鬼怒川上流の男鹿川を堰き止めた巨大な人造湖、五十里(いかり)湖。
江戸から50里(約200km)の位置にあるこの湖の湖畔には、ダム湖畔には珍しい旧道が多く存在している。
それは、このダムがかなり古くからここにあるということを意味している。
事実、五十里ダムは昭和31年の完成と、利根川水系では最古参に類するダムであり、戦前、というか大正時代から既に着工されていた点に特色がある。
本編に繋がる続編「ミニレポ140回」で詳しくは触れるが、この五十里という地は、本当にダムと縁の深い場所なのである。
…まるで、「水没すべし」という呪いでもかかっているかのようにね…。
以前、「ミニレポ135回」でこの五十里湖畔の古い旧国道を紹介したが、今回はそれよりも新しく、平成14年に廃止された「旧県道」を紹介する。
右の図で赤い太線で示した部分がその区間で、これだけを見ると旧県道ではなく旧国道のように見えるが、ここは間違いなく旧県道なのである。
まずはそのカラクリを説明しよう。(右の地図にカーソルを合わせてみて欲しい)
…いきなりゴチャッとして訳が分からないと思うが、確かにちょっとややこしいのである。
まず昭和31年のダム完成当時には、地図中に青で示した国道121号と、赤で示した県道(昭和31年時点では県道ではなかったが、後の県道)だけがあった。
長くそのまま使われてきた(五十里トンネルが出来たが)のだが、平成9年に黄色で示した国道の五十里バイパスの建設が、「湯西川ダム」の関連工事として始められ(湯西川ダムは県道の上流が予定地)、平成14年にまずは海尻橋から赤夕大橋までの南半分が開通した。
この時点で、従来は海尻橋にあった県道「黒部西川線」の終点が、赤夕大橋に移った(=県道の一部区間が廃止された)。
さらに平成16年に赤夕大橋から海渡大橋までの北側半分が開通し、バイパスは全通した。これで従来の五十里湖東岸にあった国道は旧国道となったが、平成20年現在も依然国道のままになっている。(理由は不明)
以上の流れを見ていただければ、今回紹介する旧道が国道の旧道ではなく、県道の旧道区間であるということ。もっと言えば、対応する新道が国道であったため、県道のままで廃止された区間と言うことがお分かり頂けると思う。
…だから何なんだといわれれば困ってしまうが、国道や県道といった道路の“格”にはウルサイ我々道路マニアにとって、重要な部分だから、ちょっとネチネチと解説してみた次第である。
その現状については、今から紹介する。
ミニレポであることからお分かりの通り、長い前置きほどに特別な風景はなかったりするのだが、これが「ミニレポ140」とリンクしたとき、貴方はサムライの生き様を目の当たりにするだろう!!!
2008/5/4 6:52
道の駅湯西川を出発した私は、すぐ東に近接する「湯西川交差点」へ来た。
ここが、国道121号五十里バイパスから、県道249号黒部西川線が分岐する、同県道の終点である。
だが前述の通り、平成14年までここに国道はなく、交差点もなく、ただ県道が直進しているだけの地点であった。
これからこの交差点を直進し、既に多くの地図からは消えてしまった旧県道へと進入する。
地図には無くとも、目視でははっきりと直進の道を認める。
なにせ、廃止からまだ6年足らずである。
残っていて当然というレベルである。
同交差点からの左右に繋がる五十里バイパスの眺め。
まず左は平成16年に開通となった赤夕(あかゆう)大橋。その先には五十里岬トンネルが見えている。トンネルの先は赤夕大橋よりもさらに巨大な五十里海渡大橋が控えている。まさに国道のバイパスとして全く不足のない道である。なお、赤夕大橋の左に野岩鉄道線のワーレントラス橋も写っている。
右は平成14年に開通した湯の郷トンネルで、今回紹介する旧県道は殆どこのトンネルの迂回に距離を割いている。
なお、トンネルの全長は505mある。現代風トンネルとしては私が最も好きなどっしりとしたデザインだ。
左に見えるバリケードの奥に旧県道がある。
