塩那道路 (県道中塩原板室那須線)  その2 

公開日 2005.12.04
探索日 2005.10.09



七重連九十九折

2−1 十日沢〜小曲り

5:57

 塩那道路に塩原温泉側から入ると、一番初めに現れるゲートは、約2kmの地点にある。
このゲートは、冬期間の閉鎖および、夜間(18時〜8時)の閉鎖を行う無人ゲートだ。
我々は、午前6時という早い時間にここへ到達し、人の気配のない未だ夜間閉鎖中のゲートを潜り抜けた。

 海抜700mに位置するこのゲートから先、海抜1100mの土平(どだいら)までは、7つの巨大なヘアピンカーブを主とする、極めて規模の大きな九十九折りとなっている。
ゲートは、下から数えて一つめのヘアピンカーブの直後にあり、この写真のカーブはゲート後の最初のヘアピンだ。




 ヘアピンで向きを変えてすぐに、ガードレールには右の写真のような距離標が取り付けられていた。
見ての通り、起点から3kmを示している。
これと同じ物は、土平付近まで1kmごとに設置されていた。
山間部にもかかわらず、細かい番地の付いた地名がある事に意外性を感じた。




 写真を見て欲しい。
ガードレールの奥に見える白い部分が、何であるか分かるだろうか。

いま登ってきたばかりの、この道自体である。

塩那道路の他の道路とは一線を画する象徴的な姿の一つが、この九十九折りのダイナミズムである。
一段一段の高度差が、ただ事ではないのだ。
九十九折りを構成する一つ一つのヘアピンカーブの間隔が、広いところでは1kmを越えている。
そして、下の段との高度差は50mを越える。
僅か7つのヘアピンカーブで400mの高度差を埋めるというのは、こういう事なのだ。

 私自身、この写真の眺めには少なからず驚いたが、実はこれなど序の序だった。


 まだ3つめのヘアピンカーブの手前だが、すでに地上からはこれだけの高度を得た。
足元に見える駐車場やテニスコートは麓の「箱の石プレイパーク」の一部、川を挟んだ対岸の緑に点々と存在するのは塩原の街並み、そして、向かいに聳える裾野を大きく広げた麗峰は、高原山(1795m)である。




 道中の所々には、こんな案内も設置されていた。

「この道路は午後6時に閉まります」

 ゲート内に夜間の取り残しが起こらないようにとの配慮だろうが、実際に6時を過ぎればゲートは閉じられ、14時間もの間麓には下りられなくなるわけで、塩那道路にお越しの際はお気をつけて。


6:15

 4kmポストを過ぎると、やっと3番目のヘアピンカーブが現れ、進路は180°切り替わる。
すでにここの標高は850mに達しており、ゲートからは150mもの高度を登ったことになる。
私は思わず、ゆーじ氏に言った。

「これが、“塩那スケール”というものなのか」と。




 これだけ登っているのに、まだまだ全然上は見えてこない。
見えるのは、一つ上の段が森に敷いた等高線のような影のみ。

 この道、凄まじい高度差を詰めようとしているのに、勾配は比較的緩やかである。
ドライバーに対しては最大限紳士的な方法をもって、一つの山の南向き斜面の全てを蹂躙破壊し、その上に登ろうとする態度。
これぞ、観光開発バブルの遺した、今日ではもはや考えられぬ道だ。



 法面には、所々用途不明の階段が設置されている。

 塩那道路というプロジェクト自体が、無駄なものだったのではないか。
計画から40年を経過してもなお未完成の道を前に、その問の答えは明らかだろう。
しかし、敢えてそのことを殊更に責めたり、あるいは自省するるような論調は、少なくとも、建設や管理を一任されている栃木県サイドには見られないし、県民の間でも、特に大きな問題意識があるようには、私のネット上におけるリサーチの範囲内では感じられなかった。
数百億円を投じてここまで整備され、現在も年間4000万円に近い維持管理費が計上され続けているにもかかわらずだ。




 だが、当時の為政者や建設を推進した有力者達だけを責めるのは、余りにも酷だという気もする。
昭和30年〜40年代、関東地方という未曾有の巨大資本は、この地域の隅々まで観光開発という鉈で掘り起こそうとした。
山は切り開かれ、川は埋め立てられた。
口にはしなくとも、栃木の人々は、少なからず被害者意識を持っているのではないか。
これは、栃木県が先見の明を欠いていたということだけでは、済ませられない道だと思う。

