| ▼番号 | 書き込み日時 | 書き込みURL | 点数 |
|---|---|---|---|
| コメント | |||
| 60,606 | 2026-08-02 11:08:50 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| ストビューで見たら鬼岩がさらに崩れて、第二隧道の横穴のようなものが見えてますね。違うかもしれないけど。影でそう見えるだけか。 | |||
| 56,838 | 2025-06-13 17:46:23 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| あれから12年、そろそろトンネルの入り口をふさぐ木の板も朽ち果てたころではないでしょうか。 ところで、戒名を「即岸護道居士」とされていますが、最初の「即」は、助詞的文字(「すなわち」ですね)であるようにも思えます。実際のところはどうなのでしょうか。 | |||
| 53,341 | 2024-01-15 12:08:50 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 湖だって波がたつのにさあ、一体どういう気象状況やったんやろ。すごくいい機会やったね。真ん中のトンネルがある地質は入道できた隧道と違うのか?それとも頭上の地質が違うがやろうかね。かつての写真もみつかってないのはさみしいのお。 | |||
| 53,282 | 2024-01-07 12:00:36 | /tunnel/ooyama/main4.html | 9 |
| そろそろ再訪するんですか? | |||
| 51,867 | 2023-06-12 18:22:53 | /tunnel/ooyama/main4.html | 9 |
| となれば、10年くらい後(2023年頃)に来たら、きっと“自然先輩”が仕事を……。 (佐渡在住の方は、時々壁の状況を点検して報告してくだしあ… ←冗談です) 【予告】→ 『大山隧道群 再訪編』 (いつかきっと) とありますが、そろそろ訪問するんでしょうか? | |||
| 45,941 | 2020-10-18 05:19:51 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 私どもが1982年夏に佐渡両津から北端の2つ亀までバスに乗り宿まで辿り着くに最後の手彫りのトンネルに阻まれ軽自動車ぐらいしか通れないトンネルが今では丘の上を登る様にした道に変わっている。元のトンネルは完全に塞がれているが南側入り口部分は道路幅が広くする意味で道路の田んぼ側に二つのコンクリの足場が今でも残っておりトンネル入口を広げる為に道路が少し右側に折れているがその元あった場所には不要なコンクリートの高さ50cm程の壁が道脇に出来ている。トンネルの長さはおよそ90m程です。元々二つ亀は藻崎漁港の北端から離れた所にありその為立った6軒だけの漁村を営む村民の為に海岸沿いに車がやっと通れる道が有りトンネル南出口辺りで合流してる。そうで無いと二つ亀の崖の上から階段100段以上も上がり下がりは出来ない。しかしながら今ではその海岸沿いの家も半分の三軒だけになってしまった。新潟県で有りながら新潟市より給与が30パ-セントも低くい島で働くより新潟にでて出稼ぎをしないとならない程貧しい佐渡の住民。。雪は降らないが産物はワカメと梨、桃、生イカ、其れと太鼓たたきで有名になっていますが観光でくる人が少ないので各地へ行き叩いてます。。攻めて島を一周する道路が実際に出来たのは平成になってからです。二つ亀の崖の上に新しく出来た小さなホテルも常にガラガラです。 | |||
| 41,777 | 2019-07-31 03:22:10 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| レールウェイライターの種村直樹さんは日本列島外周きまぐれ列車で昭和62年頃に佐渡を一周されていますから、もしかしたらこのトンネルを通られたかも | |||
| 36,636 | 2020-10-18 05:19:51 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 私どもが1982年夏に佐渡両津から北端の2つ亀までバスに乗り宿まで辿り着くに最後の手彫りのトンネルに阻まれ軽自動車ぐらいしか通れないトンネルが今では丘の上を登る様にした道に変わっている。元のトンネルは完全に塞がれているが南側入り口部分は道路幅が広くする意味で道路の田んぼ側に二つのコンクリの足場が今でも残っておりトンネル入口を広げる為に道路が少し右側に折れているがその元あった場所には不要なコンクリートの高さ50cm程の壁が道脇に出来ている。トンネルの長さはおよそ90m程です。元々二つ亀は藻崎漁港の北端から離れた所にありその為立った6軒だけの漁村を営む村民の為に海岸沿いに車がやっと通れる道が有りトンネル南出口辺りで合流してる。そうで無いと二つ亀の崖の上から階段100段以上も上がり下がりは出来ない。しかしながら今ではその海岸沿いの家も半分の三軒だけになってしまった。新潟県で有りながら新潟市より給与が30パ-セントも低くい島で働くより新潟にでて出稼ぎをしないとならない程貧しい佐渡の住民。。雪は降らないが産物はワカメと梨、桃、生イカ、其れと太鼓たたきで有名になっていますが観光でくる人が少ないので各地へ行き叩いてます。。攻めて島を一周する道路が実際に出来たのは平成になってからです。二つ亀の崖の上に新しく出来た小さなホテルも常にガラガラです。 | |||
| 32,472 | 2019-07-31 03:22:10 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| レールウェイライターの種村直樹さんは日本列島外周きまぐれ列車で昭和62年頃に佐渡を一周されていますから、もしかしたらこのトンネルを通られたかも | |||
| 20,645 | 2015-11-14 14:57:23 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 京都府宇治市笠取インタのトンネルに旧道有るよ。 | |||
| 20,529 | 2015-10-31 00:23:22 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 佐渡の史跡の一つとして、高評価されるべきものだと思います。そして、観光地化されることなく、静態保存してほしいと思います。 | |||
| 19,439 | 2015-07-20 18:30:40 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 昭和61年10月、私は多分、大山隧道を通ったはずです。初の佐渡島上陸で、自ら運転もしていなかったこともあり、隧道の記憶が全くないのが残念な限りです。しかし、両津港から上陸し、翌日「賽の河原」と呼ばれる島北東部まで海岸沿いに出掛けたはず。あの頃の道は既になく、また運転して下さった方もお亡くなりになり、思い出と共に切ない気持ちで読ませていただきました。 | |||
