国道148号旧道 外沢リベンジ編 後編

公開日 2011.6.20
探索日 2011.6. 4



ここでちょっとだけ立ち返り、
【前編】の最後のあたりを思い出して貰いたい。



←森を抜けて




草むらを乗り越えたら…→




コンクリートの擁壁、ど〜ん!





この展開って…






桟橋を、そうと知らずに超えていた〜!!!


正直、こんな事が起きるんじゃないかとは思っていた。

廃道を埋め尽くす土砂の下に桟橋が隠されていたとして、どうしてその上から確認しようがあるだろうか!

そんなことは、よほどツキが無ければ、無理なのである。
そしてたまたま今回のように、事前に桟橋の存在を知り得たとしても…



この傾いた斜面の上でスッパリ切れ落ちた端に立ち、
そこから下を覗き込んで、橋の姿を確認する。

そんな命知らずに、私はなれない!

写真では分かりにくいが、結構な急斜面なのである…。




せっかくの桟橋のうち1本は、現地でその上を“渡橋”しておきながら、目視で確認することが出来なかった。


残る桟橋は
あと1本。→



果してこちらは見事に
“体験”する事が、
出来るのだろうか?!




未踏エリアの核心部 …大擁壁より先


2011/6/4 16:20 《現在地》

今回の新規探索区間である大崩落越えから約250mの地点。
外沢隧道までの残距離は推定150mほどとなり、いよいよこのリベンジ作戦も佳境を迎えた。

そんなところで現れたのが、この巨大なコンクリートの擁壁。
これが現役の国道ならば、特に立ち止まることもない平凡な場面なのかも知れない。
だが、ここまで出て来た法面はほとんど全部素っ裸で、僅かに(ボロ布のような)ネットが取り付けられただけだったから、この巨大なコンクリートの構造物は、インパクトが大だった。

高さが8mくらいはあろうという高い壁だが、上下左右全方位から緑が浸蝕してきており、さらに壁自体をしたたり落ちる水にもコケが育ってまだらに変色させている。
これは「廃なもの」だけが持ちうる風合いで、私の好むところだが、度を超すとこのようにすこし気持ち悪い。



この巨大な擁壁の幅は30mくらいあり、本来ならば斜面上部から路盤への雪崩や土砂崩れという攻撃を防ぐ“鉄壁”を期待されていたはず。
だが、その効果にも限度があったようで、壁自体はなお健在でありながら、土砂と水は容赦なく壁を乗り越えて路上に注がれていた。

いまやこの擁壁の元は全線でも有数の激藪地帯となっており、訪問があと1ヶ月遅れていたらススキの海は完全に背丈を超えて、擁壁の存在を視界から隠しかねなかった。

ススキが生えている場所は、間違いなく路面だったところだ。
草むらであるだけでなく、路盤が人の背丈以上に激しく凹凸しているが、壁を越えて供給される土砂が如何に多いかが分かる。
しかもこの道幅を考えると、転落物の多くは斜面となった路面をそのまま通り過ぎ、遮るモノがない路肩から姫川の谷へ投下されているはずだ。
もしそうでなければ、路上の山はもっと高くなっていただろう。




巨大擁壁の終わりは、突然やってきた。

その末端は、ご覧のようにブッツリと途切れていた。
そして、この擁壁の驚くべき“厚さ”が明らかとなった。
まるでそれは砂防ダムのような分厚さであり、普段見る法面の土留め擁壁とは、一線を画すものがあった。
そもそも、あまりこうして法面の側面を見る機会というのは、多くないのであるが…。

なお、この写真は振り返って撮影しているので、向かって左側の“山”になっているところが、道である。
擁壁がほとんど埋没しているのだが、それでもこの分厚さのおかげで、壁自体は崩壊せず傾くこともなく、立ち続けている。




“見えぬ桟橋”から巨大擁壁のコンボを抜けると、再び平穏?が戻ってきた。

だが、それが束の間のものであることを私は知っている。

この緑の先には、もうひとつの桟橋が…。

どう見ても2径間のうち1径間が抜け落ちてしまった桟橋が、待ち受けているはずなのだ。

遠目に見て、最も突破が難しそうに思われた箇所である。

引き続き緊張感をもって、奔放な緑を踏み越えていく。





そしてそれは、意外に早く現れた。

今度は…、

ちゃんとその姿を見せてくれそうだ。





やっぱりだよ。

やっぱり、斜面に埋もれていた…。


だ、大丈夫か?

先へは進めるのだろうか?!




