http://yamaiga.com/tunnel/kuramata/ の公開中コメント一覧

(平均点 9.66点 / 投票回数 367人)

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コメント
53,8152024-03-24 18:46:24/tunnel/kuramata/main2.html10
よかった
53,6882024-03-14 12:14:44/tunnel/kuramata/main2.html10
机上調査編を極めて興味深く読みました。「かつて住民から熱望されたモノ」が、着工が遅かったことや、お役所でよく見られる総花的投資で完成が遅くなり、出来た頃には時代遅れになってもう住民にはあまり望まれていないものとなっていた、というのは、鉄道の赤字ローカル線建設にも通じていて、道路でもこのような事例が見られるんだな、と思いました。
52,8142023-10-24 21:20:25/tunnel/kuramata/main2.html10
力作です! 歴史の掘り下げの深さは玄人はだしに思えました。自分の行動•行為の意義付けをここまで綿密になされるオブローダーというものに、並ならぬ敬意を抱きました。感服。
52,7902023-10-22 15:36:28/tunnel/kuramata/main2.html10
机上調査GJ!
52,7602023-10-19 09:53:44/tunnel/kuramata/main2.html7
よかった
52,3862023-08-21 11:29:27/tunnel/kuramata/main2.html10
この横坑は私も同じくストリートビューで気になっていたのでとても興味深く拝見させていただきました。
格子があって入れないと知り残念でしたが、中山隧道と同様にこの地域の財産として歴史などとともに一般公開されても良いレベルの素晴らしい隧道だと思いました。
52,0632023-07-17 11:21:42/tunnel/kuramata/main2.html10
雪中隧道が地図上で冷遇される理由の考察は『なるほど』と思いました。
あくまでも歩道の別線、しかも季節性となれば車道のみに略されてしまうのも合点がいきますね。
51,9902023-07-04 06:17:34/tunnel/kuramata/main2.html10
TeNY『新潟一番』視たかった…
51,9882023-07-03 19:05:04/tunnel/kuramata/main2.html10
Kとしてレポートで紹介していただいた者です。最後まで楽しく読ませていただきました。
ある意味で地元民からも忘れ去られつつある郷土の歴史が、こういった形でネットで誰もが見られるものとして残るのはとても意義深いことだと思います。ありがとうございます。

記事中に隧道の建設が少々悠長に感じられるとあります。これは、この道が通学路ではなかったからではないかと思いました。
雪中隧道が計画され、現役だった時代は倉俣小学校(2017年閉校)、倉俣中学校(1985年閉校)があり、小中に関しては倉俣地区内で完結していて地区外に出る必要がありませんでした。
さすがに高校となると地区外に行く必要があったと思いますが、冬季は寄宿舎なども当時はあったのではないでしょうか?
つまり、子供だけでの倉俣地区内外の人流は(特に冬季に関しては)ほぼなく、山いがでもレポートされている山古志の東隧道のように子供の命を守るという動機、熱意はなかったのだと思います。
また山古志の例では、隧道建設の理由に医療面の理由も挙げられていたかと思いますが、その面でもこの地域は恵まれていて、現在地とは異なる場所ですが1949年に倉俣診療所が開設されています。
山古志の小規模な集落の命の道と、複数集落が利用する幹線の難所ではあるけれど、ある程度生活が地区内で完結できるといった違いがこの差になっているのだと思います。
実際、この地区の人達は公共事業化されるのを待ちきれずに手掘りで掘り始めるなんてこともしていませんし(笑)
51,9852023-07-03 13:38:58/tunnel/kuramata/main2.html9
途中で出てきたオリジナルデザインの警戒標識は、2019年の4月に通りかかったときにはちゃんと立っていました。見たことのないデザインだったので印象に残っています。なんで撤去しちゃったんでしょうかね?

津南・中里エリアの雪中隧道は3つあったと聞いています。
瀬戸口と、今回のへつりと、もう一つは津南の国道117号大倉トンネル旧道のスノーシェッドになっているところです。こちらは目に見える痕跡はなさそうですが、ひょっとしたら壁の向こうには空間が残っていたりするのかもしれませんね。
51,9842023-07-03 12:34:31/tunnel/kuramata/main2.html10
勉強になります。
51,9772023-07-02 14:52:44/tunnel/kuramata/main2.html10
峠越えしてますが毛無隧道も雪中隧道の目的だったかも。
51,9762023-07-02 10:06:22/tunnel/kuramata/main2.html8
雪中隧道というと 積雪期の孤立や通行危険という悪条件を 
なんとか解決したいという村落住民の切実な願いから生まれる 
ある意味 慎ましいトンネル というイメージを抱いていましたが 
こちらの 倉俣へっつりの“雪中隧道” は 断面規模としては慎ましげながらも 
きっちりと端正にコンクリートで巻き立てられた 
ある種無味乾燥で不愛想な雰囲気で 
これまでの“雪中隧道観”を覆えされる感じがありますね 

