http://yamaiga.com/tunnel/nenbutsu/ の公開中コメント一覧

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コメント
48,5612021-10-30 10:30:49/tunnel/nenbutsu/main4.html10
おりょっ 歩道ですかかつては車道にこだわっていたと思いますが、、、人は変わっていくもの、隧道だからストライクゾーンに入ってきたんですかね?新たな切り口として面白い。
48,5602021-10-30 08:26:55/tunnel/nenbutsu/main4.html10
秋田市の土崎築港についての明治期の文献で、「港の北は流氷の激衝で崩壊して」いた旨の記述を見たことがあります。であれば、北海道は秋田よりさらに寒く、10月でも十分冬季だったのではないでしょうか。すくなくとも大正初年ころなら、日々の生活には、より寒冷だったという江戸期の記憶と習慣が残っていて、それに従ったのかもしれません。傍証でもなんでもない憶測ですが・・・・・・
48,5592021-10-29 23:23:57/tunnel/nenbutsu/main4.html10
大学生のころ(S54〜S58)、何度か積丹に行き、念仏トンネルを通りました。通過した後の光景とそのあと浜から綴れ折りで尾根へと登っていく道が印象的でした。その数十年後、整備された尾根の遊歩道もいきましたが、その綴れ折りの道の柵とかも荒れ果てており、悲しい気持ちとなったことを覚えています
48,5582021-10-29 22:29:05/tunnel/nenbutsu/main4.html10
灯台の建設資材は海路で運んだのでしょう。尾根道かも知れませんが。
48,5572021-10-29 21:09:23/tunnel/nenbutsu/main4.html9
昭和44年頃に神威岬を旅行で訪れました。学生だったので国鉄の均一周遊券を使い、ユースホステルに泊まりながらの北海道、岬の雄大な眺めは思いだしたのですが、途中のトンネルは思い出せませんでした。
48,5562021-10-29 19:12:21/tunnel/nenbutsu/main4.html10
入念な机上調査から導かれる結論、相変わらずスゴイです。悲劇がきっかけで『出来損ない』みたいな隧道が作られ、観光歩道として整備され放棄され。酔狂な人が探索し発表し、薄れかけた記憶や散逸される資料がまとまって集まってくる。そこにあるものには必ず何らかの由来がある、ヨッキさんのもっている信念がよくわかるレポでした
48,5552021-10-29 18:55:51/tunnel/nenbutsu/main4.html10
騎乗調査圧巻
48,5542021-10-29 10:46:28/tunnel/nenbutsu/main4.html8
1912年10月の気象データを気象庁のホームページから調べてみました。神威岬から南に90kmほど離れた寿都の降水量および気温のデータしか得られませんでしたが、10月28日の最高気温が15.7℃で、翌29日の最高気温は5.1℃となっています。この急激な気温の低下は寒冷前線の通過か高気圧の接近とともに寒気が入り込んだかのどちらかですが、28日の降水量は8.2mmなのに対し、29日の降水量は0.0mmなので、前線の通過ではなく寒気が入り込んだと考えられます。実際、29日の最低気温は2.0℃まで下がっています。もしこの仮説が正しいとしたら、寿都より北に90km離れ、しかも絶えず強風を受けた山道では28日の降雨により29日には凍結が発生していたのではないでしょうか。山道を避けた理由はそんなところにあるかも知れないと思いました。
48,5532021-10-29 09:38:40/tunnel/nenbutsu/main4.html10
あひかわらず素晴らしい考察ですね。
48,5522021-10-29 08:38:31/tunnel/nenbutsu/main4.html10
机上調査も含めると更にインパクトが大きく読み応えありますね.流石です.
48,5512021-10-29 00:02:37/tunnel/nenbutsu/main4.html10
机上調査のまとめで、まとまりの良いレポになりましたね。旧道のトンネルの多くが閉鎖措置されている中、手彫りのトンネルがそのまま残り、近代史の一部として今なお残るというのは、打ち捨てて良い代物ではないと思いました。観光資源としての整備ができないにしろ、道徳情緒教育として、再生できないものかとも思いましたです。
48,5492021-10-28 22:36:49/tunnel/nenbutsu/main4.html10
大変興味を引くレポートでした。考証が素晴らしい。尾根道の探索が時間切れでできなかったことが少し残念ですね。付近に旧道の痕跡もちらほら、、、
48,5472021-10-28 18:41:44/tunnel/nenbutsu/main4.html10
さすがの調査力。脱帽です。
48,5462021-10-28 18:03:06/tunnel/nenbutsu/main4.html10
>大正元(1912)年10月29日午前8時半ごろ、神威岬灯台の台長の妻と、次長の妻とその二男(3歳)が、天長節のお祝いの品物やその他の物を購入するため、余別市街へ行く途中、ワクシリ岬付近において荒波に足をさらわれ海中に落ちて溺死した。 ← 泣ける···。てか、後に“手毬唄”になってもおかしくない。長野県トヤ。
48,5452021-10-28 16:26:45/tunnel/nenbutsu/main4.html10
疑問を呈した者のひとりです。文献調査、ありがとうございました。現在(2021/10/28)wikipediaに記載されている、「かつては神威岬先端へ向かう唯一の路であった」という行は、記述をやや単純化しすぎている、といえるでしょうけれども、件の遭難事故の日時・時点においては、実質的に「唯一」利用できる・選択できる道であった、という意味では、真実を含んでいる、ということになりそうです。あとは、(冬季の)風向きも考慮すべきかもしれませんね。卸下・陸揚げも北側の海岸から行っていたとすれぱ、一定の風よけ効果があったのかも、しれません。観光資源としての効果的な位置づけもあるでしょうから、名所の説明には単純化という「演出」も考えなければなりませんが、公務を帯びた灯台職員の関係者・家族が亡くなったわけですから、もう少し、精確な記述が一般向けにも配慮されて、然るべきかと思いました。
