2006/6/7 12:36
林道の「近藤川橋」の左岸袂にて軌道跡は分岐している。
私が探索した6月には、その分岐位置からでも、新緑の森を透かして林鉄橋が見えていた。
先ほどから私と細田氏は、大変な興奮状態になっていた。
なにせ、これだけの規模の“現存木橋”とまみえたのは、前々年(平成16年)11月の定義林鉄でのこと以来だった。
この期間にも何本かの木橋を見つけてはいたが、何れも半身は墜落していたり、規模が著しく小さかったりと、そうそうお望みの木橋に出会うことは無かったのだ。
私は、林道の橋の上に残るという細田氏に「あるもの」を託し、独りで木橋へ近付くことにした。
果してそれは、望み通りに渡りうるものなのか、否か。
その判断を前にしたこの瞬間が、最もドキドキするというのは、私だけではないだろう。
がさがさ…
小さな築堤の先に、コンクリート製の橋台。
そして、親柱であったと思われる、両側の木柱。
そこに何らかの文字を見つける事は出来なかったが、
林鉄木橋で親柱というのは初めて見る。
築堤の中央に育ったブナの太さが、
廃止から経過した時の長さを教えていた。
いざ、橋頭へ!
あ、う、
う ああ…
ゆ、 歪んでる……。
両側の橋台と、その間にある2基の橋脚は、全て一直線上に並んでいた。
であるならば、その上部構造としての橋桁は、直線であって然るべきはず。
しかし、明らかにこの橋桁は…。
歪んでいる。
次の瞬間、
私は林道との分岐地点まで後退していた。
「…む、無理なのか、私にはまだこの橋は、早すぎたのか…。」
でもよ、冷静になって考えてみろ。
廃止から今まで、累計で何トンの雪の重みに耐えてきたと思うんだ。
突風や台風にも何度も襲われたであろう。
そこに来て、体重60キロばかり(当時)の私が与えうる衝撃力、動荷重など、橋の墜落に影響を与えるだろうか。
もちろん、完全に影響ゼロとは言わないが、その可能性は限りなく低いはずだ。
渡っている最中に橋全体が崩壊し、橋もろとも河中に墜落するという最悪のシナリオは、まず起きえないはず。
注意しなければならないのは、橋を踏み外すか踏み抜くかして、私一人が落ちるケースであろう。
もういちど、橋に戻るんだ。
ちゃんと自身で確かめるんだ。 渡橋可能性ってやつを。
――5分後――
【動画1】をどーぞ。
【動画1】の終盤は、おそらく大方の皆様の予想外の動きをしたと思う。
レポ作成のために見直した私自身、一瞬「うおっ」と思ったのだが、今度は橋頭で逡巡することなく、一挙に橋上に進み出ていた。
しかも1歩2歩どころではなく、6歩も。
…ビーサンで…。
なぜガチ探索でビーチサンダルなのか、我ながら理解に苦しむし苦々しく思うよ。まあ、前後は車での移動だったし、前日の探索で持参していた全ての靴を濡らしてしまっていたからだろうと予想は付くが…。
ともかく、一挙に橋全体の1/4まで進んだ私は、2本ある橋脚の1本目の上という“安全地帯”に辿りついたところで、まるで我に返ったかのように立ち止まった。
12:41
最初の1径間は短かったし、低かった。
しかし、次は河心を渡るメインの径間、主径間である。
最初の径間の倍も長いし、高さもあるし、なにより
長い分だけ大きく歪んでいた。
まるで、橋の上で何者かが滅茶苦茶に暴れたかのような、酷い破壊のされ方だった。
人と直接ふれあう面は、まるで廃材の山に等しく見えた。
橋を破壊に導く外力のうち、常に一定一方の作用を与える重力(自重)の仕業ではないだろう。
また雪の重みというのは時期によって大きく変化するが、それでも基本的には一方方向からの力である。
橋に最も不均等なダメージを与えて、特に橋の渡る面を集中的に「しっちゃかめっちゃか」にしたのは、横から作用した風の力ではないだろうか。 …などと考えた。
もっとも、単に上面が荒れているだけでないことは、明らかだった。
これほどの著しい凹凸は、その下に4本並列している主桁の歪みなくしては、考え難い事だった。
何という、高見の見物か。
全く逆恨みにも程があるが、超頑丈な鋼橋の上に立って私に惜しみない声援「揺れるが〜?」「スタスタ行けるが〜?」「しゅんでしゅんでー(凄い凄い)」を送ってくれている細田氏が、憎くたらしいと思ってしまった。
微妙に2本の橋は近く、互いの姿を容易に観察し得た。
しかも高さが同じであることが、奇妙な安堵感を生んでしまっていた。
だが、この安堵感は完全なる偽りのものであり、錯覚だった。
それは、はっきり言って今の私の安全性とは、全く無関係だった。
