道路レポート 横須賀十三峠 最終回

公開日 2009.10. 5
探索日 2009. 1. 3

のの字橋


2009/1/3 12:49 

いっとき海抜130mくらいまで登ったが(ちなみに三浦半島の最高所は海抜242m)、現在地は70mくらいである。
ゴールの田浦町は、度重なる埋め立てによって海岸を持たない大字になっているが、海抜は0mに近い。

まだまだ下りはボリュームを残しているわけだが、想定される残距離は1100m足らずで、紛れもなく終盤戦である。




上の写真のガードレールから下を覗くと、いよいよ家屋が密集してきた山脚を見晴らすことが出来る。
右端のごく狭い範囲に見える青は、建物の屋根ではなく、長浦湾(東京湾)の海面である。

それはそうと、中央やや左寄りのあたりの家屋の並び方に、不思議な規則性を感じはしないだろうか。
私はそれに気付いたとき、「ローマのコロッセオ」を思い出した。
「マチュピチュ」の次は、「コロッセオ」である。
どうやらこの正月三日の私の連想は、世界へと羽ばたいていたらしい。


この規則性には、理由があった。






その家並みの下には、こんなに見事なループ路が潜んでいたのだ。


地元の人は、これを「のの字橋」と呼んでいるそうだが、正式な名前は分からない。

しかし、たしかにその通りの“の”の字の形をした、螺旋のようなループだ。




2重ループ(正確には1週と半分、540°)の中央はすり鉢状に窪んでおり、そこにブランコとすべり台と砂場とベンチと桜の木と物置のある、小さな「一丁目公園」が納まっている。(まさに「納まっている」かんじだ)。
大縮尺の地図で見ると、内側のR(曲率半径)は約20m、外側は30mで、上から下っていくとループ区間の入口から最後の橋をくぐるところまで約300mある。
そして、この間の高低差は20mあるかといったところ。

つまり、平均勾配は1/15(≒7%)とかそのくらいなわけで、明治国道の規格(1/30)には到底及ばないものの、相当に緩やかといえる。
まさにループの恩恵ここにありといったところなのだが、残念ながら明治国道はループという設計思想を持たなかった。




最新の2万5000図に見事に描かれているこのループ路。
十三峠から続く尾根と、田浦町一丁目の谷戸の中とを結んでいる。

公園を上手く抱きかかえた形状や、道の行く先が「塚山公園」であることから、私はてっきり観光や地域シンボル的な目論見を持って、比較的最近に作られたものだと思ったのだが、実際には明治とまでは行かないものの、“横須賀に相応しい”深い歴史があるのだという。

横須賀のレポートでは度々参考にさせてもらっている『田浦を歩く』によると、このループ路が生まれたのは戦前で、尾根上の「城の台」という場所に砲台を築くための物資輸送路として作られたというのだ。当初は橋の部分も木橋であったというから、まるで林鉄のループである。

なんとも、公園や桜の木のイメージにそぐわない、まして住宅地の最中ということを忘れさせるようなきな臭さではないか。




幹線道路から見える場所にはないので、それと知って探さぬ限りほとんど気付かないが、三浦半島には今も多くの砲台跡や陣地跡などの戦跡が残っている。

横須賀防衛、首都防衛のために設置されていた「城の台砲台」もそのひとつあった。

「のの字橋」のある道(横須賀市道1643号)は、横須賀湾とともに重大な軍事拠点であった長浦湾や物資輸送の玄関口であった田浦駅と、「城の台」とを結ぶ位置にあることが分かる。

「のの字橋」が秘めたる歴史は、単なる客寄せの上っ滑りではなかったようだ。
このような記録があるかは分からないが、”九十九折り”では”戦車”が通行することは難しい一方で、”ループ”ならば容易いとも思う。




このループには、歩行者向けの階段が途中に据え付けられており、望まないルーピングを避けることが出来るようになっている。
なるほど住民思いであるが、「これが明治道か」と合点するほど私は単純ではない。

嫌な予感を胸に、あらかじめ用意しておいた 「明治国道ルートを現在の地図上に重ねてみた地図」 をポシェットから取り出して見る。





ハッキリくっきりルートミスしてる!

現在地は、明治国道ルートから東に少し外れている。
大正時代の地図では道も家も一切描かれていない谷だ。


しかし、ルートミスするような分岐がこの手前にあっただろうか?

訝しく思いながらも、当然引き返すより無い。

私の目的は市道1643号のトレースではなく、明治国道45号のトレースだ。




それにしても、ループが必要なくらいの急斜面だけあって、その周りを囲む民家のは造りの変わっているものが多い。

この写真の民家も、さきほど「コロッセオ」の一部として見えていたものだ。

あの上の高さまで、下ってしまったミス分を取り返さねばならない。
新年一発目のルートミスであった。
とほほ。

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明治国道“最後の砦” 太田坂




あった!


だが、あれは…



12:55


階段!



しかも…





急だ !!

前のより遙かに急!




