高沼でほんの少しこの空気を吸っているが、基本的には2時間半ずっと無人の旧道や廃道の住人だった。
それだけに、アスファルトのありがたさが身に染みた。
とりあえずこの辺りに集落はないようだが、いろいろと目的地の案内が出て来ていた。
「合掌文化村」というのが利賀村のキャッチコピーなんだろうか?
その下には「そばの郷13km」「瞑想の郷11km」「飛翔の郷8km」と三つの行き先が並んでいるが、ぶっちゃけ…どれも村人が住んでいそうな感じじゃないな(笑)。
「そば」はまだ親しみを感じるが…そこへ辿り着くために、まず「飛翔」して、次に「瞑想」とか…。なんか新手の宗教のようである。
新道に合わさってから600mを前進。
途中には「草嶺2」という短いスノーシェッドが一本あったほかは、アップダウン皆無の完全トラバースルートである。
そして、高沼の次の大字である草嶺の中心部にたどり着いた。
これまで同様、この草嶺も集落名を元にしているが、残念ながらここは既に廃村である。
高沼はよくてここは駄目だった理由は分からないが、美しい畦も丁寧な石垣も、みな山野の風景の一部となってしまっていた。
『村誌』曰く、ここは往古「草嶺倉村」といい、明治22年には家数17軒を数えたが、その後は徐々に減少し近年の過疎化の加速によって比較的最近に無人となったとのことである。
なお、利賀中心部(大字利賀村)までの大字はのこり3つ。
押場、北豆谷、大豆谷である。いずれも集落名による。
草嶺の集落跡は狭く、すぐにまた山峡へ舞い戻る。
そして、「草嶺3」「草嶺4」と、やや古びたいシェッドが2本続いた。
依然としてアップダウンはほとんど無く、ペースは快調である。
シェッドを出ると、こんな大きな建物が道ばたにでんと建っていた。
第三期山村振興特別対策事業
地 力 維 持 増 進 施 設
利 賀 堆 肥 舎
堆肥舎ということで、あえて住居のある場所から離して建てているものと思うが、それにしてもなかなかアグレッシブな立地である。
スノーシェッドが完備されているから良いものの、そうでなければ堆肥を取りに行くのも命がけとなりかねない。
しかしともかく、徐々に徐々に人界へ近付いている気配は感じる。
そして、「草嶺5」「草嶺6」を、何事もなく抜ける。
もうこのまま利賀村へ入っていくのだろうかと、漠然とした物足りなさを感じ始めた矢先…
尾根の先端を広く削って、平坦な小公園のように仕立てた場所に出会った。
そこには、“利賀村のシンボルタワー”も建っている。
ここからはどんな景色が見れるのだろうか。
私の期待は否が応にも高まった。
【大きな画像はこちら】
利賀村 発見!
「利賀村役場」改め、南砺市利賀行政センターのある利賀村中心地が一望された。
利賀村全体の人口が合併直前で900人足らずだったので、この眺めに含まれる人口はその1/3くらいだろうか?
なんか村というか、森というか、スイスというか…。
ここで、第二波がじわーーっと来た。
でも、まだこらえた。
しかし、振り返ってみた景色には遂にこらえきれず…
こうなった。
振り返ったら何が見えたのかって?
こういう景色が見えました。
これまで辿ってきた山峡なんだけど…
よく見るとこの中に…。
この慎ましさに、猛烈な感涙の情が湧き上がってきて、こらえきれんくなった。
説明が必要でせうか?
