隧道レポート 久喜トンネル 序

所在地 岩手県久慈市
探索日 2012.2.14
公開日 2012.2.16

【広域図(マピオン)】

ひとつの海岸線の呼称としては、おそらく日本最大のものであろう三陸海岸。
我々日本人はほぼ例外なく、この宮城、岩手、青森に連なる海岸を「リアス式」なる言葉とセットで覚えているが、実際はその全てがリアス式海岸なわけではない。
全体に共通して言える事があるとしたら、海岸線の近くまで急峻な山岳が迫っているという点であろうか。

さて、“リアス式ではない”北三陸海岸に属する岩手県北部の久慈市と野田村の境には、特定の半島名を有さない乳房状の大きな膨らみが太平洋を突いている。
その全ては北三陸海岸の特徴である平坦な台地が海に直没する隆起性の地形であり、台地と海岸線を隔てる高低は150mを超える。

今回取り上げる「久喜トンネル」は、こうした海崖の縁に漁港への唯一の交通路として穿たれたもので、地図上では特に変わった存在には思われなかったが、「生(ナマ)」はなかなかスゴかった。


それでは遭遇の場面から、どうぞ!



野田村ノ十府ヶ浦海岸ヨリ望見ス


2012/2/14 14:12 【現在地(マピオン)】 

三陸海岸の北行縦断という、長い長い旅路。
その終わりがようやく近付いてきたことを実感したのは、数百キロぶりと思える、この広大な白砂の海岸線であった。
ここは野田村の景勝地、十府ヶ浦である。

昨年の大津波では野田村も大きな被害を被っており、特に十府ヶ浦の後背地である村の中心市街地の被害が大きかった。
写真にも未だ癒されぬその傷跡が散見されるが、今は遠くを見て欲しい。
特に、“矢印”の辺りの海岸線を。

前説で乳房にたとえた半島は、海上に長く伸びたあの出っぱりの全体であり、「平坦な台地と急な海崖」の地形が、ここからでも十分に見て取れるだろう。

次は、“矢印”の辺りを望遠で見てみよう。




この眺めこそ、当初の予定になかった「久喜トンネル」へ足を伸ばそうと思った、取っかかりだった。

まだ遠くて分かりにくいとは思うが(直線で約6km離れている)、海岸線にある巨大な岩塔のような地形の基部に、
途切れ途切れの洞門らしき人工物が見えている。

そこにあるのが普通のトンネルだとしても、近付いたら
相当に壮観な眺めが期待出来るのではないかと思った。
地図では特に景勝地や観光地を示すような記号もないが…。




野田の街中で国道45号を右に外れ、県道217号野田港線を経て、県道268号野田長内(おさない)線へと進路を取る。
この県道は半島を周回するようなルートになっているが、北側には未改良の区間も多くあり、交通量はあまりないようだ。

さて、野田の街を離れること約3km、行く手に巨大な門扉が現れた。
その奥には斜面に這う多くの屋根が見えており、久喜トンネルの最寄りである久喜集落へ着いたようだ。
ということは、ちょうどこの辺りが野田村と久慈市の境でもあるのだろう(久喜は久慈市に属する)。

三陸の海岸線にある集落では、これまでの多くの津波災害の教訓から、ほぼ例外なく巨大な防潮堤が築かれているが、この「久喜漁港海岸保全防潮堤」も相当に大規模なものであり、海岸線から集落を完全に隔離している。
私は思わず、門扉が無慈悲に目の前で閉ざされる場面を想像してしまい、少しドキドキした。




“久喜シェルター”もとい門扉侵入の直前へと、少しだけ場面を巻き戻す。

そのとき海岸線の県道から見えた車窓は、このようなものだった。↓↓


いよいよ、尋常ならざる“切り立ち方”を見せる岩場の様子が鮮明である。
そして、その基部をおっかなびっくりな感じでくぐり抜ける、トンネルの存在も明らかである。
地形図からこれほどのインパクトを想像するのは、無理な話であった。

なお、左側に見えている巨大なコンクリートの壁は、久喜集落を護る前出の防潮堤である。
また、トンネルの右側で“裸”なのは久喜漁港である。
トンネルは集落と漁港を結ぶ、行き止まりの道にあるのだ。




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防潮堤は確かに頑張ったようで、久喜の集落内における津波の被害は、野田のそれよりも軽微であることが見て取れた。
とはいえ突破は許したのだろう。最も低地やそれに次ぐ家屋は大破したらしく、大半更地化していた。
また、3段目くらいの宅地にあっても中破を免れなかったのか、外壁修理の工事中であった。

私は集落を半ばまで過ぎた辺りに車を停め、探索の基本スタイルである“山チャリスト”へ変身した。
今回のような移動範囲が明らかに狭い探索でチャリを使うのは、小回りを効かせるためである。



14:48 チャリ探索開始 《現在地》

津波により荒廃した山裾と防潮堤の狭い隙間の道は、ほぼ直線的に東へ続いている。

その突き当たりには、6km手前から私の目を奪ってきた、巨大な岩の塔のひとつが見えている。

久喜トンネルは、あそこに穿たれているはずである。

後もう少し進めば、その全容とは行かないまでも、一端は確実に明かされるだろう。

わくわく…






閉門?!


坑口前の門戸が閉ジテル!


廃隧道だぞ、これ。


予想以上に‥…アツいかも…。




銘板が見える。
「久喜トンネル」というのは、昭文社の道路地図帳に出ている名前の通りであった。
だが、既に廃止されているというのは、全く想定外だった。

とりあえずここから見えている西口については、大きな傷みは見えないものの、
二灯式の信号機が取り付けられているのが、如何にも物々しくて…。

末期的な何かを感じさせている。

いったい、なんのための信号機だったのか…。




トンネルは、坑口前にある大きな鉄の門扉が施錠のうえ封鎖されていた。
しかし、坑口自体は開口しているようだった。
すぐにでも飛び込みたかったが、もし反対側が普通に開口しているのであれば、
無理にこれを侵す必要はない。今は人の目もある。

まずは、地図に描かれていない“現道”を通って、反対を目指すことにしよう。

さすれば自ずと見えてくるだろう…。


トンネルの全体像も、攻略の算段もな。