8:49 (出発から3時間27分) 《現在地》
巨大な岩の上での12分間の休息を終え、再出発。
ここから700m先の切り返しまでは、我慢の時である。
何が我慢って、塩那道路へ早く近付きたいという気持ちへの我慢だ。
この間は本当に全く塩那道路との直線距離を縮めることが出来ない、地図上でもただ並行しているだけの区間に見えるが、それも宜なるかなで、山腹の傾斜が厳しすぎるため容易には上っていけないのである。ここは工事用道路の設計者にとっても、いかにして突破すべきか大いに悩んだであろう超急傾斜地帯なのであり、私はそれが大きな迂回になっていることを理解しながらも、道に従って上っていく以外の選択肢を自ら捨てている。徒歩なら、左の山腹を強行突破して折り返しの後の上段の道に辿り着いたほうが早いとは思うが、それはしない。
この迂回の救いとしては、一時期よりも路盤の藪が浅く、勾配も緩やかなために、ペース良く歩けることだろう。
迂回の上に激藪とあっては、さすがに自ら課した枷を取っ払ってショートカットしたくなる心を抑えきれなかったかも知れないから。
今は急な山腹に沿って歩いているので、ずっと山を前に据えて驀進してきたこれまでは得られなかった路辺の眺望というものを、藪の隙間からという不完全な形ではあったものの、幾らか得る事が出来る場面が出て来はじめた。
というわけで、これは今日最初の眺望らしいものなのだが、
もう随分と高い!
…と思った。
この時点で既に相当遠くまで見通せていて、それは即ち、近場には自分よりも高い場所がもう無いということである。
これまでずっと辿ってきた男鹿川とその支流の谷間からも完全に脱しており、それらはもう足元にひれ伏していた。
9:00 (出発から3時間38分) 《現在地》
工事用道路苦闘の動画シリーズ第2弾をご覧下さい。
とはいえ、ここは別に苦闘のシーンではない、順調に歩いている。
動画の中で、4本のツメを持った獣の巨大な足跡を見つけて無言になっている私がいるが、背後ではカランカランと私専属の防衛装置が起動しているので、大丈夫だと信じてる。
といった辺りで、9:00のチェックタイムに到達した。
GPSでチェックした《現在地》を地図に落とし、8:30の地点からどれだけ進む事が出来たかをチェックするのであるが、この間は途中で12分間も足を止めていたので、あまり進めていないのは仕方がないだろう。
具体的な進行具合は、次の表をみて欲しい。
時刻 | 区間距離 | 累計距離 | 区間比高 | 標高 | 地点 |
---|---|---|---|---|---|
8:00 | 0 | 0 | 0 | 1100 | 基準地 |
8:30 | 900 | 900 | +150 | 1250 | |
9:00 | 500 | 1400 | +50 | 1300 | 現在地 |
… |
今回の進行具合が芳しくないのは、道が悪かったというよりは、12分間の休憩のせいである。それを除いて考えれば、おそらく前の30分間と同じくらいのペースで歩けていると思う。
この調子で、また次の30分間に臨む。
こんな感じで法面が崩れて道を半ば埋めている場面もあったが、総じて大スパン九十九折りの下段区間は、藪があまり深くなく、崩壊もそれほど多くないので、これまでの区間よりは歩きやすかった。
路上に見つけた、得も言われぬ白さを持った謎のキノコ。
山の中で真っ白なものといえば、王道は可憐な花、裏道は不気味なギンレイソウといったところが思い浮かぶが、この怪しい白キノコは初見である。
食えるのか分からないが、食ったら口の中も白くなりそうだ。 (帰宅後の調べでは、オシロイシメジっぽい。屈託のないドクキノコであるw)
再び眺めの良い場所に差し掛かった。
さっき以上の好眺望であるが、視座が水平移動しただけで、標高はほとんど変わっていない。
見える方角も同じ西側で、この遠景を作っている青色の山並みは、おそらく今いる栃木県内ではなくて、お隣の福島県南会津地方に割拠する1400mクラスの山々と思われる。
現在地の標高は1300mをやや越える辺りだから、それに較べれば栃木県と福島県を隔てている山王峠がある1000m内外の山並みなど、全く視界を遮る事は出来ないのだ。
基本的にその地域で一番高い山並みが県境になっている東北地方の出身者にとっては、県境を跨いで他県の山が見える事自体が結構新鮮だったりする。
それはさておき、この段階でもうこの好眺望である。
この調子で高度を上げていったら、今日の塩那道路からの眺めは、いったいどのくらい凄いだろう。
実は、今回の探索には二つの大きな目的があった。
一つはもちろんこの工事用道路の完抜であるが、その先にもう一つの目的が。
