道路レポート 栃木県道62号 今市氏家線 風見不通区 中編

所在地 栃木県日光市〜塩谷町
探索日 2015.5.09
公開日 2017.3.10

河川敷の主要地方道


2015/5/9 7:40 《現在地》

10分以上かけて、直線過ぎた倦怠の未成道を、入口まで戻った。
次はいよいよ、メインディッシュ。
“黄色い矢印”の先に待ち受ける、鬼怒川の河川敷を通行している主要地方道の区間へ。

前回冒頭に述べた通り、地理院地図に県道として表記されたこの先の道が、確かに県道として供用されていることを、栃木県矢板土木事務所に直接問い合わせて確認している。ただし、供用済みではあるが、【自動車交通不能区間】未改良道路(供用を開始している)のうち幅員、曲線半径、勾配その他道路状況により、最大積載量4トンの貨物自動車が通行できない区間をいう。に指定しているという。
どんな景色が待っているのか楽しみだが、同時に碌でもない予感もする。

未成バイパスの封鎖されたゲート脇から右へ、鬼怒川の河川敷へ下る砂利道がある。その入口には、鉄パイプで二つ連結された「矢板土木事務所」の名の入ったA型バリケードが“寄せ”られていた。こちらは特に通行止めではないようだ。そこそこ轍も濃く刻まれている。




先ほどまでいた未成道が紛れもなく堤防を兼ねたものであったことが、こうして脇から見ることでよく分かる。
下から見上げると、なかなか壮大な規模だった。

県道は、河川敷に入るとすぐ平坦になり、カーブしながら川へ近付いていく方向へ進む。
もっとも、鬼怒川の河川敷はとても広いので、すぐに川に出てしまうことはない。大体このあたりだと、緑の河川敷が500mほどの幅でこちら岸に存在している。




河川敷の底に着いてまもなく、1本の小川を太い土管の暗渠で跨いだ。
土管が露出している簡単な作りの暗渠は、作業道クラスの林道や、工事用の仮設道路などではしばしば見かけるが、これでも主要地方道なのだと思うと感慨深い。



7:43 《現在地》

これは、どっちだろう?

入口から150mほど進んだところで、道が二手に分かれた。

当然のように、案内板などは存在しない。



右の道 →→→

轍の濃さで評価すれば6:4くらいで優位であるように見える。
ただ、進行方向は県道が進みたい下流方向ではなく、
むしろ逆の方向へ向かってしまっている。

これではなさそう。




←←← 正面の道

轍の濃さでは4:6で負けているうえに、
施錠されたチェーンで封鎖されてしまっている。
進行方向的には、まっすぐ川の方向へ向かっているようだ。

正しい県道は――





左折でした!!

「そんなのありかよ〜〜」 という声が聞こえてくるようだ(笑)。

おいしい。




この道が、主要地方道今市氏家線。

なおも、封鎖はされていない。

一応は供用済みの県道なので、特に理由なく封鎖することは道路法に違反することになる。ゆえに解放されているのだと考えるのがセオリーだろうが、正直言えば、単に利用者から県道として認知されていないから、封鎖もされず放置されているだけのような気が…(苦笑)。

私も、地理院地図の表記さえ見なければ、ここが県道だと考えることはなかっただろう。それに、地理院地図自体、公開が始まってまだ数年しか経っていない。市販の道路地図帳や従来の地形図で、この区間を県道として描いたものはなかったはずだ。

ところで、「主要地方道」とは、国土交通大臣が特に重要と認めた県道(と政令市の市道)を指定したもので、正体は都道府県道(ないし市道)であるが、運用上は「国道>主要地方道>都道府県道」の地位にある。平成5(1993)年を最後に新たな国道の指定は行われていないものの、それまでの追加指定国道の多くが主要地方道をベースとしたものであり、比較的近年まで主要地方道は“準国道”や“国道予備軍”として企画されてきた歴史がある。主要地方道を舐めてはいけない。



……あちぃなぁ!!

