道路レポート 早川渓谷の左岸道路(仮称) 第9回

公開日 2013.10.25
探索日 2011.01.03
所在地 山梨県早川町

 発電施設群を踏み越えて


2011.1.3 7:39 【現在地】

水道施設らしき場所を過ぎて少し進むと、山林が皆伐された場所に出た。
ここで周囲の景色を見晴らす事が出来たことから、現在地を推し量る事も初めて可能となった。
そして私は、この道が目指す左岸道路であるという確信を深めることが出来た。

早川の向こう側の斜面には、上半分にだけ朝日を受けた白い鉄の管が、巨大な滑り台のように横たわっていた。
田代川第一発電所の落水路であった。




鉄管の行方を追って谷底を俯瞰すれば、早川の狭い両岸の岸辺に、発電所の白い建物や鉄塔などがひしめき合っていた。
対岸は前述の田代川第一発電所、此岸に見えるのが左岸道路の産みの親、或いは左岸道路が“産道”の役割を果たした、早川第三発電所である。

左岸道路をこのまま進めば、遠からずあの発電所の背後の山を通過し、その際には落水路の如き物を横断する事になるだろう。

一抹の不安がそこにはあった。
果たして、現役発電所の関連施設を、私は何事もなく通過出来るだろうか。




伐採による見晴らし区間を過ぎると、再び雑木林の山腹に分け入ったが、その傾斜は一気に強まってきて、ますます“昨日の道”と同じ道っぽくなってきた。
決定的に違うのは、所々にご覧のような簡易な人道橋(木橋だ)が架せられていて、命の危険を冒すことなく安全に進める事だった。
昨夕の新倉で仕入れた情報…「現在も東電の巡視が月一回ある」…というのが間違いではなかったと、そう思った。
木橋は10年も放置されれば、忽ち崩れ落ちそうな華奢な物であったから、最近も手が入れられているのは間違いない。




橋は人道用になっていても、路盤自体は車道として人道以上の幅を持たせられていた名残が、これまた随所に残っていた。
法面に築かれた玉石練り積みの擁壁は、その最たるものであった。
心なしか、昨日歩いた区間よりも、元々の路盤の作りからして上等な気がした。

昨日の道とはうって変わって、何の苦労も覚えることなく、順調に距離を稼いでいった。
この辺りまでは、自転車でも走れそうだった。




7:46 【現在地】

左岸道路と思しき路盤を【ここ】から歩き出して15分を経過したところで、遂に発電所の施設と遭遇した。

ここで初めに出会ったのは、昨日も目にした東京電力名義の「立入禁止」の看板で、隣には「通行注意」の看板もあった。
道は看板のところで三本に分かれていて、中央の平坦に近い道が左岸道路の続きであり、左右の道は山を上り下りする歩道のようだった。
「立入禁止」は右奥に見える建物への通路と解釈し、ゲートなどが一切無いのを良いことに、私は直進した。




すると間もなく道は、早川第三発電所の1号機に繋がっている落水路の根元の部分を横断した。
右のコンクリートで固められた地面の中には、おそらく水圧を調整するためのサージタンクと呼ばれる水槽が埋められているはずだ。
サージタンクから必要以上の水を吐き捨てる為の余水路もどこかにあるはずだが、それは見あたらなかった。

地形図にも描かれている落水路の上端に辿りついたことで、現在地をこれまでになく明らかにする事が出来た。
そして、それが落水路の上端、すなわち地下導水隧道の出口に通じていた事は、この道が導水隧道の工事用道路=左岸道路であることを約束していた。




左岸道路の横断地点から見下ろす、1号落水路。
その終わりには白い発電所の建屋と、旧県道の路面が見えた。

もし途中で更新されていなければ、この施設は大正15〜昭和3年生まれである。
確かにコンクリートの角は良い具合に削り取られ、苔の纏い方も様になっていた。
肝心の水圧鉄管も、その継ぎ目がリベットであるなど、なかなか古そうに見えた。
かつてこの鉄管の一欠片ずつが、左岸道路を使って運び上げられた事を想像した。

なお、地形図から読み取れるこの落水路の落差は約130mある。
そしてこの数字はそのまま、左岸道路と西山林用軌道(=旧県道)の高低差でもあった。
この数字は上流へ向かうに連れて次第に減少し、最終的には約7km上流の下湯島集落手前でゼロになるわけである。




柵を破るような真似をすることもなく、首尾よく1号落水路を横断出来た私だが、その50mほどで先で、さらに大規模な施設に行く手を遮られた。
この施設の存在は地形図から分かっていたのだが、今度は一見して施設の周囲が高いフェンスに囲まれているうえ、迂回路のような物も見あたらず――私は焦った。

