現在地は県道278号の入口から1.5kmの地点、封鎖地点から数えて1.1kmだ。
愛車が待つゴールまで、残りは1km。
どちらから来ても最も遠い中間地帯で、それは遂に現れた。
死臭漂う、危険な斜面。
今回は、いきなりそこからだ。
基本的に日影であるはずの北側斜面に、所ならぬ「明るさ」が察知された時点で、こうした難所の出現は予感できた。
しかし実際に現れた地形は、私の想定した“度”をだいぶ超えていた。
これまでも繰りかえし「難所」はあったが、それらはいずれも攻略の成否を疑わせるほどのものではなかった。
少々偉ぶった言い方になるが、廃道踏破の彩り、楽しさ、変化、そういったプラスイメージにも捉えられる難所だった。
危険はあったが、それゆえに面白いという部分を、程度の差こそあれ大半のオブローダーが魅力として捉えているはずだ。
私にとってこれまでのは「難所」は、ある種ゲーム内の「イベント」のようなものだったと言う事も出来る。
そこには明確な攻略の筋道が見て取れた。
だが、ここで初めてゲームから逸脱した場面が現れた。
これまでは模造刀で派手な斬り合いを演じていたものが、ここで突如真剣でのそれに立ち向かう決断をするか。
それとも、引き返すか。
選択を突きつけられ、私は火照った顔面筋が硬直するのを感じた。
セーフティゾーンの限界まで行くと、彼方前方にゴール地点の秩父湖橋(つり橋)が見えた。
こんな餌に釣られるほど軽率ではないつもりだが、チクショウめ。
難所に至って初めてゴールを見せつけるとは、小賢しい。
この時点で今回の踏破目標の半ばを過ぎており、ここから引き返すと時間的にも体力的にもロスは大きい。
さらに引き返した後には、片道1km近い未踏破区間が残ってしまう。
これは言うまでもないことだが、オブローディングの最中にできる限り避けたいのが、踏破を断念し引き返すという選択だ。
無論、その決断の必要性も承知しているが、それでも安易に自分の限界を低く見積もってノーリスクに徹したのでは、得る事の出来ない成長や成果もあるはずである。
そういえば、ここへ来る少し前に眼下の秩父湖はバックウォーターを越えて、通常の流下する河川の姿に変わっていた。
水位がかなり高ければ、とりあえず滑落しても水面がクッションとなって身体を受け止めてくれる可能性があったが、今日の状態は考え得る限り最低最悪だろう。
あの河床に身体が辿りつく頃には、それはもう肉体ではなく1個の骸と化している可能性もある。
これはそういう高さと堅さと斜度である。
手摺りもないセーフティゾーンの先端から、これを眺めているだけでも既にリスキーなのに、ここから先細る斜面に身を進めるかどうか。
…熟考させていただきたい。
この斜面、ともすれば道など存在しなかったかのようにも見えるが、もちろんそんなはずはないし、路盤は大量の瓦礫が突き固められた“撫で肩の斜面”の下に大部分温存されているはずである。
問題は、ここが無事に通り抜けられるかどうかと言う一点に尽きる。
微かに踏み跡のような痕跡も見えるが、これがどのくらい「人間」の関与によるものかは分からない。
ほとんどが獣かも知れないのだ(踏み跡が収斂しているこの場所には、特に多くの鹿のフンが落ちていた)。
四つ足歩行で重心も低い獣と我々人間とでは、この斜面での安定性も大きく異なるのである。
しかしともかく右の写真内に示した「1st.act」は、その先の「2nd.act」の威圧感を借っているだけであり、そこまでは安全に越せるだろうと冷静に判断した。
問題は後半の「2nd.act」だ!
さあ、どうだ!
