道路レポート 林道樫山小匠線 第6回

公開日 2014.7.26
探索日 2014.3.27
所在地 和歌山県那智勝浦町〜古座川町

自己責任車道の恐怖と魅力




2014/3/27 8:32 

さて皆さんも思い出して戴きたい。

現在地は、林道樫山小匠線のほぼ中間地点で、那智勝浦町の小匠集落から4.1km地点の林道高野線(仮称)分岐地点(=栃の川橋)である。
今回の探索の目的地である古座川町の樫山集落跡までは、残り4.0kmと計算された。

写真は、同分岐地点から眺める樫山方向の本線だ。

なお、ここから先の探索内容をご覧戴く前に、皆さまにぜひ意識しておいて欲しいことがある。
それは、「この道が樫山集落へ通じる唯一の車道だった時代が長かった」ということだ。
路線名こそ「林道」だが、単なる山仕事のための道ではなく、生活必須の道路であったということを念頭に、この道を味わっていきたい。以上が私からの少々おせっかいなお願いである。

それでは、前進再開!!



栃の川橋を後に、小匠川本流沿いの道へ進む。
すると、ここまでには見られなかったやや強い上り坂で、みるみる水面との高低差が増した。
ただし、常に水音が聞こえる川縁であることは変わらない。ただ比高のみが増していく展開。谷筋の地形はとても険しく、道の山側も川側もどっちも崖だ。
そんな崖の苔生した風合いは、当地の温暖湿潤な環境によるものなのだろう。

ガードレールはおろか転び止めの一つも無い“撫で肩”の路肩下には、常に小匠川の水面があった。
直前まで見ていた支流高野川との圧倒的水量の違いは、改めて1時間前の戦慄の恐怖(路盤水没)を思い出させた。
これほど沢山の水がいったいどこから現れるのかと思うほど、海のように青い水が谷幅をいっぱいに流れていた。
万が一自転車の操縦を誤って墜落したときにクッションにはなりそうだが、直後に溺れそう。当たり前過ぎるが、ぜったい落ちないように注意しないと。自転車探索は少なくとも徒歩よりは危険が高いのだし、強雨後というコンディションも注意を要する。




8:36 《現在地》

分岐地点から300mほどで、切り通しを通過する。
急カーブの突端にある切り通しだ。

切り通しそのものの規模は小さいが、この僅か長さ5mほどの切り通しによって、激しく蛇行する小匠川の流長約1500mを短絡している。
そのため、切り通しの前後に見える小匠川の水面には、一目で分かるほどの高低差(10m前後)がある。
分岐からここまでのやや厳しい上り坂は、この大きなショートカットを隧道無しで実現するためのものだったといえる。




切り通しを過ぎても、まだ水面との比高は結構残っていた。
険しい岩場をクルマ1台分の幅だけ削り取って、路面に砂利を撒いただけの簡単な車道である。
人為的な路肩の擁壁は所々にあるだけで、基本的には削りっぱなしになっている。
法面に至っては、全てが無普請(ほったらかし)だった。
もちろん路面も平坦ではなく、崩土を踏み固めたために生じたと思われる微妙なアップダウンが随所に見られた。

(トンネル前の高さ制限標識以外の)道路標識は無し、カーブミラーも、ガードレールも、デリニエータ(反射材)も全部無し。
このような徹底した自然主義(つうかローコスト&ローパワー)は、支線的な林道高野線(仮称)とも共通した特徴で、今日の日本で通行されている多くの道路との大きな相違といえる。 過保護一切無し。

序盤の水没だけが特徴の道という訳ではなかったのである。



例えばこの場面。

何気なく路肩を見れば、とんでもない怪しさだった。
カーブした路肩を埋めているのは、細長い1枚の錆びた鉄板でしかなく、下は空洞。そんな鉄板を撓まぬように支えるのは、腐って折れた棒きれ1本だった。