そして現地探索にも増して 机上調査で得られた情報も 
行政の議事録などの木で鼻をくくったような内容が多く 
この雪中隧道がどの程度地元から求められ 完成後にどの程度使われ 
どの程度愛されたのかという 血の通った実感に乏しいのが少し残念かも 

廃止後も車道のシェッド裏に埋め殺されてしまうなど 
「お前はもう用済みだ」と言わんばかりの扱いをされているように見えて 
時代の流れに遅れて生まれたであろうこの子は はたして幸せな生涯を送れたのだろうかと 
ざわつきを覚えるのを禁じ得ません 

全線がこれほどしっかりと覆工されているという事は 
地山の地質が堅牢ではなく崩れやすかったということなのでしょうか 
開通まで9年も要し 工費も大幅に増したという所からも 
トンネルを掘るのが容易ではない場所だったような匂いがしますね 

ひょっとすると 昭和33年に県の事業として着工されるより前に 
地元住人が掘削を試みたが断念を余儀なくされた 
なんていう秘史が有ったりするかもしれませんね 
“唯一の写真” に写る坑口が 崩落した穴を玉石積みで繕ったように見えるのは 
そのような紆余曲折の痕跡だったりするのかも
51,9752023-07-02 06:16:08/tunnel/kuramata/main2.html8
地味すぎるゥ!!
51,9742023-07-02 05:11:06/tunnel/kuramata/main2.html10
雪中隧道、知りませんでした。
雪国に住まれる方々の知恵から生まれたんですね。興味が湧きました。中国地方にもないか気になってきました。いいレポートありがとうございます!
51,9722023-07-02 00:03:01/tunnel/kuramata/main2.html10
9年で時代遅れ。。。オサバシ、へっつり。。。
封鎖せんといかんか?コウモリ的にはラッキー
51,9712023-07-01 23:18:21/tunnel/kuramata/main2.html10
お疲れ様です。
正に小粒でもピリリと辛いレポートでした。
51,9682023-07-01 17:27:49/tunnel/kuramata/main2.html10
2022年4月と2023年4月のストリートビューでは北口坑口がはっきり見えてますね
https://goo.gl/maps/p9SRwf9GqzUtxFwE8
https://goo.gl/maps/8YsEGGnck7xzZv3r5
51,9672023-07-01 10:11:05/tunnel/kuramata/main2.html10
県単事業だから「総巻立て」なんですね。
「1年30メートルずつ」は「村の3分の1の負担金」が財政的にギリギリだったからではないでしょうか?
「当初計画130メートル」も同様の理由ではないかと思います。
51,9642023-06-29 19:24:22/tunnel/kuramata/main2.html9
あ・・入っちゃた・・

すごく気持ちいい・・イキそう・・
51,9632023-06-28 23:13:31/tunnel/kuramata/main2.html10
広報「なかさと」における雪中隧道関連の記述がもう少し見つかったので追記します。

昭和33年2月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1958_02.pdf
明年度は収入の面において大口固定資産税が約九十万圓の減となるにもかかわらず、才出の面において組合立貝野小學校の屋体の改築の負担金、十二線の開鑿、田代〜越後田澤停車場線(ヘツリ)の雪中隧道工事等があり、


昭和33年3月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1958_03.pdf
ヘツリに雪中燧道
縣道田代−越後田沢停車場線の通称ヘツツリに、縣単事業として雪中隧道が三十三年度において開さくされることになつた。

昭和33年11月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1958_11.pdf
い悗弔蠕稈胛道工事、本年度四十五万円着工の見込み


昭和34年3月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1959_03.pdf
その他対外的諸問題については、中部大同合併間題を始め、上越西線誘致、清津川総合開発、高田−松之山−六日町線、十二峠開通問題、貝野堰堤通路橋、ヘツツリ雪中隧道、豊里地区開拓不振事業等、今後益々研究を進め、出来る限りの努力を続けて行きたい考えであります。


昭和35年3月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1960_03.pdf
▽土木費=田沢、芋沢、倉俣の開拓路線の補修と、国道の山崎地区を二百米の舗装、継続事業として、へつつりの雪中隧道三十米、釜川橋修繕二十一万円、白羽毛あざみ沢橋三十九万円があげられているが、全般としては四十万円の減である。


昭和40年1月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1965_01.pdf
年頭のご挨拶
国県事業としまは、十二線開さく工事、釜川橋架替工事、芋川雪中墜道、田沢駅通り道路ほか県道改良工事ニカ所、国道舗装工事など着々と進捗いたしておりますことはご同慶にたえません。


昭和41年11月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1966_11.pdf
座談会
合併十年を省りみて
C まずなんといっても道路問題ですね。倉俣地区は雪季になるといまだにオサ橋だ。雪中隧道の工事も年々進んではいるが、なんとか永久橋をかけてもらいたいとおもいます。


昭和42年5月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1967_05.pdf
芋川雪中隧道完成
昭和三十三年着工以来九ヵ年の才月を要し、総工費千三百万円が投じられ、昭和四十二年三月、芋川雪中墜道が完成した。
ここは通称「へっつり」と呼ばれており、冬期間はしぱしぱなだれがあり、危険な所であったが、


昭和45年1月15日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1970_01.pdf
”村づくり”新春座談会
高橋 倉俣地区においては、ヘツリの道路改良があり、さらに対岸への架橋問題もぜひ七〇年代に実現してもらいたい。
村長 県道については、倉俣のヘツリは隧道がよいか、スノーセットがよいか、よく検討してもらい、七〇年代にはぜひ実現に努力したい。
(コレは自動車用の道路改良の話?)


