橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡) 序

所在地 南砺市利賀
探索日 2009. 5. 1
公開日 2010. 3.30


見えるのに、
どうやっていくのか分からない。


これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。


それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。


なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。


その上に、歴史や技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。

最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。




【周辺図(mapion)】

本橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。
その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。

この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。
その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。





青い湖面の双竜湖は、日本最古の本格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年に生んだもの。

対岸の国道156号のシェッドに切れ目はなく、そこに取り残されたような吊橋主塔が見える。


これが、目指す橋の“片割れ”だ。





そしてこれが、主役。

今回目指す、利賀側の主塔である。


この通り、主塔はアーチ橋の先端にある。

アーチ橋と吊り橋を連続させた形式の橋は、相当に数が少ない。

今、パッと挙げろと言われても一つも挙げられないくらいに。

まして、このような貴重な橋が、廃の王道をゆくような立地にあるとは… たまらん。





あのアーチ先端の主塔にたどり着くためには、どうやっても双竜湖が行く手を阻む。

写真をよく見ると、幽かに森の中に道が見えるような気もするが、地形図にはない。






[どうやってあの橋に近付けるかを、考えてみた]

「牛岳車道」を意識しながら、国道471号やその旧道を庄川から利賀まで自転車で詰めたのは、2009年4月29日。
これは、合計5日間に及んだ富山遠征探索第3日目のことであった。

この日の探索が無事に終わって、ベースキャンプである車に戻った私は、さっそく自宅から持ってきて積んで置いた旧版地形図を見た。
もちろんその目的は、図らずも目撃してしまった「あの橋」への接近ルートを探るためである。


  ※昭和26年版5万分の1図「八尾」

来たよキタキタ! 道が来た!!!

持つべきものは古地形図。こまったときこそ古地形図!

というわけで、1枚の古地図で呆気なく橋へのルートの一端が解明されたのである。

と同時に、この橋が戦後間もない昭和26年当時には既に架かっていたことが明らかとなった。

アーチ+吊り橋という組み合わせには、そこはかとない「古典」を感じていたのだが、これは 戦前の橋かも!



新旧地形図を見較べた結果、栗当(くりとう)付近の国道471号から分岐して仙野原の西岸林道(正式名称:市道仙野原細島線)に繋がる、「利賀川砂利株式会社」の専用道路から、例の橋へと近付けそうであることが分かった。

それでも約1kmは現在の地形図にない道となるが、トラバースっぽい線形で描かれていたことから元は車道と推定され、ノーヒントで山腹をへつり歩くよりは十分な拠り所となる。
ということで、今回の踏査ルートは古地図一枚で呆気なく決まった。

後はその決行日だが、砂利採取場が稼働する前の早朝が良かろうということで、この富山遠征の最終日である5月1日の朝一とした。
(ちなみにこの日は強行軍で、この後に大急ぎ移動して「日本の廃道vol.41」で紹介した「加須良林道」(白川村)などをやっている。)





砂利道路からのアプローチングファースト


2009/5/1 5:13 《現在地》

陽はまだ昇っていないが、そろそろライト無しでの活動が可能と判断し、国道471号から未舗装の“砂利専用道路”へと入った。

日中でさえさほど車通り多くない国道だけに、早朝ともなれば全く静かなものである。
期待通り砂利道路にも人の気配はないし、何より幸いだったのは、通行止めのゲートが見あたらなかったことだ。

当初は予定になかった探索であり、時間を節約するために例外的だが、車で行けるところまで行くことにした。




スタートの分岐地点の標高は350m、利賀川の谷底は170mであるから、落差が180mある。
この落差を砂利道路は1.6kmの距離で詰めるのだから、10%を越える急勾配が全体にわたっている。
まさに山腹をえぐり、谷底へと捻り込むような道だ。

ただ、採石の大型ダンプが通るだけに幅は1.5車線分あり、路面もフラットである。
(いま思うと、上流の利賀ダム工事用道路関係の車両も出入りしているのだろう)

いかにも鉱山っぽい大味な道なので、自転車で通れないことをそんなに惜しいとは感じなかった。(本能的にこの急坂を嫌ったというのもある)




利賀川左岸の下り坂は、中央付近に一箇所の切り返しがある(上の写真のカーブ)。
そこを回り込むと、右手の斜面上部にいま来た道や国道471号がへばり付いているのを見るようになる。

…惚れ惚れするような景色だ…。
ハンドルを握りながら、首を折ってうっとりする。

いやいやいや! そんなことをしていては危ないぞ。

この辺だけを自転車で走ってみたくなったが、そんな日和見をしている場合でもないのだ。

どうせ帰りも通るのだから、今はさっさと先へ進むのである。
利賀川を渡るまでは、油断できない。
橋がちゃんと車も渡れる状態であれば良いのだが、どこで立入禁止になっていても不思議はないムードだ。




5:18 《現在地》

利賀川を渡る橋が見えてきた!

よし! 大丈夫そうだ!

橋の手前にバリケードがあるが、都合良くどかされていた。
また、通り抜けが出来ない旨も書かれているが、今回は通り抜けをするつもりはない。
(そもそも、西岸林道が崩壊で通り抜け不能なのは、一昨日の探索で把握している)

バリゲート前は丁字路になっており、左に切り返す道がある。
大半の轍はそっちへ行っていて、正面は薄い。
左は地形図にはない道だが(上の《現在地》のリンクにある地図は私が加工したもの)、その先は利賀川の川原をしばらく通行してから対岸の西岸林道に接続している。




何の変哲もない利賀川最下流の橋を渡ると、道は即座に上りとなる。

そこから簡易舗装が敷かれていた。
まだ新しい舗装だが、上部の西岸林道合流地点で終わっていることを確認している。
利賀ダム工事用道路への進入路として使う予定なのかもしれない。

私が目指す「橋」へと続く廃道の入口は、利賀川を渡ってから、3つめの切り返しの先端にあった。
最初は1つ目の切り返しも疑っていたが、そこは崖の中腹で、外側に分岐の気配は皆無だった。

写真は、その3つめの切り返しである。





5:25 《現在地》

海抜170mから、一気に250mまで上ったところが3回目の切り返し。

そこはカーブの外側に不必要な空き地があって、分岐の気配を強く残していた。

車をそこに納め、さっそく廃道歩きの装備を整える。


なお、『利賀村誌』によると写真奥の杉林のあたりに、大字に名を残す仙納原集落があったそうだ。
利賀川の左岸にある数少ない集落だったが、幹線道路に恵まれず、早い時期に無人化したという。
ちょっと覗いてみたが、まったく人の住んだ気配はなかった。







これが、失われた橋の入口?



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