尾盛駅への道 最終回

公開日 2010. 5.14
探索日 2010. 4.19


今は集落もなく、全くの無人となって久しい山峡の地、尾盛(おもり)。

そんな場所に、まるで捨て猫のように置き去られた「尾盛駅」は、秘境駅となることを最初から宿命付けられていた。

最寄り集落が無いことだけで、もう十分に“秘境駅的”なワケだが、なんと言っても「尾盛駅」をして“最も理想的な秘境駅”たらしめているのは、そこに至る道が無いと公称されていることにある。

少なくとも、最新の地形図には、この駅と外界を結ぶ道は、ただ一本の鉄路のほかになく、また歩いてこの駅にたどり着いたというレポートも、あるかないか…。
私には見つけられなかった。
そして、それゆえに私は“挑んだ”のだった。


その決着は、もう間近に迫っていた。

予感されていた結果ではあったが、尾盛駅は、当初から完全に孤立していたわけではなかった。

現在地は駅のわずか2〜300mの手前であるが、隣駅の「接岨峡温泉駅」からここまで、相当古そうな“車道”が付けられていたのである。
そしてその大部分が、平成ヒトケタ代に整備されたらしい…どことなく空虚さの漂う遊歩道となって、再利用の後…、棄てられていた。

もはや、この古い車道が尾盛駅周辺への“旧道”であった事は、ほぼ間違いという無いレベルで確かめられたわけであるが、この調査はいつもの調査と同じように、身体を張った調査である。
調査結果が判明したいま、レポートとしては、もう伝えるべき内容はほとんど無いかも知れない。
しかし、私がちゃんと下山しなければ、そもそもこのレポートが世に出ることもないし、「駅前遭難」などという“オブにふさわしくないオシャレ用語”を作ってしまうことは絶対に避けたい。

上記は少々大袈裟な口上のように聞こえるかも知れないが、私がいる現場は「駅から2〜300m」という言葉のイメージとは隔絶された、文字通りの危険地帯だった。
その恐怖を、直前のたった一箇所の落橋現場でいイヤ!と言うほど味わった私は、残り10分という本来は意識すべきではないタイムリミットとともに執拗な緊張を強いられており、初めて「遭難」の危険を感じもしたのであった。


現在時刻 15:00

★乗車目標 (第1希望)
 尾盛発 14:53 (千頭方面行き)


☆乗車目標 (第2希望)
 尾盛発 15:10 (井川方面行き)


○最終防衛ライン(終電…)
 尾盛発 16:28 (千頭方面行き)




尾盛駅前探索


15:00

ここから駅までの距離は2〜300m程度と思われるが、駅そのものは見えなかった。
だが、大井川の旧河道と思われる谷間を線路が通じているという地形は特徴的で、その中で周囲に広大なスギの植林地を持っている駅の在処は分かり易かった。

或いはもしこの眺めが、接岨峡温泉なり、閑蔵なり、隣駅とか隣接する集落のどこかから見えたなら、尾盛はこれほど「秘境駅」としてもてはやされなかったかも知れないと思う。

問題は、この“高低差”である。
うまく軟着陸出来るといいが…。




で、これが現在地の路盤状況。

落ちた吊り橋の直後であるが、とりあえず、それまでと大きく状況が異なっていると言うことはない。
また反対に、尾盛駅側からここまで人が大勢来て、引き返していったような感じも受けない。

ようは、長年放置されてきた廃道、そのものである。


ここから、小走りにも近い感じで再出発すると、間もなく…。




残念なことに、これは直前の落橋現場を、振り返って撮影したモノではない。

間髪入れずに、また現れてしまったのだ。

先ほどと同じような…

いや、それ以上におぞましく、命の危険そのもののような崩壊現場が。

そして今度は、「是非に及ばず」だった。

先ほどは、時間的にまだ幾分の猶予があると思っていたし、何よりも、与する余地があるように見えたから“粘った”、そして“勝った”わけだが、今度のヤツはもう一目見て、どうにもならなかった。

矢印の部分に垂れたワイヤーがあり、吊り橋だったらしいのだが…。




まあ、これは時間が如何にあったとしても諦めるレベルだ。

そう自分を慰めて、突破断念を即断。
以後、エスケープルートを探す事に全力を注いだ。


そして末端部に立って前景を観察すると、そこには途切れ途切れのラインとなった路盤の跡が見えた。
さらにその15mほど下方にも、もう一段別の平場が見え、そちらはコンクリート製の強固な路肩工を有していて、私を驚かせた。
だがその奥に視線を滑らせると、擁壁が実は路肩工などではなく、井川線の「第32号隧道」の坑口延伸部分であることが分かった。
遠くには地上に現れた線路が見えた!

