道路レポート 塩那道路工事用道路 第4回

公開日 2015.6.08
探索日 2011.9.28
所在地 栃木県日光市〜那須塩原市

最初の30分が私に教える、苦闘の未来予想図


8:00 (出発から2時間38分)

スタート地点の横川と、ゴール(実は折り返し地点だが)の塩那道路の、平面図上の位置関係からすれば、現在地は既に塩那道路の胸元に迫り、これから首回りを攻略していくような感じである。
そして私は既に、工事用道路として切り開かれたらしき道に入っている。

この状態は…  そうだ。

順調。

ここまでのレポートでも何度かこの言葉を書いているし、現地でもまるで言い聞かせるかのように繰り返し口にしていた、「今のところは順調だ」という状況にあるのは、間違いないだろう。


でも、この後で次第に順調ではなくなっていく。


だって、私はこの日、還ることが出来なかった。







これまではずっと谷に沿った道であったが、初めて現れた深い掘り割りの切り返しカーブを境に、以降は尾根を目指してひたすら斜面をよじ登る九十九折り基調の道へと性質が変化する。

この写真は、前回に動画を公開した、法面から水が流れ落ちる道のすぐ上部である。
道の周囲には、地面にほとんど日光が届かないほどの濃密な落葉樹林が広がっていて、そのためにあまり急傾斜だという感じを持ちにくいのだが、こうして過ぎてきた下段の道を見下ろしてみると、そこが崖と言っても良いほどの急傾斜であることが分かる。

でも、こうして谷から離れれば離れるほど、確実に私は塩那道路へ近付いている訳だから、目に見える落差は私を励ますものである。
藪も今のところは問題になるほど深くはないし、歩行のペースは相変わらず順調だった。



これは第2番目の切り返しのカーブ。
多分、写真に加えた補助線は要らないと思うが、目が馴れていない人のために書いている。
しばらくこの道の写真を見続けていれば次第に馴れて来て、補助線は無くても道が見えるようになると思う。

なお、九十九折りを採用しているだけあって、まだ道の勾配はそんなに厳しくない。
カーブの半径とかも普通の公道と変わりはないと思う。
多くの公道との違いとしては、コンクリートや砂利による鋪装が行われていないことが挙げられる。
外見と感触からして、おそらく砂利道でさえない、いわゆる土道である。近代以前の車道ならばいざ知らず、現代では林道であっても砂利は敷く。
工事用道路が土道であったとしたら、地味でも立派な特徴といえるだろう。



その後も二度三度と緩やかな切り返しのカーブを経ながら、10分ほど歩いたのが、この写真の場所だ。
相変わらず、ゆるゆるとした道形が続いており、所々にぬかるんだ場所や、浅い笹藪などがありはしたが、足を鈍らせるほどの難関は現れていない。

ここまでは些細な道の場面までレポートしてきたのに、急に省略されたような印象を持った人もいるかも知れないが、この間には特に印象に残る場面もなく、従って語る言葉も多くない。

そもそも論として、工事用道路というのは仮設のものだから、手の込んだ構造物の遺構が「残っている」可能性は低く、私自身、「塩那道路の工事用道路だから何か特別なんじゃないか」という期待を全くもっていなかったと言えば嘘になるが、やはり現実としてみれば、ひたすら地道に土道が続いているのだということを、勘の良い私は、この序盤で理解した。

でも、別に落胆はない。
分かっていて、この道を試しに来たのだから。
それに、今日の塩那道路に辿りついてさえしまえば、過程なんてどうでも良くなるほどの歓びがあるに違いなかったから。



8:15〜8:18 《現在地》

最初の切り返しから500mほどをうねうねしながら進んでいくと、再び広場のような場所に出た。標高は約1200m。
一見すると道は左へ続いていそうなのだが、ここへ辿りついた瞬間、私の目には右にも道があるように見えた。
どちらかが正解なのだとしたら、ミスしたくない場面である。徒歩探索中のルートミスは時間的にも体力的にも痛手が大きい。

そこで、普段はあまり見ないGPSの画面を注視しながら、少しだけ左の道へ進んでみた。
すると50mも行かないうちに、画面上の現在位置を示すアイコンが明らかに道を外れてしまった。
しかも道自体も、地形と紛れてよく分からない感じになっていた。
私はすぐさま引き返し、改めて右の道へ分け入ってみると、今度はちゃんとGPSの現在位置が地形図の破線の道を示したのである。
多分、右が正解。




