2009/5/1 9:09 《現在地》
遂に来た!
古地形図を確認していたお陰で、たいへん首尾良く無駄なく歩き始めから40分足らずで到達することが出来た。
あれだけ立派な橋なのだから、とうぜんどこか車道と通じていなければおかしいとは思っていたが、これで西岸林道との接続が確かめられた。
橋が放棄されたため廃道になったのだろう。
突然吹き始めた横殴りの風が、湖上に突き出た岬の先端にいることを伝えてきたが、そこでまず見たのは一本の錆びきった道路標識だった。
そして、そこがまさしく橋の始まりだった。
橋の規模に較べて控えめな親柱(残念ながら銘板なし)を起点に、コンクリートの欄干がずっと続いている。
たもとの状況を観察する前に、気付けばもう橋の上だった!
ここは紛れもなく橋の上である。
間違いなく地上から離れた橋上にいるのだが、手の届く範囲にあるのは雑草や木の枝など、先ほどまでの友人ばかり。
視覚をほとんど閉ざされたまま、完全なる一本道を前へ前へと“連行”されていく。
前方視界中、唯一存在感を示しているのは、鳥居型の吊り橋主塔であった。
もし私がこの先の状況をまったく予期していなかったのなら、その主塔は喜びと興奮に満ちた道しるべであったろう。
だが、残念なことに私は知ってしまっている。
その主塔の向こうには、いかなる探るべき道もないということを。
そこに着いてしまえば、強制終了なのだ。
この未踏への有意義な踏み出しは、そこで終わってしまう。
せっかくの“二日越しの獲物”、気持ちとしてはもっとじっくりと味わいたかったが、なかなか足を止めさせるような発見もないまま、草原同然となった橋上を、もそり…もそり…。
受け身では駄目だ!
一瞬、橋に辿り着いたことだけで満足してしまい、あとはただフツーに渡って終わりそうになっていたぞ、今。
これはオブローダーにあるまじき、危険な受け身の姿勢。
一期一会、ファーストコンタクトの喜びは最初の一回だけなのだから、もっと楽しまなきゃ損。
というわけで、敢えて進路から逸れ、欄干に身を乗り出して下を覗いてみたのがこの写真。
橋の上は草の海でも、ちゃんと湖上に架かっていることがお分かりいただけるだろう。
ん? 湖上??
湖上なのに、何で左にも木が生えてんのさ?
その疑問は、反対側を見下ろしてみて解決した。
序盤のアーチ橋部分は、ほとんど陸に架かっていたのである。
しかもその陸は、橋台の付近で一度極端に狭まっており、島のようになっていた。
本橋が、敢えて陸を跨ぐという無駄を押してまで高いのは、湖面交通を確保するためだろうと思う。
庄川の筏流しといえば、土地勘のない私でも聞いたことがあったくらいで、戦前まで「飛騨材」を出荷する最大の輸送路であった。
そのため堰堤建設に反対する林業関係者と、それを推進したい電力会社の軋轢は、「流木問題」と呼ばれる県政全体の問題になったくらいだ。
谷は深いが、その分水量も年中安定して豊富な庄川は、人間の交通路というより、筏流しの通路としてかつては重要だったのである。
まったくと言っていいほど装飾的な要素の見られない欄干だが、見るべきところがないわけではない。
自然に風化して崩れた部分から、埋め殺しの鉄筋が露出していた。
表面がツルツルの「丸形鉄筋」で、現在使われているギザギザした「異形鉄筋」とは明らかに違う。
丸形→異形は全国的に一斉に切り替えられたわけではないが、後者の方が機能としては優れていたので、新規着工物件においては昭和40年代までにほぼ置き換えられている。
つまり、この橋がそれよりも古い作りという証拠である。
…まあ、今回は古地形図という確かな別証を既に得ていたので、たいした発見ではないが…。
でも、こういう事を知っていると、コンクリートの欠けひとつでも興味深く見ることが出来る。
(竹筋コンクリートなんて見つけたら、国宝もんだぞ?!)