それはつまり、6年前の曇天の塩那道路では遂に得られなかった、あの“天空街道”からの眺望を、この目で確かめることである。
栃木県の財政を揺るがすほどの巨大投資の果てに建設された塩那スカイラインが、本当の意味で我々に届けたかったものは、塩原温泉と板室温泉を結ぶ(異常に迂回する)別ルートという利便性ではなかったはずだ。あの日の私は確かにその二つの地点を行き来したが、それだけで塩那スカイラインの真価を見届けたとは思っていない。
それは大きな心残りだったからこそ、今回は絶対に快晴を確信出来る日を選んで臨んだのである。
今日は朝から霜が降りるほど気温が低く、そして快晴。午後になってから積乱雲が出てくることもないだろう。
私が立つべき舞台は、既にこの山上に万全の状況で用意されているのだ。
だから、私も絶対にその舞台へと辿りつきたい!!!
工事用道路は、はっきり言って道自体に大した価値はない。
仮に塩那道路が見事に竣成していたとしても、その価値の判断は大きく変わらない。
言い方に語弊があるかも知れないが、工事用道路として短期間を専用の目的のために使われただけの道は、一般の道に較べれば遙かに希薄な存在でしかないのだ。
だから私がこの道に寄せる想いは、塩那道路の価値を前提としたものでしかなかったといえる。別に工事用道路ラブとは言い難い。
そんな工事用道路で私が見つけた数少ない構造物の一つが、この蛇篭を用いた擁壁工である。
蛇篭は河川の水制にしばしば用いられるが、擁壁にも使われることがあり、そのまま放置しても自然に馴染むことから、仮設道路には適した選択だったものと推察される。
しかしいかんせんこの蛇篭工、あまり面白みのある道路構造物ではない。この後も急傾斜の場所にはしばしばこの蛇篭工の擁壁が現れたが、いつしか撮影もしなくなった。
9:12 (出発から3時間50分) 《現在地》
ダラダラとした道のりに飽きを感じながら歩いていくと、ようやく切り返しのカーブに辿りついた。
大スパン九十九折りの700mも続いた下段(九十九折りの切り返しと切り返しの間のトラバース区間を段と呼んでいる)がやっと終わり、新たな段(中段)へ移る場面に着いたのだった。
下段には難しい場面は無かったが、次の中段は下段に勝る800mもの長さがあり、しかも急傾斜帯から抜け出すための登坂を果たさねばならない。だから、今までよりも厳しい道のりになる事が予測された。地形図の読みでは、次の800m先の切り返しまでに80mも上っている。単純計算で10%平均の上り勾配である。
そしてそんな予測は、現地の風景にてきめんに現れていた。切り返しを曲がるなり目を瞠るような上り坂が始まったのである。
同じ続きの道なのに、下段とは別の魂を吹き込まれたかのような豹変だった。
今はダラダラとトラバースしているよりも、ググッと上ってくれる方が嬉しいが、やはり足への負担は段違いに大きく、目に見えて歩行のペースが鈍った。
体力的には万全である探索初日ではあるのだが、道自体にあまり私を喜ばせる発見の場面がないだけに、ついつい「疲労」や「苦しさ」といったところに心を持っていかれがちだった。
そんな中での癒しは、ときおり路肩から見える遠くの山の景色と、そこから連想される今日の塩那道路の格別さくらいであった。
右の写真は、路肩に用いられていた蛇篭工だ。
普段は法面に使っても、あまり路肩に用いる事はないはずなので、これは工事用道路としての特徴かも知れない。
しかも蛇篭工の癖にもの凄い落差があり、地形の険しさを物語っている。
苦闘の動画第3弾は、この中段の上り坂を歩いているシーンである。
この中で注目して欲しいのは、動画の中で私が敢えなく転んでいることだ。
撮影に気を取られていたが故の不注意といえばそれまでだが、この辺りは全体的に浮き石が多く、足運びに神経を使わされる場面であった。
しかも、この場面が特別ということでなく、随所にこういうところがあった。
動画みたいな尻餅くらいはいいとしても、万が一捻挫でもしたら、探索の成否どころか遭難の危機さえ迎えかねない。
ここはすでに生半可ではない山奥なのである。
そして、動画の最後に映る私の顔は、いま見てもなかなかにきつそうだと思う。
う、うわ…。
現在時刻は9:27で、もう間もなく9:30のチェックタイムを迎えようとしていたところだが、前の切り返しのカーブから300mほど進んだ地点(次の切り返しまではまだ500mくらいある)で、これまで以上に深い笹藪が進路を完全に塞ぐように現れてしまった。
一言で笹藪と言っても笹の種類や生育環境によっていろいろな笹藪があるのだが、中でも探索中には一番出会いたくないタイプの笹藪というのがある。
それがこの笹藪だ。
ここにある笹藪こそ、私の知る笹藪の中で一番嫌いなヤツ!
