http://yamaiga.com/tunnel/tebiro/ の公開中コメント一覧

(平均点 9.40点 / 投票回数 1087人)

4ページ中 2ページ目を表示(合計96件)    1 | 2 | 3 | 4    [前のページ] [次のページ]  
▼番号書き込み日時書き込みURL点数
コメント
11,9352013-02-23 13:13:29/tunnel/tebiro/main3.html10
参道であった隧道をゴミで埋めるとか…胸が痛みました。
こんな鎌倉が世界遺産に登録されるのでしょうか?
11,9002013-02-17 01:11:59/tunnel/tebiro/main3.html10
近くなので行ってみようと思う。
11,8872013-02-11 10:39:07/tunnel/tebiro/main3.html10
今の雰囲気と佇まいのまま残して欲しい切り通しですね。
鎌倉は保護するものが多すぎて大変でしょうけどね。
11,8602013-02-06 01:58:43/tunnel/tebiro/main3.html10
切通しの写真、なんだか懐かしくなりました。
隣町である金沢区に住んでいるからか、似たような光景を見た記憶があります。
積み重なった枯葉から立ち上るにおいまで再現されました。
でもどこだったかは定かではないという・・・・
11,8552013-02-05 16:05:49/tunnel/tebiro/main3.html8
画用紙とクーピーやクレヨンのようなものを持っていって拓を取ってみてはいかがですか?
11,8432013-02-02 19:45:26/tunnel/tebiro/main3.html10
しかし、何のために掘ったのかよく分からない隧道だなぁ。山門は北を向いているし普通は北側から参拝するものでしょう。江ノ島方面からの参拝客には近道になるけど、切り通しを抜けてからちょっと戻れば鎖大師だから大した手間とも思えん。裏からお寺に入るのも妙な感じだし……この辺は寺に聞かないと分かりませんか。
11,8362013-02-02 00:57:20/tunnel/tebiro/main3.html10
>京急専用道路
今は頭上にモノレールが走っている以外は普通の道路です。
元々はバス専用道として作られましたが、後に有料で普通車も通れるようになりました。日本初の有料道路だったそうです。周辺の市街化、及びモノレールの開通により、無料開放されました。
11,8352013-02-02 00:40:53/tunnel/tebiro/main3.html8
おいおいウソペディアを信用してだいじょうぶか?
あれは間違いや偏りがあったりわざと嘘を書く奴もいるらしいので
調査の手掛かりを得るには有用かもしれないが
情報源は別の情報を探して照合するか「出典」を確認すべきでは
11,8342013-02-01 23:14:20/tunnel/tebiro/main3.html9
ヨッキれん先生、鎌倉へやっと来てくれたんですねぇ!この後はもちろん新佐助隧道の上にあるヤツの歴史を調べて下さい。廃屋もありますからどうぞ!ところでこの切り通しは通行禁止前に通りました。子供が近くの保育園だったので。またあの辺の雰囲気はちょっと異質ですね。古道沿いの家並みはやはり歴史の長さを感じさせます。鎌倉はやっぱり田舎だ!
11,8332013-02-01 19:56:08/tunnel/tebiro/main3.html10
ヽ(´ー`)/
11,8322013-01-31 23:09:34/tunnel/tebiro/main3.html10
古都絡みは面白い
11,8312013-01-31 22:05:23/tunnel/tebiro/main3.html9
ほんと凄まじい都市化だな。明治36年版の地図にある当時の道からはどんな景色が見えていたのだろう。
11,8292013-01-31 12:26:09/tunnel/tebiro/main3.html10
ヤマノハイツ手広に引っ越しちゃえ(笑)
11,8272013-01-31 00:56:10/tunnel/tebiro/main3.html10
大変面白かったです。お疲れ様でした。

当地の切通しですが、現地では今回紹介された「男坂」とは別に「女坂」があります。昭和35年の地図にある切通しの線を右側の稜線沿いに回っている道がそうで、こちらも切通が現存しています。

「男坂」が通行禁止になったのは、2002年なので、意外に最近です。

「男坂」の切通しは、「江戸末期に手広村の村人が周辺から寄付を集めて切り下げ工事をした」との情報が、鎌倉市のかまくら景観百選のHPにあります。

ここからは予断ですが、今回の説が合っているとすると、鎌倉銭洗弁天の隧道が昭和20年代なので同時期の制作となります。この二つの隧道はとても似ているように感じました。
11,8262013-01-30 23:16:17/tunnel/tebiro/main3.html9
古い石碑の解読法の一つとして、拓本を取ってはいかがでしょうか
半紙とカーボン紙だけなのでそんなに嵩張らないし、
目視・指でなぞっての解読よりも字が鮮明に読めることがあります
11,8242013-01-30 22:00:15/tunnel/tebiro/main3.html10
碑文をその場で読むのであれば、マグライトなどで斜めから照らす、という方法がありますが、持ち帰る(?)には拓本を取るしかないか…。
11,8222013-01-30 21:14:06/tunnel/tebiro/main3.html9
廃道を調べるにあたって歴史はもちろん、古文や旧字体も勉強しなければならぬ。奥が深いですな。
11,8212013-01-30 20:00:08/tunnel/tebiro/main3.html10
とても面白かったデス
11,8182013-01-30 16:58:52/tunnel/tebiro/main3.html9
切通しは良い・・・  心が洗われる。
でも隧道にせよ切通しにせよ、作った人たちの労とか待望した人々の思いが想像できるくだりが無いとなんか軽いレポに感じます。
11,8172013-01-30 15:47:22/tunnel/tebiro/main3.html10
レポお疲れ様!とても楽しまさせていただきました。ありがとう!!
11,8162013-01-30 14:30:01/tunnel/tebiro/main3.html10
京急専用道路が気になる
11,8122013-01-29 13:39:47/tunnel/tebiro/main2.html10
スコップもって掘りにいきますか?
11,8102013-01-29 10:27:19/tunnel/tebiro/main2.html10
金○ 鏨代?  八主耳○代(什)? 分からん!もっといい画像かでかい画像をくれ。
11,8092013-01-29 00:32:13/tunnel/tebiro/main2.html10
正しくは「草繋全宜(くさなぎぜんぎ)」氏でした。
訂正いたします。
11,8082013-01-28 13:18:39/tunnel/tebiro/main2.html10
こういうものは、せめてもう少しでも綺麗にしておいてもらいたいもんですね。 
11,8072013-01-28 01:08:16/tunnel/tebiro/main2.html10
普段目にする隧道の中にこんな碑文があったのは。
碑文の文面ですが、「全宣師ノ代」と読めるのですがいかがでしょうか。昭和25年ごろ草繋全宣師という方が、鎖大師の青蓮寺にいたそうですが、関連性は不明です。
明治迅速図に、この隧道と隣の古い切通し(男坂)がないのも気になります。
11,8062013-01-27 23:51:22/tunnel/tebiro/main2.html10
全宜御留代?
11,8052013-01-27 22:41:05/tunnel/tebiro/main2.html10
まさかとは思ったが入った上に掘ったか!w流石だ
11,8042013-01-27 21:43:15/tunnel/tebiro/main2.html10
全宜だとすると「全宜僧正代」ですかね。
11,8032013-01-27 20:45:01/tunnel/tebiro/main2.html10
ツイート見てから気が付きましたが、草繋全宣住職のこともこの洞門のこともWikiの青蓮寺 に記述がありますね。

4ページ中 2ページ目を表示(合計96件)    1 | 2 | 3 | 4    [前のページ] [次のページ]  

この画面の説明