この桟橋は、1年前の探索時に対岸からこのように見えていた。

草地のようなところに架けられた2径間の桟橋であり、岩場を跨ぐ先ほどの桟橋より、いくぶん地形は緩やかかとも思われたが、橋桁の半分がそっくり消滅している姿は衝撃的で、仮にこの地を踏むことが出来たとしても、突破できるかどうかは大いに不安があった。

いま遂に、この桟橋の橋頭へと辿り着いたのである。





16:26 《現在地》

これが、初めて見る桟橋の近景。

やはり、橋は半分崩れ落ちていた。
消えた橋桁の行方が分からぬ限り、崩れたのか撤去されたのか本当は判断しかねるのだが、この状況でわざわざ撤去するとは思えない。しかも、半分だけ。
向こう側の残っている桁に乗っている大量の土砂が、橋の最後の場面を容易に想像させるのである。

また重要な発見として、遠目には2径間と思っていた本橋が、実際には手前に小さな橋桁があって合計3径間だったことが判明した。
橋桁の枚数はおそらく2枚だったのだろうが、手前側の橋桁がそっくり消滅している。
また、残る橋桁が乗っかっている橋脚も上部に大きなひびが生じており、相当にダメージが蓄積していることを思わせた。


渡ることが出来ない橋が現れたが、私の目的とする場所はここではない。
となると、この場所も乗り越えていかなければならない。
さて、どうするか。




心配ご無用。

橋を“抜いてしまう”ほどの大量の土砂をもたらした斜面は、崩れに崩れを重ねて、最後にこれ以上崩れようもないくらいの安定した形になったのかも知れない。

ご覧の通り、橋の上部には比較的なだらかな草むらが出来上がっており、藪を苦にしなければ、ここを踏み越えて橋の先へ進むことが出来そうだった。

遠目に見た時には、この部分が通れるようには見えなかったので、…正直助かった。




ルートを見出したならば、さっそく実践である。

あまり崖際スレスレを通るのも怖いので、多少余裕を持って高巻きのトラバースを決行する。

写真はその途中、失われた橋桁を透かして遙か70mほど下方にある姫川の激流を見る。
草が生えてはいても、墜落すればただでは済まない急斜面である。
そして、この遠く小さく見える河原に気になるものがあった。




テトラポットの周りに散乱しているのは…

折れ曲がった鉄骨たち。

位置的にこの桟橋の失われた橋桁の残骸…ではないだろう。
この橋桁が川まで墜落したとしても、真下の対岸ではなくもっと下流へ漂着するだろうし、残された1径間の橋桁もこの鉄骨とは結び付かないカタチをしている。
だがいずれにしても、こんな鉄骨は本来河原にあるものでは無いし、何かの災害に関わる遺物ではないだろうか。
旧国道から落ちた雪崩防止柵などの残骸かも知れない。




失われた桟橋の1径間を迂回した後は、速やかに残されたもう1径間の上に下りてみた。
別にここを通らなくても、そのまま路外の斜面を迂回することは可能だが、せっかく半身だけになっても架かってくれている橋なのだ。特別に大きなリスクでないのなら、体験しなければバチが当る。

というわけで橋の切断された末端部に立ってみたが、これが思いのほかゾクゾクする。
ここは高さ70mの崖の上にテラスのように張り出した一角だという理解があるし、それも崩れかけた橋脚に支えられている危うさだ。
冷静に考えれば、この足元の草地は泥船かも知れないのだ。
しかも、本来は欄干があって転落を防止してくれるはずの路肩だが、ぶ厚く堆積した土砂にそれは隠され、近づきがたかった。




期待された遺構だったが、橋上に滞在した時間は短かった。
ぶっちゃけこの一連の廃道は、あまりにも緑…自然に還りすぎていて、廃道の魅力として挙げられる重要な要素である“廃美”、すなわち道路の整然とした機能美と使い古されたもののわびさび、或いは自然の風化という破壊美の融合した美しさという部分では、薄味・大味になってしまっている感じは否めない。
魅力を感じるならば、そこよりも未踏破の風景を解明していくという冒険性の部分であろう。

話しが脱線。
この写真は、橋を去る直前に撮影した、その付け根の部分の路肩だ。
左にはガードレールとその支柱があり、中央やや右寄りに橋の親柱が頭だけ出ている。
他の欄干支柱よりも少し背高に作られているようである。
ただし、そこに期待された銘板の痕跡は見られなかった。




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桟橋を過ぎると再びの森の中へ。

そこには、ここまで見た中で最も良く原形を留めるガードロープが残っていた。
こういうものがないと、あまりの自然回帰ぶりに現代廃車道とは思えない。

そして、おそらくこれは嵐の前の静けさなのである。
この森が終わるときは、今回のリベンジ探索の結末ということになろう。
そこには、前回探索の到達限界が待ち受けているはずだ。
絶対に踏破できない、千尋の谷が。