もうこんなに小さくなってしまった「犬の糞尾根」だけど、その旧道端にあった三本の大木を覚えてますか。
周りに全然自生していない松が混じっていた時点で「もしや」と思っていたんだけど、この眺めで確信できた。
あの三本の木は、昔の利賀の人々が庄川へ向かって歩くときの目印として植えたものだと。
こういう目印の木は、東北を含めて雪国では珍しくない風習である。
だが、そうではないかと思ったものが、まさにその通りの“目立ち方”で、ポツンと佇む姿を見たとき、
私の心も旧い旅人とだぶった気がして、…絶句したのだ。
この眺めの中に、季節に応じた3ルートの道があった。
それをさらに時代で分けたら、いったい幾筋の道があるのだろう。
そして、そのうちの幾筋が残っているのだろう…。
西岸林道もまた、か細い引っ掻き傷のような道である。
だがむしろこの道は、一度廃道になりかけたものが、いま復職の機会を得ているようであった。
何ゆえかといえば…。
感動だけで終わらないのが、利賀流のスペクタクル。
11:45 《現在地》
ここは風がけっこう強く、目に入ったらしい。
少々はれぼったい目と鼻をティッシュで擦り、いざ探索眼を再起動する。
そうするってーと、まずこんなものが目に留まった。
展望台といってもよろしい空き地(実は半弧状の旧道敷きだが)の片隅に設置された、作業用モノレールのプラットホームだ。
そこには、台車専用車両1台と、座席を3つずつ取り付けた客車2台が待機していた。
その軌条の行く末はというと…、
まったく脇目もふらず、利賀川の谷底へ下降していたのである。
10mほど先までしか見通せず、その辺りはどう見てもジェットコースターのような傾斜であった。
一時分よりは幾分谷底が近付いているとはいえ、なお280mの比高がある。
興味本位でこんなレールを手繰っていけば、まず戻っては来れまい。
それに、このレールの行き先をすぐ近くの案内板で理解してしまった私は、もうそれ以上興味が持てなかった。
ダム工事…。
【地形図を見る】と、確かにこの1kmほど上流の利賀川に「豆谷ダム」という小さなダムがあるようだ。
だが、このパネルも、作業用モノレールも、それとは無関係だった。
私全く与り知らないところで、事態は大いなる変容を遂げていた。
はっきりいって、下調べするのはあまり好きじゃないし、まして道路に関すること以外はわざと目をつむって出発するのが常である。
こんなものが出来つつあるなんて…、全く想定外だった。
ギョッとして、村を再び眺むれば、
一面緑と思った谷底には、今まさに灰色の“橋脚塔”がそそり立とうとしていた。
それだけじゃない。 橋と道路とトンネルと、コンクリートてんこ盛り作業中だった…。
なんかあの橋脚の眺めは、最近テレビにくり返し映し出されていたものとソックリだが、ここは“大丈夫”なんだろうか…。
これは傍にあった「完成予想図」をもとに私が作成した、水没風景の想像図だ。
この「利賀ダム」は、国土交通省が事業中の多目的ダムであり、目的は洪水調節、水量の安定化、工業用水の確保の三点。
ダム堤は高さは110m長さ290mの予定で、まだ本体工事には着手しておらず、今は専ら工事用道路の建設が進められている状態である。
完成後は、豆谷ダムを完全に水没させる一回り大きな人造湖が出現することとなり、その湛水域は利賀村中心部よりも上流に達するが、もともと谷底に集落がなかったのか、大がかりな集落移転はないようだ。
しかし、右図を見てもらえば明らかなとおり、完成後は全く利賀村の風景は一変することになろう。
それは必ずしも“景観悪化”ではなく、もっと美しい風景を生み出すかも知れないとは思う。
もとが良いだけに…。
まあ、風景が変わってしまうのは基本的に残念だが、村が「是」とするなら外野がどうこう言うべきではないだろう。
なにせ、あの『利賀村誌』にはこんな風に書かれている。
村は建設省(現、国土交通省)に陳情し、草嶺地内での利賀ダム建設誘致に成功した。
なんと、このダムは村が欲しいと国にお願いした事が、建設の発端となったらしい。
話に良く聞くのとは、まったく逆だ。
それでは、なぜ村はダムを欲したのだろうか?
その答えと取れる内容が、すぐ次に書かれていた。
同ダムの計画では、国道156号の栃原地内から分岐し、役場前で国道471号に接続する工事用道路が新設されることになっている。
この道路はトンネル3ヶ所と橋梁2ヶ所を含み、総延長は9.3km、幅員は7.5mである。
積雪や凍結のないトンネル区間は5.5kmで6割を占め、残る区間も万全の雪崩・落石対策が施される。
ダム工事完了後、この路線は一般に開放され、国道471号に代わって村の幹線道路となる予定である。
これじゃまるで、道路欲しさが動機みたいだ。
でも、このダムに関してはこれしか書いてなかった(笑)。
右図は、「利賀ダム工事事務所サイト内の工事情報ページ」などをベースに作成した、上記の工事用道路(将来の国道471号バイパス)計画図である。
地図を見ると、本当にもの凄いハイスペック道路…。
つうか、今まで私が辿ってきた旧道は当然としても、新道(現国道)でさえもゴミのように思えてくる道。
…ほとんど全部トンネルじゃないか!
しかも、1号トンネル(2.2km)と2号トンネル(2.8km)なんか、洞内分岐で外に繋がっているだけで、実質的には一本(5km)のトンネルである。
3号トンネル(1.1km)だって決して短いものじゃない。
これまで、“三本のルート”ということに意識を照らしてやってきたが、実際にはこんな次世代の道がすぐ足元に迫っていたのである。
今思えば、西岸林道が再整備されて廃道から復していたのも、この工事が原因だった。
確かにこれが出来れば、利賀と庄川は文字通りの隣町感覚で交際できるようになるだろう。
その時も利賀は秘境と呼ばれるだろうか。
或いはそんなものは、とうの昔に願い下げということなのか。
普通はそうだよな……。
なお、これを書いている時点では、押谷トンネル(0.9km)が完成しているらしい。
また、国道156号側の工事も始まっているのを確認している。
本当に完成するんだろうかという疑いを、私はまだぬぐい去れないが…。
次回、いよいよ利賀村中心部が出現。
「偏執狂」を自ら名乗ったのは、いったいダレだ??