国道158号旧道 猿なぎ洞門 後編

公開日 2008. 9.16
探索日 2008. 9. 9

 遺 棄 洞 門


2008/9/9 6:50 

でかい!

間近で見ると、洞門は巨大だった。

そして、それ以上に入口を塞いでいる岩の大きいこと!!

こんなものがゴロゴロと落ちてきたのでは、さしもの剛構造物、コンクリート洞門も破壊を免れなかった。
この洞門、見ても分かるとおり、決して古いものではない。
土砂崩れが起きたのは平成3年だが、全長30mの猿なぎ洞門が完成したのは、昭和59年である。
しかも、事故当時はちょうど、洞門を高山側へさらに30m延長する工事中であった。




洞門を破壊した崩壊現場である斜面を見上げる。

まるでスプーンで掬ったような、土砂崩れ跡の特徴的な地形がくっきりと残っている。

しかし、それでも崩壊斜面はコンクリートの真新しい吹きつけで覆われていた。
よくもあんな所で工事したものである。
いつも思うが、高所作業の人たちは本当に、すごい。

道は復旧されることなく廃止されたが、この崖の対岸には集落があるわけで、崩れっぱなしで放置というわけにも行かなかったのだろう。

なお、前編では崩壊の模様が録画および放送されたと書いたが、その映像の一部が「社団法人 斜面防災対策技術協会 富山県支部」サイトで見ることが出来る。(“サンプル映像”の最後にちょこっと入っている)




洞門の高さと同じほどもある大岩の脇から、猿なぎ洞門の内部へ進入を試みる。


 こりゃ…ひどい…。

洞門が原形を留めている部分でも、内部まで大量の土砂が侵入しており、とても無事とは言えない状況。
舗装されているはずの路面は、少しも見ることが出来ない。
なお記録によると、30mの洞門のうち高山側(こちらは松本側)の10mは、土砂と一緒に川まで押し流されてしまったという。
だから、ここに残っているのは20m足らずということになる。

そして、私はこの時点で、ある信じがたい異変に気付いてしまった。

目の錯覚だと思いたかったのだが…。

お、おお、 恐ろしすぎる……。




これが、崩れ落ちた大岩を支えている坑門部分。

表面には細かな傷や、コンクリートが剥離した跡が無数にある。
とても四半世紀を経ただけのコンクリート構造物とは思えない傷み方である。

ちなみに銘板は存在しない。
現役当時の写真を見る限り、この洞門に扁額はなく、道路標識と同じタイプの金属製の銘板が取り付けられていた。
その残骸も見られないが、崩土に剥ぎ取られ土砂に埋もれているものと思われる。
取り付け金具を埋め込んでいた跡は残っている。




これはまさしく…

突然死を迎えた国道の姿か。

路面にはバリケードや廃材が置かれているが、やはり事故の後に置いたのだろうか。

だが、そんなことより何よりも…

…。

やはり、目の錯覚ではないような…。




…なんか、天井が歪んでない?





歪んでる。


やはり完全に歪んでいる…。

鉄筋が仕組まれているからこれでも瓦解せずに保っているのだろうけれど、とても復旧なんて考えられない状況だったことが分かる。

いま私がここにいる僅かな時間にいきなり崩れてくるような不運は無いと信じていたが、それでもこの天井は正視に耐えない気持ちの悪さだ。


天井全体が、まるで空間自体が歪んでいるかのようにこう、グネーっと歪んでいる。

亀裂から育つ無数の鍾乳石は、崩壊へのカウントダウンなのか。




崩壊の凄まじさをマジマジと感じさせる洞内風景。

長居するような場所では無いと分かっていても、思わず見とれてしまう。

四季折々、雨や夜のシチュエーションでも見てみたいと思ってしまう私は、変態だろうか。


それはともかくとして、この道の中央に並べられているバリケードは、現役当時のものかも知れない。
というのも、よく片側交互通行の現場で見られる、ぴかぴか光るチューブ状のものが取り付けられているのだ。

