栃木県道369号黒磯田島線 深山隧道旧道 前編

公開日 2011.3.24
探索日 2007.12.7
所在地 栃木県那須塩原市

※このレポートは、「廃線レポート 白湯山林道(森林鉄道)」の続編となります。


【周辺地図(マピオン)】

栃木県道369号黒磯田島線は、栃木県那須塩原市の黒磯と福島県南会津町の田島を結ぶ、全長57kmあまりの路線で、県道指定は平成8年で比較的最近だ。
だが、県境の男鹿峠は10年以上も不通のまま廃道化が進行しており、路線名も全うされているとはいえない。

とはいえ、今回この路線で取り上げるのは男鹿峠の廃道区間ではなく(探索は済んでおり、今年4月頃に発売を予定している「廃道をゆく3」に収録予定)、黒磯側から男鹿峠に向かう途中にある、旧道の廃道だ。

木の俣地蔵がある東一帯の平坦部を「地蔵平」と呼んでいるが、その背後には標高788mの尖った山があり、北側の斜面は那珂川に大きく迫り出し絶壁を作っている。
そしてこの難所に“良い道”を通すべく、これまで数回の試行錯誤…路線の付け替えが行われてきた。

近世以前の徒歩道はとりあえず除外して、最初に作られた車道は、ここに紹介した牛馬道で、木の俣地蔵の下から全長420mの隧道で鞍部を抜くルートが、昭和6年にどうにか完成した。
だが、この隧道はおそらく失敗作といわざるを得ないもので、数年も経たず崩壊の危険が高まったと思われる。

そして次に建設されたのが、今回紹介するルートである。
当時一帯山林の伐採権を持っていた日野木材という会社が、従来の牛馬道と森林軌道を廃止し、トラックによる一貫した木材輸送を行うべく昭和18年に建設した新道で、戦争遂行のための増産を目的とした道ということで、地元では「決戦道路」と呼ばれたそうだ(「黒磯市誌」)。
この道の正式名は白湯山林道といい、平成8年に県道へ編入されるまで、この名前は存続した。

もっとも、今回紹介する区間については、それより前の昭和44年に廃止された。
当時この上流で進められていた深山ダム建設工事の進入路として、新たに深山隧道(全長270m)が建設されたためだ。
したがってこの旧道は、厳密にいえば県道369号の旧道ではなく、あくまで白湯山林道の旧道である。



あの隧道の反省から、作られた道



2007/12/7 15:00 《現在地》

この探索は、当路線関係では一番最初に行われたものである。(既に執筆時点では3年以上が経っている)
それだけ、この場所には優先して探索したいという思惑が働いていたわけだが、その理由は、地形図を見ていて感じた興味だった。

現在の地形図(上の《現在地》のリンク参照)には、この旧道が全く描かれていない。
そしてこれより古い地形図を各版ごとに辿っていっても、やはり旧道が描かれているものはない。
昭和44年よりも古い地図であっても、なぜかこの旧道は全く描かれておらず、替わりに昭和18年に廃道となった旧隧道を現役として描いているのだ。

おそらく地図を作成する側でも、わざわざ線形良好な長大隧道を捨てて、崖沿いの迂回路を作ったとは思わなかったのだろう。普通はこの逆だからだ。

探索を行った当時は、まだ旧隧道の存在については半信半疑だったものの、ここに旧道があるらしいことは読者さんからの情報で知っていたので、地図に描かれることなく消えていった旧道に、大きな興味を感じていたのである。



いきなり脱線するが、この旧道の入口にあたる深山隧道東口前の広場に立っている、おそらく旧道時代のものと思われる保安林案内板。
そこに描かれた地図がイカしている。

旧道が描かれているといっても注目はそこではなくて、当時(昭和44年以前)の一帯にあった道の名前が、今とはいちいち異なっているのが、“萌え”なのだ。

簡単に説明すると、左から順にまず「塩那スカイライン」。
最近の地図ではこの名前どころか、道自体の表記が消えつつあるので貴重だ。
次に、「白湯山林道」は前述したとおりこの道の旧称。
下の「県道黒磯板室線」は、現在の県道「黒磯田島線」の先代の道。
右に行って「県道那須湯本板室黒磯線」というのは、県道路線名としてこれ以上見たこと無いほどの漢字数!
しかも一瞬、4つの地名が並んでいる路線名珍しい!と思ったが、これはフェイクで那須湯本が1つの地名。
ちなみにこの道も現在は県道「中塩原板室那須線」(すなわち塩那道路と同じ県道、文字数も相変わらず多い…笑)に変わっている。