万人にこの価値を認めさせることなど絶対に出来ないが、少なくとも私を含む、ある特定の遺伝子を持った道路趣味者の心にはバシバシ突き刺さるはずだ。

わざわざ萌えの理由を語るのも安い気がするが一応述べると、これは単なる“険道”として面白いうだけでなく、ちゃんと自動車が通行する道路として供用済みで、しかもちゃんと目的地へ通り抜けられる(はず)というのが愉快だ。
この先が間もなく行き止まりだというのでは、ここまでドキドキしない。それでは荒れていても当然だと感じるから。

私は今回、不通区間だけをチョイスして探索をしてしまっているが、いつか誰かが起点から終点まで、この道だけを使って移動してくれるといいなと思う。
それを実現したときに、はじめて主要地方道今市氏家線は不具ではないと証明される気がする。



なお、私が緑に囲まれてニョキニョキしている最中、左の100mほど離れた位置に、ちらちらと未成道の築堤(堤防)が見えていた。

目印になるようなものがほとんどないため、GPSを使わなければ現在地をたちまち見失いそうな場所だが、築堤はその数少ない目印になってくれている。
それにより、私が地理院地図に描かれた県道のルートを正しくなぞって、下流方向へ進めていることが分かった。

県道と未成道の間は低地か湿地帯が横たわっており、そこを先ほど土管で渡った小川が流れている。この小川も地理院地図には描かれている。




今にも消えてしまいそうな、本当に掻き消える寸前のように見える轍だったが、それでも二筋並んだ軽トラ幅で続いている。
一体何を考えてクルマでこんなところを通行しようと思ったのか分からないが(同業者か?)、諦めのワルい御仁のお陰で、私も少しだけ心強い。
この状況で草藪が本気を出してしまうと、厳しい闘いになることは目に見えている。

先ほどの分岐から350mほど進むと、突如前方の視界が開けた。
これまで左手にあった低地帯を斜めに横断し、これからはその左側に着くようになる模様。



7:48 《現在地》

低地帯を横断する途中に、二個所目となる大口径土管の暗渠が待ち受けていた。
橋代わりに土管暗渠を用いるとか、完全に河川敷の道っぽい。

そして、この暗渠上の道は、明らかに洪水で洗い流された形跡があった。
いわゆる路盤欠壊の状態であり、これを理由に「通行止め」の措置をとっても良さそうなものだが、
コーン、バリケード、立て札のいずれもなく、完全にスルーされていた。

「廃道かよ!」(←ツッコミ)



下流側から見た暗渠の状況。

大口径の土管1本が県道の下を通されているが、土管の下の土砂が洪水で洗掘されたものか、沈没船が海面に沈んでいく姿のように、片側の口を高く上げて傾いてしまっている。
そのために水の通りが悪くなり、増水時には路上を横断して川が流れている模様だ。

それにしても、雨の後でもないのに、随分と水量が多い。
ザブザブといい音を立てて流れていた。




さすがの“軽トラ”氏の轍も新しいものは遂になくなり、残すはさらに細い第三の轍、古いダブルトラックの中央に刻まれたシングルトラックだけになった。

つまり、自転車やバイクあるいは歩行者だけが、今のこの県道を「無理に通ろうと思えば」(←重要)通れるという状況である。





ちょっとした悪戯心が生じた私は、自転車を県道の上に乗り捨てて、少しだけ離れた場所から自転車を眺めてみた。

←← さて、どこに県道があるか分かるだろうか?

答え合わせは、チェンジ後の画像である。

このように、少しでも道から離れると、もうどこが道か容易には分からなくなる。どこも道のように見えるし、また道でないようにも見える。
微かな轍を辿ることが、ここでは重要である。最終的にそれが、私のGPSの軌跡を地理院地図上の県道に重ねることへ繋がった。



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7:53 《現在地》

“河川敷の主要地方道”は、短距離のイロモノと思う人が多いかもしれないが、実際にはそう短い区間ではない。

先に探索した未成道がほとんど貫通寸前のところまで通じていたが、あれがほぼ直線で1.3kmもあった。
対してこちらの現県道は、いくらか蛇行しながら同程度の距離を横断しようとしているので、“河川敷の主要地方道”区間は約2kmにわたっている。
2kmは、決して短い距離ではないだろう。

現在地は、その2kmの中のだいたい中間だ。
この辺りは小川からも少し離れており、四方は見通しの全く利かない雑木林である。車の音も町の音も辺りにはなく、トリの囀りだけがいやにうるさい。
そんな中で唯一の目印となったのは、上空を横断する送電線だった。

山奥などではないのに、淋しい場所だった。



おおっ! ちょっと道が元気になってきた。

河川敷区間も後半戦に差し掛かり、風見集落側から入り込んだ轍に迎え入れられつつあるようだ。
しかし、まだ予断は許さない。




謎の障害物が現れた。

道の脇に立つ2本のコンクリート柱。
おそらくその正体は、門柱的なもの。
道をチェーンなどで塞ぐか、或いは道幅を制限するために作られたのではないか。
しかし、現状では轍の方が身軽に脇へ避けてしまっていて、全く用を成していない。