ガードレールで塞がれた(写真の左の外に車が通れるスペースがあるが)旧道より、交差点を振り返る。
路幅の広さが何ともそそる。
舗装の色も堅さも、まだ車道としての誇りを何ら失ってはいない感じがする。
思えば、交差点を直進した場所に廃道があるなんて、結構珍しいシチュエーションかも知れない。
うんうん。
いいぞ。この雰囲気。
さすがにまだ状態が良い。
まだ4輪の車を許しそうだ。
だが、一目で廃道と分かるのは何でだろう。
両側の路肩に数年分の落ち葉が固まったものが有るからだろうか。
それとも、2車線の巾があるのに、それをセパレートする白線が無いからだろうか。
単純に、一台の車も見えないからだろうか。
…4年で、こうだ。
2⇒1車線になってからも車が通ったようだ。
消えたセンターラインを跨ぐように、両輪の轍が残っている。
300m先のチェーン着脱所を予告する標識が残されていた。
どっかで再利用すればいいのに… もったいない。
湯の郷トンネルを迂回する旧道の長さは700mほどで、五十里湖に突き出した半円形の半島を巻いている。
セオリー通り、中間付近の標高が少し高く、前後は緩い坂道だ。
ちょうど坂を下り始めた辺りに、予告されたチェーン着脱所はあった。
カーブの外側が広くなっている。
それにしても、たった4年の放置で、舗装路面というのはこんなにも傷んでしまうものなのか。
普段の道路を利用していても気付きにくいが、こういう若い廃道は、道路の維持には莫大な手間とお金がかかると言うことを教えてくれる。
またこれか…。
車が入れる廃道には、必ずこれがある。
冷蔵庫ばかり、4台も…。 絶対業者の仕業だ…。
ほんと、頼むよ…。
自然は、自衛の手段を急いでいる。
谷から流れ込んだこの土砂が、完全に4輪車をシャットダウンするまで、あと何年だろう。
…自転車で走っていてイチバン楽しい廃道というのは、このくらいの廃道なんだよな。実際。
車の音が近づいて来た。
とほぼ同時に、前方の視界が一挙に開け、湖と山と空がセットになって現れた。
もちろん、道も。
そこに見えるのは、生きた道である。
廃道区間は、もうすぐ終わる。
そして、そこに新たな出会いが待っている。
7:03 【現在地点(別ウィンドウ)】
現道との緩やかな合流。
右に見えるのは、湯の郷トンネルの坑口である。
なお、こちら側の旧道入口は、車止めが設置されており、4輪車は通過できないようになっている。
この先にも旧道はまだ続く。
しかし、あとは国道から大きく離れることはない。
寄り添うように…というか、国道という束より解れた紐のようにだ。
ゆったりとカーブしていく国道には、橋がひとつふたつみっつと、並んでいる。
このそれぞれの橋に、それぞれのサイズに見合った小さな旧道がある。
注目したいのは、どう見ても平成14年よりも古い道路左の青い看板だ。
徐行車、先行ゆずりは交通事故防止の基となる
カーブは、左小回り、右大回り、
別に内容にはおかしな所はない真っ当な標語だが、言葉遣いがとにかく古い。
この段階で、下流方向湖面上に海尻橋が見えてきた。
あの右岸のたもとが、平成14年まで県道249号の終点であった。
当時の国道は、あの海尻橋を渡って五十里湖の左岸を通っていた。
珍しいランガートラス形式を採用した海尻橋の勇姿に注目だ。
この橋は、昭和30年に五十里ダム工事関連の付け替え国道として開通した。
五十里湖は橋のある地点で極端に窄まっており、全長117mの橋は橋脚をひとつも設けることなく、一挙に跨いでいる。
この狭窄部の右岸の山を「戸板山」、左岸の岬を「布坂山」、そして狭窄部自身を「海尻」と呼ぶ。
この地名は、次回「ミニレポ140」でまた出てくるので、要チェック。
国道の桟橋一本分に相当する、長さ30mほどのごく短い旧道。
しかし、既に入口がガードレールで塞がれているだけあって、廃道化の進展は早い。
早晩草むらになってしまうに違いない。
この先、旧道風景としてはこれと同じようなものが4つ連なるのみである。
この先での注目は、むしろ現道だ。
隣に架かる国道の桟橋の名前は、
ろくざみおくりばし
…???