これで今後の踏破方針が決定。
私はこれから、駅への最短のルートとして絶対に疑いのない“線路”へ向かうことにする。
基本的に線路歩きは最後の手段、最後のエスケープと考えていたが、この急峻な地形では、道以外の部分をトラバースすることは実質不可能であった。




で、

足元にはこんなモノがあった。


存置ロープ”というやつである。


トラロープのトラ模様は、まださほど色褪せておらず、それなりに強度も撓りもありそうだったが、ほとんど垂直に近い崖で、まして下にクッションのまったく期待できないこの場面では、頼れるものではなかった。
いったい何者がどんな目的でロープを残したのか気になったが、駅側からの挑戦者の置き土産(先ほどの場面にはロープは無かったが)かも知れない。

ともかくこのロープを進路とすることは出来ず、20mほど引き返した所にやや斜面の緩やかなところを見つけ、立木に頼ってそこを下ったのである。




15mほど下降すると、先ほど上から見下ろした「第32号隧道」の北口延伸部が目前に現れた。

ここには、さっきまでずっと線路の下にあった大井川の水面はなく、かなり深い支流の谷が感じられた。
そしてこの谷の源流が、尾盛駅のある小さな平地なのである。

足元はまだく駅の出現を予感させない険しい地形だが、前方には明るい空間の広がりも感じられた。




うむ。

わるにゃんこ…だな。

これが廃線ならばきっと興奮するところだが、今は逆の意味で興奮というか、冷たい背徳感に苛まれる。

ちょっと失礼して、ここは容赦せず進ませてもらうことにする。
いま列車が来ないことは、まず間違いないはずだ。
万一ダイヤ通りでない列車が来るとしても、井川線の車輌はこの静かすぎる山峡にあって相当に喧(やかま)しいので、気付けず轢死ということは考えにくい。




15:03

断念の決断が早く、まだあと7分あった。

当初の計画からは不本意ながら、残りは線路歩きとすればまず間に合うだろう。

この線路から、ほぼ目線の高さに眺める尾盛の“森”は、周囲のほとんど天然林と思われる山域にあって、いやに“どす緑”で目立っていた。
駅があったお陰で盛んに植林されたのか、或いは逆で林業のために駅が置かれたものか。
このあたりの事情については、駅そのものに詳しい方のレクチャーを待ちたい。




残念ながら、旧道探索はここで「打ち切り」である。

恰好を付けるわけではないが、こういう妥協ははっきりと妥協したと書いておかねば、より完成度の高い探索をしようとする人の妨げになるだろうし、自分自身でも再訪の芽を摘むことになりかねない。

おおよそ100m程度の未踏破区間(うち10mほどは物理的に踏破不可能で、別の50mほどは目視でも確認していない)を残して、今回の挑戦は終了した。
この下側から末端部までアプローチすれば、未踏破100mを90mにまで減らせる可能性は高かったが、「残り数分」というこの場面で私はそうしなかった。
(この日はこれで終わりというわけではなく、もう2箇所ほど行きたい場所があったこともある)

また、道も最後は線路の法面によって切断されているのか、合流地点も確認できなかった。
この二点は心残りであり、いずれ再訪を期したいものである。






耳をそばだてて、不意の列車の接近に注意しながら、良く均された路盤を駆ける。

これは褒められた行為ではないが、尾盛駅から外界へ行こうとしたら、どうやっても踏切外の線路を通らねばならない。

そもそも、外界に行っちゃ駄目な駅なのかもしれないが…。



そして、遂に見てきた尾盛駅の“ホーム”というのが、私の判断を肯定するような代物だった。




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15:06 《現在地》

尾盛駅到着!

接岨峡温泉駅から一部“廃”遊歩道化した廃道を辿ること1時間45分、
プラス線路歩き3分ほどで、遂に尾盛駅に到着した!


