2013/5/27 11:28 《現在地》
第二隧道の入口を発見!
& 路肩の大がかりな石積み(間知石)擁壁も確認!!
路上に居ては見えなかった、見逃していたものが、ここにきて一気に見えた。
なるほどこれは、坑門にロックシェッドを付属させることが、どれだけ重要だったか分かる風景である。
そして惜しむらくは、二つの隧道のロックシェッドを一つに繋げてしまわなかった事である。
ちゃんとその部分も作っておいたら、廃止は免れなかったにしても、もう少し保存されたかと思う。
…今さらそんなことに、意味は無いのだが…。
ともかく引き返して、あの土砂と雑草に隠されそうになっている第二隧道の坑口へ接近してみよう。
第一隧道の両坑口にあったような短いロックシェッドが、猛烈なツタのジャングルと、崩土の山にのさばる雑草の隙間に顔を覗かせていた。
5月末でこの状況と言うことは、例年盛夏期には完全に緑の中に覆い隠されているのではないかと想像する。
だが、この草いきれの状況に、私の胸は激しく高鳴る。
もはやこの奥に隧道があることは、避けがたい確定事実である。
今一番の問題は、この闇に沈んだ第二隧道が、果たしてどうなっているかであった。
古地形図においても、『大鑑』においても、この第二隧道が3本の隧道の中で圧倒的に長い。
後者に記載された全長のデータは203mとなっていて、第一隧道の2倍、第三隧道の4倍である。
つまり、大山越え克服のための核心的隧道が、この第二隧道だと言って良いだろう。
第一と第三は、この第二隧道へのアプローチに過ぎないように見える。
にゅるっ!
…としてみたらば!
↓↓
← これは酷い! →
←坑門は木製閉塞壁で完全密封済み。
そして背後の路盤はと言えば、外から見た印象以上に膨大な量の土砂によって、これも完全閉塞である。 →
この場所にはほんの数平方メートルだけ鋪装された路面が見えているが、道としてはこれ以上無い満身創痍のブツ切り状態。
ここへ来るには、いま私がしたようにロックシェッドの隙間から「にゅる」と出入りするしかない。
しかも頼みの綱のロックシェッドも、耐用年数と耐荷重の両面から、やばそうなのである。
天井や柱の表面のコンクリートがはげ落ちて、中の鉄筋が随所で露出している上に、その鉄筋が腐食しまくっている。
もう一度大きな崩落があったら、次は敢えなく圧壊するのではないか。
…繰り返しになるが、昭和62年までこれが現役、主要地方道…。
そして私は、とても残念なお知らせをしなければならない。
残念だが、これは入れないのである。
壁の向こうには何の音も聞こえず、視線をくぐらせる僅かな隙間も見出せなかった。
おそらく先の第一隧道の南口も、これと同じように封鎖されていたのだろう。
向こうは“自然先輩”が道を事前に用意してくれていたので助かったが、こっちはダメだ。
まだ頑張っている…、人間の作為が。
土砂崩落のために坑口前の風通しが悪く、突風による破壊が起きていない(これは内部閉塞も疑わせる状況…)。
もちろん私も悔しかったので、立ち止まっていろいろ考えた。
“バールのようなの”を今晩中に両津の町で仕入れて、明日やっちまうかということも、考えた。
一緒に釘やトンカチも用意して、こじ開けた跡で元に戻せば良いのではないかとかも…。
だが、そこまでしてしまえばワルニャンではなく、クラッシャーになってしまう。
おそらく誰の損害にもならないとは思うが、私が“バールのようなもの”を装備してしまうこと自体が、今後の為に宜しくない気がした。