私も、この橋の名前を初めて見たときには、ハテナマークが3つくらい点灯した。
だが、これは始まりに過ぎなかった。
間髪入れず、また次の桟橋が現れた。
ここにも、同じように小さな旧道がある。
そして、この橋の名前は…
ろくざゆめあとばし
??
またしても、ろくざ?
“ろくざ” は、地名?
続いては、今まででも一番小さな、本当に小さな橋。
旧道も、超ミニサイズだ。
でも、この橋の名前は驚くほどに壮大である。
六左海切橋
写真の背景に写っているものは海ではなく湖面だが、海を切るとは、一体どんな意味なのか。
そして、相変わらず付きまとう「六左(ろくざ)」とは何なのか。
それにしても、この周辺は「海」づいている。
このレポートの中だけでも既に海尻橋、五十里海渡大橋、そして六左海切橋が現れた。
古語で時に湖のことを海とも言ったそうだが、五十里ダムの半世紀がこれだけの「海」地名を根付かせたというのか。
すぐに4本目の桟橋が現れた。
そして、この橋にも期待通り「六左」はいた。
六左夢見橋
ますます橋の名前らしくない。
だが、4つの橋の名前には、何かストーリーが有るような気がする。
見送、夢跡、海切、夢見
ひょっとすると、これは起承転結?
しかも、その順序は私が辿ったのと逆ではないだろうか。
すなわち、六左(人名)が、何かを夢見て、海切り(?)をして、しかし夢跡…つまり失敗して、最後は見送る。
見送るという意味は分からないが、我々道路利用者への手向けの言葉か。
今までいろいろな橋を見てきたが、こんなストーリー仕立てを感じさせる命名は、初めて見る。
単なる虚飾とは思えぬ、凝った命名だ。
基本的に、地名に由来しない名前を道路構造物に名付けることには反対な私だが(全国にある“ふれあい橋”には辟易だ)、今度ばかりは興味を惹かれた。
六左とのふれあいも4橋で打ち止め。
なぜか5本目の橋には…なぜかというのもおかしな話だが…「滝見橋」という、何の変哲もない名前が付けられていた。
写真は、その滝見橋を振り返って撮影したもの。
旧道の様子など、他の4橋と異なる部分は特にない。
橋のたもとには、県道だった時代の遺物が撤去されずに残っていた。
旧式の道路情報板に表示された区間表示は、「海尻橋〜湯西川」。
これは紛れもなく県道だけの行き先である。
湯の郷トンネルと5本の桟橋に付随する途切れ途切れの旧県道も、滝見橋で打ち止めだ。
残り海尻橋たもとまでの最後の200mは、そっくりそのまま拡幅されて国道になっている。
7:15 【現在地(別ウィンドウ)】
五十里バイパスの起点であり旧国道との分岐地点でもある海尻橋へ着いた。
信号の無い交差点から直角に折れ、巾6mと2車線にはやや物足りない海尻橋が続いている。
中路ランガートラス形式だが、ここから見る限りはトラスの部分は見えず、単なるランガー橋のようである。
遠目にはスマートに見えたが、ここまで近づくとそれなりの重量感と、橋齢に相応しい老朽が実感され、むしろ親しみを覚えた。
今回のレポートの終点となる海尻橋だが、この傍らに立っている案内標識(⇒)には疑問を感じる。
既にここは県道249号の起点ではない筈だし、それ以前に、この国道と微妙にずらされた角度は何を示しているのか。
湖に飛び込めとでも言うのか。
まあ、揚げ足取りはこのくらいにして、次のミニレポではこの橋の先へ行こう。
そこであなたは、悲劇の主人公「六左」と、古き「海」の正体を知ることになるだろう。