道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯 最終回

公開日 2016.7.31
探索日 2008.7.02
所在地 長野県松本市

赤く怒れる谷の旧国道 〜最終ステージ〜


2008/7/2 16:32 

国道158号の沢渡〜中ノ湯間にある、長さも旧道化時期も異なる5つの旧道区間を順に攻略してきた我々は、いよいよ最後のステージへ。

それが、現道の赤怒谷トンネルに対応する旧道である。
赤怒谷トンネルは全長396mで、竣工は昭和59(1984)年とされる。
これは全ステージの中で2番目に新しい旧道区間である。また、地図上で測った旧道の長さは450mで、これは全ステージ中最短である。
ゲームなら、基本的に最後のステージが一番の難関だが、現実はどうだろう。

なお、スタート直後の沢渡集落で“モナ王”をかじったのは昼時だったが、今ではもう夕方の入口と言って良い時刻になった。
この間に移動した距離は、現道換算ならせいぜい6.5kmといったところだ。(登り坂とはいえ、本来は自転車で30〜60分の距離だ)
旧道はそれよりは少し遠回りだが、ここまでの全ての旧道を途中で引き返さず一発で突破してきたので、旧道経由の移動距離も、おそらく7.5kmくらいでしかないだろう。その中には現道を走った距離も含まれているわけで、時間を使わされる“難所”が多かった事を物語るスロー進行ぶりだった。

泣いても笑っても最後のステージ、がっつり攻略してやるぜ!



現在地は、ステージ4の終了地点から現道を300mほど中ノ湯側に進んだ所にある、赤怒谷トンネルの坑口前だ。
旧道は例によって、この坑口前から左に逸れて入るのだが、その事よりまず目を引くのは、トンネルの山側に聳え立つ巨大な禿げ山の斜面だ。
トンネルの名前が伝えるとおり、この場所の名前は「赤怒谷(あかぬたに)」というらしいが、まさにこの一木一草育たぬ赤茶けた谷は、山の怒りのエネルギーが地上にあふれて出来たもののように見えるのだ。

前回までの「白薙ぎ」や「天然開渠」なども、名が体を現す素晴らしいネーミングだったが、今回の「赤怒谷」も負けていない。

なお、赤怒谷トンネルのトンネルナンバーは「19」で、この先の(旧)釜トンネルに「20」の番号が振られている。前者は国道158号、後者は県道上高地公園線と、路線は異なっているが、トンネル番号はひと続きになっている。



そしてこれが、上と同じ位置から撮影した、旧道のある渓谷上流の眺めだ。相変わらず狭い谷を大量の水が迸っている。
だが、その白い波濤の向こうに、明らかに水飛沫とは違う「白煙」が上がっているのが見えた。
焚き火や山火事とは思えないので、噴気活動か温泉の湯気であろう。

これを見て思い出したが、確かにこの一帯は地熱に満ちている。
先ほど坂巻温泉を通りすぎたし、この旧道を越えれば中ノ湯という温泉場である。
上高地を上高地たらしめている大正池だって、その傍らに聳える焼岳という活火山の申し子だった。

そうなのだ。
この土地の赤茶けた谷も、濛々と谷に浮かぶ白煙も、どちらも大地の秘めたるエネルギーが溢れ出た…

最終ステージ〜赤く怒れる谷〜の姿だった!



夕暮れの接近を感じさせる逆光に逆らって旧道へ。

今までの旧道の中では、始まりの雰囲気は悪くない。
簡単なチェーンゲートがあるが、今も通行する車があるようだ。
鋪装されていないことを除けば、特に不安は感じない。

そして実際に旧道に入ってからも、道は緩い下りで淡々と進み、あっという間に「白煙」の場所に辿り着くことになった。



16:34 《現在地》

道の下から、濛々と白煙が。

特に匂い、例えば硫黄臭のようなものは感じなかった。また、この距離では肌に感じるような熱も無い。
この白煙は純粋な水蒸気のようだが、7月の決して低くもない外気の中で、これだけ煙っているくらいだ。
熱源はかなりの高温であることが予感された。

そして、旧道はまさに熱源の間近を、何事も無いように通過している。
旧道が現役であった当時からこうだったのかは、私の記憶にも手元の記録にも無いので分からないが、もしそうであれば、全国の国道の中でも珍しい場面だったと思う。

この直後に熱源を路肩から実見したことで、ますますそう思った。



ブシューー!!