昭和60年2月10日
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1985_02.pdf
錦糸町朝市で交流
一月十七日、倉俣のへっつりのトンネル内に貯蔵しておいたダイコンをはじめシメジ、ナメコ、モチなどの特産物をニトントラックとマイクロバスに満載して


るくす
51,9612023-06-28 20:05:24/tunnel/kuramata/main2.html10
よく入れたな…。
51,9602023-06-28 17:11:01/tunnel/kuramata/main2.html10
50mの表記はよくトンネルで見かける入口からの距離表記に似てるけど、終点までの距離が無いから別物ですね。
51,9582023-06-28 14:40:24/tunnel/kuramata/main2.html10
表情的に「絶望する弱小冒険者」というより、弱小冒険者をトンネルの奥に迷い込ませるのに成功して(さてどう料理してやろうか…)と入口を塞いだサイコキラーか何かにしか見えないのですが…(笑)(もちろんこの直後に邪悪な笑みを浮かべる)
51,9572023-06-28 14:24:07/tunnel/kuramata/main2.html10
カタカナの「ヘッツリ」で調べると、いくらかHITしますね。

昭和32年12月21日
新潟県 昭和32年 12月定例会 本会議 12月21日−委員長報告、採決、閉会−04号
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefniigata/MinuteView.html?council_id=1111&schedule_id=5&is_search=true
>第167号 県道田代越後田沢停車場線の雪中隧道開さく工亊施行に関する請願

昭和33年3月15日
なかさと
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1958_03.pdf
>ヘツリに雪中燧道
>縣道田代−越後田沢停車場線の通称ヘツツリに、縣単事業として雪中隧道が三十三年度において開さくされることになつた。


昭和34年3月15日
なかさと
https://www.city.tokamachi.lg.jp/section/kyusityousonkohoshi/page_nakasato/pdf/na_1959_03.pdf
>その他対外的な諸問題については、中部大同合併問題を始め、上越西線誘致、清津川総合開発、高田ー松之山−六日町線、十二峠開通問題、貝野堰堤通路橋、ヘツツリ雪中隧道、道豊里地区開拓不振事業等、今後益々研究を進め、出来る限りの努力を続けて行きたい考えであります。


1990年8月
高志路
https://dl.ndl.go.jp/pid/6062408/1/13
>セッチューズイドー
>通称ヘッツリに。

昭和32年に県議会で請願が可決され、33年から「県単事業」として工事が始まったみたいですねぇ……

るくす
51,9552023-06-27 23:49:14/tunnel/kuramata/main.html10
>この場所のストビュー画像は、2022年3月と2023年3月にも更新されており、そちらを見ると多分笑ってしまうので

前編見終わってからストビュー開いたらマジで笑っちゃいましたw
51,9512023-06-26 20:18:55/tunnel/kuramata/main.html10
マジか!?
51,9502023-06-26 20:10:24/tunnel/kuramata/main.html10
近くの倉俣集落出身の者です。実家がここのレポートで取り上げられるなんて!と感動しています。
「へっつり」は他の地域で言う「へつり」がなまったものだと思いますが、若い世代にはすでに認識されていない地名な気がします。
旧倉俣小学校では毎年、全校生徒が書いた文集を作るのですがその文集の題名が「へっつり」でした。地域を象徴する交通難所から文集名が取られていたのだと思いますが、私が在学していた1990年代末〜2000年代の頭頃には、すでに隧道地点が交通難所という認識はなくなり、その地点を指す地名も日常で不要になっていたのだと思います。小学生の私も変な名前だなあと思っていました。地名が由来だと知ったのは大人になってからです。
隧道の入り口ですが、スノーシェッドの工事当時は、工事の関係で藪がなく、車道からよく見えました。その当時はまだ封鎖されていませんでしたが、工事の進捗と主にいつの間にか格子が入っていた記憶があります。
51,9482023-06-26 11:29:10/tunnel/kuramata/main.html10
いざ、わるにゃん!
51,9462023-06-25 21:59:27/tunnel/kuramata/main.html10
"私は病気だろうか?"
ハイ!ビョーキです(笑)
もう手の施しようがありません(大笑)
ストビューを見てすぐに「コレ坑口じゃね?」って思った自分もかなり進行してますが。

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