大塩沢林道 第1回

所在地 栃木県日光市〜那須塩原市
公開日 2011.9. 9
探索日 2009.7.31

今回紹介する大塩沢林道は、栃木県の西側南北軸の一部を構成する国道121号と、県央部から会津地方への近道であり観光幹線でもある国道400号を短絡する、やや長い峠越えの林道である。

この林道が存在する地域は、県内でも有数の観光資源(特に温泉)の宝庫であり、国際的観光地の日光から鬼怒川温泉、塩原温泉、那須山岳を連絡する線上にあると同時に、東北(会津)と関東を結ぶ最短線上にもあるため、奥羽山脈に連なる深い山地帯でありながら、昔から旺盛な“開道欲”に晒されてきたといえる。

多くの道が世代交代を繰りかえしてきた結果、本格的な廃道の多産地ともなっており、明治の三島街道(塩原街道)尾頭明治道、昭和の塩那道路などは、いずれも塩原温泉を基点とした大廃道である。
そして大塩沢林道も、これら“死したる先駆者”の一列に加わるべき廃道だ。

鬼怒川水系(日光市:旧藤原町)と那珂川水系(那須塩原市:旧塩原町)を隔てる山脈を、北から順に桃の木峠(塩原街道)、尾頭峠(国道400号)、大塩沢林道、日塩道路がほぼ等間隔に越えている。
このうち、車道としての開通が最も古いのは、三島通庸が開鑿した桃の木峠で、次いで尾頭峠が切り拓かれた。と、ここまでは明治生まれの馬車や荷車の道であった。
自動車の通れる道としては日塩道路が最も古く、現在の有料道路「日塩もみじライン」として開通したのは昭和47年だが、戦後まもなく産業道路として開通していたという。
だが、この日塩道路はかなり南に寄っており、日光方面からの利用には便利だったが、湯西川や会津方面からは不便だった。
そのため、尾頭峠の新道開鑿がくり返し企てられたが、長大なトンネルを要することなどから、なかなか具体化されなかった。

そんななか、昭和34年に前橋営林局今市営林署が計画した大塩沢林道は、森林開発公団が施工を担当する「関連林道」という国庫補助事業として建設される事が決定した。
このことが公示されると、地元の観光関係者はこの林道計画を峠まで延伸し、塩原側に既設されている矢板林道と接続して欲しいという陳情を熱心に展開した。
その結果計画は変更され、大塩沢林道は藤原町五十里の起点に始まり、大塩沢沿いに峠を越えて矢板営林署管内を終点とする全長7,322mの路線となった。
そして実際の工事は昭和35年に始まり、昭和40年には全線が開通している。(『森林開発公団十年史』による)

林道の開通から23年たった昭和63年には、地元の長年の念願であった尾頭峠越えの国道400号が全線開通し、遠回りとなる大塩沢林道を用いる意義は低下したと思われる。
だが、それまでの一定の期間は、会津方面と塩原温泉を最短で結ぶ道として、林道が利用されていたはずである。
果してどの程度の利用実績があったのか気になるが、残念ながら私の手許にその記録はない。

私が確実に言えるのは、国道開通からさらに20年あまりを経た平成21年において、林道がどのような状態だったかということだけだ。

…まあ、廃道だったのは廃道だったのだが、それにしても、予想の上をいっていた……。




この道は、最新の地形図にもご覧の通り、全線が実線で描かれており、道を捜すのは簡単だった。

途中にトンネルは見あたらず、橋は大塩沢を渡る箇所が一箇所あるが、それ以外にも支流を渡る橋はいくつかありそうだった。

探索はいつも通り自転車で行い、方向は起点から終点(峠)を目指すことにした。
峠からは、そのまま塩原へ下ってしまう計画だ。





旧国道に面する起点から入山する


2009/7/31 9:35 【周辺図(マピオン)】《現在地》

ここは日光市五十里(いかり)。
国道の路肩に立って、そばを流れる男鹿川(おじかがわ)の広い流れを眺めている。

この辺りは、おおよそ6km下流にある五十里ダムによる堰止め湖(五十里湖)のバックウォーターに位置しており、時期によっては河原のように白く見えている部分は全て水没する。
ここから見える対岸の鬱蒼とした森の中には、近世中頃まで会津西街道の宿場として栄えた五十里集落(江戸から50里の位置)があったといい、今は地名に残るだけの五十里の由来に想いをはせると、悠久の時の流れを感じる事が出来るのだ。

この道は私が東京と東北を往復するときに良く通るが、日中に通りかかれば、たいてい車を停めて、この景色を眺める。




大塩沢林道は、そんな私の馴染みの場所からはじまっている。

今度は同じ位置で山側を向くと、そこに分かれ道がある。
この分かれ道の正体は旧国道だが、大塩沢林道もこれから入る。

現国道には長い橋が見えるが(上の写真にカーソルオンした後の画像はこの橋上で撮影)、大塩沢を渡る大塩沢橋である。
旧国道もこの先で大塩沢を渡るが、もう少し控えめに、上流へ300mほど迂回してから渡っていた。

なお、現在の大塩沢橋が開通した年は失念したが、平成に入ってからと思われる。
それともうひとつ、右の画像は今回の探索時に撮影したものでは無い。




こっから先が、今回の探索。

旧道の入口には…
←左側に「この先通行止」の小さな看板があり、→右側には…

山を甘く見ないで
入山者・遭難注意
行方不明・滑落事故多発
急斜面に近づかない・一人で入山しない

なんていう、脅しが…。

でも、「そうなんですか」と引き下がるわけにはいかない。
廃道は、山の中にあり!