施設の正体は、昭和36年に増設された早川第三発電所2号機に繋がる落水路やサージタンク(水槽)である。
増設工事の際に地下導水路も1本増設され、現在は2本の水路が地中を並走している(ように地形図は描いている)。

昨日の私が、左岸道路の途中で何度も目にした横坑にしても、実は新旧どちらの導水路に通じているものかは分からない。
また、昭和36年の工事の際に、この左岸道路の一部ないし全部が再び工事用道路として利用された可能性もあると思うが、そうした記録も見つかっていない。結構謎深き「2号」なのだった。




発電所が好きな人が大勢居るのは存じている。
そんな人がこのレポートを読んでいるかは知らないが、私の拙い知識による説明には間違いもありそうだから、ご指摘いただければ嬉しい。

高い柵によって囲まれた敷地の内側には、こんな超巨大なウォータースライダーのようなものがあった。
写真だと分かりづらいが、同じような水路が手前と奥に並行していて、右奥にあるそれぞれの坑門から地上に出ていた。

このうち手前側の水路は、2号落水路を通じて2号建屋のタービンを回す発電用の水路であり、この写真の左端(と上の写真)に写っている水門が通す水の量を制御しているようだ。
見ての通り、この時は全く水が流れていなかった。

そして奥側にある水路は余水路であり、その水はここで早川へ捨てられる(解放される)が、こちらも全く水は流れていなかった。
どうやら2011年正月3日の午前中、2号機は発電を行っていなかったようだ。




ホッ とした。

この先へ続く道が無いか、あっても厳重に封鎖されているのではないかと心配したのだが、
柵を越えずとも良いように、山際の坑門上を回り込む、狭い人道が設けられているのを発見した。

こうした措置は、左岸道路が今なお東京電力の私道にはなっておらず、
れっきとした公道(少なくとも里道などの公有地)として(図面上は)存続している事を想起させた。
これだけ発電所施設の核心を通る道が私道であれば、真っ先に封鎖されそうではないか?




ギリギリのところで水槽の縁を回り込んで、その反対側へ辿りついた。

こちら側は前述した通り余水路であり、フェンス越しにではあるが、急傾斜の余水路が早川まで130m超の地獄的ウオォー!ター!スライダーになっているのが見えた。

もちろん、その最後は緩やかに着水と言うことはあり得ず、旧県道の“放水路隧道”をジャンプ台にして、華麗な放物線を描き墜ちる事になるだろう。
お手製の笹舟にチャレンジしていただきたいものであるが、例によって水は流れていなかった。




7:56 【現在地】

新旧の導水路坑口を無事乗り越える事が出来、ここからはネクストステージの感があった。

ここから、当面の目的地となる楠木沢まででさえ、まだ2km強もあって、
そこではこれまで以上に険しい地形の出現が予測されるが、
少なくともその途中には、昨日下から見つけた隧道1本があるはずだ。

新倉の古老が、かつて新聞紙に火を点して通り抜けたという、暗黒の隧道…。




スポンサード リンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
遂に「山さ行がねが」が書籍化します!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。 ヨッキれんやトリさんの廃道探索シーンを一流のスタッフが命がけで撮影した、日活の廃道ドキュメンタリーシリーズ第1弾


アレ…れ…。

何だこの展開。

何だか、急に荒れだしたぞ。

昨日のような道に、なってきたぞ。


だ、大丈夫なのか。

古老の情報 〜毎月巡視してるよ〜 は、確かなのだろうな……。

なんて、思っていたら! ↓↓↓




この橋は大丈夫なのか?オイ!




7:58
2号落水路から僅か2分後の出来事。

今まで何度か渡ってきた人道木橋と同じような作りではあったが、この橋はなんか本能的に「渡っちゃなんねぇ」気がしたので、迂回する事にした。

よく見れば、迂回コースとなる斜面上にもうっすらと凹んだ踏み跡があり、さらには(信頼出来るか全く不明の)存置ロープまで渡されているではないか。

やっぱり間違いない!
これは、うっかり渡ったらヤバぃ橋だろ!


…迂回だ。 迂回!




