http://yamaiga.com/road/momonoki/ の公開中コメント一覧

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コメント
38,1652021-04-16 18:00:29/road/momonoki/main3.html10
平成の世に蘇ったとは云え雰囲気があって良いですね!
38,1642021-04-16 01:33:36/road/momonoki/main3.html10
国会図書館にある「塩原名勝旧跡の伝説」という書籍に、この道のことが触れられていますね。塩原名勝旧跡の伝説https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963650/7>明治十七年時の縣令三島通庸子の、勇断果決なる経営の下に、西那須野より一条の坦道開けてhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963650/33>三島通庸君紀恩碑>塩原に取りては、三島縣令は、大恩人である。記念碑の紹介部分では「塩原の大恩人」とも記されている三島氏ですが、立場によって評価が一変するのが凄いですね……記事中にも登場していた田中正造氏の「晩年の日記」という書籍には、「三島縣令との闘争」という章があり、まぁディスること……晩年の日記https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1058133/32>乱暴きわまる土木工事をやりまくって住民をふるえ上がらせたhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1058133/36>縣下老弱を問はず、三島を怖るること鬼の如く毒蛇の如し。>かくて暴政一年三島はついに免官となったいや、なんともユニークな人物ですねぇ……るくす
38,1592021-04-14 08:32:25/road/momonoki/main3.html10
三島通庸の土木。1880年:萬世大路、1882年会津三方、1885年清水国道、1884年塩原街道なので清水国道の惨状を知らずに塩原街道を切り拓いたのでしょうか。
38,1582021-04-14 07:51:24/road/momonoki/main3.html10
あぁ、塩那道路の名前がここで出るとは。三島氏も大概イケイケドンドンな方だったようですが、昭和が夢見た道路を、彼ならどう通しただろう、とか思います。あの、自衛隊のご子息A氏は本懐を遂げられたでしょうか…。
38,1542021-04-13 10:33:15/road/momonoki/main3.html10
昔の山路の絵って木があまり描かれてないけど、想像図だったのかな?それとも燃材なんかの関係で今の北朝鮮みたくはげ山が多かったんだろうか。
38,1532021-04-12 22:46:30/road/momonoki/main3.html10
そんなに巨大な橋が架かっていたなら何の記録にも残っていないのが不自然…と思ったらあるじゃないですかー!w本当にあの御仁は非常識な(良く言えば先見性のある)道を作りますね…
38,1522021-04-12 21:22:38/road/momonoki/main3.html8
どの写真も新緑が美しいですね!
38,1512021-04-12 20:49:06/road/momonoki/main3.html10
男鹿川森林鉄道ウドガ沢支線ってのも、気になるなぁ。
38,1502021-04-12 20:14:33/road/momonoki/main3.html9
木製で大きく密な橋だとジェットコースターっぽい
38,1432021-04-12 17:51:51/road/momonoki/main3.html10
緑のオヤジ···。長野県トヤ
38,1422021-04-12 17:37:31/road/momonoki/main3.html9
男鹿川の橋は、太鼓橋のように路面がやや反っていますが、それと比べると「萱野の図」の橋は平らですし、両岸へのとりつき方も異なるようにも、見えます。背景の山並と照合してみれば、違うのかもしれませんが、「萱野の図」はウドが沢を渡る橋という可能性は、ないでしょうか。
38,1412021-04-12 15:20:29/road/momonoki/main3.html9
100mの巨大木橋は凄いですね。ただ、渓谷に木橋はすぐ流されそうですね。箱根登山鉄道の早川橋梁移設時の足場も解体前に氾濫で跡形もなくなりましたから。
38,1392021-04-12 09:46:10/road/momonoki/main2.html10
高橋由一の「栃木県塩谷郡横川村男鹿川に架かる橋梁の図 [栃木17]」と「鑿道八景 第七景 男鹿川橋」を比較すると、上下の補剛材の間の丸太の数が、[栃木17]では2本、「鑿道八景」では3本と異なっています。眼前にある完成した橋を描いたものだとするとこのような差異は生じないはずなので、橋は完成していなかったのではないかと思います。続きを期待しています。
38,1382021-04-12 08:43:59/road/momonoki/main2.html10
米国西部の牧場にありそうな垣根、英語で言う「Cross-Buck-Post-and-Rail-Fence」がまさにこの絵の形の垣根なのですが、三島氏は海外の技術にも通じておられたのでしょうか?日本のものでは、竜安寺垣(りょうあんじがき)が、この絵の手すりに似ています。竜安寺垣に究極の簡素化を施せばこの形になります。http://www.globen.co.jp/case/ex_ryouanji.html
38,1372021-04-11 23:54:41/road/momonoki/main2.html10