路肩下の擁壁から突き出た管から勢いよく放出される湯気と熱湯(触ったわけではないが、水ではあるまい)!
吹き出す音も凄まじく、まさに生きた大地の息吹を感じる大迫力の景観だった。
もちろん、ここではさすがに熱気が強く、もともと熱い顔面が灼かれるようだった。




いやはや、なかなか凄い景色を見た。

既に述べた通り、この最終ステージは僅か450mほどと短いのだが、これまでのどのステージでも見なかった景観と、それに伴う特異な雰囲気が存在している。最後まで退屈は許さないとは、さすがである!
ここでもあくまでゲーム的なイメージを投影させるなら、最終ステージはやはり「炎」のステージと言うことだろう。合間の緑が綺麗すぎることを除けば、地獄にも通じるような雰囲気があった。

とはいえ、そんな最終ステージも残りはもう半分だけ。
このカーブを曲がれば後半戦だ。

帰宅後に調べたところによると、ここで我々が目にした湯気の正体は、確かに温泉の源泉であったようで、wikipediaに「赤怒谷温泉」の項目がある。ここは正式な入浴場を持たない、いわゆる「野湯」で、赤怒谷温泉という名前も通称に過ぎないようだ。同記事の解説文を以下に引用する。

“国道158号赤怒谷トンネル脇、北緯36度12分9秒 東経137度36分31秒付近、梓川の護岸をなす擁壁から源泉と水蒸気の噴出が見られる。間欠泉のような噴出も観察される。擁壁下の梓川河原に温水の溜まる箇所があるほか、砂礫を除去して作られた浴槽状の窪みも見られる。”“基本的に入浴する場所ではないが、梓川の水と混じり、入浴することが出来る場合もある。”

なお、この温泉へ自動車で訪れる事にはハードルがある。沢渡〜中ノ湯間の国道は駐車禁止であり、路肩が広くなっている箇所にも駐車禁止の警告板(写真)が置かれている。

さて、カーブの先の後半戦は―



カッコイイのキター!!

色々なものが一挙に目に飛び込んできて、「ググッ」となったが、
何よりも目を惹くのは、目の前の黒い質感を持った巨大なコンクリートの坑門だ。
坑門の奥に連なっているのは、緩やかにカーブしたコンクリート製の洞門である。

ただ、我々はこの眺めを前にして、「予想外」の展開になったことを感じていた。

なぜなら、地形図(→)がこの位置に描いていたものは「トンネル」だったのに、

実際に現れたものは、(トンネルのような重厚感はあるが)どう見ても「洞門」だったという矛盾!


これはどういうことなのか?

なお、洞門の先にも再び白煙を上げる地点が見える。



この外周を凹凸に縁取られた重厚な坑門の意匠を見て、どこかで見覚えがあると思った人は鋭い。
これはステージ3の終盤にあった坂巻トンネルの東口にそっくりであった。

そんな坑門には、やはり隧道のように扁額が取り付けられていた。
そこに刻まれた文字は…

“取入隧道

はっきり、「隧道」としての名が書かれていた。

…隧道なのか、これは?

もちろん、名付けは基本的に自由だから、洞門に隧道の名を付けてはならない法は無いのだが、最新地形図にもはっきり「トンネル」が描かれていただけに、やはり違和感がある。



『道路トンネル大鑑』(昭和42(1967)年/土木通信社刊)より転載

さらにこれは探索前から得ていた情報だが、お馴染みの『道路トンネル大鑑』にも、取入隧道はちゃんと隧道として記載されている。

右図は同書のうち国道158号の隧道リストで、一番上の「中の湯」から「取入」「坂巻」「山吹」などの名前が並ぶ。このうち「中の湯」はこの先の区間にある(はずで)未見だが、他の3本は見覚えがある。「スノーセット(シェッド)」であることが摘要欄に書かれているものもあるが、「取入」にはその注記も無い。

取入隧道  全長97.66m  車道幅員5.0m  高さ4.5m  竣工昭和39年

記載された上記のデータは、現場にあるものと差異は無いように思う。
やはりこの洞門にしか見えないものが、取入隧道と名付けられたもので、間違い無いようだ。

ついでに昭和43年や昭和5年の旧地形図も確認してみた、前者には、名前こそ書かれていないが、やはりこの場所に1本のトンネルが描かれていた。
だが後者は、同じ場所に道はあるが、トンネルは描かれていない。
これらも、取入隧道が『大鑑』の記述通り、昭和39年に現在の姿で建造された洞門であることを物語っているように思う。