今の場面、おそらく紙の地図だけを頼りにしていた頃ならば、もっと判断に迷ったことだろう。
このように視界が悪く特徴的な地形も見られない森の中で、地図にあるラインを出来るだけ正確に辿るには、GPSは本当に便利な機械だ。
人には2つしか目がないが、遙か上空に視座を有する第3の目があるのと同じことなのだから、その有利は絶対的とさえいえる。
これ以降もこの道では普段以上にGPSの世話になる場面が多かったが、ここがその最初だった。

こうして私はほぼ最少のロスで、おそらく正しいと思われるルートを無事に選び取ることが出来たのだった。
しかし、その事に安堵するよりも早く、「今のルート選択が誤りであって欲しい」などと考える弱気な私がいたのも、また事実。
今の分岐を境にして、道の状況はまた一段と目に見えて悪くなったからである。路上のササや灌木が、歩行の妨げになるほどに目立ちはじめた。
ついに軽々しくは口にしない、でもお馴染みの“激藪”という表現を、使いたくなる気配が…。



こんな道にも、かつては気軽にビールなんぞを空けながらのお気楽登山の時代があったのだろうか。
これまでほとんど見られなかったゴミを発見した。プルタブタイプのキリンビール350ml缶である。今のアルミ缶ではなく堅いステンレスの缶なので、缶ビールとしては比較的初期のものだろう。(帰宅後に調べたところ、キリンビールのプルタブ採用は昭和40年で、このデザインは昭和50年前後までらしい)

これを残したのは、登山者ではなく、工事関係者や林業関係者かも知れないが、私は何となく登山者が残したものだと思った。
塩那道路の稜線へと最短で通じるこの道は、今でこそ情報もないが、登山道の整備が進んだ日光国立公園内における数少ない秘境へ通じる希少な道だ。この地域に興味を持つ登山者ならば、地図を眺めて一度や二度は気にしたことがあると思う。それも塩那道路が盛んに騒がれていた数十年前までならば、尚さらのことだろう。
もしかしたら、工事関係者の目を盗んで現役当時の工事用道路を踏破ないし走破したツワモノもいたのではないか。



長い長い直線的な上り坂である。
巨視的には九十九折りの途中に過ぎないが、カーブとカーブの間隔がとても広いために、この辺には九十九折りの印象はない。
左側は白滝沢の谷が少し離れて並行しており、水面は見えないが、強い渓声が聞こえていた。

先ほどの分かりづらい分岐地点から先は、藪が深くなっただけでなく、道の勾配も強まった感じがある。
また、道幅もやや狭くなったのではないかと思う。
相変わらずの土道で、そこに長年の落葉が堆積して腐葉土と化していて(これも後日情報だが、工事用道路の使用廃止後に客土して緑化工事をしたという情報がある。藪が深くて当然だった…)、既に道の周辺と変わらぬ植生を獲得している。

道の一部が僅かに踏み跡らしく見えるのも、単に道が凹んでいるために降雨時の水路となっているだけの気がするし、あっても獣道の類だろう。
登山者がいる山ならば見かける指導標の赤テープなども見あたらず、最近人が入った明瞭な痕跡は見出せない。



8:28 (出発から3時間06分) 

直線の長い急坂に、久々の変化が訪れた。右への切り返しカーブである。GPSの現在地と照らしても、地形図に描かれた破線は相当しっかりと実際の道形を描いている事が分かる。また逆に、私が間違いなく目指すべき道を歩いていることも確認出来た。

そしてここで時計を見ると、出発からは既に3時間あまりが経過していた。この3時間という時間は、探索において決して短いものではない。
しかも、この間は体力的にもまだ元気であったため、ほとんど休みなく前進を続けて来たのであるが、未だに塩那道路がある稜線は遙かに遠い気配である。
ちゃんと地図を見れば、標高的も1250mというそれなりの高所に辿りついてはいた。でもまだ塩那道路までは450mもある。
時刻だってまだ午前中の早い時間で焦る必要は無いハズだが、日帰りで往復する事を考えれば悠長なことも言ってられない。
改めて、塩那道路の遠さと高さを感じていた。



8:30 (出発から3時間08分)

上の写真の地点からほんの僅かに進んだ地点(右図の位置)で、8:30という時刻を迎えた。
自分が塩那道路に辿り着けるのがいつ頃になるのか、あとどれくらいの時間を頑張ればゴール出来るのか、そうしたことを早く知って安心したかった私は、8:00時点の到達地点を基準に、30分ごとに現在地を手元の地図に書き込むことをしていた。
今回はその最初の30分が経過したので、GPS画面の現在地を地形図に書き入れた。(現物は紛失してしまったのでお見せできないが、右図はそれを再現したもの)

また、30分ごとの進行具合を表にすると、以下の通りである。(時刻欄以外の単位は全てメートル)