この路肩に事情を知らない自動車が無造作に乗り上げたら、どんなことが起こるだろう? …何も起きないことを祈るしかない。

このように素人目に見ても危険な道路が、今日なお一般の車輌に解放されていることの、特殊性。
今日ここへ来る途中の行程を思い出してみても、小匠ダム付近の工事や水没といった一時的な事由を除けば、封鎖するゲートもなく、普通に解放されていた。
ようは、通行しようとする一人一人が自らの判断で行く(いける)か退くかをその都度考えろという態度なのだと思われる。

これって、今日の日本では珍しい管理者の態度だ。
整備状況が疑わしい道は、とりあえず一般車通行止が基本なのにな。



まるで森林鉄道のような道路だった。

木造の橋脚で支えられた桟橋が頻繁に出現し、自転車の私にとっては心地よいスリルだったが、道幅をいっぱいに使わねば通れない四輪ドライバーにとっては笑えないだろう。
一応、橋桁は木造ではなく鉄板だったが、木造橋脚に支えられている事実は揺るがない。

それに、この道にはほとんど待避所といえるものが無い。
対向車と遭遇したら、訳の分からぬほどどちらかがバックする羽目になる可能性が高い。
ガードレールもカーブミラーも無い道で、私だったら泣きが入る。

おそらく、この道を興味本位以外で通行する人は、極めて少ないと思われる現状。
逆にいろいろな興味を持つ人はいるだろうが、訪れるならば四輪のクルマだけは避けた方が絶対に無難だ。ヤバイと思って引き返すにしても、方向転換出来る場所は非常に限られている。


この道の素顔をもっとリアルに感じて貰えるように動画を用意した(→)。

動画に収められている100mほどの区間は、この道にとって特別な区間ではない。むしろ特に標準的なシーンである。
そしてたぶん、この動画を見たら「私も走りたい!」と思う人が沢山いるだろう。
私自身、動画を見直して改めて、この道が二輪車にとってのパラダイスだったことを再認識した。

封鎖された廃道ではないが、この道を訪れるならば、自分の目でちゃんと道の状況と安全を確かめながら走って欲しい。
現役の道路だからどこを通っても大丈夫だろう。封鎖されるまではいけるだろうと考えるのは、厳禁である。
ここは、紀州が誇る“自己責任車道”である。




8:50 《現在地》

この道は、山岳道路とは思えないほどに全般的な勾配が緩やかだ。
川沿いだからということはもちろんあるが、その川自体の勾配が厳しければ、川沿いでも急な道になる。

深い峡谷を通っているのに勾配は緩やかという、浸食が進んだ低山地帯独特の雰囲気がある。関東近郊でいえば房総半島の内陸部みたいなカンジ。違いとしては、房総半島よりも圧倒的に雨量が多く、川が本格的だということだ。

高野分岐地点からは1.2kmほど前進し、次なる小目的地である山手川分岐地点までの中間を過ぎているが、川の勢いは衰えていない。路傍の木々の合間には、濃い青と強い瀬音が満ちている。




唐突に現れた、小さな木橋。

構造としては、2,3本の鉄板の上にクレオソート(防腐剤)加工を施した木材を
隙間無く並べただけという、極めて単純なものだ。見ての通りで超シンプル。

あくまで私の想像だが、一昔前の山岳道路には、こういう橋が数え切れないくらいあったのだろう。
今では畦道や遊歩道くらいでしかほとんど見ることが出来ない、無欄干の単純木橋であった。



幸せ道路体験中!

今になって思えば、“水没路盤”などという前代未聞の障害も、

このとびきり瑞々しい山河を満喫するための登竜門だったような気がする。

無論、結果がそうあっただけで、ああいうワルさがいつも報われるわけではないが、

強烈なカタルシスのある成功体験として、この探索は深く私に記憶されることになった。




8:56 《現在地》

そしてやや唐突に現れた、本線2本目の隧道。

こいつがまた印象深いんだ。