藪は上手く避けれているが、所々にある倒木が邪魔だ。
こんなんでも、法的には現役の県道であり、主要地方道でもある。
もしも道路管理者がここに“ヘキサ”の1本でも立てておいてくれたら、メジャーな道路マニア的スポットになっていたかもしれないな。

実際の河川敷区間内には、県道を匂わせるものは特に見あたらない。
県道のアイテムとして存在のハードルが最も低そうな、「県有地」や「道路用地」を示す用地杭さえ見あたらない。
また、道自体にしても、河川敷というとても不安定な立地にあるわけだから、古い歴史があるようには思えない。

この道はそもそも、「県道として」の整備などほとんど(全く)受けていない気がする。
もともとあったこの道に、後から事務的に「県道の認定」を行っただけだろう。将来の立派な県道(現状は未成道)を作る布石として、リリーフ的に認定を行ったのではないか。(こうしたケースは珍しくない)




河川敷の入口から1.4kmほど進んで来た。
徐々に道の状況は改善しつつあるようだが、未だ人や車との出会いはない。
そして、三度、例の小川を横断する場面があった。
今度も大きな土管の暗渠だった。

この辺りの風景など、鬼怒川の河川敷だと明かされなければ、色々な騙しが出来そうだ。仮に信州の山奥にある人気の高層湿原だと言われても、私には騙される自信がある。
なかなか、“景色の良い”、主要地方道である。




8:01 《現在地》

だ〜! 突破したぞ〜 !!

3度目の土管暗渠のすぐ先で、県道は濃い轍を持つ砂利道と合流した。

この砂利道は、地理院地図だと河川敷内のごく短い“園路”として表現されており、まともに通れる道には見えないが、実際の合流地点を振り返ってみると、主要地方道がショボすぎて泣けた(笑)(←笑ってるじゃねーか)



ここまで来れば、もう“河川敷県道”のクリアは近い。
MTBの馬力を活かし、砂利道を快走する。

150mほど進むと、見覚えのあるコンクリートの柱が現れた。
やはり、門柱的な使われ方をしていたようだ。
幸い、封鎖はされていない。

門柱を振り返ると、県と警察が立てた看板があった。
残念ながら、県道についての内容ではなく、河川法に則った警告だった。
県道のスルーされっぷりが、半端ないね(涙)




また分岐地点。

ここは、道なり(轍なり)に左折で正解だ。

「主要地方道様のお通りだぞ〜! 退け退けーーッ!」




そして矢継ぎ早に、4度目の暗渠渡りだが……

この景色で、やっと分かったよ。
河川敷県道がずっと寄り添ってきた、細長く連なる小川と低地の正体が。

これは、鬼怒川の古い河道の跡だと思う。
帰宅後に航空写真で確かめてみたいと思うが、おそらくそうだ。
4度目の暗渠から見たこの眺めは、河跡湖そのものであった。

ますます、河川敷県道が泡沫(うたかた)の存在であったという印象を濃くした。河川敷内に恒常的な施設など求めるべくもないのである。
現代でも、大洪水時には河道に呑み込まれているものと思う。



8:05 《現在地》

森を脱出し、都市的な利用法をされている河川敷の雰囲気が出て来たところで、なんと遂にゲートが出現!

軽トラなんかで頑張ってここまで来た人がいたとしたら、最後の最後でゲートがあって抜けれないとか、可哀想過ぎる。もっと早い段階で塞いでくれよと思うことだろう。

しかし、幸いにしてこのゲートは施錠されておらず、誰でも開けて通行できる仕組みになっていた。(倫理的にOKかは謎)




ゲートを抜けるとまた分岐地点。そして、振り返るゲート脇に看板発見。

 お 知 ら せ 
 度重なる河川敷内への不法投棄を防止するため、当分の間、ゲートを設け車両による通行を制限します。
 なお、やむを得ず車両により河川敷内に立ち入るため、ゲートの一時的な解放を希望する場合は、予め下記までご連絡下さい。
   矢板土木事務所  塩谷町  矢板警察署

県道、とばっちりじゃねーか…(涙)

鬼怒川は一級河川であり、国の管理であるはず。にもかかわらず、ゲートは栃木県の矢板土木事務所が管理しているということは、この道が県道だからということなのだろうか?
河川行政は詳しくないので、間違っているかも知れないが…。



さあ、障害物は全て去った。

あとは目の前に見える堤防さえ越えれば、河川敷から脱出し、風見集落に到着だ!

別に難しい地形のようには見えなかったのに、なかなか一筋縄では着けなかった“ゴール”である。

早く俺に、主要地方道の正しい姿を思い出させてくれ〜。