声援が役立つのは、スポーツとフィクションだけである。(当たり前である)
それにしても、基本的には空中の酷似した“点”に存在する我々が置かれている安全度の圧倒的な差は、シュールだった。
方や豪華客船クイーンエリザベス、方や泥舟をして、この近藤川に挑んでいた。(否、“挑んで”いたのは私だけだった)
それでは、細田氏が私の渡橋の何の役にも立たなかったかと言えば、それは嘘になる。
彼は、私が渡橋の直前に託していたものを使って、2度目のない記録を残してくれた。
それは、
私のサブカメラ(私の2台目のカメラ。ちなみに細田氏は記録器材を持ち歩かない)を使って、
細田氏が撮影した、橋を渡る私の姿だ。
廃橋を渡る姿を、こんな風に真横から撮影できるシチュエーションは、貴重だったと思う。
私自身、自分の姿でありながら、この画像を見てとても新鮮な印象を持った。
…そして、改めて背筋に冷たいものが…。
ちなみに現在この場所は、空中につき、
立つ事が出来ない状態である。
12:43 空中探索開始から2分経過。
……もたもた。
実はまだ、主径間の中ほどにまでも、進みあぐねていた。
その原因は、ここに来て改めて主径間の歪みの大きさを、実感していたからだ。
今すぐに崩れ落ちるようなことは無いと、頭では分かっていても、どこを踏んでも気持ちが悪かった。
何かの理に頼って渡らないと、怖さに押し潰されかねない。
…少し、クールダウンしよう。
基本的な指針は、明確なのだ。
とにかく上辺の荒れ方には余り拘泥せず、可能な限り主桁に近い部分を踏むのが良い。
本橋の桁の構造は、まず一番下に@4本並んだ軸方向の主桁があり、その上にそれと直交するA枕木状(長いものと短いものが交互)の構造があって井桁をなし、更にその上に軸方向のB踏板と転び止めの角材が並ぶという、3層構造である。
このうち、Bはほとんど渡橋の役には立たない、むしろ障害物であって、踏み抜き転倒の危険が高い。
Aが基本的には頼りになるが、一部は極端に痩せていて寸断寸前になっているものがあり、それに気付かず全体重を預けてしまうと、やはり踏み抜く危険があった。
そういう部分では、AとBの隙間から覗いている@(主桁)に体重を乗せる必要があった。
常に@だけを踏んで行ければベストだろうが、部材が散乱している状況ではそれも難しく、ある程度は不安定なAに頼らねばならなかった。
そしてもう一つ、くれぐれも主桁よりも外側のAに体重をかけることは、厳禁であった。
こうした事を考えると、一見すればメッシュ状で広いスペースを有する橋の上でも、渡橋出来る範囲は狭かった。
具体的には、4本の主桁のうち左右の2本の上がメインの舞台であった。
橋の中央のほうが安定しそうだが、そこは基本的に“障害物”が多すぎた。
渡橋→【動画2】←実践中!
12:44 空中探索開始から3分経過。
無事、主径間を突破!
2本目の橋脚上(右岸側)に辿りついた!
ちなみにこの2本目の橋脚上だけは、平成24年5月の時点でも、橋脚とそこから左右に伸びる方杖桁に支えられるようにして、一定の長さの橋桁が架かったままになっている。
トラス構造恐るべし…といったところか。
さぁて、残りはあと1/4。
ホッとひと息、最大の難関は過ぎ去った。
しかし、この最後の1径間も単純な“消化試合”とはならなかった。
なにせ、ここから先は今の今まで、
どうなっているのか見えていなかった部分。
木の蔭になっていて。
この最後の部分は、動画で、ご覧頂こう。
→【動画3】←
上の動画の途中、地面が「緑一色」に変わったところで、
「ホッ」とした、あなた!
まだ早いですよ!!!
そこはまだ、ぜんぜん川の上。
よくよく見れば、チラリチラリと隙間川。
―侮るなよオレ。
実はこの緑の部分が、足元が見えずかなり怖かった。
12:45
実測4分にして、近藤川支線第1号橋梁(仮称)を踏破し終えた。
おっかなかったが、とりあえず、冷静に渡ることは出来たと思う。
何か特殊な技術で渡ったわけでもなく、単に「橋が耐えた」だけという気もするが、別にそれはいいんだ。相手は“人が渡るための”橋なんだから。
細田氏の歓待を受け、ちょっと有頂天になったことは告白しよう。
いずれ、私が渡橋に拘る理由の大きなひとつに、橋の上からどんな眺めが見えるのかを実体験して、さらに記録をしたいということがある。
失われ行く車窓(道から得られる風景全般をここでは「車窓」と表現する)を追い求めたい、昔人の見た景色を体験したい、それが私の廃道探索の重要な動機だ。
その中でも橋と隧道は、より多くの記憶に触れうる“華”だと思う。