 山々の遙か稜線(=スカイライン)を、快適なマイカーでドライブしたいという欲求を一番持っていたのは、都会に住む、人たちだったのだから。



 4つ目のヘアピンカーブが近づいてきた。
背後を見上げると、さらに上の段が見えている。
一面の緑だが山肌自体の傾斜は鋭く、万一この斜面で大規模な土砂災害が発生すれば、一挙に塩那道路の各所が寸断される危険性がある。



 5kmポストあり。
そして、遂に見えてきた4つめのヘアピンカーブ。
遠目に見ても、かなりアールの小さい、鋭いカーブであることが見て取れる。



2−2 小曲り〜大曲り

6:42
←地図を表示する。

 ここは、「小曲り」という。

そしてここには、塩那道路のオリジナル標識である、ご覧の標識が立っている。
この先、各所にこの標識は設置されているが、現在残っているものとしてはもっとも塩原側にあるのが、ここの小曲りの標識だ。

 標識の中の地図を見て欲しい。
すでに海抜900mにも至らんとしているにもかかわらず、そこに記された「現在地」の文字は、あまりにも入口に近すぎる。
私が、自ら口にした“塩那スケール”という言葉を、本当の意味で実感したのは、この標識を見た瞬間だった。

 さらに…なぜかテープで覆い隠された部分には、こんな文字が隠されていることが、凹凸で明らかだった。
それは、あまりに衝撃的な数字であった。

塩原側より  4.4km
板室側より 46.4km
…未来46kmあまり、一切補給地なし。

かつて無い 異常な道の、出現だった…。


 そして、これがわざわざ「小曲り」という名前が与えられた特別なカーブ。
4つめのヘアピンカーブである。
ここに来て、やっと土平までの登りの半分をこなしたことになる。

 現在時刻は6時42分。
あと1時間20分で下のゲートが開く。
その際には、朝一の点検で管理車輌が登ってくる公算が高い。
それまでに、土平の本封鎖ゲートを越えてしまいたい。

 我々の目論見は、時間との勝負でもあった。
そもそも、午前8時に下のゲートの解錠と共に塩那道路に入ったとしたら、日のある内に板室へ抜けられぬ可能性さえある。



 何者かが、このカーブの縁に座って、下界を見下ろしつつここでコンビニ弁当を広げたのだろうか。
そのゴミが、そっくりそのままに、下界を見下ろすように散乱していた。
こういう輩がいるから、道路は嫌われるのだ。
妖怪達に…。

 すまん、鬼太郎の見過ぎだな。




 小曲りとは言っても、いやはや、全然小さくない。
スケールの大きな曲がりではないか。
先ほど見た塩那オリジナル標識(以後:「塩那標識」と略)によれば、この次のヘアピンカーブにも名前があり、「大曲り」と記されていた。
果たして、どんなカーブが現れるのか、楽しみである。

 


 小曲りを振り返る。

 走り屋が見たら、その腕が鳴りそうだ。
あるいは、正気の沙汰では攻めたりはしないだろうか…。
ともかく、アスファルト上には全くタイヤ痕は見られない。
日中から攻めるような無謀運転は、さすがに無いということか。

 ちなみに前回、コミック「頭文字D」に塩那道路が登場するという話をしたが、調べてみると、確かにその12巻に登場しているようだ。
また、未確認だがPS2版ゲームソフトにも、このコースが収録されている模様。
塩那を命懸けでなく走りたい御方は、どうぞ…。



 ウワー!  ウワー!  うわー!!

 恐るべし!
 塩那スケール!!



 時刻は7時に近づいたが、厚い雲が垂れ込めており山は薄暗い。
気温も10月上旬にしては低く、風もあるので、雨合羽で防寒対策をしていたが、それでも立ち止まっていると手足の末端から寒さが身に沁みてくる。
とはいえ、チャリを漕いでこの長大な上り坂に挑戦している限りは、寒さに苦しむ心配はない。
むしろ、暑くて上下の合羽を脱いで登った。

 昨年、殆どMTBの経験の薄いご友人一人と共にここを登っている相棒ゆーじ氏だが、そのご友人のしんどさはある程度予想できる。
まして、夏の暑い盛りだったと言うから、灼熱アスファルトに蒸し焼きにされたことだろう。
そう言う意味では、肌寒いくらいの気温や、太陽の遮られた、こんな曇天が、最も攻略には適していたのかも知れない。