容易く私を退けた、この橋。

手摺りが無いのは確かに嫌でも、
構造自体は案外しっかりしていると見る人も居るだろうが、

元が人道用というのが恐ろしいのだ。

人道用ということは、元もとの耐荷重性能が小さいのであるから、老朽化による性能の低下で、私の体重でも呆気なくが耐荷重性能をオーバーしている可能性があった。

人道用橋の老朽橋は極めて要注意。

これは経験則が導き出した、オブの重要な鉄則である。




最初の橋を迂回したが、それで終わりではなかった。
まだ、後半戦があった。

しかもこの後半は迂回路が無く、渡っていくしかないようだった。

どう見ても、木橋が撓っててヤバイのにぃ…。




正直、この状態は、

渡っている最中に崩れ落ちないとも限らないと思ったが、

沢山のワルニャンたちの足跡が橋上の雪に刻まれているのを見て、元気が出た。

人間の足跡が一つも無いことを、気にしてはいけない。

それに万が一橋が崩れ初めても、この高さならば大脱出も可能と思って渡った。

そもそもがいま思えば、この橋などはこのあとに現れる橋に較べれば、平和すぎて泣けてくるほどだったのだが……。




朽ちかけた人道橋を渡ったり迂回したりして先へ進むと、すぐにまた気になる物が行く手に現れた。

それはかなり巨大な構造物で、谷筋にはコンクリートで突き固められた余水路のようなものを伸ばしていたし、道の上にも大きな段々の石垣の構造を持っている事が伺えた。
それはまるで、まるで城塞のような“何か”であった。

地形図には何も描かれていないので、この場所に大きな構造物があるのは完全に予想外だった。




8:01 【現在地】

どうやらこいつの正体も、地中にある導水路から引き出された余水路のようだ。
フェンスで囲まれた部分が地下へと通じていたが、例によって水は出ていなかった。

新旧、どちらの水路に関わる施設であるかも問題で、それによって左岸道路との関わり方も変わってくるはずだが、そうそう都合よく現場に答えは用意されてなかった。
ただ、よく見ると、水路を渡っている人道規格の鉄橋が置かれている石造の橋台は、明らかに幅を持て余している。
従って、この石造の橋台は、「車道規格」であったことが伺えた。

このことから即座に橋台が左岸道路現役当時の物であるとも断定出来ず、昭和36年の増設工事に拠る可能性もあるが、いずれにせよ現在の人道橋は、本来の構造物でないようだった。




この施設の上部へ通じる階段があったので、登ったところから振り返って左岸道路を撮影した。
(これより上へは、柵があって入れなかった)

石造の堅牢な橋台といい、この微妙なアールを描いたカーブといい、
昨日見た左岸道路よりも明らかに高規格な雰囲気が感じられる。
これならば、軌道が敷かれていたといわれても、違和感を感じないだろう。

そういえば、先ほどの朽ちた人道木橋のところにも、僅かに車道時代の石垣の痕跡が崩れ残っていた。
元々は結構立派な車道であったことは、もはや疑いがないところまで来ていた。
昨日の路盤と違い過ぎるという指摘に対しては、工事用道路であれば不自然ではないと返答したい。
通常、工事の起点側に近い区間ほど多くの輸送が行われるので、路盤を堅牢にする必要がある。
経済性が特に優先される工事用の施設としては、全線を同じ規格で作る必然性は乏しいのである。




全面金網と施錠された鉄格子によって塞がれている横坑部分の構造は、昨日も一度見た憶えがある、歩道部と水路部を左右にセパレートしたものだった。
また、坑口の傍に財産管理標のようなプレートが設置されており、その内容からこの施設の一部の正体が分かった。

早川第三発電所 加良沢横断水路管
 鉄管路延長 ― 6m000
 内径     ― 3m000
 (略)
 制作年月  ― 昭和36年8月
 (略)

この内容から分かることは、この施設の一部が昭和36年、すなわち水路の増設時に建造されたことだ。

なぜ先ほどから「一部」を強調しているかといえば、この施設がプレートに示された横断水路橋だけではないと思ったからである。
そもそも、長さ6mの横断水路橋なるものは地表に露出していないようで、ここから見る事は出来なかった。

それよりもむしろ、圧倒的な存在感で私の目を奪ったのは、足元のシースルーな金網人道橋の下に展開した…… ↓




この殺人ウォータースライダー余水路であった!!

いつぞやの山寺殺人滑り台を巨大化させたような姿は、私を著しく戦慄せしめた。

尻にダンボールを敷いて滑ったら、下に着くまでに間違いなく“摺り下ろし人体”になってしまうだろう。


おそろしや、おそろしやと、念仏唱えつつ渡った私の前に、


さらに間髪入れず…



美麗な長大石垣が現れた!!

昨日はほとんど“厳しさ”しか見せてくれなかった左岸道路だが、

今日は機嫌がいいのか、随分とチャーミングな表情も見せてくれている。

やっぱりこの道は、まだまだ私を楽しませてくれそうだ…!