勝手に盛り上がりつつ、広場の奥の隅まで行くと、いきなりご覧の通りの香ばしさ。

特に立入禁止とかは書いていないし、人工的なゲートのようなものもない。

ただ、大きめの自然石が3つばかり路上を…おそらく故意に…塞いでいる。
夏場は結構やぶが酷そうな感じもある。

ちなみに、左に見える白っぽい塊は、石ではない。
不法投棄されたと思しき、ソファーだった。




おおっ!

 良いね。 良い雰囲気。

この旧道はたかだか270mのトンネルを迂回するだけの区間である。
どんなに長くても長さは500mくらいであろうが、初っ端の雰囲気はなかなか期待させてくれる。

誰も退かさなくなった落ち葉が、路上に5cmくらいの厚みでもっそりと積もっていた。
歩きにくいほどの深さではないし、でも処女性は感じされるような、幸せな展開だ。
それにまだ現道からほとんど離れていないが、その現道の通行量が微々たるものなので、既に静かなる山峡の風情である。




むむむっ!

やっぱりこいつは、廃道だ。
間違いない。

まだそれほど険しい地形とは思われないが、ゆるーい感じに法面が崩れ落ち、道全体を斜面に変えていた。
今回は自転車を持ち込んでいないが、早速それが正解と感じさせられる展開。



崩れたその先には、また元の平穏な路盤が続いている。
そしてその始まりのところには、崩れゆく路肩にぎりぎり踏みとどまった標識が…。

黄色い塗色が塗られたそれは、見慣れた警戒標識の形をしてはいたが、消えかけた内容は「落石注意」という、一般的ではないものだった。
勘違いしないで欲しい。
落石注意の標識自体は珍しいものではない。
しかしそれは普通「」であり、文字でそのまま「落石注意」と書いてはいない。

このお馴染みのアイコンを用いた標識は、正確には「落石の恐れあり」という標識で、「落石注意」とは微妙にニュアンスが違う…かも知れない。
しかしここでアイコンの標識が使われなかった真の理由は、それが昭和42年に制定されたばかりの比較的新しいものだからだろう。




険しくなって参りました!


切り立つ“裸法面”と同時に現れ始めた、

ガードレールが一般化する以前のコンクリート欄干が、愛おしい!

しかも、かなりたくさんある。




よく見るまでもなく、このコンクリート製欄干には、廃レールが用いられていた!
この道がそれまでの森林軌道を撤去して作られたという、市誌の記述を補強する発見である。

白湯山森林軌道では6kgレールが用いられていたそうだが、ここにあるものもそのくらいの太さに見える。
ちなみに6kgレールは、林鉄で普通用いられていたレールのなかで、一番軽量なものである。

なお、当初このコンクリート支柱の上面には、黄色の危険色が塗装されていたらしく、わずかにその塗装が残っているものがあった。
現在では見ることのない古い時代の道路保安方法に、萌えざるを得ない。

15:05 《現在地》

そして、この辺りで道の進行方向は90度西へ転じ、いよいよ地形図上で等高線が非常に密な部分に入っていく。

それに伴う景色の変化も、てきめんだった。




まず第一に、路肩から見晴らされる風景が一変し、同時にとても広くなった。

さっきまでは那珂川の谷が木々の隙間に感じられる程度だったが、
今はその広がり…那珂川と矢沢が合流する谷の広がり…が、はっきり見渡される。

幸いこの道の行く手とは関係しないものの、出合に面する斜面の尋常ならざる大崩壊が目立つ。
それが周辺の山色に比べ余りに異様なので、その背後で那珂川本流谷を塞ぐ深山ダムの巨体が霞んでいる。


そしてもちろん、

道自体の変化は、もっと大きい。




いよいよ崩れて参りました!!