2−3 大曲り〜小次郎岩〜土平

6:55
←地図を表示する。


 海抜950m、起点から6.5km地点にあるのが、通算五つ目のヘアピンカーブ。
「大曲り」の名前が付けられている。
しかし、ここには塩那標識はなく、ちいさな地名標識が立っているだけだ。
また、ガードレールの外側には、さらにもう一列のガードレールが残っている。
かなりさび付いており、塩那道路として最初に設置された頃のものか。




 なんとも、美しい連続曲線。
小曲りが、鋭いカーブだったのに対し、この大曲りは、名前の通り、大きなアールでカーブを描いている。

 大型車は通行止めとはいえ、ここまで殆どの区間が2車線の、これ以上ない立派な道だった。
塩那道路については、昭和57年に建設休止が決定されているが、その際に全長50.8kmのうち、塩原から7.0kmの土平園地まで、板室からは8.7kmまでの深山園地までの区間をそれぞれ整備し、残りの中間部36.0kmの建設を凍結する事が決定されている。
以後、この決定に従って整備が続けられてきたのだ。

 つまり、起点から土平園地までのいま走っているこの区間は、一度塩那道路として建設されたのちに、さらに県道として再整備を受けたことになる。
立派すぎる道の正体は、その辺りにありそうだ。




 ここまで登ってくると、いよいよ山腹の面積が狭まり、九十九折りのスパンも短くなってくる。
周囲の植生にも微妙な変化が見られ、いよいよ1000m近い標高になっていることを感じさせた。
ただし、北東北の場合は大体標高1000mを境に、植生が温帯から亜寒帯に変化するが、北関東のこの山では、その境は1500m付近にあるという。
そのせいもあって、まだそれほど高い場所に来ているという実感は薄い。

 写真前方の岩場の辺りには、「小次郎岩」と言う名前が付けられているが、由来は不明である。




 道端に、「十日沢2号」と同1号のこんな写真の標識が立っているが、何が一号二号なのかは分からない。
橋があるでも、暗渠があるわけでもない。

また、傍らには「立入禁止」の標題で「立木伐採をした場合は規則により処罰する」と警告文が書かれているが、斜面内にはめぼしい立木は存在せず、低木が急斜面に張り付くように生えているばかりである。
また、警告者の名前として「塩那森林管理組合」と書かれており、いろんなところに「塩那」があるものだと、感心した。



 続いて、6番目のヘアピンカーブ。
緩やかで大きなカーブだ。
しかしここにも、タイヤ痕などは全く見られず、通行車は皆、慎重かつ安全な運転を心がけているようだ。
有名コミックで紹介されていることから、どんなに凄い走り屋天国になっているかと思ったが、やはり夜間通行止めの効果は絶大だったのか。


 8km地点を前に、九十九折りはラストスパートとなる。
これが、九十九折りとしては最後のカーブ、7番目のカーブ直前の様子。
法面が、そのまま上の段の路肩となっており、上にはガードレールが設置されている。
もはやこれが、道路として限界の“圧縮度”と言えるだろう。

 ここは勾配も厳しさを増しており、眼前の景色にはまさしく、空に突き刺さっていくかのような錯覚を覚える。


 キテルー!

 7番目のヘアピンカーブ。
海抜はすでに1000mの大台に乗り、1050mに達している。
塩那道路オリジナルかは分からないが、いままで他の道では見たことのない、六角形のブロックが、ここにも利用されている。
しかも新しい。
新しいのもそのはずで、先に述べた塩那道路の整備計画に乗っ取り、塩原側7kmの整備が完成したのは、平成13年のことと、かなり最近である。
 道路構造物による地平の占有率が100%に近いこのカーブの景色は、「小曲り」と共に私の印象に残るものであった。
そして、ここに来て初めて、最初に塩那道路が越えていく稜線が、間近に見えた。
写真奥に写る、高圧鉄塔の建った稜線が、それだ。



 これが
塩那道路だ!


そう、声を大にして言いたい景色。

3次元的なミラクルカーブで、山の険しい地形を物ともせず、その天辺を目指そうとしている。
観光バスが連なって走る景色を夢見ながら作った道だろうに、こんな素晴らしい道も、終わりは近づいている。

写真に写るヘアピンカーブは、先ほど越えてきたばかりの6番目のそれだ。




 8km地点。
九十九折りを全て攻略し、あとは稜線に開いた鞍部を目指すのみ。
残りは、僅かだ。
どうやら、午前8時と言う目標タイムは、軽くクリアできそうだ。

 ここまで総じて道の景色は派手だが、路面や勾配と言った直接疲れに影響する部分ではかなり穏やかに作られており、チャリで走る分にも問題はない。
10kmの連続登攀となる故、それなりの覚悟は必要だが、時間配分と水分補給さえ誤らねば、だれでも塩那道路の「走ってもいい部分」を楽しむことは出来るだろう。



