2018/4/23 16:40 《現在地》
すっかり書き忘れていたが、私は草内のバリケードを越えて間もなく、路面がなくなったところで自転車を乗り捨てて、あとは歩いてきていた。
そんなこともあったが、旧国道を外れてちょうど20分で、念仏トンネルの入口に到達した。
その立地は独特で、形状も極めて野性的だった。
少しでも離れると、自然洞窟の入口と区別がつかない。
ふだん見慣れたトンネルは車道用だが、これは明らかに歩道に作られた人道用のトンネルであり、道という目印がないだけで、トンネルはこんなにも風景に溶け込んでしまうのだと分からされる。
坑口は、凹んだ所には海水が溜まっている波蝕棚のような低地の一角に口を開けており、この状況だけでも荒天時に通行できる気はしない。
これは廃止後に波で破壊された結果かも知れないが…。
坑口に近寄ると、間知石の石垣が残っていた。
目地がモルタルで埋められた頑丈そうな造りであったが、途中から崩壊し、路面も裏込めの土砂ごと消失していた。石垣だけが残って肝心の路面がないのである。
明らかに、高波に晒された結果だと分かる状況だ。
トンネルは大正7(1918)年の完成といわれており、当初は灯台へ通じる専用道的な性格だったようだが、戦後に道路交通の便が改善して神威岬が観光地として知られるようになってからは、むしろ遊歩道としての活躍が主であったようだ。
それだけに、完成当初から見ればどのような改造が施されているか分からないが、とりあえずこの石垣も由来の分からないものの一つである。
一方で、明らかに遊歩道として整備されたと分かるのは、案内板を壁に固定していたらしき木製の枠だ。
しかしここまでの海岸線で目にしたものと同じく、案内板そのものは見当らない。
いまここに、念仏トンネルという曰くの名を唱えるものはない。
これは……
これは坑口から眺めた、もしトンネルがなかったら通行したであろう海岸線の遠望だ。
ここにトンネルが掘られた以上、これを掘る経緯となった大正元年の遭難事故は、ここからトンネル出口までの海岸線で起こったのではないだろうか。
地図を見る限り、トンネルが掘られている場所は小さな岬の地形をしており、昔の道は普通に先端を回り込んで向こう側に続いていたのだと思う。
これも、オブローダー的には調査すべき対象かも知れない。
大正7年まで利用されていた“旧道”が、ここにあった可能性が高いのだから。
……トンネルの攻略が終わってから、帰路で挑戦してみたいと思う……。
これが…、念仏トンネルの内部!
スケールを比較すべき被写体がないので分かりづらいと思うが、冒頭に皆様にも紹介した事前情報(『北海道道路史』の記述)通り、幅も高さも2m程度(高さはもう少し余裕があるかな)である。
人道用というだけあって、やはり小断面だ。
とはいえ、人が二人並んで歩けるくらいはあるので、人道用としては十分なサイズとも感じる。
そして当然のように、出口の光は見えなかった。
これについても、事前情報によって内部に屈折部分があることが分かっていたので驚きはなかったが、廃止後の現状についての情報はないので、非貫通の可能性も残っている。
奥へ進む前に、入口の足元に気になるものを見つけた。
黄色い枠で囲んだ部分のモルタル路面に、何かの文字が刻まれていたのである。
(→)
文字部分を拡大したのがこの画像。
モルタルを敷設した際の固まるまでの間に書かれた文字だ。
なんて書いてあるんだ……?
汚れのため、読みづらい。
文字は3列にわたって書かれていた。
余別
××ヤマサトシ
××九年九月七日
各行の上の方は、同じくモルタルで作られた階段に埋め込まれてしまっていて、解読不可能であった。
そのため、一番肝心な「年」の部分が読めなくなっていたのは痛い(隠されている文字数も不明だ)。
状況的には、遊歩道として使われていた時期に、地元(余別)の人が路面の補修を行い、記念に文字を刻んだものと思う。
入口にはモルタルの舗装があったが、内部の路面はゴツゴツとした躓きやすそうな岩の面だった。
薄暗いトンネルの内部だけに、観光客には優しくない仕様である。
それに、奥へ行くほど天井が低くなっているように見えた。
最初は遠近感による錯覚かと思ったが、実際に低くなっていることを直ぐに実感した。
そして、天井が頭に支えそうな圧迫感を与えてくるのと同時に……
さらなる異常事態が私を襲う!
屈折
正直、思っていたよりもだいぶ盛大に折れ曲がっていた。
カーブなんていう生やさしいもんじゃねぇぞ、これは!
そのうえ、なんだか足元の様子もおかしくなってきた…!
天井が低いことに加え、漂着物のようなものが沢山現れ始めた?!
なんじゃこりゃー!
大量の漂着物が行く手を阻む!
高波がこんなところまで押し寄せて、残していったものだと思うが、
完全に足の踏み場がない状態だ。そして、こんな得体が知れないゴミたちを、
外の光が届かない暗闇で踏んで進むというのは、想像を超える気色悪さである。
廃隧道に慣れていなければ、早々に心が折れる展開かも知れない。
これが、棄てられた遊歩道の末路…!
そ れ に !
出口がまだ現れないのはどういうことだ?!
まさか、堆積物や漂着物で閉塞しちまっているのか…?