ちょうど崩落が起きたとき、この洞門を高山側に延長する工事が行われていたというから、洞内でもこのバリケードを使っての片側交互通行が行われていたのかも知れない。




ここで、記録に残る崩壊当日の模様を紹介しよう。

・平成3年10月18日午前7時過ぎ、最初の落石が始まる。

・7時15分頃、依然小規模な落石が続き、ドライバーの通報を受けて通行止の措置をとる。

・7時40分過ぎ、大崩落が発生し、洞門を破壊した。

その規模は、高さ50m、長さ60m、土量1万5000立方メートル(あの大崩海岸でも6000立方メートル)と推定されている。

『峠の道路史』(野村正和著)より




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旧道 高山側区間



6:54 

歪みの洞門を、今度は入ったのとは反対側から外へ出る。

しかし、そこに道は無い。

本当に無い。

30m下には、梓川が流れている。
下手すれば、そこまで転げ落ちそうな急斜面だ。

道は崩壊した土砂に埋もれたまま、掘り返されることなく今に至るようだ。




この川底に約3年半ものあいだ、国道の迂回路が付けられていた。

崩壊した年の冬の間だけ使われた川底の応急迂回路は、今もそれらしい河原の空き地が残っているようだが、翌春から約3年間も使われた本格的な迂回路の方は、ちょうど川縁の大きな木が生えている下に人工地盤を設置して通されていたのだが、今では取り壊されて跡形もない。





振り返る洞門の残存部分。

この坑門は、本来地上に露出するはずの無かった「断面」の部分だが、剪断された跡もなく、意外に奇麗な断面だ。
どうやら、最初からここで不連続な構造になっていたようだ。




この足元にも舗装された路面が埋もれているはずだが、もはやここを道だと見分ける術は何もない。
崩壊した斜面は放置されていたわけではなく、写真右に写っているコンクリートの破壊された塊の表面を見ていただきたいのだが、金網で表面を固定されている。そしてこれは、斜面全体に及んでいる。
だから、この緑色の斜面は、実はコンクリート吹きつけの斜面とほとんど変わらない硬質で低グリップな状況にある。
チャリを持ってこなかったのは大正解だ。
ちなみに、崩壊斜面が終わって道が復活するのは、向こう側に見える森の中からだ。

ここは、橋場集落からも丸見えであるだけに、かなり緊張を強いられた。
朝露に湿った草付きは、足の載せ方を誤ると本当に滑るのだ。




ここから1万5000立方メートルの土砂が崩れ落ちたといえば、もはや山の形自体変わってしまっているのかも知れない。

崩壊直後の不安定な地盤の上で、ここまで治山工事をした人たちがいることに驚かされる。




少し離れると、洞門の残存部分は斜面と一体化してしまい、ほとんど見えなくなった。

前後の道が消失した状況で、この僅かな洞門だけが取り残されているのだ。

ちなみに、右奥に見える橋が雑炊橋である。
その袂のガードレールが白く目立つ部分から、手前に向かって仮設道路の橋は架けられていた。
橋よりこちら側は完全に切り崩されている。




6:59 

崩壊斜面突破のセオリー通りかなり高巻きをしたので、どうにかそれを乗り越えたときには、ガードレールを見下ろすほどの高位置に達していた。

ここからスパイダーマンよろしく、錆びた金属のネット(半ば地面に埋まっている)に手足を引っかけて下って、ようやく道路上に復帰できた。




 ふ  ふぅ〜…  

  生還。

路面は舗装されているが、地を這う夏草たちに覆われていた。

もう、現道との合流地点も先に見えつつある。






よしよし、 あともう一歩。





ぐふぅ

やってくれるな。




ひゃー。
最後まで気が抜けない。

仮設道路は、ちょうどこの辺りで現道と合流していた。
ここの路盤が無くなっているのも、その絡みかも知れない。
仮設道路は、本当に奇麗さっぱり無くなっているのが逆に印象的だ。



7:04

約300mの旧道を無事踏破。



土砂災害の恐ろしさを、見る者全てに語りかける、異形のモニュメント。 猿なぎ洞門。

内側へ少し膨らんだあの天井の姿は、私も当分忘れられなそうだ……。

つか、このレポを書いていたら、きしむ天井の夢をみた(笑)。