に行き当たっている様子が見えた。
隧道の塞がれた坑口というのはあれのことか。
まずはあそこへ行ってみよう。
完全には塞がれていないかもしれない。



 坑口の真下の海岸まで行くと、隧道が通れない場合に海岸線を迂回して進めるかと問われたとき、不可能ではないかもしれないがかなり困難だろうという気がした。
写真のような一軒家ほどもある巨岩がごろごろしており、そこに人通りのある道が隠されているとは思えない。

 なお、写真左側、大岩の裏には玉石を積み上げた石垣が見える。
これは大間線の築堤の基部である。



 築堤は意外に高く、しかも全体が猛烈なブッシュとなっていて、どこから上っていいかしばし悩んだ。
結局、坑口に直接接近するべく、まるで天の岩戸のような大岩の隙間を潜って草いきれのする斜面を登ることにした。
オオイタドリを中心とした背丈も葉っぱも大きな植物が大量に生えていて、実際に築堤上に上るまで視界はほぼゼロに近い。
足元が滑るので注意する必要がある。



 築堤を登り切ると、いよいよ坑口が目の前に現れた。
分厚いコンクリートの壁が築かれており、残念ながら中を窺い知ることは出来ないようだ。
ただ、コンクリートの下から流水が湧き出しており、隧道内には今も空洞があることを想像させる。
諦めきれず、さらに接近してみる。
どこかに隙間はないのか。



 坑口脇の岩肌によじ登り、ここまで接近してみたが、結局開口部を発見することは出来なかった。
どうやら、本当に塞がれていたようだ(疑り深く探索することが発見の秘訣である)。

 しかし、この行動によって従来は素堀のままと思われていた坑口が、実はコンクリートに巻立てられた物であったことが判明した。
これは、隧道が未完成であったとする説を否定する発見かもしれない。
しかし、やはり内部を確認できない以上、何とも言えない……。



 我々の手により坑口前は一時的に刈り払われたが、数ヶ月もすれば結局また坑口は緑の海に消えるに違いない。
写真は坑口から大畑側の路盤を見通しているが、とてもそこに築堤があるようには見えない。
この区間は、相当に時期を選ばなければ歩くことは出来ないだろう。

 さて、この先の探索だが、どうすればいいだろう。
ここで我々は作戦会議を開いた。





 右の図は昭和28年応急修正版の地形図である。
これは大間線の建設予定線が描かれた最後の図であるが、木野部峠には一本の長大な隧道が描かれている。
隧道は、やはり一本が正解なのであろうか。
 しかし、よく見ると不自然な部分もあるのだ。
図中に私が書き込んだ「谷1」と「谷2」のように、明らかに明かり区間になっていると思われる部分まで、隧道として描かれている。
この図を見る限りでは、隧道は300mほどのものが3本ありそうである。

 我々は、隧道の向こうの木野部から南下し、反対側の坑口を確認すれば十分であると当初は考えていたが、海岸線にまだ誰も知らないような明かり区間が存在する可能性を考慮し、困難そうではあるものの、このまま木野部へ向けて海岸線を北上して隧道の痕跡を探す事に決めた。
最悪、1kmも海岸線を進んで結局何も発見できない可能性があるが、地形図の不自然さや、隧道が複数存在する可能性を見逃すことは出来ない。




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 きのっぷ断崖に挑む!

 穏やかな海岸線から、赤びた巨石が転がる磯へ進む。
何らかのルートが存在することを期待したものの、岩陰には累々と重なるさらに大きな岩が立ちはだかるばかりで、もはや自分たちで適当に進んでいくしかないようだ。
しかも、途中で山肌にあるかも知れない路盤跡を発見しなければならないので、ただがむしゃらに進むことも出来ない。
それらしい地形を探しながら進むことにする。