アプローチが困難であれば、万難を排する覚悟で“WFK”だってやろうと思っていたが、それは道の現状を自分の手で改変しないからOKなのだ。
今までもこの一線は越えてこなかったのだし…、今回は後ろ髪を惹かれたものの、無理にこじ開けるのは止める事にした。
諦めきれず、こんな事も考えた。
この側溝の蓋を外せれば……と。
だが、まず手ではビクともしない重さがあって、やはり“バールのようなもの”が必要だったし、仮に開けて中へ入っても、第一隧道の側溝と同じ作りであれば、隧道内にも蓋がずっと続いているはず。
つうかなにより、この蓋を退かした後の隙間は、私の体を通すには少し狭すぎる。
ダメだ。
…
……悔しい。
………が、
ここは前向きに考える。
「また来いよ。」
そんな声が聞こえた事にしよう。
佐渡再訪の大きなきっかけが出来たのだと。
この広い佐渡が一度きりなどと言うことは、確かにあり得ない。(旧旧道の“大山越え”も気になるし)
それに、こんな事を予言するのもどうかと思うが、この壁はもう2度とは更新されまい。
となれば、10年くらい後(2023年頃)に来たら、きっと“自然先輩”が仕事を……。
(佐渡在住の方は、時々壁の状況を点検して報告してくだしあ… ←冗談です)
【予告】→ 『大山隧道群 再訪編』 (いつかきっと)
というわけで、第二隧道を通行する事は出来なかった。
だが、まだ希望を棄てたわけではない。南口がダメでも北口がある。
隧道を通らずに先へ進むには…、この磯伝いに行くしかない。
改めて思う。今日はこの波の穏やかさに本当に救われた。
少しでも波が高かったり、或いは今日が大潮だったりしたら、
ここで探索続行困難となっていた可能性が高いだろう。
勇んで“WFK”とか言ってはみても、あれは静かな湖面でしか試してないからナ…。
先の方もだいぶ酷いようだ。
第二隧道の行く先、ずばり出口があるだろうという200mくらい先の地点は、現在地の第一・第二隧道間以上に激しい大崩壊地となっていることが、ここからも容易に見て取れた。
これはやばい…。
第二隧道の北口が現存しない予感……。
さらには、その先にあるはずの第三隧道も危ないかも…。
とにかく、この岩場の海岸線を全部長い隧道で突破していれば良かったのかも知れないが、こうして途中ひょこひょこと地上に顔を出しながら道を作ったのが、限界だったか。
何度も何度も書いているが、昭和62年まで現役だったようにはどうしても見えない現状である。(だが、それはゆるぎない事実。)
…いろいろとヤバイ感じしかしないが、前進再開だ…。
波が穏やかだから通る事が出来る、スイカ大の丸石が積み重なった礫海岸を歩行する。
間もなく第二隧道が始まってしまい、陸上に取り残された私にとっては、余り面白みのない消化行程(200m先まで)も覚悟したが…
甘ぇ!!
道は隧道に入ってしまったはずなのに、なんか海岸線の地表にも、道路との関係性を無視出来ないコンクリートの擁壁があった!
それは、まるで牛の乳房のように垂れ下がったオーバーハングの岩場を支えるようであり、一瞬この裏側に隧道があるのかと色めいたが、先ほどの明かり区間の路肩擁壁の高さと比較すれば、このコンクリート擁壁が隧道の外壁ではないことが分かる。
だが、この凹みを放って置いて、やがて波の浸食の結果として、隧道の床に穴が空いては困ると考えたのだろう。
この立地に海蝕洞が貫通して困るのは、道路の隧道しかない。
これは、道路からは絶対に見えない位置にあるが、紛れもない“道路構造物”なのだ!