これを越えて行き止まりとか、嫌すぎるんだが……。
否。
またも屈折してる!
これは、酷い。
酷い。
酷いミスを見た…。
酷い。
大量の漂着物に足を取られながら、慎重に暗闇を進んだ。
空気がとても臭う。潮の匂いが濃縮され過ぎて、昆布だしを腐らせたみたいだ……。
本来の洞床よりも高い所を踏んで歩いているせいもあって、天井が頭に支えそうになるのもストレスだった。
念仏なんていう、本来心穏やかにするものの名前には似つかわしくない、頽廃の気質に満ちた穴だった。
通り抜けられることを願いながら、最初の屈折地点から20mほど先の2度目の屈折地点に迫る。
ここを曲がって、出口が現れなければ、たぶんダメ……。
光だ!
2度目の屈折地点を回ると、20mほど先に小さな出口の光が現れた。
後はもう真っ直ぐ進むだけでよい。
相変わらず大量の漂着物が洞床に散乱していたが、その“詰まり方”は、クランク状に折れ曲がっていた中間部ほど酷くはない。
このトンネル、事前情報通り、全長は確かに60mほどだろう。
だがその線形は、内部にクランク状の曲がりを持つ、異常なものだった。
この異常性を予期する機会は与えられていた。
『北海道道路史』に、こう書かれていたではないか。
“中央において約21m食い違いが生じてしまった。”
ごめんなさいね。
今この瞬間まで私、この「約21m」というのは、きっと、「約2.1m」の誤記なんだろうと思っていました。
だから、前説の時にはさらっと流していたんだけど……。(あと、前説の大切にしたいムードっていうのもあったしね……、悲しい事故の弔い合戦にトンネルを掘ったという…)
でも、弔いは弔いとして、オブローダーらしく技術的な側面の話もしたいよこれは。 これはしたい! まだトンネルから出てないけど、しちゃう!!
ようするにこれって、
トンネル掘削時に左図のようなミスがあったということなんだろう。
『北海道道路史』が書いていた21mのズレというのは、現地で計ったわけではないが、中央のクランク状に折れ曲がった部分(図のB-C間)の長さが21mあるのだと思う。
これまでも、地元の人たちが手作りしたような古いトンネルの数々で、掘削途中にズレが発覚して矯正した跡というのを目にしてきた。かなり酷いと思えるものも沢山あった(最近見た酷い例)。
しかし、全長60m(というかミスがなければ50m弱の掘削で済んだと思う)のトンネルの3分の1の長さがクランクになっていて、これが全て誤掘進を直すための迂回だったなら……、こういう言葉が存在するのか知らないが、“無駄掘り率”は、これまで私が見たトンネルの中で最悪だと思う。
もちろん、貫通せず未成に終わった隧道は無駄掘り100%なので、それに比べれば遙かに上等ではあるが……。
なお、この私の図だと、まるで東口側だけにミスがあったように見えると思うが、これは根拠がない作図上のものである。
ただ普通に考えれば、両側とも間違った方向に掘り進むとは考えにくいので、どちらかだけが間違った方向に掘ってしまったのではないかと思う。
工事が始まり、それぞれが20mほど真っ直ぐに方向を定めて掘り進んだ。
そろそろ貫通するだろうという時期になっても、全然その気配がなかった。
誰かが訝しく思って再測量してみたら…………!
「オマエナニヤッテンダヨ!」 「ゴ、ゴメン……」
っていう、もう現場に出たくなくなっちゃうような修羅場になったんじゃないかと勝手に想像。
しかし……、
「作業は一時頓挫したが故人のために双方から念仏を唱えながら、鐘を鳴らし方向を定め、大正7年11月8日ようやく完成をみたのである。」
……掘り始めた時期は正確に分からないが、事故がおこったのは大正元年10月29日だから、翌年辺りに掘り始めていても不思議ではない。
だとすると、工事は途中で何年間も“頓挫”していたことになる。
それだけ関係者のショックは大きかったのだと思うが、それでも最終的に完成させているのは凄い。
しかも、洞内の様子を見る限り、それまでに掘った部分は少しも棄てず、従来の切羽(きりは)から直接曲げて、今度はミス無く真っ直ぐに繋げているのだから、上手いと思う。
クランクの他に曲がっている部分がないので、試行錯誤をした感じがないのである。
最初の誤掘進がなぜ起こったのかは謎であるが、全長40〜50mのトンネルを掘るのにこれだけ盛大な誤掘進が起こったことが、まず珍しい。
さらに、誤掘進を無駄にせず上手く繋げて1本のトンネルとしたことは特筆に値するし、あまつさえ、その際の鐘を鳴らして、念仏を唱えて方向を定めたというエピソードから、100年語り継がれる忘れがたいトンネルの名を生み出したのは、奇跡的でさえある。(このエピソードがなければなんて名付けられていたのか)
どんな奇跡も棄てられれば泥に埋れてしまうのは残念だが、ともかく私は技術的に特筆すべきレアなものを観察することができて、とても満足した。
途中からは念仏を忘れ、ただただ技術的興味に没頭してしまった感があるが、
トンネルを無事通り抜けることが出来た。
脱出!
ビクッ
(外に出たら目の前に直立したモアイ像があって驚いた……)
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