隧道レポート 久喜トンネル 補完編

所在地 岩手県久慈市
探索日 2012.2.14
公開日 2012.3.13

補完事項<1>: 老紳士が教えてくれた「久喜トンネル」廃止の顛末


実は探索後、老紳士とは30分以上も立ち話をした。
道に関すること、津波に関すること、いろいろなお話しを伺ったが、ここでは特に「久喜トンネル」が廃止された顛末について述べたい。

なんと、老紳士は久喜トンネルの廃止に関わっていた…可能性がある。
少なくとも事態を予見し、具体的行動を起こしていた。

まず大前提として、彼は長らくこの“獅子込(ししごめ)”の下に住んで来て、何度も危険な目に遭ってきた。
彼が若い頃、というと“犬クグリ”がまだ現役だったか旧隧道が完成したくらいの時期らしいが、母親と獅子込の下を歩いていたとき、突然の大きな音に驚いて振り返ると、そこにいたはずの母が見えなかった。
母は落石に当てられ、倒れていたのだ。
幸い大した怪我ではなかったらしいが、獅子込が人に牙を向けたのは、一度や二度のことではなかったそうだ。
彼はこの岩場が極めて不安定で危険な地質であることを、経験として、知っていた。


だが、やがて大人になり紳士となった彼の前に現れたのは、獅子込を無造作に貫通する2本の大きなトンネルだった。

彼は思った。

このトンネルは危ないのではないか。
いつか大きな崩壊が起きて、通行人が巻き込まれる時が来るのではないか。

当時、獅子込は営林署の管轄であったから、彼は何度も出向いて要望をした。
トンネルをもっと岩盤の奥の方へ掘り直して欲しいと。このままでは危ないと。

なにせ彼は知っていた。
絶壁が年を経るごと後退し、犬クグリが跡形も消えていく姿、そして旧隧道が薄っぺらになってきた姿を。

しかし、要望が聞き届けられる事はなかった。
営林署は、獅子込は景勝地だから、これ以上手を加えることは出来ないと答えていたと言うが、実際は予算の問題もあったのだろう。
今も昔も、この道はただ港へ行くだけの道だった。
仮に少しばかり危険な道であっても、昭和48年に完成したばかりのトンネルが更新されるのは、遠い未来の事と思われた。



だが、不幸な出来事が、事態を進展させた。


平成8年2月10日、北海道後志の国道229号にあった豊浜トンネルが突如崩壊し、路線バス1台と乗用車1台が巻き込まれて乗員乗客20名全員が犠牲となる事故が発生した。
この災害の原因は、坑口付近の地上にあった巨大な岩盤(高さ70m、27000トン)が崩壊してトンネルを押し潰したのであったが、完成から12年しか経過していないトンネルの崩壊は、全国の道路管理者に大きな衝撃を与え、その後、全国的にトンネルの安全点検が実施されたことを記憶している方も多いだろう。
久喜トンネルも例外ではなく、安全点検が実施された。
老紳士が見守る前で。

このとき、久喜トンネルにいかなる診断結果が出たかは明確ではないが、良くない結果だったことは間違い無い。
点検以来、久喜トンネルには厳重な岩盤変動の監視態勢が敷かれ、さらに数年の内にトンネルの掘り直しどころか、獅子込から出来るだけ距離を取った現道が、港湾整備とセットで建設されたのだから。

老紳士の不安は、やっと解消された。




トンネルに引導を渡したのはジジイだったのか!(←冗談)と思いながら大変貴重なお話しを伺った訳だが、このレポートの「第2回」を公開直後、ある読者さんから、これらを裏付ける情報を含む貴重な旧道現役時代の情報が寄せられた。

補完事項<2>へ参ろう。


補完事項<2>: 読者が教えてくれた「久喜トンネル」現役当時の姿


読者さんからの情報提供。

自分、隣の村で生まれ育った者です。
子供の頃はちょっと遠出気分でよくチャリで走り抜けたものです。
歩行者、軽トラ、ダンプに生コンさらに特大クレーンまで容赦なく走るトンネルでしたので子供心に通過するときはいつも腹くくって通ってた記憶があります(笑)