寄り道一切無しならば、1時間半あれば十分辿り着ける計算である。

さすがに、日常的に使いたい状況ではなかったが。


ともかく、秘境駅尾盛への地図にない道は存在した事が確かめられたし、しかもそれは車道だった。


以下は帰宅後に読者さまからの情報提供で明らかになったことであるが、
接岨峡温泉駅のある接岨地区から尾盛(厳密に尾盛駅を示しているかは不明)まで、
かつては日常的に「オート三輪」が通っていたそうである。


現在井川線の尾盛駅から出る道が一本も無い事になっていますが
昔は接岨地区から尾盛までオート三輪が通れる道があったそうです。
地元の方(長島ダムふれあい館の館長さん)に聞くと、昔は尾盛までオート三輪で物資を届ける時に
よく荷台に乗せてもらったとお聞きした事があります。

井川線を20年近く撮り続けている鉄オタ(仮名)さまより




尾盛駅…。


これは地図だけじゃなく、実際に現地に立ってみても、確かに「駅から出ている道は無い」ようにしか見えない。

そもそも、駅前に車道がないせいで、「駅前」という観念自体が希薄だし、駅を取り囲むフィールドのほとんど全てが起伏のある山林のため、入口も出口も何もあったもんじゃない。
強いて言うならば、私が辿ってきたルートもあるこの接岨峡温泉側が“表”なんだろうが、最終盤は線路と同化してしまったらしき廃道の痕跡は一切無く、また背後の山などへ、いかなる(廃)車道も延びてはいなかった。

紛れもなく、鉄道以外の交通から隔絶された駅である。
そして、完璧にそう見えるからこそ、あの廃道は、今までほとんど手つかずのまま、放置されてきたのだろう。
歩道があると知られていたら、通りたいと思う人は、きっと私のほかにもいたはずだ。




15:08 《現在地》

安心したのは、尾盛駅構内が意外にも明るい感じの場所であったことだ。
そこは南北に谷が走る山間の小盆地であり、また東側の山は比較的に低いことから、日の長い時期には結構明るい時間も長いらしい。
少なくとも、私が訪れた午後3時には、圧倒的に高い西側の山の陰も駅を隠してはいなかった。

駅名板やら、その由来を「たぬき」と絡めて面白く紹介した(創作された物語の)看板、そして狸の置物複数、「自然度100%」などと自ら秘境度をアピールする開き直った観光看板などが、狭い範囲に集中しておかれており、ここが尾盛駅に降り立った乗客達の、主要な時間の潰し場であることを感じさせた。

繰り返すが、駅にはありがちな、周辺の観光名所だとか、そういう案内物は一切無いし、道自体が見あたらない。




どう見ても「待合室」な建物と、その壁に掛けられた時刻表。
手前の駅名板に隠されてしまっているが、この建物の壁には「クマに注意」の小さな看板も取り付けられていた。

実はこの建物は待合室ではなく、倉庫らしい。
そして、wikipedia:尾盛駅によると「2009年5月、駅近辺に熊が出没したため下車禁止となった。現在は下車可能だが、かつては立ち入り禁止で施錠されていたホームの保線小屋を、熊からの避難用のため一般人が入れるようにした。」ということだそうである。

確かに列車を待っている間にクマに目を付けられたら悲惨すぎる駅なので、これは有りがたい。
そもそも、雨が降ってもほかに宿れるような場所も無さそうだし…。




先ほど、「利用者はどうせ踏切のないところで線路を渡らざるを得ない」みたいな事を書いたが、その理由はこのホームにある。

尾盛駅には片面一線の立派なコンクリート造りのホームがあるものの、どういうわけか、駅名板もあるこのホームに単線の線路は接していない。
代わりに複線となる位置にレールがあり、それに接して極めて低く、そして小さな、木枠組砂地のホームが存在しているのである。

このサイズのものを「ホーム」というのには抵抗がある。
これはまさに、停留場と乗降場である。
背後の(カタチだけの)ホームがもしなければ、もう「駅」という次元ではないのである。

写真でしか見たことはないが、林鉄の駅というものは、こんな感じだったらしい。



これが、尾盛駅の“真”のホームである。
駅名板も時刻表も無く、そこにアクセスするためには、どうしてもナマの線路を渡らねばならない。

畳を縦に10枚並べたくらいの、この細長いスペースだけで次の列車を待つのは非現実的である。
訪問者は自然と時間つぶしのため、周辺の山野を跋渉したりすることになるのだろう。 そんな状況でも、今回の旧道がほとんど発覚しなかったのは、それだけこちら側の入口が分かりにくかったからに他ならない。

なお、現地には特に注意書きもなにもないが、このホームに立って列車を待つのは、余り車輌と近くて怖い気がする。
特にホームが短いため、先頭の機関車などはかなりの速度で入線して、客車が停止するときには完全にホームを過ぎている。
あとで動画を見ていただくが、列車到着時にこのホームに立っていることは、少し危ないのではないか。(気の利いた“白線”などない)