精一杯楽しもうとアンテナを延ばしても、橋の上はそもそも一本道で狭いし、渡り難いような障害物もないわけで、どんどん進んじゃうのだった。
(←)「第一スパン」が終わり、最初の橋脚の上に立った。
幅3mにも満たない桁に較べれば、随分と巨大な橋脚である。
あまり地盤がいいとは思えない場所(島のてっぺん)に立っているので、重く安定性の高い橋脚を必要としたのだろう。
残りはあと1スパン(→)。
優雅なアーチであるはず(証拠写真)の下部構造を見んと身体を伸ばしても、欄干よりはだいぶ内側にあるらしく見えなかった。
…じれったい!!
第二スパンに入ると、いよいよ湖上の感を強くした。
周囲から高い木が消えて代わりに湖面がひらけ、耳腔内に渦を巻くほどの猛烈な湖風が左頬を打ちまくる!
試しに声を発してみたが、耳に届かぬまま風下へ引きちぎられた。
大きく口を開けて呼吸をしてみると、口の中からも空気が引っ張られて苦しい。
写真はあくまで穏やかな感じだが、もしも欄干が無かったら多分這って進むことになっただろう。
腰丈の欄干は身を寄せて頼もしい以前に、風を相当に遮ってくれている。
また、こんな劣悪な環境であっても、風が草の種を運んでくるらしく、雑草は尽きていない。
枯れた穂が激しく無軌道に震動している。
探索当時は名前さえも分からなかったこの橋だが、吊り橋というのは便利なもので、主塔さえあれば容易に全容をイメージすることが出来た。
撓んだワイヤーが風に啼く姿が、私にははっきりと見えた。
ワイヤーさえ残さぬ吊り橋が、広い川面を隔て主塔だけを対面させる風景には、いつも無力感を覚える。
そして日本中にこのような廃風景が点在している。
今回は、片側の主塔がアーチ橋の橋脚を兼ねているということと、1kmを越える地図にない廃道を歩かねば辿り着けないという点が、特に目を引いただけである。
廃主塔を見つけるたび寂しい気持ちになるが、思えばこれほど転用や再利用の難しい土木構造物は無いだろう。
そもそも、コンクリートの構造物はみな使い捨てなのだ。
普通の建物や橋脚以上に根が深く、その撤去は容易ではない。
その性格は橋台に似るが、彼らが基本的に非常に目立たない主張の少ない存在であるのに較べ、主塔はあまりに「廃」を訴えすぎる。
…まあ、そこがいいのだが…。
よぉ、相棒。
やっと来れたよ。
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6:12
2スパンの「アーチ橋」部を渡りきると、即座に「吊り橋」部が始まる。
ただし、現存しない。
アーチ橋と吊り橋はこの第二橋脚で物理的に接続しており、躯体を共有している。
それは吊り橋にとって主塔であり、アーチ橋にとって橋台である。
一つの構造物の上と下とが、上手く機能を分かっている。
しかし、力学的には相互に影響を与えないような構造になっていると思われる。
そうでなければ、吊り橋部が消えてなおアーチ部だけが健在とはいかなかったはずだ。
なお、欄干もアーチ橋部分の終了に合わせて小さな親柱を立て、ちゃんと仕切られていた。
向こうの主塔までの隔たりは、おおよそ100m。
背にしたアーチ部2連(推定40m)を加えれば、全長140mくらいの橋である。
その規模は紛れもなく「大橋」だが、ちゃんと名前で呼んでやれないのが悔しかった。
それにしても、対岸も冷たいなぁ。
ぜんぜん受け入れ態勢がない。
もともとどんなふうに国道に繋がっていたのか分からない。
湖面からの高さは、人間が最も現実的な恐怖を感じるという20m程度。
風が強いので、へりにはあまり長居したくないが、頑張って見下ろして良かった。
そこに航路用と思われる標識を発見したのである。
見た目は道路用の制限速度標識と変わらないが、さすがに「8」という数字は初めて見る。
時速8kmではなく、時速8ノット(時速14.8km)制限と思われる。
庄川の筏流しは廃れて久しいが、ここを大牧温泉行きの観光遊覧船が日に何回も往復する。
「船でしか行けない温泉」と宣伝されているとおり、観光客の唯一の足がこの湖上航路なのである。
私が今立っている場所がどこか、お分かりだろうか?