 ついに稜線と正対。
鞍部も間近で、勾配も緩くなる。
東京電力の巨大な鉄塔が、稜線を我が物顔で跨いでいる。
現在の塩那道路の数少ない存在意義の一つが、この鉄塔の管理道としてのそれだ。




 道が久々に1車線となる。
そして、塩原側の道はもはや二度と2車線に戻ることはない。
勾配はここに来てほぼ平坦となり、来るべき、土平のゲートを待つだけの展開となった。

 まだ下のゲートが開く時間ではないので、当分は管理者が現れることもないと思うが、次第にどきどきしてきた。
それは、正直言って、期待などではなく、不安だった。
私は、丸一日かけて秋田からこの塩那を目指し旅してきた。
そして、1年以上も待ち望んだ、このたった一日だけの決行日。
呆気ない幕切れだけは、勘弁して欲しかった。
例えば、ゲートが有人で監視されていたり…、工事中でやはり通れなかったり…、そんな結末だけはゴメンだった。

 こういう言い方は、まったくもって模範的ではないのだが、
「とにかく何が何でも通り抜けをしたい!」 そう願うばかりだった。
そのための最大の障害である、通行止めの処置に関するあらゆる物は、敵としか思えなかった。

 すまん、 不謹慎だよな。




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2−4 土平園地

7:19
←地図を表示する。


 よっしゃ!

 遂に、土平という鞍部に到達。
ここで塩原町から、塩那道路の最も長い距離を有する黒磯市に、バトンタッチ。

しかし、わたしはイヤーなものを見てしまった。
車がいるではないか。
夜間閉鎖で締め出された車なのか…?
辺りに人の気配はないが、車の中までは分からない。
まさか、まさか管理人?
我々は、気づかれないように声を潜め、周囲を観察した。
結果的には、違かったようだが、ではやはり締め出されてしまったのか?!


 土平と書かれていただろう塩那標識からは、地図以外がなぜか抹消されている。
理由は分からないが、我々オブローダーへの対策の一環かも知れない。
私などは、やはり「板室まで何キロ」とか書かれているのを見ると、より一層そこまで行って見たくなるからな。



 キタキタキタ…
ついに見えきたるは、通年通行止めの塩那道路本ゲート。

100m手前の予告にも、「歩行者も通行止めです」と、念押しが。





 ゲート直前には、土平園地という森林公園がある。
海抜1200m近い一帯の豊富な自然環境を直に体験できることがウリであるようなことが案内板には書かれていたが、無人の森林公園には遊歩道以外の施設は何もなく(電気も来てないので自販機などもない)、この公園自体が、行き先の無くなった塩那道路に後付された目的地なのだ。
わざわざガソリンを消費して10kmも山道を登ってきても、午後6時には閉じこめられてしまうような、何もない公園に需要がどの程度あるだろう。
昭和57年の整備計画において、塩原側の車止めに付随する車輌転回施設として駐車スペースの建設が決定され、この時に初めて、ここに園地を設ける事が決定されたのだ。
これと同じ目的で、板室側にも深山園地の建設が予定され、現在も工事が進められているが、完成のめどは立っていない…。

 

7:22

 土平の駐車場から200mほど進むと、そこに塩那道路の全面通行止めゲートがある。
以前は、単純に封鎖されていただけだったそうだが、最近ではゲートの両脇にも柵が延長され、俗に言う「脇が甘いよ」という状態を完全に脱している。
現状を簡単に言うと、

 「頭上が甘いよ」

と言ったところ。
あ、べつに閉鎖を強化せよって言っているわけでも、煽っているわけでもないからね。
現状でも、封鎖ゲートとしては稀に見る、強固さではある。
ちなみに、心配していたような監視員の常駐するような小屋は見当たらず、無人は無人のようだ。
 山行ががこのゲートを突破する言い訳だが、山行ががレポすることによって、行ったつもりになった読者がいれば、それだけ潜在的なゲート突破因子が減ることはあるのではないだろうか? (← いい訳苦しすぎるし…)

 しつこいようだが、ここにも念を押すように標識在り。
「入ってはいけません(歩行者も入れません)」 …分かったって、もう。




 何ですか?