 断崖絶壁と波打ち際との間隙に、幅10mほどの岩場が続く。
2階建ての民家と同じくらいの岩がごろごろとあって行く手を遮る。
足を濡らして海岸線の飛び岩伝いに進むか、断崖と岩場の隙間の草付きの崖に張り付いて進むか、大岩にまともに食らいついて乗り越えていくか。
常に3つの選択肢があった。
そして、我々は各々が進みやすいと思うルートを選んで進んだ。
進軍のペースはきわめて遅く、この調子ではこの岩場を突破するのにどれだけの時間を食うか分からないと思った。

 写真には、大岩を迂回して海岸ルートを選んだ細田氏が、押し寄せる波に足を濡らし立ち往生中。



 またその先では海岸線に飛び石もなく、やむなく危険な岩越えルートを選んだ。
私は先に登って細田氏を迎えたが、彼の度胸と根性はこの数年で恐ろしく進化しており、弱音を吐くことが最近はとんとなくなった。
この難所の岩場でも、彼はほとんど助けを必要としなかった。



 まるで砥石かおろし板のような岩っ面。
こんな岩場で滑り落ちたら、どんな擦り傷が出来るのか……考えただけでヒリヒリしてくる。
このような場所を連続で上り下りしている最中、ロッククライマー化した同志くじ氏の顔が頭に浮かんで離れなかった。
彼がこの場にいれば心強かっただろうな。



 海、崖、正面突破。
その何れのルートも「難しすぎる」と躊躇った時、足元には第四のルートがあった。
岩の下を潜るルートだ!

 等身大のスーパーマリオブラザース(inアスレチック面)を攻略している気持になってくる。
こんなところに、隠しルートが!!
そんなノリである。
まだ何も大間線に関する発見はないが、楽しい。



 気が付けば岩場に入り込んで20分ほどを経過していた。
遂に海岸は淵となり、岩場も高すぎ突破ならずして、やむなく怪しげな草付きの斜面にへばり付いてしまった。
こうなるとますます進軍のペースは遅くなる。
しかも、今自分がどの辺にいるのか、見当が付かない。
もし隧道が複数に分かれていた場合、そろそろ一つ目の隧道の北口があるかも知れない。
だが行く手は見渡す限り緑の崖と荒々しい岩場で、鉄道が通っている様な気配は全くない。
やはり、隧道は一本だけなのか。

 なんだか、末恐ろしいものを感じた。
このまま進んで、我々は無事に済むのか。



  橋台?!


 と、色めき立つのも無理はない。
こんな形の自然石とは、ちょっとご無体な。
思わず近くまで行ってしまったよ。
残念ながら、その材質をみるとどう考えても自然石。
ホント、変わった形である。



 いよいよ進路は狭まり、この一歩を踏み外せば… と考えさせられるような際どい場所が密になってきた。
この調子では、何らかの遺構を発見する前に進退窮まりそうな予感が。
やはり、こんな険しい場所に大間線は少しも顔を出しはしないのか!!

  嗚呼、無情。



 人跡未踏を思わせる岩場に、細田氏が何かを見つけた。

 それは、「元木」と彫られた文字だった。

 丁寧に、しっかりと刻まれた名前は、何を意味しているのか。
我々のように訳あってこの地へ紛れ込んだ誰かが、遠い未来に訪れるかも知れない誰かのために、残したのか。
おおよそ道とは思えぬ場所で出会った、確かな人の痕跡……、
余計に、ただ事でない場所へ踏み込んだような気がした。



 どこまで続くとも知れぬ赤岩の連なりを黙々と前進し続ける私は、徐々に振り返る回数も減り始め、細田氏が付いてきているのかの確認を怠りはじめた。

 私自身、ちょっとこのルートはやばいな…、1kmも歩き続けられる自身がないぞと思い始めた頃、20mほど後方を俯き加減に行く細田氏にも同様にピンチが訪れていた。
そして、それは私以上に差し迫っていたようで、彼は、無言のままで単独、山側への大がかりなエスケープを開始していたのである。
そのことに私はまだ、気が付いていなかった。

それが重大な結果を引き起こすことになることも知らず!!