塩那道路 (県道中塩原板室那須線)  序 

公開日 2005.12.02
探索日 2005.10.09




  日本には、まだまだ凄い道がある。

 それを、私に思い知らせた道がある。


 栃木県一般県道266号「中塩原板室那須線」、

 通称 「塩那道路」

 オブローダーなら、おそらく誰しもが、一度は聞いた名である。


 塩那道路という、愛称とも略称とも取れる道の名前は、そこがただの県道や林道として生を受けた道ではないことを伝えている。
いや、実は塩那道路などという道は、まだこの世には、完全に存在はしていない。
あるのは、将来の塩那道路になるはずだった、パイロット道路と呼ばれる、工事用道路。
そして、辛うじて完成している一部区間である。

塩那道路を一言で言い表すなら、
とにかく凄いところを走る道。

なんと、最高到達高度は海抜1700m。
東北地方には、ここまで高い場所を走る道はない。
塩那道路を擁する栃木県においても、標高でこれを越える道は日光近辺に幾つかあるだけで、稀である。


 そして、塩那道路のもう一つの重要なファクターは、我々オブローダーにとってこの道が「禁断の果実」だということだ。

全長51kmにも及ぶ塩那道路のうち、その大半が、もう何年も前から全面通行止めとなっているのだ。
オブローダーなら、大なり小なり誰しもが興味を持ちそうなこの道、当局としても安全確保を第一に、不必要な交通の全てをシャットダウンしようと、かなり本気で取り組んでいる。
塩那道路を間近に知れぬ遠方に住む私にとっては、特に恐ろしげな話題ばかりが先行して伝わってくる。
例えば、「不法侵入者を撮影するための無人カメラが設置されている」や「常時見回りの車が走っている」などといった“噂”が、ますます塩那道路に不到達のイメージを強くさせるのだ。
そして、重要なことは、これらは噂ではなく、根拠のある事実を含んだ話だと言うことである。

 率直に言えば、私にとって塩那道路攻略とは、その道の長さや高さといった問題よりも、「いかに突破するか」という点に尽きたと言って良い。


 さて、いささか名前が先行している感は否めない塩那道路である。
それも無理はなく、先述の通り、ここ数年は厳重な封鎖が取られており、立ち入った人は限られている。
近年の状況を伝える報告は、WEB上にも殆ど見られない。

 その塩那道路が実際にはどのような道であるかは次回以降の本編に譲るとして、まずはその誕生についてだけ、述べておきたい。

 塩那道路は、「塩那スカイライン」として構想されたのが、その端緒である。
昭和30年代、それまでの鉄道に代わり、自動車を利用した観光が急速に伸びた。
日光・鬼怒川・塩原温泉・那須高原といった一帯の高名な観光地群を連結するため、また道自体を観光資源にするため、さらに資源開発などに資するために、海抜1700mを越える奥羽山脈の稜線に道を設けることを、昭和37年に栃木県が構想を発表した。
 当時は現在のような自然保護の盛り上がりも無く、昭和39年には早々と工事に着手された。
しかし、約51kmにも及ぶ沿道予定地には、他に通じる道が一切無く、人が住むような集落も存在しないことから、工事用資材の補給などの問題に直面し、まずは2車線フル規格の観光道路を建設する前段階として、パイロット道路を設ける運びとなった。
パイロット道路の建設には、自衛隊の支援を受け、昭和46年に完成。
パイロット道路によってではあるが、ひとまず全線が一本に繋がったのである。
 次は、パイロット道路を元に、本格的な道を建設する段階になった。
まずは、昭和47年には一般県道中塩原板室那須線として県道認定を受け、以後は県道整備事業として工事が進められることとなった。
しかし、オイルショックによる財政悪化を原因に、昭和50年には呆気なく建設工事が休止されたのである。

 以後、工事再開の議論が起きたこともあるが、環境保護の声の高まりもあって結局工事が再開されることなく、現在に至っている。
ただし、パイロット道路の保守のみは現在も続けて行われている。


 そんな、塩那道路にはまだまだ語るべき事が沢山ある。
これから、その長いレポートが始まる。
当分は完結しないと思うので、どうか気長に読んでいただきたい。