最初に述べたとおり、この旧道は短い。

もう1/3を終え、残りは300mくらい。


でも…


↑この斜度は、きっと尋常じゃないはず!

まあ、やんちゃさんね! たくさんのガリーまで生やしちゃって。




少し移動するたびに景色が大きく変わっているように見えるのは、とても複雑な地勢を見下ろす一等地だから。

今はもう那珂川の本流は尾根に隠れ、替わりに矢沢が本流並みの谷幅を持って眼下に横たわっている。

左端の山腹に見える直線は、この道の続きである。
もっとも、あの辺はもう現道。廃道ではない。
そして前のレポで紹介した「3号隧道」というのは、矢沢と那珂川の間を隔てる正面やや右よりの尾根を貫くものだった。
もうちょっと奥なので、ここからは見えないが…。

見晴らしはよいが、孤立を感じる眺めだった。




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甘くなさそうだ。

これは、マジにならざるを得なそうだ。

この当時、あの2号隧道の惨状は知らなかったが、もっと古い時代の地形図に隧道があるのに、なぜそれよりも新しい道がこの場所にあるのか謎だった。

謎のまま、それでももちろん道がある限りは前進し、その全容を確かめたいと思った。
今でもその態度は変わらないと思うが、この時に連想していた道は、時期的なこともあって、「日原旧道」だった。

だいだい同じ時代に同じような林道として作られ、同じくらいの時代に廃止された道。
遠く場所は離れていても、地勢まで似ている(険しいということだけでなく、岩盤の白っぽさとか、谷底との比高も)こともあって、両者のイメージは結びつけやすい。

そして、思った。




どっちが上か、見せてみろ! と。





見せてきた〜!

さっそく、見せて来やがった!!

日原旧道には現存しない、廃橋という遺構を。

廃橋という難所を。

廃橋という平滑斜面を!


……おかしいから!
絶対におかしい!
橋の上にこんなに土砂が積もってるなんて、あっちゃイケナイ。

なぜならば…




15:08 《現在地》

万が一斜面から滑ったときの結末が、救われ無さすぎる!!

例外なく死ぬ。


嫌すぎるぞ…。

当初あっただろう欄干も、親柱と共に気持ちよくねじ切られどこかに消えているし、斜面上で滑ったときに、それを止めてくれそうなものが全然無い。
そういう意味では、「松の木峠旧道」にも通じるが… 

過去のいろいろな難所に通じすぎだろ!!




迂回路… 迂回路…



なんてあるワケねぇ!!


つか、迂回路は【ある】んだった。

【現道】という、完璧な迂回路が…。


まるで鼠返しのような岩盤だ。
上に行くほど険しくなっていて、お得意の高巻きも……

加減が難しそうだ…。





写真からは、斜度というところにまず目が行くと思うが、ご存じの通り、実際に踏破の難しさを決めるのは斜面の土質である。

むしろその意味で、この斜面は私を怖じ気づかせた。

うっすらと表面に乗った落ち葉→滑りそう。
密な砂礫質の斜面→引っかかりが悪そう。 大粒の岩が混ざってる→転がりそう。

いろいろと良くない材料が見て取れた。


…もし自転車同伴なら100%辞退した。

今回は単身なんで、行けるところまでは行ってみることにした。
危なそうならば、引き返そう。単身ならそれも可能だ。





無言にて横断中。

そして、やっぱり、臆病者の高巻きを実施中。

“死の縁”との距離を、少しでも離したいという自然の心理から来る行動。

でも、さっきも書いたとおり、上がりすぎると逆に危ない。
人は登るよりも降りる方が根本的にヘタクソだし、上に行くほど斜度がきついので滑落しかねない。

微妙な地面の凹凸を足裏で確かめながら、場合によっては少し爪先で地面を掘りながら、一歩一歩進む。

その際には、どうしても谷底を見下ろさざるを得ない。


…それなりに肝を冷やしたが、核心の部分を越え少し安心したので、斜面内で短い【動画】を記録した。




あとは、次の路面へと下るだけだ…。


(ボソッ)…もう、戻ってくるのは、嫌だなぁ。