ミニレポ第171回 青森県道274号陸奥関根停車場線

所在地 青森県むつ市
探索日 2012.01.04
公開日 2012.01.14

駅のない停車場線県道


前回のミニレポ170回では、駅と共に廃止された停車場県道を岩手県からお伝えしたが、

今回紹介するのは、駅が廃止された後も存続している停車場県道である。

その名も、青森県道274号陸奥関根停車場線という。

東京からかなり遠い場所のため、訪れたことのある人はさほど多くないと思うから、まずはどこにあるのかを確認しよう。


青森県道274号陸奥関根停車場線は、下北交通大畑線陸奥関根駅国道279号を連絡する全長0.3kmの短い県道で、昭和36年に認定されている。

そして、下北交通大畑線は平成13年4月1日に全線が廃止されており、当然陸奥関根駅もこの日に廃駅となっている。

下北交通大畑線は、JR大湊線下北駅(むつ市)と大畑駅(むつ市、旧大畑町)を結んでいた全長18kmの非電化ローカル線で、昭和60年に廃止された国鉄大畑線を下北交通が継承して運行していた。
この路線は当初、国鉄大間線として下北半島の突端に位置する大間町まで建設される構想であり、昭和12年に着工し14年に開業した第一期区間である下北〜大畑間を国鉄大畑線として開業したが、大畑以北は戦争激化のため未成に終わった。未成区間は廃線レポートで以前紹介している。→【鉄道レポ:大間線】

駅が廃止されてから今年(平成24年)で11年目となるが、依然として県道の認定が廃止された形跡はなく、例えば青森県道路情報システムに表示される地図などには、この路線が(短距離なので点のように小さいが)確かに「県道として」描かれている。

はっきり言って、これは謎である。

行政の怠慢(忘れられてる?)によるものなのか、はたまた地元からの強い存続要望があるとかが原因なのか。

しかし、仮に後者だとしても、そう易々と「存続OK」とはならないはずである。杓子定規などと揶揄される“お役所仕事的”には。

県道の認定にはいくつかの要件があり、道路法第7条に至極きっちり規定されているが、「主要停車場」と「密接な関係」にある主要道(国道や都道府県道)を連絡する路線を認定出来ることになっている(第5項より)。
一般に、県道の路線名が駅名のみで構成されている路線は、この要件を満たしての認定が大半と思われるわけだが、こうした“単機能”な県道が肝心の「主要停車場」を失った場合、それでも認定要件を満たせるわけがない。強いて言うならば、「地方開発のため特に必要な道路」(第6項)を満たせればという話しになるわけだが…。


…なんだか、いじめっ子の気分になってきた。これはよくない。
別に責めるつもりはないのだ。
こうした“廃線の忘れ形見的な県道”が道路界の特異例といえるならば、より深く知ることで、より深く愛したいと思う。
流石にこんなしょうもないレポが原因で、関係者曰く「忘れてたよ。じゃ、廃止しよ」とかはならないはずだから大丈夫だ。

前置きが少し長くなった。
いい加減、現地のレポートをご覧いただこう。
最新の道路地図帳にも県道として描かれ続けている陸奥関根停車場線の全線(0.3km)を、真冬にチャリで走破してみた。




まずは、現在地。

↓↓↓



駅がどこにあったのかは、この地図を見ただけで一目瞭然だろう。
そして駅がなくなった今、この路線が虚しい尻切れトンボになっていることが、いかにも予感される。

県道274号が通っているのは、関根集落の中でも美付川左岸に位置する北関根地区だ。
関根は、もともと大間通と呼ばれた現在の国道279号と共に発展した、街道立地的な集落である。
下北一の繁華地である田名部と、代官所や北方警備の番所が置かれた大畑のほぼ中間に位置し、ほとんど集落を見ない下北台地の分水に位置する場所柄、厳しい北端の大地を徒歩でゆく旅人の命を繋ぐ重要な休息地であったものと想像される。
自治体としての関根村は、明治22年に田名部村の一部となって以来、田名部町、大湊田名部市、むつ市という変遷の中で長く北端に位置し続けたが、平成の合併で大畑町がむつ市に入ったため、その位置ではなくなった。

2012/1/4 8:39 写真は国道279号の美付川渡河地から北関根を写している。
県道274号は写真中ほどから右折しているが、青看などの案内はない(そのため、私は一度通り過ぎてしまった)。



ここが県道274号の終点です。

ここには駅が廃止された後も数年前まで「陸奥関根駅→」という“白看”があったそうだが、それも撤去されたのか無くなっていた。

入口にはこれが県道である事を示すものはなにひとつ見あたらないが、その角に交番(むつ警察署関根警察官駐在所)と、国道の斜向かいに郵便局(むつ関根局)があることに、集落の交通の中心としての名残を微かに感じ取る事が出来る。