それでは、“隧道”の中へ進もう。



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取入隧道に残る、“信じられない”光景


現代の洞門とは、坑門だけでなく洞内の見た目も大きく異なっている。

例えば、現代のコンクリート製の洞門は、天井は真っ平らな壁である事が大半だが、古いこの洞門の天井には格子状の太い梁が見えており、川側の柱がその延長上に配置されているのが一目瞭然である。
これらの梁や柱は強度のある鉄筋コンクリート製であり、その基本的な構造は現代の洞門と何も変わらないはずだが、梁や柱を目立たせている外見が、立体的な見た目の面白さを強めている。
平たく言えば、「のっぺり」していないのである。

また、これも古い洞門と現代の洞門の大きな違いといえるだろうが、柱の密度が疎らで、太さも細い。
そのせいでどういう事が起きているかといえば、それはもう一目瞭然で、外の眺めが良い!
構造的には絶対に不利なんだろうけれど、こうした風光明媚な渓流沿いにある構造物としては、美点ともいえるのだ。
またついでの副産物として、広い柱と柱の間隔を補うために設置された転落防止柵が、洞門の柱と一体の構造であるため、ありきたりなガードレールに置き換えらることなく、未だ古いタイプが残っているのも地味に嬉しいポイントだった。



…というような、古い構造物の「イイトコ」探し(別の名を褒めちぎり大会)を相方と楽しみながら、噛みしめるように洞門内を進んでいくと、美点として褒めたばかりの開けっぴろげの大窓から、思いがけず、その出口の先が案外笑えない感じであることが見えてきてしまったのである。

えええマジですか?! ってな感じである。
正直、このステージは良い思いをして十分に気持ちよくなって終わりという、いわゆるボーナスステージ的なものだと半ば以上思い始めていただけに、200mほど先のおそらく区間の本当に最後の最後辺りに見えている完全な崩壊斜面は、道からの重大な裏切りのように思われた。
白い煙で終わりではない。最後には、再び赤い怒りが牙を剥くというのだろうか…。

なお、先ほどから存在感を見せている梓川の大きな堰だが、こいつは沢渡にある発電所に通じる地下導水路用の取水堰である。
発電所の名前は湯川発電所というのであるが、この名前は前回のレポートにちょっとだけ登場している。
昭和30(1955)年に天然開渠で雪崩に遭遇して遭難した坂巻温泉のご主人が見回りに向かっていたのが、この取水堰である。
隧道の名前も、おそらくは水を発電所取り入れる堰の脇にあるから取入隧道なのだ。

先に大きな崩壊地を見せられ、思わず気持ちが先走りそうになった我々だが、
次の瞬間、洞内にも“大きな異変”が現れた!!




酷い!!

これは酷いぞ……。

今まで色々な古い道を見てきたが、これは……俄には信じがたいレベルで酷い!



もともと大して広くは無い洞門内だが、入口から50mほど入った地点で、唐突に!! 全くもって唐突に、道幅が一挙に3分の2に狭まっていた!
これは、左側の車線が唐突に無くなるというレベルの変化である。

一応、道幅の変化にあわせてガードレールが視線誘導をしているが、現代的な感覚からすれば異常なほどに目立たない!
しかも、その道幅の変化は「徐々に」では無く、全く唐突に路肩から45度でガードレールが内向きに屈折し、僅か3mほどで道幅を減少せしめているのだ。
うっかりすれば巨大な鉄の柱に正面衝突という造り。

しかも、洞門内は常にカーブしているために、この異常な事態に気付くのは、間違いなく洞門に侵入してからなのである。
この道路の最高速度はおそらく時速30kmだったのだが、それでもこれは無いだろう。
こんな事が、昭和59年という年まで、この国道では許されていたというのか?!