まだ近付いてくる汽笛は無い。

あと数分のはずだが、その間、少しだけ駅の周辺を散策してみた。

まず見つけたのは、この構造物。
これはなんだろう。
まるでイケスのように地面が四角く掘られ、周囲は石垣が出来ている。

かなり頑丈な作りのようだが、何の廃墟なのか不明である。




尾盛駅の周辺には、造林されがスギ林が広がっているが、これを手がけたのは民間の業者なのかも知れない。
駅の周囲には少なくとも2枚、この同じ看板が色褪せた姿を晒していた。
そして、これが駅にある唯一の、“よそ者”である。
ほかは全て井川線と関係のある施設のように見えた。

「茂る緑に豊かな社業 ○○株式会社 尾盛造林地」と読める。
会社名だけは読み取れなかったが…。

駅が先か、造林が先かは分からないが、この会社は尾盛駅の数少ない利用者であったに違いない。




そして看板の裏側には、さらに大規模な石垣による敷地遺構が存在していた。

逆光のため写りが悪くて申し訳ないが、雰囲気としては小学校跡のようである。
しかし、この敷地が元もと何であったのかは私には分からないし、現地にもその答えは転がっていなかった。

ただ、私は驚いたのだが、この階段を上ってみると、そこには既に一人の先客がいたのである。
年格好は私と同じくらいか。ただ、極端に軽装であったので、鉄道による訪問客と分かった。

私と彼は会釈を交わしたのみで別れてしまったが、彼は根っからの“秘境駅ファン”だと思う。
数分後の列車にも乗車しなかったし、列車が現れたときも敷地から出て来なかったように思う。
さらに1時間半もあとの終電で、きっと後ろ髪を引かれながら渋々帰ったのだろう。

オブローダーと秘境駅ファンの邂逅は、極めて地味な形ではあったが、確かに果たされたのであった。






鉄道以外では、訪れることの出来ない駅。

その“神話”は、生来のものではなかった。




だが、それは今、

確かにその通りなのだった。


秘境駅の金字塔を打ち倒すには、今回私が辿った道は余りにも弱く、

神話を過去のものとするには、力不足であった。


もう二度と、尾盛への車道は甦らないだろうし、

それを求める人も、居ないだろう。 私を含めて。




15:11

私の時計が正しければ、定刻より1〜2分遅れで列車はやってきた。

かつてある秘境駅ファンの言葉を読んだことがあるが、こうして秘境駅で帰りの列車を待つときは、いつも不安になるという。
本当に列車が現れてくれるのかと。

私も今回、初めてその感情を体験した。

だが、それは本当に僅かの時間であり、やがてトンネルを出入りする汽笛の音。
次いで車体の割に激しいレールの軋む音が聞こえてきて、列車の接近を確信することが出来た。

しかし、尾盛駅に降りていない乗客を、この井川行き普通列車はちゃんと拾ってくれるのだろうか。
怪しまれて乗車拒否などないだろうか。
そもそも、うっかり通り過ぎるなんて事はないか。
ここには乗車駅証明書も何もないが、車掌さん私の乗駅の申告を信じてくれるだろうか。

気弱な私は、ホームから少し離れて列車を待っていた。


すぐに見覚えのある赤い車体が、10分前の私をなぞるように遠くのカーブからヌルッと現れ、思いがけずに速い速度のままホームに滑り込んできた。
尾盛駅に列車が着いた。

そして、その一部始終を、私は夢中で動画に納めた。

尾盛駅乗車の全記録(笑)動画




当たり前だが、列車はちゃんと尾盛駅に止まったし、私も特に誰何をされることもなく、「乗車券はお持ちですか」と聞かれただけで乗せてもらえた。

当たり前である。

私ほど、本来的で、正統的な、この駅の利用スタイルは無いはずなのだ。

しかしむしろ、何にも聞かれなかったのが少し物足りなくあった私は、つい自分と同年代と思しき車掌さんに言ってしまった。

「接岨峡温泉駅から尾盛駅まで歩いてきました」 と。

対する車掌さんは、明らかにニッコリと笑って何かを反言してくれたが、それは列車の走行音がうるさくて聞き取れずじまいであった。
だが、その表情の意味するところは、愛すべきバカ者を見る優しさで溢れており、職業的な愛想や怪訝を隠したものではなかった。

以後、僅か一駅間2.7km10分弱の鉄道旅行を、晴れ晴れとした気持ちで楽しんだのは言うまでもない。




【楽しい鉄道旅行シーン】



そしてこれが、後に間接的にではあるが、今回の行動の証明になる乗車券である。

この一日が終われば、きっと大井川鐵道株式会社は一日の売り上げを精算するだろう。
その時に始めて、「あれ? 今日は尾盛の乗降客数が一致してないよ」 って訝しく思ってくれれば満点である。

