見えるのに、
どうやっていくのか分からない。
これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。
それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。
なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。
その上に、歴史や技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。
最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。
本橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。
その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。
この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。
その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。
青い湖面の双竜湖は、日本最古の本格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年に生んだもの。
対岸の国道156号のシェッドに切れ目はなく、そこに取り残されたような吊橋主塔が見える。
これが、目指す橋の“片割れ”だ。
そしてこれが、主役。
今回目指す、利賀側の主塔である。
この通り、主塔はアーチ橋の先端にある。
アーチ橋と吊り橋を連続させた形式の橋は、相当に数が少ない。
今、パッと挙げろと言われても一つも挙げられないくらいに。
まして、このような貴重な橋が、廃の王道をゆくような立地にあるとは… たまらん。
あのアーチ先端の主塔にたどり着くためには、どうやっても双竜湖が行く手を阻む。
写真をよく見ると、幽かに森の中に道が見えるような気もするが、地形図にはない。
[どうやってあの橋に近付けるかを、考えてみた]
「牛岳車道」を意識しながら、国道471号やその旧道を庄川から利賀まで自転車で詰めたのは、2009年4月29日。
これは、合計5日間に及んだ富山遠征探索第3日目のことであった。
この日の探索が無事に終わって、ベースキャンプである車に戻った私は、さっそく自宅から持ってきて積んで置いた旧版地形図を見た。
もちろんその目的は、図らずも目撃してしまった「あの橋」への接近ルートを探るためである。
※昭和26年版5万分の1図「八尾」 |
来たよキタキタ! 道が来た!!!
持つべきものは古地形図。こまったときこそ古地形図!
というわけで、1枚の古地図で呆気なく橋へのルートの一端が解明されたのである。
と同時に、この橋が戦後間もない昭和26年当時には既に架かっていたことが明らかとなった。
アーチ+吊り橋という組み合わせには、そこはかとない「古典」を感じていたのだが、これは 戦前の橋かも!
新旧地形図を見較べた結果、栗当(くりとう)付近の国道471号から分岐して仙野原の西岸林道(正式名称:市道仙野原細島線)に繋がる、「利賀川砂利株式会社」の専用道路から、例の橋へと近付けそうであることが分かった。
それでも約1kmは現在の地形図にない道となるが、トラバースっぽい線形で描かれていたことから元は車道と推定され、ノーヒントで山腹をへつり歩くよりは十分な拠り所となる。
ということで、今回の踏査ルートは古地図一枚で呆気なく決まった。
後はその決行日だが、砂利採取場が稼働する前の早朝が良かろうということで、この富山遠征の最終日である5月1日の朝一とした。
(ちなみにこの日は強行軍で、この後に大急ぎ移動して「日本の廃道vol.41」で紹介した「加須良林道」(白川村)などをやっている。)