これには、nagajisさんと一緒になって大爆笑。決して道を馬鹿にしているつもりはなく、ただただ、道の奔放に笑いが止まらなかったのだった。



大事な柱が折れてますけど…。→→→

もしかして、これを笑うのは不謹慎に当たるのか?(笑うけど)

正直、事情が分からない。

もしかしたら、重大な自然災害によって洞門が被災し、どうしても止むなく、現道開通までの一時期をこのような“強引過ぎる対処療法”で切り抜けたのかも知れない。

いや、裏付けこそ無いが、多分そうなんだろうという気はする。
柱が完全に折れた状態の洞門を、別の柱で補強しながら利用する。
こんな状況で恒久的に使っているケースは、さすがに見た憶えが無い。
災害時のような特別の事情が無ければ、昭和59年以前とはいえ、ちょっとありそうにはない。ましてここは天下の酷道国道だ。



施工者も、さすがにこんなイレギュラーな補強には、予期出来ない事態にも対処出来るよう強度の安全率を大きめに取ったのか、

【崩れかけたコンクリート洞門の内側に、元の壁や柱を支えるように組まれた鋼製洞門】は、

相当に耐荷重性能が高そうだった。なんかもう、無闇やったらに強そうなのである。



この洞門に何が起きたのか。
それは現状の光景からも想像が可能だ。

取水堰直上にあたる洞門中約20mほどの天井の川側と柱に、大規模な圧壊の痕跡がある。
昭和39年建造の洞門ということで、遅くとも昭和59年以前であろう被災時点では耐用年数に余裕があったはずだが、設計上想定されていた以上の落石か雪崩が直撃するなどして、通常の方法では復旧出来ないレベルで破壊されてしまったのであろう。

そこで赤怒谷トンネルという新道の建設を急ぐことで抜本的対策を図ると共に、それまでの1年程度を片側交互通行のうえ何とか交通確保したというのが、この酷い補強の背景ではないだろうか。(この状況で数年間も、のうのうと利用を続けていたとは、あまり思いたくない(苦笑))

廃止間際の本当の事情をご存じの方がいたら、ぜひ教えていただきたい。



入口からは想像出来なかった予想外の禍禍しさを醸し出してしまい、
図らずも“ラストダンジョン”を思わせるような展開となった取入隧道であるが、
狭窄補強区間を越えれば、出口はもう間近であった。

まあ、出た先も(もっと)一筋縄ではいかなさそうだったわけだが…。



16:42 《現在地》

100mぶりに外へ出ると、そこにあったのは、スチームパンクの世界?!

ブシューー!!

謎のタンクが白煙を吹いていた。周囲は妙に蒸し暑い気がするが、これは気のせいだったかも知れない。
ちなみにこのタンクは路面の中央にドデンと鎮座している。
ここまではしっかりした轍がついていた旧道の唐突な終焉であった。

タンクの前で首を反対へ向けると、相変わらず重厚な造りの坑門がドデン。(→)

それはいいのだが……、扁額が涙を流していた。

これは何か通常では無い経年変化…温泉の蒸気に触れたことによる何らかの化学的な現象なのだろうか。

黒い涙を流す洞門が、最後のステージの最後の場面へ進む我々を、見送った。



道が狭く藪が深い。

洞門に入る前とは、まるで別の道のようになってしまった。
取水堰や謎の温泉タンクへのアクセスという役割さえも失った、真の廃道の成れの果ての姿であった。

この先は…、

洞門の中で見た景色を思い出す。
あれは間違いなく大規模に崩壊していた。
今はまだ見えないが、あんな幻があるはずはない。

直後、我々は国道158号旧道の“ラスボス”に対峙する?!



16:44 

で、その直後、我々は“ラスボス”とやらに対峙することなく(対面はした)、しっぽを巻いて退散した。正確な撤退地点は写真さえ撮っていなかったというやる気のなさである。なぜか?

廃道探索はゲームじゃねぇんだよぉ〜!! と、ここで突然の逆ギレ(笑)。
徒歩ならまあ多分、越える事は出来ただろう。それでもやらなかったのは、ゲーム的でヒロイックな情熱よりも、オブローダーとしての成果主義的な冷静が勝った結果である。
ここまでゲーム的な表現を多用したのは、レポート上の演出というだけでなく、現場でも「次々ステージを攻略していく」展開が自然とそれを連想させ、相方としばしばマ●オを語り合った。
が、所詮それは探索の“味付け”でしかない。ゲームの「完全攻略」よりも、探索の「時間効率」を追い求めた結果である。

だって、僅か50mほど先に現道というゴールが明確に見える状況で、かつ(予感があって)洞門内に置いてきていた自転車で引き返しても、ほんの数分で安全に向こうへ行ける状況だ。(探索時間がぎりぎりだというのも大きな理由だった。ここまで来て、“釜トン”を存分にやれずにタイムアップなんて最悪だろう)