まあ、誰も気付かなかったと思うが……。

なおこの乗車券を車内で購入した際、車掌さんは私に乗車券を手渡す前に、「すぐに回収しますので貰って良いですか」と私に問うたのである。
私は一瞬頷きかけたが、「分かりました。その前に一枚写真を撮ってもいいですか」と反問した。
そして、この写真を得たのである。






15:20 《現在地》

この列車が私を一駅運んでくれた。

ここは、尾盛の隣の「閑蔵(かんぞう)駅」。

もうひとつだけ行けば終点の「井川駅」だが、私は当然ここで下車した。

尾盛に較べれば全然普通に見えるが、ここもまた沿線人口の少なさは秘境駅そのものである。





あれ? 俺のチャリだ。


って、これは余りにわざとらしいか。

まだ説明していなかったが、今回私は探索開始前にひとつ“手回し”をしていた。
それは、井川行きの列車に乗ることになっても、スタート地点の「接岨峡温泉」に戻れるようにするための手回し。

この閑蔵駅前に、予め自転車をデポして置いたのである。




そして今回、この手回しが大いに役立った。

閑蔵駅から接岨峡温泉駅までは、井川線の鉄路を経由すると途中に尾盛駅を挟んで、約5kmの距離がある。
しかし、この同じ区間を近年開通した新しい車道(接岨トンネル)によると、わずか2.3kmしかないのだ。
しかもこの両駅間には、100m近い高低差がある。

従って今回、自転車に僅か5分跨っているだけで、ほとんど一漕ぎもせず、私はスタート地点の駐車場に戻ることが出来た。
仮にこれを逆走しても、頑張れば列車と同じくらいの時間(20分)で移動できる事だろう。





15:35

接岨峡温泉に帰還。

探索終了!




というわけで、尾盛駅への道は、廃道ではあったが確かに存在していた。
そして、この廃道は二つの世代のものが、混ざり合っていた。

ひとつは、かつて「オート三輪」が通ったという旧車道が廃道化したもの(青)。
もうひとつは、平成に入ってからの構造物が多く残る、遊歩道が廃道化したもの(赤)である。

このうち廃遊歩道については、終点まで確実に歩いてみたものの、明確に何が目的地であったのかが分からなかったのが気がかりであった。
まるで未成に終わった遊歩道のようでもあったが、いったいこの遊歩道の正体は何だったのだろうか。
やはり、尾盛駅を目指しながら、夢半ばで果てたと言うことなのか。



この疑問の答えは、「川根本町誌」にあった。

右図は、同書に収録されていた「地域に開かれたダム整備計画」という図の一部である。
これは、平成14年に事業開始から四半世紀ぶりに完成した長島ダム計画の末期に、集落移転などに由来する地域の衰退を防ぐ目的で行政がまとめたものである。

そこにははっきりと、「接岨峡遊歩道」が描かれている。
残念ながら起点や終点などは不明だが、今回私が歩いた廃遊歩道は、この接岨峡遊歩道に間違いあるまい。



そして、より実態に近い証言は、当然のように現地に転がっていた。

この探索の翌日である4月20日。
私は雨にも拘わらず、再びこの地を訪れていた。
そして、接岨峡温泉駅前で2人のおじさんに遭遇。私は彼らの昨日の廃遊歩道の事を聞いてみたのである。

そして、最重要な次のような証言を得ることが出来た。

・遊歩道は数年前まで、一般に利用されていた。

・廃止された理由のうち最大のものは、ヤマビルの出没が多く(暖かい日には2月から出るそうだ)、観光客の吸血被害が相次いだため。


・実はさらに遊歩道は延伸させる計画があり、それは現在の終点から大井川(接岨峡)を吊り橋で渡り、旧接岨峡温泉に至るものであった。

・だが事業主体の町は資金不足のためこの計画を凍結してしまったと言うことである。


果たして左図の様な遊歩道が開通していたとして、それは新たな地域興しの目玉となり得ただろうか。

私には皆目見当が付かないが、少なくとも尾盛駅へのアクセスは大いに改善された可能性が高いし、支線としてさらに尾盛駅への古道も復活整備されることもあったかも知れない。

そうならなかった事を、私はいち“オブローダー”として、密かに喜んでいる。



今後の課題としては、まず尾盛駅生誕のストーリーを知りたいものである。
だが、これはきっと私がとやかく詮索しなくても、詳しい人が別に居ると思うゆえ、そのお力添えを頼りたいと思っている。