もしこの「2nd.act」が、前の「1st.act」と大差なく見えるならば、それは私の写真が良くないと言うことである。
ここから先の数メートルは、マジで恐ろしいものに私には見えた。
とにかく斜面が急であり、しかもそれが堅く締まっている。
そのため爪先で安定なステップを刻んで歩くのが難しいし、一歩一歩立ち止まって安全を確かめながら歩こうにも、不安定な場所でむしろバランスを崩してしまう事が考えられる。
さらに言えば、通路となり得る部分が狭すぎて、途中でマズイと思っても後ずさりしかできない(方向転換は難しい)だろう事も恐ろしかった。
そしてそして、左の堅い一枚岩の岩盤に手掛りとなるような木や堅いツタが生えていないことも不利だった。
可憐な白い花を付ける草(私は昔から斜面に生える手掛りたり得ない可憐な草花を「ポヨ草」と呼んでいる)は、目を楽しませる役割しか持ち得ない。
滑落死体が片手に土と一緒に自らへの手向けの花を握っていたなんて、笑えない冗談だろう。
左右の写真は、ほとんど同じ場所、同じアングルで撮影されている。
だが、タイムスタンプを確認すると、2枚の写真には2分の隔たりがあった。
ほとんど同じ場所で、姿勢さえ変化させることなく、逡巡していたことを窺わせる。
躊躇いを覚えるならば行かないのが吉というのも一つの答えだが、私は目に映る風景と靴底の感触を十分に吟味した後で、最終的に
前進するという決断を下した。
決断後、最後の数歩を刻む直前で撮影した写真。
もしこの場面でミスがあったら、私はこの記事を書いていないのである(生死問わず)。
したがって、何のトラブルもアクシデントも、さらには記念となるような撮影(自分撮り含む)もなく、
淡々と突破した。
私の技量では、ここはとてもエンターテイメントな演出が可能な場面ではなかった。
ただ静かな数歩があったと言うことしか、伝える事はできない。
振り返る難所。
このときの安堵感は、とても限定的なものだった。
この先の展開次第では、結局この場所を引き返すという可能性もあるのだから、やむを得なかった。
そうならないことを祈るよりない。
「 罠 」ではないことを祈りたい、
難所の後の、嘘みたいに平穏な回廊シーン。
本来の手摺りがこれだけ残っている箇所は、初めて見る。
直前の大崩壊現場も、元はこのような光景であったと想像される。
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これは酷い土石流だ。
道は盛り上がった膨大な土砂の山に埋め尽くされており、路肩にあった擁壁の落差まで完全に覆い隠されていた。
だが、先ほどの難所に較べれば、このようなものはものの数に入らない。
危険度がまるっきり違うのだ。
次第に道の周りに樹木が接近してきている状況も、喜ばしいことであった。
このまま行けば、私は賭けに勝ちそうだ。
谷底で仕事をする重機の音を打ち消すように、凄烈な滝の音が聞こえていた。
そしてその主もすぐに現れた。
道を滝が分断していた。
私の表情は、ここで再び強ばったことだろう。
小さな滝ではあるが、周囲の地形から言って、踏破困難な場面となっている可能性もあった。
もっと近付いて、早く渡河地点の地形が見たい!
4本目の橋の跡を過ぎて少し進むと、ようやく地形が矛を収め始めた感じがした。
まだまだ谷底までの高低差は大きいが、斜面は滑落死を意識せずに済む程度のなだらかさになった。
普段は湖底である広大な河床を、サラサラと水が流れている景色を愛でる余裕も出て来た。
私は決着を付けて安心したい気持ちから、ややペースを上げた。
道の状況は相変わらず大荒れだったが、決定的に困難な場面が再び現れる事は無く、4号橋の跡地から8分ほど歩いたときに、5号橋(橋名は全て仮称)の跡地に出会った。
そしてここも土石流でめちゃくちゃに荒らされており、橋台をわずかに残して橋は地上から姿を消していた。
これだけ全線にわたって荒れまくっている状況を見る限り、「秩父湖一周ハイキングコース」は設定自体に無理があったのかもしれない。
完全自己責任を押し通せ得る登山道ならばいざ知らず、ハイキングコースでこれだけの崩壊危険地帯を歩かせるのは、とても現代的ではない。
それゆえある段階で、大滝村はこの観光資源を放棄する決断を下さざるを得なくなったのだろう。
毎年の維持費も相当の額に及んでいたことも想像される。
11:11 《現在地》
5号橋跡を越えると、そこはもう秩父湖橋側の封鎖地点であった。
大洞橋を渡り終えた所(大洞橋側封鎖地点)を出発して、ちょうど1時間後である。
廃道の距離は約2kmあったわけだが、何と言っても圧倒的に危険であり印象に残ったのは、あの撫で肩の斜面だった。
あそこさえなければまた来ようと思ったかも知れないが、もうお腹いっぱいだな…。
最初と同じように、もう一度秩父湖橋を渡る。
同じ橋だが、気持ちはぜんぜん違う。
今は仕事を終えた後の達成感と安堵感に満ちていて、つり橋の微かな揺れは凱旋者を祝福する「わっしょい」と感じられた。
そして橋の上で来た道を振り返ってみると、恐怖の“撫で肩斜面”だけ緑の衣がはだけ、髑髏の膚(はだ)を見せていた。
このように一箇所だけ見え方が違っている事からも、突出した難所であったことが分かると思う。
秩父湖一周“廃”キング、達成!
でも、他人様にオススメはしません。