それでは早速右折してみよう。




一片の雪もなかった国道に対し、県道274号の路面は、これが本当に同じ場所にある道なのかと言いたくなるほど著しく氷結し、そのために凹凸していた。
今朝の最低気温は完全にマイナスで、この時間もなお厳しい凍み方である。
こういう、前日までに解けた轍が再氷結して出来上がった轍を自転車で走行する事ほど容易に転倒出来るチャンスはないので、私は今年の初転びを演じないよう、慎重に進まねばならなかった。

道は住宅地の間を緩くカーブしながら東へ向かう。
地形的には左が高く、右が低い。
この高い部分に神明宮があり、県道から参道が分岐していた。




8:52 《現在地》

ごめんなさい。間を保たせられません。
この道に劇的な展開を期待するのが、そもそも無理というもの。
既に200mという全線の半分以上を消化しているが、ここまでただの街路です。

県道だった名残とかが何かあると面白いと思うが、駅が健在だった当時からそんなものは無かった可能性が高い。

全国の田舎にある停車場県道には、そんな「何ら県道らしさを感じさせない道」が沢山あるし、この路線も多分そうだったと思う。
そして、私を含む“停車場県道を愛する人々”にとっては、そういうただの街路と見分けが付かないような県道もご褒美である(違う人はゴメンナサイ)。

待て待て。
こんなしょうもないコメントで、この典型的で美しい三叉路をスルーしては勿体ない。
この三叉路は、右が駅へ向かう県道で、左は約2kmで浜関根(関根漁港)へ至る市道である。
漁業に生活の根拠の大部分を求めていたかつての関根にとっては、これこそが“自然発生的に生まれた暮しの道”といえるわけで、駅へ向かう県道などは後付けのものである。
おそらく右の道は、昭和14年の大畑線開業&関根駅開設に合わせて新設されたものではなかろうか。
そんな“外的要因によって出来た道”が、外的要因(駅)の消滅に伴ってどう変化したのか。

…ここからが見物である(と、改めて期待したい)。



<駅前通の衰退 その1>
商店の閉店。

駅前通の通行量が著しく減少していることの証左として最も端的なのが、沿道商店のクローズである。
いったい何を商っていたのかは分からないが、風情としては雑貨屋ないしは駄菓子屋ないしは酒屋的である。
なんとなく後者っぽいか。
閉店後も自動販売機が残るパターンも典型的で、ここにはタバコとジュースの自動販売機があるものの、ジュースの自販機がどういう訳か傾いている。
自販機に何があったのだ? 地震の影響か?
この状態で内部のコインカウンターはちゃんと作動するのか。商品は詰まらず出て来られるのか。
ちょー気になるー!?




って、自販機までクローズしてるし。

内部の見本品の陳列も大荒れ(なぜか本数が大幅に減少しているが、何が起きた?!)だが、そのレパートリーはと言えば、如何にも10年前くらいな感じ。
つまり、駅が健在だった平成14年くらいまでのレパートリーと見受けられる。
コーラ、ファンタ、オロC、ジョージアオリジナル、エメマン、ブラック無糖、ポカリスエットなどは今でも変わぬ売れ筋だが、UCCラムネード、Se−ra、Leafs、じょうずに野菜あたりは、最近自動販売機で見たこと無い。
各商品がいつ頃まで生産されていたかを調べてみるのも、一興かも知れない。





そんなこんなで、いよいよ(さっそく?)、

最終ストレート

に到着。

停車場県道であるならば、そこに待ち受けているものは当然「 駅 」であるはずなのだが…


停車場亡き停車場県道のラストには、
何が待ってたのか?!




駅が見えた!

はずはない。駅はない。もう無くなっていた。

でも、一瞬確かに見えた気がした。

いや、この画像を見返してみても、やはりそこに駅が見える気がしてならない。

これが“謎の感動”というやつなのか、未だ県道であり続けていることを、人家の途絶えた最後の最後、
かつての駅前広場に至るまで、完全に除雪が行き届いている事が、誇らしく示している気がする。




最後のお宅の前まで来た。
正面の行き止まりが陸奥関根駅跡地。
駅が無くなってから建て替えられたのかもしれない沿道では一番にモダンなお宅だが、更にその奥にもう一軒、平屋がある。

なお、ここでは雪色のわんちゃんが道の傍らで睨みを利かせていた。
かなり吠えられることを覚悟したものの、彼は挨拶程度に2度吠えただけで、自転車で通過する私を見送った。後ろからは吠えなかった。