てことで入り込むと、そこはまず旧国道。
消えかけたオレンジのセンターラインが味わい深い、しかし平凡な旧国道の風景である。

この右側は大塩沢の河口部だが、一帯は民間の砂利採取場になっており、そこをダンプやブルが動き回っているのが見える。
一方、位置的には前方に見えていなければおかしい旧大塩沢橋は、透明になってしまったかのように見えていない。




9:36 《現在地》

五十里ダムとほぼ同時の昭和32年に生を受けた旧大塩沢橋は、現橋の開通と引き替えに撤去されていた。
それで見えなかったのだ。

しかし、旧道は行き止まりではなく、その直前で右に分かれる砂利道があった。
これは採石場への進入路だが、採石場が稼動していないときには、河原を通って、仮設橋から対岸の旧道へ行くことが出来る。




そして、肝心の大塩沢林道はといえば、河原へ下りる砂利道を無視して、あくまでも行き止まりを確かめようとする者にのみ、道を開く。

なんの標識も案内も無いが、ここが大塩沢林道の入口(起点)である。

7月の深い藪は、目の前にある2本の轍を、すぐにでも覆い隠してしまいそうに見えた。
あまりにも、頼りない感じがした。

この入口には、山の裏側にある塩原温泉郷の賑わいが、ほんの少しも漏れていない。
そればかりか、約7km先にあるという市境の峠の姿さえ想像することが出来なかった。
嫌な予感しかしない。




それから少し進むと、なにやらこちらを向いた看板が立っていた。

おそらくは、この林道の名前であるとか、通行上の注意であるとかが書かれていたのだろうが、文字は綺麗さっぱり消失しており、何も読み取ることが出来ない。

「落石により通行止め」「通り抜け出来ません」とか、そんなことでも良いから、書いてあって欲しかった。
これじゃあ、この道はもう管理されていないのではと余計に不安になるし、さらには「通り抜けたいだって? なに馬鹿なこと言ってんの」って返されている気さえするのだ(←被害妄想的)。

なお、看板もそうだが、ゲートやバリケードのようなものも見あたらなかった。




それからまた3分後。

道はすぐに森の中に入り、とりあえずは草藪に覆われてしまう不安からは遠ざかった。
また、未舗装ではあるが、道幅もそんなに狭くはない事が分かった。
標準で4mくらいはあると思われる。

そして、私がここで立ち止まったのは、山の中の道では重要な情報源ともなる、「保安林」の看板を発見したからだ。
私はこれが大好物である(情報的に)。




保安林の看板は、地図の部分以外は定文化されたもので、固有の情報は持っていない。
よって、地図部分だけを超クローズアップアングルで。

そしてその成果は、期待したとおりのものがあった。
この林道には名前こそ書かれていないものの、その行く先にはっきりと「至塩原町」の文字を見て取ることが出来たのだ。

国道にあてがわれた「会津西街道」という文字や、それが旧道の線形であることなどを見るまでもなく、この看板は林道が開通したのと同じ昭和40年頃に立てられたものと思われる。




さらに6分ほど進んだ所には、1本の橋が架かっていた。
実はここまでにも何本か小さな橋があったのだが、欄干を有する規模のものは、これが初めてだった。

欄干があるとは言え、取り立てて騒ぐような橋ではない。
だが、昭和35年の銘板を持つ「細井橋」には、ほんの微かに、誇らしげな空気を感じた。
やっぱりこの道は、ただの林道よりは大きな使命を与えられていたような、そんな気がしてきた。

…先入観かも知れないけれど。




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それからあまり間隔を空けず、似たような橋が、さらに2本現れた。

昭和35年12月竣功の「牧の内橋」(右写真)と、同年同月竣工「松手沢橋」がそれだ。

牧の内橋はご覧の通り、夏場にはよほど注意していないとそこに橋があることに気付かず通り過ぎてしまうくらい、カムフラージュされていた。
それは1車線分の自動車の轍よりも、橋の幅がだいぶ余裕を持って作られているせいだ。

二車線とまでは当然行かないものの、昭和30年代という古い時期の林道としては、木橋ではなく永久橋であることをはじめ、なかなかの高規格と言っても言い過ぎではないだろう。




さらに数分進むと、今度はこれ。

もっこり。

少し土砂崩れが起きたまま、それをちゃんと路盤面まで復旧せず、強引に車で踏み越えるプレーを続けてきたようである。

こういうのを見ても、この道が現在どれだけ等閑視されているのが分かるというものだ。

…やがて廃道になるのは想定内だとしても、それまでの“ねばり”に期待したいところだ。




旧国道から林道に入ってちょうど20分。
地形図にもその姿が描かれている「砂防ダム」が、路肩の緑の向こうに見えた。

左はその堰堤から流れ落ちる大塩沢の清流。
右は堰堤により堰き止められた、青緑の湖水である。

この道というか、この山のここまでの印象はひとつ。
とにかく緑が濃厚だということ。
砂防ダムといえば、作ってもたちまち土石流に埋め立てられているような印象があるが、ここは“果して本当に必要だったのか”と疑わしくなるほど、沢山の水をなみなみと湛えていた。
おそらくこの山は保水力も保土力も十分で、自然度が抜群に良いのではないだろうか。さすがは保安林に指定されているだけあるが、こういう状況が、林道にとって良いのか悪いのか…。




9:58 《現在地》

嫌〜な予感的中!

砂防ダムのような、なにか具体的な目的地となるようなものがあったので、その先には何か嫌な予感がしていたのであるが…。

案の定ダヨ。

こんにちわ。崩壊。

路肩が、大決壊してる。

そしてそのまま、放置されていると来ている。




カメラの望遠を使って、その先を覗き込んでみると……





こんにちわ。 廃道。

随分と、お早いご登場で……。

まだここは、起点から1.3kmの地点。

峠までは、まだ5km以上あるはず…。


久々に本格的で正統派な、廃林道探索になりそうだ。