2009/5/1 5:30 《現在地》
目指す廃橋までの距離は、残すところ1.1kmあまり。
だが、ここだけはヒョイヒョイというわけにはいかない。
現行地形図から綺麗さっぱり抹消されている道だけあって、予め当たりをつけていなければ入口に気付けなかったかもしれない。
やはり一昨日に突撃せず、古地形図の確認をしてから仕切り直したのは正解だったように思う。
この最初の景色だけを見て、今回は自転車を降ろさずに最初から徒歩で行くことに決めた。
ここからが、本当の探索だ。
はい。
もう、言わんとしていることは、お分かりですよね?
「山行が」的にはこれが美味しいんだと分かっているけど、正直、草に視界を遮られるような廃道が始まったとき嬉しいなんて思ったことはない。
いつだって心はひとつ。
ヤブきら〜い。
…うざいです。
始まって50mそこいらでコレというのは、かなり死んでいる状況です。
森になっていると一言で申しますが、その状況はピンキリでして、これは明らかに悪い方です。
例を挙げれば、“清水”的といいますか…。
森というか、やっぱりこれは“ヤブ”としか表現できない。
前屈みから四つ足、部分的には地を這うスネークのような動きで、頭上の“森”が行き過ぎるのを、じっと耐えた。
地を這っていると、嫌でも路下の状況には明るくなる。
芽吹きの木立を通してうっすら見えるのは、先ほど車で通り過ぎたばかりのヘアピンカーブと、浅葱色の細い湖面だ。
ちょうど湖はこの直下の辺りから始まっており、目指す橋がある利賀川と庄川本流の合流地点まで、1kmにわたって深谷を呑んでいる。
果たしてどの程度水位変化がある湖か分からないが、一昨日と今日の水量については、明らかに満水である。
やっとか少し藪から解放され、起ち上がって対岸の眺めを得られる場面となった。
廃道がへばり付いているのは湖面から80mほどの高さであり、180mの高さにある国道471号は見上げる崖の上の道である。
こうして見上げてみて初めて地形の本当の険しさと、明治の何もかも手作業で道を得た、先人の偉大さを実感できた。
歩みを止め、ポカンと口を開けて対岸の崖を眺めている自分に気づき、笑ってしまった。
上にありては下を覗いて「すげー」と言い、下にありては上を仰いで「すげー」と言う。
なんて自分は単純なんだろうか。
でも、こんな単純なことに感動を覚えられないようになった自分は、想像できないし、したくないとも思う。
そういえば、猛烈に藪が深かったのは冒頭の100mくらいだけで、それ以降は瓦礫とシダが狭い路盤の支配者だった。
木もいくらか生えているが、まだまだ細い。
ちなみにここで私は、意外な【心情を吐露】していた。
う お?!
…なんだこりゃ?
な、なんか、進むほどに道が回復しているような…。
冒頭の“清水”さえ彷彿とさせた悪道の続きとは、とても思えぬ良道ではないか。
偶然かも知れないが、もしこの道の回復が事実だとすれば、そう遠くない過去に橋を渡って国道156号側からの人の出入りがあったことを思わせる。
植林された杉が生えているし、今後も完全放置というつもりではないはずだが…。
うおっ?
すげーー気になる穴!
もう、どうにも覗かずにはおけない孔。
坑というほどではなく、そのサイズはあくまでも穴か孔。
この白い地衣を斑に纏った大岩は、過去の通行人たちの神聖な場所だったのか。
岩の下の凹みには、薪にしては少々大ぶりな(林鉄用の枕木のような)木材が何本も立て掛けられ、或いは岩を支えているようにも見える。
加賀とは隣の飛騨文化圏に属する地で、岩を支える木片は、落石避けの呪いだと伺ったことがある。(具体例)
穴の中にめぼしい神体はない。
廃道が決まったときに遷座されたか、人知れず風化したか、転げ落ちて紛れたか。
だが、不思議と空虚ではない。
気付くと頭を垂れていた。
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“神座”を過ぎて、すぐに来た。
やっぱりなと思った。
見るからに難所と分かる、岩場のへつり道だ。
幅2mほどの道は、全体的に瓦礫に埋もれて谷側へと傾斜し、最も危険な数メートルは横断勾配が30度を超えていた。
そこは手掛かりの乏しい土の斜面なので少々怖ろしかったが、立ち止まるほどではない。
また、よく見ると路肩は所々には、丸石練り積みの石垣がこしらえられていた。
5:45
車を発って15分経過。
どれだけの距離を進んできたのか、今ひとつピンと来ない。
予想よりは順調だと思うが。
対岸は、相変わらず救いがたいほどに険しい。
谷底にも一本の道が見えているが、ちょうど写真の右端で湖面に没する大岩に遮られて終わっている。
左側といえば、湖の浅いところを築堤で真っ直ぐ下流へ続いていた。
これは地形図にも描かれている道で、この地形の特徴から現在値が下図のように割り出された。
目指す橋まで、残り300m切ってるぞ!
「かなり来てる!」と自覚した途端、前方の風景も急に展開があわただしくなってきた。
最大の変化は、これまで尽きなかった利賀川の谷が見果てて、代わりに庄川本流と、その対岸にある国道156号が見えだしたことだ。
これは気持ちを大いに鼓舞した。
なんといっても、あの国道と面前する時、私は必ず目指す場所にいるはずなのだから。
一昨日、容易には辿り着けぬと思った“半島”は、その付け根に私を宿した。
私はいまに、この小さな半島を征服する。
目指すは首部なるアーチと、頭部なる主塔。
そして、失われたシーナリーの奪還!
やはり間違いない。
この道の最後の大きな通行人は、橋を渡ってやって来た者達だと思う。
明らかに序盤に較べて路面状況が改善している。
もっとも、一昨日の牛岳車道をベースとした旧県道に較べれば、まったく弱々しい道である。
最大の道幅も2〜3m程度しかないし、路肩の補強も法面の処理も甚だ頼りない。
むしろこれは、見下ろしまくった「西岸林道」と同じ規格のように感じられた。(そして、これが我ながら鋭い洞察だったと知るのは、帰宅後)
利賀川河口部の対岸には人工的らしい河原があり、そこに砂利や砂の山が築かれているのが見えた。
そこは私が冒頭で通った“砂利道路”と直接繋がってはいないが、やはり砂利採取場らしいと分かった。
今のところは、その広い敷地に人気は見えない。
出来るだけ早く今回の探索を完成させ車を砂利採取場一帯から遠ざけたいというプレッシャーが、探索中常にあった。
6:05
なんだかんだ言っても、自転車など持ち込む気には全くならない、年季の入った完全廃道だ。
微妙に下り坂だったが、ペースは思いのほか伸びず、見え始めた対岸もしばらくは目に見えて近付かなかった。
山腹はキザギザしており、蛇行が多くて時間を食った。
落ち葉の下に尖った浮き石や、転がりやすい枝片が多く隠れているのも、歩みを鈍らせた。
結局出発から35分を経過して、ようやく、
【こういう眺め】のところまで来た。
もう、逃がさん!
ちなみに見えている主塔は対岸で、目指す此岸の主塔は角度的に見えなかった。
…最後まで気を揉ませる。
浅い堀割を越した途端、
今まで考えられなかった方角から、冷たい突風が私を打った。
真っ正面、こげた標識がキョトンと私を見ていた。
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