11:35 《現在地》
第二隧道の南口を上方に見送ってから、オーバーハングを間に挟んで歩く事、おおよそ50m。
崖壁の張り出し方が弱くなり、少し陸側に引っ込んだ。
普通であれば、再び崖伝いの明かり区間が始まりそうな地形なのだが、この第二隧道は間違いなく“普通”ではなかった。
やや凹んだ岩場に道は再登場せず、代わりに垂直に限りなく近いコンクリートの巨大擁壁を地上に出現させた。
そして擁壁は目測で50m以上も続き、その先で再び天然の岩場へ呑み込まれていたのである。
まるで、二度目の明かり区間の身替わりに、堅い擁壁を置いたかのように…。
間違いなくこの擁壁は、大山隧道群の竣工年とされる昭和2年よりも新しいものだ。
当時の擁壁といえるのは、先ほどの間知石の壁がそれっぽかった。
残念ながら裏付けとなる証拠は未発見だが、私はこの巨大なコンクリート擁壁の裏側に、直接隧道の空洞があるのではないかと疑っている。
地中に隧道が無ければ、この位置に防波堤は必要がないはずだ。
そして問題は地中を通る隧道がどのくらい奥にあるのかだが、私はこの壁のすぐ向こう側である可能性が高いと思う。
もしかしたら、隧道が作られた昭和2年当時の岩肌は今みたいに凹んでおらず、地中に隧道が続いていたのかも知れない。
それがある時に大崩落を起こして隧道部分が地表に露出し、その復旧のためにコンクリートの壁で蓋をしたような事も考えられる。
これが正解であれば、この擁壁は窓のない洞門(ロックシェッド)の一部なのである。
このような少し大胆な推論の答え合わせは、隧道内の断面の変化を確かめることで解決しうるのだが、現時点でそれが叶わぬ事が残念だ。
(また、帰宅後に机上調査も行ったが、この隧道の開通当初の状況についての記録は未だ発見出来ていない。)
少し探索の順序とは前後するが、これは現道の黒姫大橋の上から眺めた第一〜第二隧道の全景である。
着目して欲しいのは、第二隧道の坑口と右側の擁壁それぞれの海面からの高さである。
右側の擁壁が、ちょうど隧道の天井くらいの高さで仕切られていることが分かるだろう。
これは如何にも、擁壁が洞門の外壁を兼ねているように見えるのである。
ただし一切窓が無く、内部は隧道同様の真闇世界であろう。いつか見たいニャン。
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擁壁の下を歩き終わると、再び自然のままの断崖絶壁が磯に直接する。
そして地表からは道路の痕跡、隧道の存在を疑わせるものが、完全に消えてしまった。
磯にはテトラポットなども置かれておらず、もし海上を駆け抜ける橋が無ければ、視界から人工物は一掃された。
(…と思ったら、奥に黒姫漁港の防波堤が見えるね…笑)
…大変だ……
地中に消えたきり、旧道が行方不明になった…。
こいつは、最低の位置が大崩落してるぜ…。
これって、明らかに2号隧道の北口を呑み込んでるだろ…。
…もう、俺には北口しか希望が無かったのに………グフッ。
しかし、私は一縷の望みをかけて―――
よじよじ。よじよじ。
見たまえ!!
こんなバカみたいに高い所まで登ってしまったよ。
道路も海も遙かに眼下に遠ざかり、これはもう、単なる山登りですわ。
バカと煙は…じゃなくて、これは隧道の北口が無い、どこまで行っても無い、無い!無い!無いよ〜!!! …という悲しみを全身で表現した結果が、これだけの登攀になってしまったのである。
やっぱりバカじゃん?
…。
――結論。
第二大山隧道の北口は完全崩壊埋没済みである。
グフッぅ。
傷心を少し癒してくれた、ここだけの眺め。
まるで巨大な湖のような海原に架された黒姫大橋は、とっても爽快だ。
あまりに優雅で贅沢にも見えるけど、実際は陸を追い出された道路の最後の居場所なのである。
それに、眼下が決して侮れない海であることは、一つ一つがビルのように巨大な橋脚が物語っていた。
この橋は、絶対の生命線。
(ところで、海上に黄色いものが見えるが、これは大量の海草だった。まるでサルガッソー海。WFKやれば絡んで死亡ですわ。)
この方角には、短い第三大山隧道があったはず……
でも、もう何もないんじゃ…。
これは、WFKとかそういうレベルじゃないなぁ。
敵は海ではなく、山だったんだなぁ。
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