そんなわけで、ここまで我々の前進に感情移入をして読み進めてくれた読者さんにとっては興醒めかもしれないが(苦笑)、ほとんど葛藤なく引き返しを選択した我々は、速やかに赤怒谷トンネルを潜り抜けた。
そして、引き返しから僅か4分後には、旧道の反対側へ着いた。

16:50 《現在地》

赤怒谷トンネル西口の脇が旧道の分岐地点だったはずだが、実際には道らしいものは何も残っていなかった。

梓川に流されてしまった部分もあるかもしれないが、大部分は巨大な赤怒谷トンネルの擁壁に土地を奪われて消失したように見える。
このトンネルを建設する当時の交通をどうやって確保していたのかは少し疑問だが、仮設橋など如何様にも可能ではある。

ということで、始まりはあっても終わりはないという変な幕切れとなったステージ5だったが、これで探索終了である!






自然と人の力比べ技比べ、中ノ湯。



赤怒谷トンネル西口から中ノ湯の釜トンネル南口までの区間を、最後に紹介する。

この区間の距離は約700mで、旧道は存在しない。現在ある国道がはじめの道である。

だが、オブローダーの目を惹くものについては、この区間も豊富に存在する。


赤怒谷トンネルを抜けて少しすると、川に沿って道は右に曲がっていく。
この少し前から対岸の山上部に見えはじめるのが、橋桁の代わりに空を支えるかのような5本の橋脚である(写真では4本が見えている)。

これまでずっと谷の底に押しとどめられてきた国道から見ても、重力から解放されて空へ舞い上がるような橋脚群は、その白さと相俟って印象的な存在だが、これがこの姿で生まれてから既に20年近く経過し、なおも橋桁を頂く様子がない所に最大の特徴がある。

端的に言えば未成道。
ここに、中部縦貫自動車道や安房トンネル有料道路というキーワードを出せば、なるほどこれは将来の全線開通を見越した準備施設なのだろうと合点がいくと思うが、実態はそれに遠からずとは言えども、さらに少しばかり複雑で難儀だったりする。




そのまま国道を進んでいき、釜トンネル前の中ノ湯交差点付近まで進んだ所で改めて未成橋脚群を見上げると、今度は先ほどは見えなかった左端の5本目の橋脚と、さらにその先に封鎖された大きな坑口が見える。
その山側に見える白い大きな建造物は、実際に現在使われている安房トンネルの長野県側坑口の上部である。

これら一連の未成構造物は、国道158号からあまりに容易く見える事から、当サイトにも古くから多くの情報提供や調査依頼があり、実際にこの2日後の平成20(2008)年7月4日に探索している。
そのレポートは『日本の廃道2008年9月号』に余すことなく執筆しているので、ここでは別枠で概略を述べるに留めたい。



岐阜県の平湯温泉と長野県の中ノ湯温泉を隔てる安房峠を貫く安房トンネルは、昭和39(1964)年の現地調査や同42年からのボーリング調査という早くからの準備を経て、同55(1980)年に調査坑の掘削が開始された。
全長4kmを越える長さもさることながら、北アルプスで最も活発に活動する活火山である焼岳山頂のわずか3km南の地中400mを抜く、世界でもほとんど例がなかった火山山体を貫通するトンネルとして、もはや約束された難工事であった。苦節11年をかけて調査坑が貫通した後は本坑の掘削が本格化し、こちらは掘削開始から6年後の平成7(1995)年に貫通して、見事にわが国の威信をかけた巨大トンネルプロジェクトは達成された。

だが、途中では大きな事故に伴う犠牲もあった。
その最大のものが、本坑貫通間際の平成7年2月11日に突如として中ノ湯の梓川河床付近で水蒸気爆発が発生し、誘発された雪崩や土石流によって作業員4名が犠牲となった災害である。
この事故は国道158号現道のすぐそばで起きている(2枚上の写真の対岸河床付近)ので、国道もしばらく通行止めになった。報道などで覚えている方もいるだろう。


『安房峠道路工事誌』より転載のうえ著者加工

水蒸気爆発事故の発生当時、現場のすぐ上部では本坑出口と国道現道を繋ぐ陸橋の工事が進められていて、橋脚が完成しかかっていた。

だが、事故後の専門家調査により、活動の収束にはまだしばらくの時間がかかると見込まれたことから、同地での工事続行は危険と判断された。
一方で長野オリンピック(平成10(1998)年2月)に向け開通を特に急ぎたい事情もあったことから、国と県は当初のルートを一部変更し、右図に青色で示した「迂回坑」と「暫定ルート」による現道接続を決定したのである。
そうして平成9(1997)年に開通したのが、現在の安房トンネル有料道路だ。