もう、100mもあるまい。




これ以上は進めない :END



16:32

森が尽きるが早いか、巨大な崩壊が路上を塞ぐのが早いか。

今回は後者であった。

法面には久しく見なかった落石防止ネットの残骸が大量にある。
その裏側はすかすかの空洞になっていて、代わりにそこから抜けた大量の土砂が、路上を埋め尽くしていた。
大きな川を見下ろす位置にある旧国道の劣悪な廃道というと、私は国道17号の二居旧道を思い出すのだが、この姫川沿いの廃道は全体的によく似た景色を持っている。
この場所なども、本当に瓜二つだと思う。

間違っても、人にお薦めできるような廃道ではない。
辛いばかりで、見返りは決して多くない。




本来の道幅がまったく分からなくなるほど、その大半が巨大な岩塊を含む大量の崩土の下に消えていた。
私は路肩付近に残された幅1mに満たない余地を、足元に転がる瓦礫に注意しながら、慎重に進んでいった。

案の定、森の切れ目が近付いてきた。
枝葉に多少遮られていた川音が、再び耳のすぐそばのボリュームで聞こえてきた。
前方が、怪しく明るい。
そして、白い。
白っぽい巨大な岩山が、森を透かして視界の全面に広がりつつあった。

こちら側から見るのはもちろん初めての、巨大な岩山。
外沢隧道の在処に間違いないだろう。




裸の路肩から、70m下にある姫川がほとんど真下に見えた。

何も好き好んでこんな端を歩いているわけではないのだが、路上に残された平場と言えば、ここしかないのである。

嫌に背中のあたりがスースーしやがる。


で、こんなところを踏みながら慎重に進んでいくと、明るい場所に出た。




←道を塞ぐ落石防止ネットの膨らみ。
その先には、西日を受けてより一層赤茶けた巨大な岩が見えている。
それは、見覚えのある“岩面”だった。

そしてそれとは少し離れた向こうには、やや白っぽい“岩面”。
それはおそらく、辿り着き得ない場所。


→頭上に張り出す巨大な岩盤。
その根元の先端に、私の目的地はある。
あともう一頑張りだ。





16:34 《現在地》

来たぞ。

いよいよ、末端!

この場所だ。


だが思った通り末端部は平らでなく、居心地は悪そうだった。
しかも、この場所まで辿り着いたからにはぜひとも見たい前回の到達地点…外沢隧道の坑口が、緑に遮られてよく見えないよ(涙…)。




ちくしょう! なんてことだ。

ここまで来て、何が何だか分からない崖を見ただけで引き返したのでは残念すぎる。
確かに当初の目的であるところの「未踏破区間の踏破」は達成出来たのかも知れないが、やはりその証明というか実感として、そこにあるはずの前回到達地(坑門)を新たなアングルから目撃するくらいのご褒美はあって良い。

良いはずだ!

そして、目の前にはそんな需用を満足させてくれるかも知れない、おあつらえ向きな“お立ち台”が存在した。
末端の末端に、まるで用意されたようにある平らな岩。

だが、何だか乗った途端に動きそうで、怖い…。
罠じゃ、ないよね?




坑門を見たいという欲求には抗えず、結局この末端の末端へ歩を進める私。

姫川の広い谷を吹き抜ける風が、突出した岩峰の私へぶつかってくる。
大した風ではないものの、心穏やかでは居られない。
ひやひやものだ。

もう少し早い時期に来ていれば、こんなリスクを負う必要はなかったのだろうが…。




遂に極めた、末端の末端。

探索開始から45分。
未踏エリアに踏み込んでからだと25分。

400mの未踏を既踏とし、この国道148号外沢の旧道区間を1年ぶりに踏破した。

OK。

でも、この末端部は長居無用のムードが全開。
足元の岩がごろりと動いたら、それでおしまいくさい。
もちろん、頭上からごろりと何かが転がってきても、避ける間もなく終了だな。

こんなリスクを背負ったんだ。
タノムで、成果!!




果して末端から隧道は見えたのか?!

その答えは、この【動画】に…。




見えたッ!




え? 分からない??




ヒントは、橋台。




対岸に、コンクリートの四角い橋台が見えている。
この橋台も、今回初めて目にしたものだ。

で、坑門はその橋台の真上ではなく、微妙に右上。

草葉の陰に黒い穴が、ぽっかりと…。




見えるッ!



ま。 見えるだけ なんだけど、

これで納得





さー か〜えろ。







行きに45分。
帰りはちょっと急いで30分。

帰りの“廃車”は私にとっても既に敗北の象徴では無く、

勝利を労うクイーンに見えた。 お疲れ様でした、道と俺。