なるほど、そう来たか…。

さすがは“最急明治国道”、前の階段は「見せ」であったか。

これが本チャンだと言いたいのだろう。

…分かるぞ。


この階段の口には、ご覧の標柱が立っている。
だが、よく見ると標柱は市道1643号の方向を示しているのであって、階段に関しては特に「なんだ」と触れてはいない。

いわゆる、ただの階段である。




はじめ、浅い切り通しで始まった階段は、すぐに陽の当たる南向き斜面に入り込んだ。
いったいどこまで下っていくのか、現時点で底は見えない。

直前に見た標柱に「浦賀道」のことが書いてあった。
実は明治国道45号の正体というか大本は、「浦賀道」という東海道の脇往還である。
その名の通り浦賀へ向かう道で、中世から存在していたが、特に往来が盛んになったのは浦賀への黒船来航が盛んとなった幕末からだ。

そして明治12年に仮定県道「浦賀往還」となり、さらに明治20年にはこのうちの横浜〜横須賀間が「国道45号」に昇格したのであった。

だが前回までに考察したとおり、海路や鉄路の発展の陰に隠れる形となった明治国道45号は、明治期においてさほど手入れされることがなく、大正期以降の抜本的改良(大正国道31号の建設(現在の国道16号))を待たねば車輌交通を許さなかった。

その状況を『横須賀市史(旧版)』は、次のように簡潔に表現している。
「従来の四五号国道は巾が狭い上に按針塚附近の十三峠では人馬の通行すら困難で、利用者も少く、幹線といっても有名無実であった。」

十三峠附近が車道になったのは、早くとも昭和戦前、城の台砲台建設時点だったようだ。





これが、本当の1/2勾配…、
明治国道最急の坂だったのではないかと思う。

仮に階段でなくスロープであったとしても、絶対に荷車が通れないくらいの勾配がある。

チャリを通すのも一苦労だ。登りだったら担いだ方が早そう。

目指したものが最後に現れたことの幸運を、噛みしめながら、下る。

だんだ、だんだだんだ。




切り返す!

今度の階段は、斜面になぞって下るだけでは下りきれず、途中で切り返しはじめた。

一度ならず、二度、三度。

途中、兄弟らしき少年二人とすれ違った。
お年玉をたらふく収穫して街から戻る途中だろうか、小学校の中学年と高学年に見える彼らは、仲が良さそうに見えた。

上りの階段で、下っていく老人とすれ違った。
下りの階段で、登ってくる子供とすれ違った。
私の心にある宝石は、本当はこういう道のことかも知れないと、少しだけ思った。




九十九折りではなく、電光型の道筋。
切り返すところだけは平坦だが、残りはほぼ急な石段である。
まさに近代以前の道をそのまま持ってきたような線形。
無遠慮に、誇らしげにも続く、階段の明治国道。

その途中、小さな清水があった。
控えめな道祖神碑の下から透き通った水が糸のように落ち、ヤカンがそれを受けている。
飲むなとも飲めるとも書いていないのが、いかにも地元専用っぽくて粋だった。





最後は切り返すのも面倒だとばかり、50mくらい真っ直ぐ下る。

ここに来て、ようやく下界が現れた。




13:00

ブレーキレバーに疲れを感じ始めた頃、
(もちろん乗ったまま下っているわけではないが、こう言うときブレーキパッドを握るよね?)

「のの字橋」とは反対側の谷戸の一番奥へと下り着いた。

幅の広い谷戸の向こうを、前景に似つかわしくないほど大編成の京急が駆け抜ける。




果たして今の、“雷光のような階段”が、明治国道そのものであったのか。

新旧地形図を対比する限りにおいて、それは盤石のようである。

旧図式中では最も目立つ太い二重線として描かれた「国道」が、私がなぞってきたルートを、(だいぶ舌足らずであるが)確かに示している。

明治最急1/2勾配は確かに現存していた、そう言って良いだろう。





今下ってきたところを振り返る。

この急坂、地元では「太田坂」という呼び方をしているそうだ。
高低差は、だいたい30mくらいだろうか。

ところで、今回のレポートは全体的に写真が大きい気がするが、良い景色と思うものが多かったせいだ。
或いは普段山ばかり見てるから、適度(それ以上?)に人が住んでいる景色が新鮮だったのかも。




階段は終わっても、まだ結構急な下り坂。

それが少々入り組んだ路地になっている。

木が枝から幹へ根元へと次第に太くなっていくように、道もすぐ自動車が通れるくらいへ広がった。




田浦三丁目の西側の山裾に沿って走る道が、明治国道を継承している。
しかし、国道16号との合流を前にして、自動車の一方通行区間となる。
チャリは問題なし。




13:06 《現在地》

逸見で国道16号を逸れてから、1時間と少し。
階段2箇所を含む約4kmの単純ではない山道を通り抜け、JR横須賀線田浦ガードの手前で国道16号と再合流となった。
現道はこの間を約2.2kmで結んでおり、旧道は三角形の2辺を迂回する道であった。
だが、それ以上に問題なのは130mを越えるアップダウンであり、谷戸の側にあるループでも無ければ上り下りしかねるような、急斜面であった。

明治国道45号の意外に楽しかった小紀行は、これで終わりである。