その特徴は、とにかく堅いこと。
普通の軟らかい草の藪のように手足の力で強引に押しのけて進む事が出来ない、まるで灌木帯のような質の悪い笹藪だ。
9:30 (出発から4時間08分) 《現在地》
時刻 | 区間距離 | 累計距離 | 区間比高 | 標高 | 地点 |
---|---|---|---|---|---|
8:00 | 0 | 0 | 0 | 1100 | 基準地 |
8:30 | 900 | 900 | +150 | 1250 | |
9:00 | 500 | 1400 | +50 | 1300 | |
9:30 | 600 | 2000 | +100 | 1400 | 現在地 |
… |
通算4度目の30分チェックタイム地点を迎えたが、今までで一番憂鬱なチェックタイムになった。
なにせ尋常でない笹藪に入ってしまったため、切り返し地点以降の急な上り坂と足元の悪さで落ちていたペースが、さらに悪化していた。
しかも、いったいいつになったらこの笹藪が明けるのか、全く分からない状況で迎えたチェックタイムである。
案の定、この直近の30分間の成績は“劣悪”だった。
12分間も途中で休んでいた前の30分と大差ない600mしか進めておらず、この調子では当初の目論見よりもだいぶ時間が掛かりそうだという予感が、遂に現実的な危機として実感されてきたのである。
つうか、時間だけじゃなく、体力的にも無尽蔵ではないんで、そこんとこよろしく。肉体には限度がある。
上記地点から、僅か1分後の風景が、これだ。
突然、あれほど猛威を振るっていた笹藪が路上から撤収し、鼻歌交じりで歩けそうな道が蘇った。
私は助かった! のか…?
今も道の両側には例の笹藪が控えており、いつまた襲いかかってくるか分からない怖さはあるが、いまの内に少しでも時間と距離を稼いでおくことにしよう。この平穏は有効に使わないといけない気がする。
9:45 (出発から4時間23分) 《現在地》
この15分間は、無事に平穏な道のりが続き、私も久々に「順調」という言葉を思い出していた。
そして本当に長く感じた“中の段”の道のりも終わりが近付いたようで、前方には久々の緩斜面を思わせる明るさが見えてきた。
あの明るさの中に、大スパン九十九折り区間の最後の切り返しが待っているはずだ。それを抜ければ、ようやく工事用道路としての区間も、後半戦に入るとみていい。
塩那道路への接近は、着実に果たされつつあった。
だがしかし、ここで…
またしても、怖れていたあの笹藪が!!
苦闘の動画第4弾は、9:50に撮影した最後の切り返しカーブ付近の映像である。
もし、この動画を見ても、この道を歩いてみたいと思える人がいたら、私は尊敬する。
そして、この辺りに至って私は思ったのだ。 というか、気付いた。
「なにもない。」
この道には、私を喜ばせるものは、多分もう、なにもない。
この道にあるのは、
塩那道路がその先にあるという、甘美な事実と、
立ち止まっていればやがて遭難死するという、冷酷な事実だけ。
それゆえに、私には選択肢がない。
進め!
塩那道路まで あと2.2km
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