| 18,950 | 2015-05-23 14:58:22 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 地元民ですが、そんな歴史があるなんて知りませんでした。大変興味深かったです。 | |||
| 15,351 | 2014-04-04 09:53:53 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 今でも道を護ってくれているのでしょうね。 | |||
| 14,728 | 2013-12-23 00:45:53 | /tunnel/ooyama/main4.html | 9 |
| 第一隧道も南口だけ立派な坑門のようなので、 やはり第一〜第三をひとくくりで大山隧道なのでしょうね。 | |||
| 14,698 | 2013-12-19 11:55:41 | /tunnel/ooyama/main4.html | 9 |
| 土木の知識もあるからこそ鋸状の意匠に感動できるんですよね。 慰霊碑があってしかも内容までわかると目頭が熱くなります。 ぜひまたおいでください。 | |||
| 14,689 | 2013-12-18 11:13:44 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 「みる」には、「Look at」の意味と、「try」の意味があります。「みてみる」は、「見ることを試みる」 「みる」は、「見る」という意味になります。「みて」は、「見た(過去形)」動詞五段活用の連用形になります。 「やる」は、「do」の意味があり「やってみる」は、「行うことを試みる」という意味になり、「やる」は、「行う」の意味になります。同じく「やった(過去形)」の連用形になります。 | |||
| 14,687 | 2013-12-17 21:59:50 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| グーグルマップで探したら画像付きで現れて驚きました | |||
| 14,685 | 2013-12-16 12:49:47 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 黒姫大橋から間じかに観察できるところにすごい道路遺跡があったのですね。わくわくしながら最終回をまっていました。 | |||
| 14,684 | 2013-12-16 12:39:48 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 南無阿彌陀佛 南無即岸護道居士 南無妙法蓮華経 | |||
| 14,683 | 2013-12-16 12:36:18 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 久々に良い完結文を読ませていただきました。 今までまったく興味も関心もなかった佐渡だけど、やっぱり人の営みとインフラ物語はあったんだね。 | |||
| 14,682 | 2013-12-16 12:26:53 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 楽しく拝見いたしました。完結おめでとうございます。・・・・・・・・・・・・他の方の書き込みでいろいろ言われていますけど一言。現状破壊を考えたとは�狆蘆未任盻颪い突澆靴�なかった”方もいらっしゃるみたいですが私に言わせていただければそれは酷だろ、と。廃道探索をされる方なら誰しも自然に感じるジレンマだと思いますから、破壊行為をしないで引かれた勇気・決断こそが尊いと考えます、GJです!。・・・これからも、どうぞ安全にはくれぐれも注意して、レポでは生のお声をお聞かせくださいね!!(お) | |||
| 14,681 | 2013-12-16 00:04:12 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 慰霊碑の「黒姫一同」の表記に感動しました。 | |||
| 14,680 | 2013-12-15 22:21:18 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 当局に趣旨を説明し,許可を取って中に入れば良い。この取材が社会的・文化的価値のない単なるオタク趣味と判断されれば許可されないだけだ。破壊よりもそっちの方が,よっりれんが越えられない,いや超えたくない一線なのかも知れないな。が,孔に入らずとも十分言いたいことは伝わっているレポだ。道とは面白いものだ。 | |||
| 14,678 | 2013-12-15 16:17:50 | /tunnel/ooyama/main4.html | 10 |
| 今回のレポートに限った事ではありませんが、みなさまの調査とレポートが無ければ、先人の業績、そして尊い若者の命が犠牲になっていた事すら、私一生知らずにいたと思います。 当方からは遠方で、おそらく一生利用しない道だと思いますが、地元民になったつもりで、また泣いてしまいました。 (;∀;) イイハナシダナー。 廃道・廃隧道に歴史ありですね。 ネット民的には「映画化決定」と言ったところでしょうか? ちなみに、Google Map ストリーロビューで最後の石碑の存在には気付いていますた。 | |||
| 14,666 | 2013-12-11 16:24:27 | /tunnel/ooyama/main3.html | 10 |
| 毎度楽しく読んでいます。 時に過酷な廃道さがしになっていますが、どうか無事に生還してくださいね。 | |||
| 14,657 | 2013-12-10 12:32:36 | /tunnel/ooyama/main3.html | 1 |
| 現状を大切にする方だと思っていたのに、冗談でも破壊を考え、それを文章にしちゃうのは残念だと思いました。所詮その程度なのかと。がっかり。 | |||
| 14,655 | 2013-12-09 22:41:37 | /tunnel/ooyama/main3.html | 9 |
| こんばんわ。毎回、興味深く拝見しております。この隧道は昭和53年に旅行で通過しております。まだ小学校高学年だったのですが、信号規制により交互通行だったことははっきり覚えております。交互通行の待ち時間はおおよそ15分程度だったことも覚えております。 余談ですがこの頃の佐渡北端は電話が直通ではなく、電話交換局経由でないと通話できませんでした。 | |||
| 14,645 | 2013-12-08 07:26:18 | /tunnel/ooyama/main3.html | 9 |
| 【誤字レポ】一緒に釘やトンカチも用意して、こじ開けた跡で元に戻せば良いのではないかとかも…。 →後 うん。壊しちゃダメw | |||
| 14,643 | 2013-12-07 21:03:05 | /tunnel/ooyama/main3.html | 10 |
| 第二隧道の中気になりますね〜 非破壊検査機とか使えないかな… | |||
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