時刻区間距離累計距離区間比高標高地点
8:000001100基準地
8:30900900+1501250現在地

このように、8:00からの最初の30分では900mを前進し、この間に150mのアップとなった。8:00の地点から塩那道路までの距離は約5kmと計算していた(現地で地図上から読み取ったこの数字は大雑把なものだったが、地図上で正確に測定した数字である4850mとの誤差は小さかった)ので、単純計算だが、この5倍から6倍の時間で辿り着けそうだと判断出来た。つまり、6倍なら3時間である。

あと3時間、今のペースで歩き続けなければならないのか。



ちくしょう。

簡単にいってくれやがるぜ……。

しかもこの8:30時点で、私の前にあった道の状況が、これだ。
見てくれこれを。ひどいだろ。ひどい。歩きたいと思うやついるか?いないだろ。俺だって歩きたくないよ。つらいよ。
これから3時間もこの道を歩き続けるのって、結構しんどいぞ。
しかも、今までのペースを遅らせればその分到着は遅れるわけで……、疲れてきたよ。

自分を安心させるための計算が、逆にしんどい未来の長さを予見させる結果になってしまったのは、不本意だった。
しかし、辛いなりにも一応の指針が示された。前向きに捉えるしかない。
あと3時間くらいは何が何でもがむしゃらに進み続ければいいんだと!



最近誰も来ていない気配などと言ったが、前言を撤回する。
少なくともこの写真の物体…化学繊維製の何かのカバーは、そんな大昔のものでは無いだろう。
「SONY」と書かれているので、何かのデジタルガジェットを入れるケースのようだが、正体は分からない。
いずれ、私以外の誰かが以前ここに来て、激しい藪の前で集中力を切らしたものか、これを落として立ち去ってしまったようだ。

この“先行者”の目的は、なんだったのだろう。
道が道だけに、私と同じだった可能性は高いと思う。地元の山菜採りがデジタルガジェットを持ち歩くイメージもないし。(←偏見!)

もしそうであれば、彼の目的は、果たされたのだろうか。

そして、私のこの度の挑戦の結末も、彼ならば予想できているのだろうか。

(ちなみにこのオトシモノは元の場所に置いてきたので、心当たりの人は回収しに行って下さいね…)



8:37〜49 (出発から3時間15〜27分) 《現在地》

切り返しのカーブを曲がると、何か白いものが道の真ん中に鎮座しているのを見つけた。
そのまま近寄ってみると、それは凄く巨大な岩であった。
周囲に岩場は見えないし、そもそも辺りとは岩質が違う気がする。

岩の丸い形と大きな重量と斜面の急さを勘案するに、おそらく遠く離れた山上で発生した落石が緑の斜面を怒濤の勢いで突き破って、急傾斜の途中の唯一の平場になっている道へ転げ落ちてきたものと推測された。

こんなものに直撃される確率は宝くじの1等当選よりも低いだろうが、宝くじは購入しなければ当たらないのと同じで、今の私はわざわざ、僅かでも当たる確率のある場所に来ている。もしいま「当たり」が来たら、それは不幸と諦めるしかないだろう。

そんな天文学的確率を連想させた印象的な大岩は、土によごれない白さが好ましくて、私をその身の上に12分間も憩わせた。
正直、このまま3時間も藪を歩き続けては体力が持たないと感じたためで、ここで少しまとめて休み、食事をしつつ体力を回復させることにしたのであった。

そしてまたこの大岩は、工事用道路全体の中でも“ある”特徴的な区間の始まりを示す象徴でもあった。



これより、工事用道路の全線の中でも地図上で特に大きな存在感を有する、大スパンの九十九折り区間に入る。

どのくらい大スパンかというと、直前に曲がった切り返しのカーブから、この次の切り返しまでの距離が約700mもある。
そしてそこからまた次の切り返しまでの距離が、また800mもある。
切り返しのカーブとカーブが離れすぎているので九十九折りとは言わない気もするが、他に適当な表現が思い付かないので、大スパンの九十九折りということで話しを進めたい。

そしてこの大スパンの九十九折りが必要とされた理由は明確で、まるでそこに道を通して下さいとでも言わんばかりに周囲に比べて緩やかな白滝沢源頭部の斜面のなかで唯一の急傾斜帯がここにあり、それを上手く“いなす”ための技なのである。
標高1230mあたりから1400m辺りまで続く、地形図の等高線が顕著に密になった急傾斜帯を、無事に“車道として”乗り切るために、この大きな大きな九十九折りがある。

この区間こそは、工事用道路中の最大の難関ではなかったかと推察された。
そしてそれが私にとっての難関にもなる可能性は、十分に高かった。

今まで以上に、心してかからねばならないだろう。



塩那道路まで あと6km