48,5432021-10-27 22:42:00/tunnel/nenbutsu/main3.html10
面白い読み物でした。40年近く前に何度かここに行きました。冬の水無の立岩も見た事があります。とても懐かしい、さらに先の灯台までの登りは崖か藪になってるでしょうね
48,5402021-10-25 12:34:34/tunnel/nenbutsu/main3.html9
「水無しの立岩」について、以前報告したユースホステルでは、「見る角度によっては水ぶくれの立岩になる」と説明していました。今回掲載の写真は「モアイ像」見たいにスマートですが、確かに見る場所によっては「巨神兵」みたいないかつい形になりますね。
48,5392021-10-25 10:44:19/tunnel/nenbutsu/main3.html10
現役当時よりは侵されて幅が狭くなっているのでしょうね
48,5382021-10-24 22:05:26/tunnel/nenbutsu/main3.html10
1988年8月、ここへ訪れました。バイクツーリングで出会った人からここの話を聞き、面白そうだと思って行きましたね。ただ、トンネルの入口と出口では、決して写真を撮ってはいけない、と言われました。看板も何か、いわれの様なものが書いてあったように思います。残念ながら忘れてしまいましたが。霊が写りこむとかそういった類の撮ってはいけない、ではなく、神聖な場所だから、といった理由だったと思います。まあ、ツーリングで会った人の話ですから、話半分以下でしょうね。あれから30年以上が経過していますが、水無の立岩の形があまり変わっていないように思いますね。当時の記憶と重なります。
48,5342021-10-24 14:11:44/tunnel/nenbutsu/main3.html10
多分、岩コンコン叩いたり、太鼓鐘鳴らしながら修正したんでしょうけど、掘り直した穴が真っすぐに近いのは不思議ですね。
48,5312021-10-23 20:08:53/tunnel/nenbutsu/main3.html10
更新間隔が広がっても、それは推敲に推敲を重ねているからと私はとらえています。それは先人が造った道や隧道・鉄道にそれぞれの想いが籠められているのと同様に、ヨッキさんがレポートの一つ一つに先人への敬意とあくなき情熱を籠めているからと理解します。ですから、ヨッキさんのペースで構いませんので我々に末永くアツいレポートをお願いします!
48,5292021-10-23 17:38:44/tunnel/nenbutsu/main3.html8
「完」となっていますが、現地を見ない素人としての疑問は、現在の観光道になっている尾根筋の道は、遭難およびトンネル建設当時、どのように機能していたのか、ということです。大正6年測図の五万分一地形図には、尾根筋の道が記録されているのに、トンネルがある波打ち際の道は記録されていません。しかし、wikipediaによると、遭難当時、灯台へのアクセスは波打ち際の道しかなかった、とのことで、やや解せません。明治21年に岬の崖の上に灯台を建設した際も、尾根道を使ったと考えるのか、妥当ではないでしょうか。崖下の磯に船から卸下したり、磯から荷上げしたとは、考えにくいように思います。尾根筋も強風や降雪の障碍、転落の危険はあると思いますが、波打ち際とどちらが危険なのか。灯台が崖の上にあるのですから、そのまま尾根を進めば、少なくとも、波浪の危険は避けられるようにも思えます。それとも、事故が起きた晩秋や冬の北海道では、風雪のせいで、尾根筋より波打ち際の方が安全なのでしょうか。
48,5262021-10-23 10:44:30/tunnel/nenbutsu/main3.html10
謎が2つ生まれた灯台は測候所であるはずであり風速計、百葉箱があり、喜びも悲しみも幾年月の映画でラジオの気象情報は得て気象予報できたはず。荒天とわかっている中をそれも3歳児を連れて行くというのは買い物ではなく3歳児が急病で?の方が筋が通らないか?もう一つは灯台を建設する資材はどこから搬入した?そのルートを生活道として利用できなかったの?
48,5252021-10-23 02:23:40/tunnel/nenbutsu/main3.html10
この旧道が通勤路だなんてBLACKBLACK JOB過ぎる…。けど必要性あっての道だったんですよねぇ
48,5242021-10-21 14:24:01/tunnel/nenbutsu/main2.html10
37年前の夏に念仏トンネルを徒歩で通りました。当時も海岸べりの遊歩道は危険のため通行止めでしたが、バリケードもなかったので普通に歩いて灯台まで行きました。その際はトンネル前の道も健在で普通にトンネルに高低差なくそのまま入って行けてました。内部は真っ暗で手探りで進みましたが、路面にゴミはなく通行に支障はなかったですね。
48,5172021-10-20 11:47:19/tunnel/nenbutsu/main2.html10
AからCに掘り直しても20mくらいですんだような
48,5162021-10-20 08:47:19/tunnel/nenbutsu/main2.html9
2010年に北海道旅行に行ったとき、食堂うしおさんで食べました。まさかあの裏側にこんなものがあったなんて・・・
48,5152021-10-20 00:28:42/tunnel/nenbutsu/main2.html10
上下にはほとんどずれていないのは褒めるところ
48,5132021-10-19 20:51:44/tunnel/nenbutsu/main2.html10
もう“無駄掘り率”サイコー!
48,5122021-10-19 18:52:00/tunnel/nenbutsu/main2.html10
誰かが訝しく思って再測量してみたら…………!「オマエナニヤッテンダヨ!」↑大爆笑!!てか、こんな“屈折&屈折”で「完成しました」は、当時でも通用したのかな。自分が責任者だったら口笛吹きながらシレっと逃げるけどw長野県トヤ

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