せっかくですのでいくつか情報を提供させて頂きます。既に御承知の際はご容赦下さい。

@ 鋼鉄製ロックシェッドについて
あれは元々ちゃんと道の真ん中にあって既存のロックシェッドにくっついていました。津波で多少動いたと思われます。設置されたのは平成10年以降だった気がします。

A 既存ロックシェッドの破損について
遠目で見た印象よりヤレていたのもまた津波の影響かと思います。港側出口脇は今は空き地ですがかつてはテトラポットを製作する作業場でした。(これは新道ができるずっと前からです。ちなみにもっと昔は海水浴場でした。)なので支柱を破損させるようなコンクリートの塊が多数あったと思われます。

B 遮断機について
トンネル現役当時はあの岩塊たちに何らかの変動が生じるとパトランプ(遮断機脇にあった)が回転すると同時に遮断機が降りるシステムでした。
工事看板ベースの警告板もありました。(ちなみに同様の設備が一時期国道281号山口トンネルと久慈岩泉線滝トンネルにも設置されており、そちらは防災工事が完了して撤去されましたが久喜トンネルは最期の最後まで運任せでした。設置のキッカケは何れも豊浜トンネルを筆頭とした崩落事故による調査結果によるものです。)

C 久喜トンネルには実は照明設備がありました。
1号と2号に2箇所ずつ暗い暗い蛍光灯がしがみついてました。
ちなみに第三回の最後の写真にうっすら写ってます(笑)

D 余談ですが…
トンネルとの因果は謎ですが、かつて海岸からトンネルにぶつかる横穴がありました。現在残っているかどうかは分かりません。

マジで詳しい情報提供者さん。旧隧道にもお気づき(情報D)とは、本当に天晴れだ!
また情報Cなど、自らの観察眼の甘さを怨むより他にない。照明があったとは思わなかった…。

中でも、特に興味深い情報だったのが@である。

鋼鉄製ロックシェッドが今回の津波で少し移動したのではないか、というご指摘だ。

確かに、探索中この鋼鉄製ロックシェッドの位置には、
私も多少の違和感を表明していたと思うが…。



実際のところどうだったのだろう?



嬉しいことに、合調隊メンバーのちぃちゃん氏が、震災前の写真を撮影していた。

彼が送ってくれた写真と、比較してみると……。


↓↓↓


動いてるッ!!!



なお、このちぃ氏の写真は、コンクリート製のロックシェッドを押し潰した落石が、
震災前に起きていたという事実をも、はっきり撮しだしていた。




また情報Bは、私が「前代未聞」と書いた遮断機についてのもので、その運用の実態を詳細に教えている。
もう一度引用するが、

トンネル現役当時はあの岩塊たちに何らかの変動が生じるとパトランプ(遮断機脇にあった)が回転すると同時に遮断機が降りるシステムでした。
工事看板ベースの警告板もありました。 (中略)
設置のキッカケは何れも豊浜トンネルを筆頭とした崩落事故による調査結果によるものです。

確かに現在、遮断機脇にあったというパトランプは見あたらない。


やはりここでも、震災以前の姿が見たい。

そう思っていると…



ちぃちゃん氏は、平成19年にも撮影していた!


なるほど。

確かにパトランプのような赤色警告灯が、遮断機脇の電柱に取り付けられているのが分かる。
遮断機ももちろん健在で、その長さたるや駐車場にあるものより長く、踏切で見るのとそっくりだ。

さらにこの写真、他にも重大な景色が写り込んでいる。



お分かりだろうか?


現在の写真と比較して見よう。


↓↓↓


平成19年6月の時点では、
コンクリートのロックシェッドも健在だった!

ちぃちゃん氏の2度の撮影により、ロックシェッドを破壊した落石が、
平成19年6月から平成22年7月の間に発生したことが、明らかとなった。






果して、それだけかな?

もう一回比較して見よう。


↓↓↓


旧隧道の掘られている岩場が、大幅に欠け落ちている!!


もう一枚、別のアングルの写真を見て貰おう。


世の防災担当者の皆様、

釈迦に説法とは存じ上げるが、

この風景をどうかご記憶願いたい。



これが、まもなく本当に崩れる岩盤の姿だ。





この写真により、老紳士の証言の正しさまでもが実感的に確かめられた。


間違いない。



獅子込は、今も牙を研ぎ続けている!