なお、工事途中の平成元年に安房トンネルは地域高規格道路の中部縦貫自動車道に組み込まれ、当初の計画ルートにあった陸橋付近は「中ノ湯IC(仮称)」となり、本線は松本方向へ延伸される計画だが、平成28年現在も中ノ湯IC以東は「基本計画区間」のままであり、将来的に現在ある「未成の本坑口や陸橋橋脚群」が活用されるのかは不明である。

我々は直前の赤怒谷で大地のエネルギーを垣間見たが、中ノ湯でもそのエネルギーは、近年にも暴力的に発現していた。
多くの犠牲が出ている以上、自然のしっぺ返だなど言って終えるには傷ましい、再発防止を考究すべき教訓だろう。



未成橋脚を見上げながら谷底の国道を進むと、上高地への分岐が200m先にあることを予告する大きな青看と一緒に、その200mの大半に蓋をする長い洞門が現れる。

青看だとすぐにでも左折車線が分離するような雰囲気だが、実際にそれが現れるのはこの洞門の出口からであり、観光シーズンにしばしば渋滞が発生する場所になっている。
それゆえ、この洞門内で予想外に長い時間を過ごしてしまった人も少なくないと思うが、逆にそういう人でなければまず気付かない秘密が、この洞門にはある。




『大鑑』に記載のある「中の湯隧道」は、ここにあった!

中の湯隧道  全長40.0m  車道幅員5.0m  高さ4.5m  竣工昭和37年

いや、「あった」ではなく、今でも「ある」と書くべきか。
確かに銘板付きで存在しているのだ。
前後を名前のない現代風の洞門に挟まれていて“一体化”している。
そのため分かりにくいが、良く見れば扁額がある部分のデザインは、先ほどの取入隧道とそっくりである。

ただし、この“一体化”は、とても手の込んだものであり――


ここまでするか!

――というレベルである。

なにせ、元々の幅5mしかない「中の湯隧道」の柱を全て切除し、そこに前後の洞門と同じ幅の屋根と柱を添接して、とりあえず通行に支障のない1本の長い洞門の一部にしているのだ。
まさに道路界の“フランケンシュタイン博士の怪物”のよう。
しかも、“改造手術”に際しては必要な強度確保のためか、柱の密度が当初の倍に増やされている。
これは最後にボコボコになった取入隧道の教訓といったところだろうか。
お陰で洞内から外は見え辛い。

ほぼ同じ時期に同じ姿で誕生した取入隧道と中の湯隧道の末路は、真逆のようだ。
前者は、失った柱を武骨で不気味な仮設構造物で補いながら、辛うじて残る廃道だ。
後者は、柱を全て差し出すことで現代の道路構造物たる資格を手にした、現役の道路だ。

おそらく、道路構造物としての本分をより尽くしていると言えるのは後者なのだが、この姿は当初の設計者が「生きろ」と思った姿では明らかにない。
個々の道路構造物に魂があって…みたいな話はおくとしても、訪れた人にそれと意識されることが存在を確固たるものにするという考え方の元では、数少ない訪問者の心に必ず刻まれる前者の方が、大勢が無意識で通過し続ける後者より、「ある」と言えるのかも知れない。
ネット上でこの中の湯隧道に言及したのは、私が初めてなのではないかというレベルで、こいつは今まで“空気”だった。取入隧道はそうでは無いはず。



16:58 《現在地》

沢渡から約7.5km、海抜1250mの中ノ湯交差点に到着。
国道はここで左折して梓川を横断、一路、安房峠へ挑む。直進は源流の上高地へ向けなおも梓川を遡らんと、“釜トン”へ。
直進は通年のマイカー規制(冬は冬期閉鎖)があり、バスやタクシーなどの許可車両と、軽車両、歩行者だけしか通れない。

監視人が目を光らせるここが我々のゴールであり、そして、次のスタートだった。

二人揃って「廃道要素の全部入り!」を認定した今回一連の旧道。
改めて第1回で登場させたきり忘れていた「廃道チェックリスト」をチェックして貰えば、
確かにそうだと肯いて貰えると思う。丸投げだよ。そうだよ。