100m•30mと聞いて、「吊橋では」と思いましたが、こんな証拠が有ったんですね。当時では、鋼製メインケーブルが技術的に無理だろうから、ティンバートレッスルだったのでしょうが、正に空前絶後ですね。
38,1352021-04-11 18:01:15/road/momonoki/main2.html10
こんなのが現存していたら胸熱でしたね。黒鉄重工さんのブログhttps://blog.goo.ne.jp/603duda1/m/201710/1
38,1342021-04-11 11:39:58/road/momonoki/main2.html9
アメリカ式のティンバートレッスルは工場で製材された角材で精密に組まれるイメージがありますが、絵の中の丸太で組まれたらしき橋は林鉄の作業軌道のような危なっかしさがありますね。(日本統治時代の台湾には米式トレッスル橋が有ったと聞きますが内地ではどうだったのでしょう?)ヨッキさんの仮設やっつけ橋説には説得力があるように思いますが、だとするとそんな橋を油絵にまでして残した由一を三島はどう思ったのだろうと考えるとなんかちょっと笑えて来てしまう気もします。
38,1332021-04-11 08:35:29/road/momonoki/main2.html10
高さ30m長さ100m18連ティンバートレッスル橋その壮大な橋を見てみたかった。
38,1322021-04-11 04:43:56/road/momonoki/main2.html10
こんな大きなトンデモ木橋が実際にあるなら、もっと話は有名になり写真や記録にも残ってると思うんですよ。ならば工事未成が現実的かと。当時のどんぶり勘定として、ここまで道を作ったんだから、橋の予算を寄越せ。開通式もしたんだから、という流れは、あると思います。完成予想図って可能性もあるような気がしますね。帝都での説明用とかで。
38,1312021-04-11 04:40:28/road/momonoki/main2.html10
三島通庸にも文明開化(と言って土木技術は未発達)のその時代に一日も早く東北に恩恵をという思いも有ったのでしょうけれど戊辰戦争で小荷駄隊を率いてた時のトラウマなのか異常なまでの斜度軽減や経路指定ほぼテロ化した民権運動への焦りから着工を急ぎ過ぎ人足や経費を地元から強制徴収(かつ完成後の維持も地元負担)する手法に駆り立て更に敵を増やすという何か不幸が不幸を呼ぶ連鎖に思えてきます塩原温泉街にとっては仲居さんや板前さんのやりくりで鬼怒川温泉方面との交流が深いようです当時も日塩道路側の方がニーズは高かったのかもしれません
38,1302021-04-11 03:26:42/road/momonoki/main2.html10
「この距離に橋を架けるには、tennga橋の構造物が見当たらない以上、木橋、しかもティンバートレッスルしかないよなあ」と、妄想していたのですが、まさかそれが事実だったとは…。高橋由一の絵まであるなんて。本当に事実は小説より恐ろしい。
38,1292021-04-11 03:01:56/road/momonoki/main2.html10
こんなところに巨大木橋を組み立てても、毎年春には流されてしまうでしょうに。せめて橋台だけでも石造りでないと。というか吊橋という発想はなかったでしょうか。南国育ちはこれだから。
38,1282021-04-11 02:22:41/road/momonoki/main2.html10
未完成区間と聞いて真っ先に候補になりそうな巨大木橋が、骨組みだけとはいえ組みあがっていたのは驚き写真が残ってたら壮大だったろうなあ
38,1272021-04-11 01:14:44/road/momonoki/main2.html10
>………非常識だ。でしょうねこんな木橋、数年で朽ち果てて崩落したことでしょうこんな橋を必要とする道、維持が出来た筈は無いですいくら壮大な国家計画を立てたところで、それを実現維持するだけの力はなかったということでしょう
38,1262021-04-10 22:57:28/road/momonoki/main2.html10
綱取橋も三島の手のものなんですか...。何故か小国町が好きで,何度か行きましたよ。石橋ばっかり巡って,写真撮りましたぜよぉ。(ぜ
38,1252021-04-10 22:25:44/road/momonoki/main2.html10
さすがに最後のポンチ絵よりはまともに作ったのではないでしょうか。「柱木に板を乗せたる迄」といっても、その板は隙間なくきちんと並べて乗せていたでしょうし、縄で縛りつけるくらいのことはしてあったと思います。また、竹竿を麻縄で結わえれば、手すりみたいなものは簡単にできます。そういう目で見れば、由一の油絵も、手すりの色が他と異なる。ここだけ、竹ざおで作っていたのではないでしょうか。この絵は、もしかすると、写実的であったかもしれません。
38,1202021-04-10 17:43:37/road/momonoki/main2.html10
マジかよ!?この橋!久々に頭がクラクラする巨大構造物よ!でも未成だったんだろうな···。てか、渡るばい!じゃねぇよw長野県トヤ
38,1172021-04-10 02:11:32/road/momonoki/main2.html10
ピコーン♪渡し船があったんですよ!
38,1132021-04-09 11:25:52/road/momonoki/main2.html10
また怪しい展開が入り来始めました(笑。読んでる方は楽しいし、実測地図を作られた方は素直に凄いと思いますが、果たしてどの程度の確度を意識してラインを曳かれていたのか?それの分からない所がこの場合は痛いですね。
38,1102021-04-08 21:32:26/road/momonoki/main2.html10
三島の我田引道はちょっと看過できないですね。当時敵も多かったのではないでしょうか。

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