その、
塩那道路対策工事 っつーのは。

 なんだか、人間が自分たちのために作った道なのに、「対策」されているなんて、涙なしでは語れない気が…。
あんまりだろ、この工事名は。
道路自体が、対策されちゃっているわけで。

 で、この工事の内容はと言うと、これがあの塩那にまつわる噂としては余りにも有名で、実際に噂ではなく事実でもあるところの、
「塩那道路廃道化工事」というものである。



 ゲートの山側には、これだけ張り出したエラがある。
谷側も同様である。

 で、その廃道化工事であるが、簡単に言えば、その名の通り、塩那道路の中間部分36kmは、人工的に廃道にしましょうというものだ。

身も蓋もない結末である。

で、平成15年にその方針が決定され、現在はすでに、その工事が徐々に始められていると聞いていた。
平成16年の夏は、ゆーじ氏が通り抜けているわけだが、この一年で具体的にどの程度廃道化が進んでいるのかは、不明であった。
私が、塩那道路の探索計画を殊更急いでいた理由が、この廃道化計画にあったことは言うまでもない。



2−5 塩原最終封鎖線


 なお、ゲートを越えてみたいという気持ちは、私ほどではないにせよ多くの人たちが持っていたようで、ゲートを少し過ぎた先の山側には、写真のような小道が発生していた。
勘の良い方なら気づいたかも知れないが、この小道の上は、先ほどゲートで前で分かれた土平園地の遊歩道に通じている。
ただし、このルートもすでに当局によって封鎖されてしまっている。
それでも、歩きで塩那に侵入するのは容易いが、このさき40kmを越える道のりを歩き通すことは、日帰りでは困難だ。
やはり、チャリが最低限必要だ。



 塩那道路を描いてある道路地図は多いが、大概県道の色で塗られているのは、この場所まで。
ガードレールには、ここまでずっと1km毎にあったキロポストのラストとして、一回り小さな「8.5」の表示があった。
これで、塩那道路の塩原側整備区間は終了となる。
この先は、昭和46年までに完成した自衛隊開削のパイロット道路が基礎となっており、一部分は昭和50年の建設休止までの4年間に整備されている。
いずれにしても、開通から30年以上も現状維持だけの整備をされてきた区間である。
塩那道路の生まれた当時の姿を伝える、ここから36km(!)が、超ロングダートである…。


7:26

 起点から9km地点、塩那道路塩原側最終ゲートの出現だ。
この数年間は、一般には一切開放されなかったゲートである。
逆に言えば、ここを越えてさえしまえば、あとはマンツーマンの隠れん坊となる。
工事関係者に見つからず36km突破できれば我々の勝ち。
途中で発見されて追い返されれば敗北。
罠として、監視カメラもある。
また、折角突破できたとしても、こうして誰かみたいにWEBでその所行を公開してしまうのは、逆転満塁ホームラン。

 ごめんなさい。
どうしても、どうしてもこの道だけは走りたかったんです。




 ここからはじまる、新しい距離ポスト。
この余りにも粗雑な木製の標柱が、この後数十キロも続くことになるのだ…。
いまの表示は、8km。




 いわば、最後通告。

通 行 止

これより40KM先道路崩壊の
ため、道路補修工事を行っており
ます。全車両(オートバイも含む)の
通行が出来ませんので皆様の深い
ご理解、ご協力の程お願い申し
上げます。


 「40Km先」ってアンタ…。




 最終防衛線だけあって、封鎖の度合いはいままでで一番厳重である。
山側谷側とも、ご覧のように長い柵が延長されており、担げないような物は乗り越せない。

 バイクを分解して越えることは、出来るかも知れないが、オススメできない。
なぜなら、我々はこの先で何度となく、工事現場に遭遇するからだ。
オブローダーにとっては残念ながら、塩那道路は、万年工事中なのだ。
例外は一つ、我々が探索している曜日に注目である。

 
ゲートを乗り越しレポをしている私が言っても説得力がないですが、この先は自己責任と言う言葉では片付かない、犯罪行為(道路法・道路交通法違反)です。
法の裁きを受ける可能性もあります。
くれぐれも、突破される場合は覚悟の上で望んでください。
身勝手なお願いですが、万一あなたがこの道に関して警察等の指導を受けた場合も、「山行がのレポを見て来た」などと言うことの無いよう、どうかどうかお願いします。





 このゲート自体はかなり古い物らしく、おそらく塩原側にある三つのゲートの内一番古いだろう。
工事期間外は、周囲に寄せられている巨大なコンクリートブロックでさらに強固な封鎖が行われる模様。
警察署からの警告文も、半ば朽ちているが、存在する。

 





 最終ゲートを、午前7時30分、速やかに通過。






塩那道路、 のこり40km。