ものの本によれば、華厳滝というのはその誕生以来これまで数万年を経る間に、なんと800m近くも後退して現在の位置にあるのだという。
つまりは、現在見ることが出来る華厳渓谷の大半は、華厳滝がその鑿先となって谷を深くした結果ということになる。
たかだか数万年の間にこれだけ動いてきたらしいのだ。
現在の華厳滝から中禅寺湖までは残り300mほどに過ぎず、このまま放置していれば人類の歴史がおそらくは続いているであろう範囲内に、天然ダムである湖が決壊する恐れもあるという。
もっともそうならないための護岸工事などが行われ、近年は後退のペースが著しく鈍っているそうだ。
それでも、皆様の中にも記憶にある人もいると思うが、昭和62年に滝の落ち口が大きく崩れ、その景観が大きく変わったという事件があった。
そんな華厳滝の年輪を思い浮かべながら下る渓谷の道。
その序盤には階段や小さな橋が多く存在しており、険しい地形に無理矢理道を通した状況が窺える。
遊歩道時代の路盤が、そのまま管理歩道になっている。
角の取れすぎた遊歩道時代の階段に、滑り止め付きの木道が通されていた。
地図から消えた渓谷の道は今もこうして継ぎ接ぎを受けながら、発電所の職員達によって大切に使われ続けているのだった。
それは、恐れていたような廃道ではなかった。
正直、時間的な制約もあったので、ホッとした。
白雲荘から500mほど歩くと渓谷両岸の傾斜はいくらか緩くなり、歩道も平坦に近い道となった。
私はますますペースを上げて、歩きから走りに切り替えて進んだ。
振り返る谷は霧の中にあった。
一方、下流の視界は良好だった。
華厳渓谷はその地形に起因して、全国有数の霧の多発地帯であるという。
夜の闇もまた、霧の向こうから忍び寄ってきているような気がした。
せっかく安泰に下山できるルートを見出したというのに、今にまた戻らねばならないことが嫌だった。
私にそれを強要するチャリの存在が、恨めしく思われた。
人が通る幅は残されているが、落石が頻発する歩道の様子。
もし誰も管理をしなくなればものの数年で荒廃し、危険な廃道が誕生するだろう。
最後まで単調な風景になることはなかった。
2本目となる吊橋が前方に現れた。
今度は古そうな橋だった。
2号吊橋と呼んで間違いないと思うが、主塔は無く、アンカーは両岸の垂直に切り立った地山に深々と打ち込まれている。
いかにも山の吊橋である。
そして、長さの割によく揺れる橋である。
しかも、踏み板の間には隙間が目立ち、踏み抜かれでもしたのか、小さな穴さえあった。
橋全体が川下側に傾いてもいる。
現役の橋であるからと、そう言い聞かせて渡るのだが、余り気持ちの良い橋ではなかった。
さほど高くないことが救いである。
右写真は、道を急遽左岸へ移させた右岸の一大岩峰である。
一旦は左岸に移った道だが、100mも行かぬ内にまた右岸へ戻るのだった。
「1号吊橋」であろう。
今度もまたよく揺れる吊橋だ。
1号吊橋から見る右岸の岩盤。
特徴的な縦縞模様が美しい。
まるで、巨大な何物かが爪で引っ掻いたような痕である。
遊歩道時代には、何らかの名前を与えられていたのではなかったか。
「弘法の爪研ぎ岩」とか。 (←そんなのはイヤだ)
どうやらいまの岩場が華厳渓谷の出口であったらしい。
いよいよ両岸ともなだらかになり、緑多い普通の山容を示すようになった。
そして間もなく、そんな緑に映える白い大きな建物が見えてきた。
地形図にも発電所記号が記された「馬道発電所」であろう。
今回の探索の予定されていた最終目的地(折り返し地点)でもある。