駅が健在だった当時からここで育ったのかは知らないが、彼の部外者の通行を容認する慣れた様子が、不思議に思えた。
部外者の誰が今でもここへ通い続けているのだろう。(それは廃線ファンかもしれないが、この土地に留まるパブリックなオーラがそうさせていると考えたい)





陸奥関根駅に最も近い平屋の建物は、遠目の印象に反して、

廃屋だった。

駅はなくなっても、廃屋が目立つという様子もない関根集落で見た、最初で最後の廃屋の正体は…



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郵便局の廃屋だった。

陸奥関根郵便局

<駅前通の衰退 その2>
公的機関の閉鎖。

扉周りの木部と同様に色褪せた表札には、
官業だった頃の郵便局にはあった、ハイソなオシャレさ漂っている。

今まで廃道を辿る過程でたくさんの廃屋を見てきたが、郵便局のそれは初めて見る。
営業を取りやめている郵便局を見る事自体稀なのに、廃墟である。
さらに、今回は廃道ではなく、現役の県道である。

絵面としては地味だが、私はこれに結構衝撃を受けた。




レポの冒頭で、ちょっとだけ郵便局に触れたのを覚えているだろうか。
移転の時期は不明ながら、郵便局は関根地内で右図のように移っている。

これは単なる移転ではなく、集落の中心(最大多数に便利な場所)が、鉄道の廃止を契機にして、決定的に変化したことを示している。
そもそも集落の人口重心を考えれば、駅前は最果てに位置していて不便なのだが、かつての鉄道と郵便輸送の密接さや、集落の人々の動線を考えたうえで、この地に郵便局が置かれたのだと考えられる。
それがより本来的に便利な場所(集落が大間通=国道を中心に立地している事を思いだして欲しい)へ回帰したと見るべきだろう。

おそらく移転の際に、局名も「陸奥関根郵便局」から「むつ関根郵便局」へと漢字→かな変化しているが、深読みすればこれも、陸奥関根駅前にあった陸奥関根郵便局のイメージから、むつ市の関根集落にあるむつ関根郵便局に変わったということである。

そもそも、駅名にもなっている旧国名の陸奥を、より親しみやすくという意図から市名に採用する際に日本初の“ひらがな市名”としたむつ市(昭和35年)の精神が、大いに遅ればせながら郵便局にも波及した感じである。
官業である国鉄と郵便は「陸奥」とかしこまり、市民レベルでは「むつ」を受け入れたのである。
余談だが、昭和34年に大湊町と田名部町が合併した際に一旦は大湊田名部市で市制施行した。しかし、この市名は長すぎるとして不評であったため、“かんたんな”市名に翌年変更した経緯もある。



さ、私が期待していた以上に綺麗にまとまったな。

ここでレポートを終えても文句はいわれないと思うけれど(妙な自信)、折角なので覗いてみようね。
時の止まった、郵便局のなかを。
これは、郵便局で働く我が親友に捧げるレポだ。
興味のない方もちょっと我慢してね。最後に廃駅もちょびっと出てくるから。




木造ガラスハメコミの扉。

こう言うのも最近の郵便局では見ないな。

もちろん、鍵が掛っているので、中には入れない。
だから、覗くのだよ。



あ〜〜。なんか見覚えがあるけど思い出せない。

入口の扉をくぐるとまず小さな部屋があり、窓口へは右の扉をもう一度くぐる。
そして正面には何とも不器用な感じで、まるでパチンコ屋の景品交換所のような小窓がある。
これ、昔もどこかの局で見たことがある気がするが、なんのための窓口だっけか??
いずれ、最近ではこのスペースを改修してATM機を置いている局が多いよね。

なお、右の扉には懐かしい「ポストマン」の顔イラスト付きの注意書きが。



さて、外壁に沿って今度は窓から覗く。
窓が割れてしまっているので、簡単に覗くことができたわけだが、するとこれまた超レトロな感じの窓口があった。

金文字で郵便、電信、電話と書かれた窓口と、為替、貯金、保険の窓口があった。

なんと言っても電信や電話という部分に時代を感じる。
かつては電報電話業務も逓信省が管轄しており、農山村部を中心に電報電話局の業務を郵便局が請け負っていたため、電信の扱いや電話料金支払いなどは、伝統的に郵便局が窓口であった。
現在でも公共料金収納代行として続いているが、コンビニ払いの増加に伴い、窓口で「電話」という文字を見る事はまず無いと思う。