先に言っておくが、スリルが欲しくて
とち狂ったわけではない。
この行動には、意味があった。
それが冒す危険の程度に見合っているかどうかの判断は分かれるだろうが、
私にとってはどうやってでも見なければ帰りたくないという眺めが、あったのだ。
これが、限界か…。
10cmでも外へ行く方が、より“望んだ眺め”が得られるはずだったが、さすがに怖い。
今だって背中を不意に押されでもしたら、全く何を触れることもなく即座に湖面に落ちるだろう。
お尻のあたりが、嫌にムズムズしやがる。
背中を接している壁は垂直であるはずだが、心なし前傾姿勢を強要されている気さえする。
臆病だろうか。
で、この行動によって得た風景は次にお見せするが、それとは別にもうひとつ、予定外の収穫があった。
【これだ】。
なんだこれは?
賢明な読者諸兄ならば、もうお分かりかもしれない。
私が、そこまでして見たかった眺めというのは…
こ れ だ!
私がこの橋の一番惹かれた点は、
湖面を跨ぐ巨大な吊り橋ということよりも、
陸と主塔を結ぶ、アーチ橋が架かっているということだった。
現存しない巨大橋より、そこにある廃橋が好き。
このアーチの優雅を間近に確かめるまで、引き下がりたくなかった。
本当のことを言えば、もっと横からジロジロと眺めたかったが、
それはエスパーにでもならないとむりだった。
だから、これで満たされたことにしておく!
反対側の主塔でも、同じ事をやってみた(笑)。
↑やっぱりまだ満たされてなかったのがモロバレ。
しかし、遠望だけでも惚れ惚れしたが、近付いてみると色っぽい橋だ。
この細身で軽やかなまるでハープのようなアーチが、2連繋がっているというのは、本当に悩ましく美しい。
現地に来るまでは1連だけだとおもっていたので、なおさら嬉しい。
そして、この女性的なアーチに結ばれていた吊り橋とは、どんなものだったのだろう。
そうして一体となった全貌とは、どのようなものだったのだろう。
実は後日、往時の写真を目にする機会を得た。
次回それはお見せしよう。
…絶対に惚れるよ。
一応橋の上でなし得ることは全てしたと思ったので、引き返す。
この橋に関しては、もう一箇所だけ行ってみたい場所があったので、そこへ向かう。
この写真は、アーチ部の第一橋脚上だ。
欄干の一本だけ太くなっているところが、ちょうどそこである。
もっとも、2径間は連続した一連の構造物であるらしく、床板に切れ目はない。
そういえば、吊り橋とのコラボという大きな珍奇に隠されてはいるが、「多径間コンクリートアーチ」の道路橋というだけで既に珍しい。
「多径間コンクリートアーチの道路用廃橋」などというのは、他に知らないぞ。
6:18
橋のたもとに復帰した。
右図にカーソルを合わせた際に表示される3本のラインを見ていただきたい。
白い矢印が、私がここへ来るのに用いた廃道である。
赤い矢印は、これから向かおうとしている平場である。
(橋のたもとに平場があるのは不思議ではないが、それで終わりではなかった)
水色の破線は、古地形図との関わりでその存在が予想された道である。
まずはこの水色の破線の道の有無を確かめておきたい。
左の図は、今回出発前に参考にした、昭和26年の古地形図だ。
ここには、私が辿った赤いルートの他に、尾根沿いの水色のルートが描かれている。
明らかに車道ではなく徒歩道らしいが、この道の痕跡のありやなしや?
で、現地を見た感想から言うと、この道は現存しない。
右写真は、橋前の広場が尾根に接している地点であるが、上部は密生したヤブに阻まれ、とても歩けそうにない。
このルート(仙野原集落への近道)は、かなり早い時期に廃道になったものと考えられる。
探索自体はこれにて「ほぼ終了」だが、
この橋には、語りたくなるストーリィがある。
名無しで終わらせるには、あまりに惜しい、利賀の大橋。
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