入口の扉の方を見返すと、年季の入った黒いポスターを発見。

郵便利用の皆様へお願い
郵政省では、郵便がまちがいなく早く届くように努力しておりますが、もし皆様の郵便が着かなかつたり、中身が足りなかつたり、その他事故があつたときは、書留に限らず普通郵便であつても、すぐに近くの郵便局へ申し出て下さい。どの郵便局でも皆様のお申出を受け付けて、特別の調査票(郵第一〇一号)により直ちに調査を始め、その結果をお知らせすることになつております。   
                  郵 政 省

皆さんご存じの通り、郵政省は平成13年に消滅し、郵政民営化への重大な一歩となった。
大畑線が廃止される前年の出来事である。



筆記台のうえには、無造作な感じで積み上げられた多数の表彰盾があった。

例えばそのひとつには、「郵便貯金奨励5年連続優績 54.7 東北郵政局長」などと書かれているのが見えた。

名誉である表彰物が置き去りにされているのは、こうした名誉の喜びは後生に伝わりにくいという歴史の証明である。
或いは、必ずしも努力の先にあるものでもない、一種通過儀礼的な賞だったりするのだろうか。
私には、この仰々しい「賞」の文字の重みを図りかねるが、ちょっと複雑な気持ちになった。

あなたの職場では、こうした本社賜杯の表彰物をどんなふうに扱ってますか?





9:00 《現在地》

旧陸奥関根郵便局を通り過ぎると、そこは陸奥関根駅。

かつての駅前広場は圧雪に覆われており、そこに除雪車の多数の転回痕が刻まれていた。
寄せられた雪は県道を溢れだし、駅の母屋があった部分から、
さらにホーム上にまで押し出されて、低い山を成していた。

なおこの写真、よく見ると分かるが、全然ピントがあっていない。
オートなのに、なぜかピントが合わないままシャッターを切ることが出来た。
本来あるべきものが無い駅前風景に、カメラもフォーカスの判断に困ったのだろうか。

ポツンと佇む“エカ柱”/(拡大)が何とも寂しい。




<駅前通の衰退 その3>
駅の廃止。

若い防雪林に囲まれた駅構内には、一面一線のホームが、そっくり残っていた。
しかし、駅名板は見あたらず、レールもまた撤去されている。




ここが、“現役”青森県道274号陸奥関根停車場線の起点。

駅が存在しない今、これを敢えて県道として管理する必要性がどこにあるのかは不明だが、
市道となった場合に受け入れる事になるむつ市が、管理費用などの面で難色を示していたりするのだろうか。
わずか360mの道路であっても、毎冬の除雪費用は馬鹿になるまい。




郵便局の廃墟という珍しい存在が、駅の消滅という現象の集落にもたらした影響をひとり雄弁に語ってくれた今回のレポはこれで終わりだが、実はこの県道が現役であり続けている「ロスタイム」は、下北交通大畑線が廃止されてからの11年だけではないかも知れない。
そのことを最後に追記しておきたい。

皆さんお住まいの地域の地図を見て確認してもらいたいのだが、停車場線県道は私鉄の駅に存在するか?という疑問がある。

これは私のこれまでの経験に過ぎないが、元々が私鉄の駅である場合、そこに停車場線県道があるケースは皆無ではないかと思う。
そして、元々は国鉄であったものが3セクや私鉄になった場合、そこにあった停車場線県道がどうなっているのかについてだが、おそらく廃止されている例が多いのではないかと思う。
例えば、3セクの三陸縦貫鉄道線には数多くの駅があるが、元々は国鉄によって開設された線区の駅を含めて停車場線県道が一本もない(起点や終点などJRとの共用駅は除外)。

もしこの法則性が真であるならば、国鉄大畑線が廃止された昭和62年の段階で、早くも県道274号は存続の危機に立ったと考えられる。

以上の思考については、まだ結論付けられる段階にないが、本県道が“二重に特異”な存在である可能性を示唆している。

↑この認識は浅かった。結構私鉄の駅にも停車場線県道はあるのね。ご指摘下さいました皆さま、ありがとうございました!

【おわり】


【オマケ】

ここまで、さも珍しいものであるかのように書いてきたが、

実は

大畑線で未だに停車場県道を存続させている駅が、陸奥関根を含めて全部で5駅もある。
下北駅にもあるが、ここはJR大湊線の現役駅なので除外。


イテッ! ものを投げないで…!

これは明らかに大畑線が特殊なんだってば!!

普通は廃線になれば、停車場線県道も廃止されるし、例外は【このくらい】しかないみたいだよ。

ネ! 珍しいでしょ。(と言いつつ、思っていたよりは結構あるなぁ)






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